5.猛撃
けたたましい炸裂音が反響する。
全ての衝撃が腕に跳ね返ってくるが、それはさして問題ではない。
まず初めに異常だと感じたことは、足は依然として地に着かず、身体は空中で剣を振り下ろした姿勢のままで維持されているということだった。
眼下で赤熱する”何か”が見えた。
凄まじい熱がにわかな上昇気流を作り出す。
重力が失せているのか――時間が止まっているのか。
その動きは、暫くの間維持された後、
「無粋だな」
男から発される、背筋が凍えるような冷徹な響きから、全ては動き出した。
身体が落ちる。
無防備な肉体の、その中心を捉え、腕を動かす。その下腕にて固定されていた大剣は途端に地面へと崩れ落ちだし――貫手は胸部を穿つ。
さらに肉を削り、抉り、胸を貫く――男はそうした筈だったが、
「ぐあっ!」
青年はそれよりも早く吹き飛ばされ、対面の階段に背中を強く叩きつけられていた。
つまりは、攻撃が間に合わなかったのだ。
彼の攻撃が間に合わぬ速度となると、少なくともジャンによる自力の退避などというわけではない。それは一切考えられない。
大剣が地面に突き刺さる事無く、叩き、転がり鎮座する。
背後から伸び肩口を通過する棒状のそれを横目で睨んで――徐々に熱が冷めていく右腕をさすりながら、横にずれて振り返った。
「貴君、なぜ邪魔をした」
――全身を真紅の甲冑に包む格好。その顔面でさえも、菱形の奇っ怪な鉄仮面を装備していた。
そして振り返る先、その扉の向こう側に未だいる姿は、刀の柄を引いて、彼に続いて扉から現れた。
「逆に問いますが、私にその権限がない、とでも?」
凛、とした声と共に、まばゆい白髪は確かな輝きを持っていた。
全身にぴったりと張り付くような革の衣服。その手には、極東の武器である刀が握られていたが、その鞘の存在は無かった。
「貴女でしたか。いや、しかし……もう少し趣向を凝らしてみても、と仰ったのは、ひ――」
「黙れ」
切り捨てるような言葉を追うように、言葉を継ぐ。
男はただ、わがままな娘に付き合うように肩をすくめた。
「それで私を呼ぶなと申したはず」
「失礼」
「卿らはいつもそうだ。少しは教養を付けた方が良いと思うのだ」
「やや、ここで仰っても詮なきこと。現状は、我らに害なす敵の退治といきましょう」
「しかし――」
彼我の実力差はあまりにも圧倒的過ぎる。
目の前で痛みに喘ぐ姿は、ただ見ているだけでも痛々しい。
そもそも彼はこの世界で一等強い戦士というわけではないのだ。強運か、凶運か……真紅の甲冑の男が行った仮想での模擬侵攻で、唯一生き残ったというだけのこと。それを幻覚と称して青年の記憶に刻むと、彼はどう動くか……。結果はこのとおりだが、やはり見るかぎりでは勝機があったというわけではないらしい。
「くっ、そぉっ!」
痛みに耐えぬき、腰の長剣を抜く。
「気に食わねえな……なぜ、殺さなかった。できただろうが、今!」
そして命知らずな挑発。
その影に、とても計算があるとは思えない。
理解できぬ行動に、レザースーツを纏う女は一歩退いた。後は甲冑の男に任せる、という意味を持つ行動だった。
「好きになさい。実りある結果を望むわ」
「御意」
巨岩の大剣を投げると、それは放物線を描き、切っ先を下にして落ちた。ジャンのすぐ横に突き刺さると、彼は迷わず長剣から大剣へと持ち替える。
まず最低でもそうでなければ、あの頑強な甲冑は破壊できないだろう。もっとも、おそらくアレスハイムの最高戦力でさえただでは済まないだろう一撃を加えても無傷である敵には、何をしても無駄なのかもしれないが。
――考える暇も無く、男が飛び出してくる。
突き出すのは拳。
既に極限に極限を重ねた実力は、武器を持たずともその肉体こそが凶器となる。
「く、らぁっ!」
再び大上段からの振り下ろし。
男は再度右腕を振り上げ、受け止めた。火花が飛び散り、衝撃が腕に伝播する。諸手が痺れ――ジャンは即座に大剣を手放し、長剣の柄に手を添えた。
振りかぶった拳は大剣を防ぎ、空いた片手がジャンへと襲いかかる。
長剣を抜き、一閃――振り抜かれた拳と衝突する、が。
「ふむ」
男が唸る。
拳は果たしてジャンを穿たず、また長剣も男を切り裂けない。
力は一定のまま維持され、両者の動きを拘束した。
「いや――」
違う。
その妙な感覚に、ジャンは男の持つ超人的な身体能力を否定する。
いや、確かにその肉体はこの世界に居る誰よりも頑強だろうし、岩石だって一撃で破壊できるだろう。その力は、今こうしているように攻撃が通じぬ最大の原因であり、その対処法はない。鋼を針で砕こうとするようなものなのだ。
だがそれをより確実に、針がもしかしたら鋼よりもより頑強な素材でできているのかもしれない。故に破壊たらしめるのかも――その可能性すらも完全にゼロにする能力。
「てめえっ!」
拳が赤熱する。
灼熱と化した拳が刃を伝達し、凄まじい高熱を手元まで運んだ。
刀身は溶けず、されど柄を握る手のひらは焼け付き皮膚を焦がした。
――破壊と同時に接合すれば、破壊されることはない。
故に熱し、故に溶かし、故に癒合する。
「ほう、理解したのか? 恐ろしいまでの思考力だな。いや――」
全ての疑問から答えを導いたわけではない。
この直情的な男がそう賢いはずがない。
故にそこから導き出す要因となったのは、直感。彼が”熱を持つ”という事に確信を持ったわけではなく、もしかしたらそうなのではないか、と勘繰る行為。
一旦そういった視野に入れられてしまえば警戒される。
力、戦闘能力では圧倒的に勝っているはずなのに――疑心を払拭できない。
この男は、もしかしたらあらゆる可能性を熟知し得るのかもしれない。そう思えて仕方がなかった。
――構わず長剣を力で押し切ると、眼下から踵が振り上がる。足を振り上げ、閃光のように放つ前蹴りは、されど屈強な腹筋以前に甲冑に傷ひとつ付けることができない。
だがそれで良い。
ジャンはその反動によって男から身体を引き剥がし、そのまま後退。勢い余って再び階段に転げるが、この際構わない。
だが男は、ジャンが体勢を整えるよりも早く、さらなる追撃を選択した。
冷却された、真紅の拳が振りかかる。
青年はただ長剣を突き立てた。
そうした途端――寸でで、男の動きが止まる。
それは決して警戒などではなく、彼の命が惜しくなったわけでもない。それに意味など無い。
甲冑の継ぎ目、鉄仮面の継ぎ目――薄くなった装甲などは存在しないが、それ故に、首がむき出しになっている。そういった格好には、”唯一の弱点”として強者ゆえの油断をわざと作っていたのだが……。
「……ふん!」
勢い良く大地を弾き、退却。
喉元に触れた、未だ高熱を孕む切っ先の感触を拭うようにそこを撫で、男は短く舌打ちをした。
「貴君」
青年がもう少し上手であったならば、先の接触で首が切り裂かれていたことだろう。
彼は弱者で間違いないが、それ故に侮れない。
頭が良いわけではない。戦術が素晴らしいわけではない。それらを匂わす戦闘は、今のところ存在しない。
ただ純粋なまでに、鋭いのだ。あらゆる意味で、侮れない。
「わたしはこれより、貴君を強者と評そう。侮りがたし。何よりもわたしの油断が、わたしの死を招く」
男の言葉に、ジャンは嘆息した。
「やり辛ぇな。あんたがいつまでも舐めくさってくれれば、おれだって勝機があったかもしれねえのによ。無いのか? そういう温情みたいなの、さあ」
「恐ろしい男よ。その歳で、騙すことに長けようとまず判断するなど」
軽口とて、その計算の範囲内なのか――無意識に、敵を油断させるためにそうしているのか。
彼の過去はそうそう幸せなものでもなかったが、極めて不幸であるというわけでもなかった。
ならば天性のものか。
一切の期待が、谷底へ落下した瞬間に削がれた分――楽しくなってきた。
――彼のすぐ後ろで待機する女性はその雰囲気が瞬間的に変質した事を知覚し、またジャンも感覚で理解する。
長くなりそうだ。そう判断し、限界突破を軽減。辛うじて避けれるか否か程度の強化まで落とし、ジャンは対峙した。
かくして肩慣らしとも言える戦闘は終了し――本当の悪夢が、開始した。