最終選定
「少なくとも、現時点での最高戦力に傷ひとつつけたことは高評価だ……そう言いたいわけだ。俺は」
軍部副大臣――エミリオはつまらなそうに頬杖をついて、そう告げた。
本来書記の仕事であろう書き物をしている大臣は飽くまで無感を貫いているが、その情報は全て得ている。単に最終決定権を持っているために、彼は静観しているだけだった。
「肯定。だけど――肉体強化による結果。ここをどう判断するかが、問題ね」
実際に対峙したシイナは、なんでもないようにそう言った。
だが事実として、そこが問題だった。
個体としての戦闘能力は決して低くない。だが肉体強化が及ぼした効果でしか、彼女を傷つけられなかった。
さらに持続時間は三分弱。
新兵として考えればおよそ十分すぎるほどだったが――その強化の度に、窮地の度に死線を彷徨うようでは……。
そういったマイナス点がある。
大きなマイナスではないし、確実にプラスに評価できるものではあったのだが、
「感情に促されて限界突破。不要な戦闘で肉体が限界に至る……この可能性があるしさ」
つまりは、切り札とも言えるそれの使い方の問題。
彼にとってはその存在、そしてその絶大な効力が日常的であるせいで、容易に使ってしまう。
そこから至る限界は、本当に必要な時に使用したがゆえに至る限界なのか……経験不足から起こる判断ミス。
下手に地力があるためにあふれる自信は、指導を邪魔する。
だからここは惜しいことかもしれないが、いくら強くとも足並みを外して英雄譚に憧れるだけのただのガキならば――考える必要がある。
シイナの判断は基本的に肯定をもとにしていたが、一軍を率いる隊長として、そこを蔑ろにするワケにはいかなかった。
「入団してからの半年は訓練期間だ。不要な心配だと思うが」
エミリオの言葉に、現場を知らぬ大臣はついと頷く。
だが――この場にいて依然として口を開かぬ、かつての最高戦力は腕を組んだまま静観していた。
「どう思う?」
そんな彼女へと、副大臣は問いを投げる。
ユーリアは毅然とした態度で一つ頷き、口を開いた。
「ジャン・スティール……彼は振り幅も大きいし、伸びしろもある。正直、肉体強化で己の限界というものを、本来相手しえぬ敵ばかりを相手にしてきて、成長というものを忘れているが――将来に期待はできる。シイナの位置に辿りつけると、私は思うが」
「私の席に? さすがに、ヒイキ目じゃないの? 彼はヒトよ?」
馬鹿馬鹿しいと肩をすくめる彼女は、決してユーリアをバカにしたわけでもジャンを卑下したわけでもない。
事実として、この特攻隊という存在、特攻隊長という地位はこれまで人外――異人種の出現がきっかけだ。特攻隊は屈指の精鋭部隊であり、隊長は決してヒトではたどり着けぬ強さを持たなければならない。
故に記念すべき一人目はやはり異人種だったし、代々、彼ら、彼女らはそれを受け継いできている。
正直なところとして、ヒトの強さの限界をエミリオに見ている彼女らは、まず最低限として副大臣であり憲兵総隊長である彼にたどり着くことすら不可能ではないのか――と、彼を判断していた。
むろん、それが普通だ。
ヒトとしての最高戦力は掛け値なしでエミリオだし、彼とてユーリアと同等か、辛うじてそれ以下というのが適正な判断。また魔法を持たず、魔術すら使用しない彼はある意味で彼女らより評価は高い。
だからユーリアの言葉は、また正直な所白痴としか思えず、
「ありえないわ」
シイナの言葉に、さしものエミリオも首肯した。
「ときに」
――前代の大臣よりも遥かに謙虚で遥かに献身的で、およそ自分というものがあるのかすら判然としない男が口を開いた。
それまで使いっ走りだった彼は、今では立派な軍部大臣。その判断は独善ではなく、必要であれば必ず話し合いの場を設ける。
だが独断は決して私的な利益を大前提とすることはなく、至極真っ当な大臣として彼は成り立っていた。
「ジャン・スティールの容態はいかがなのです?」
ああ、と気の抜けた様な声を上げたのはシイナだった。
「サニー・ベルガモットの魔法――<修復>で無事全快……した、みたいなんだけど」
決戦から既に三十六時間が経過している。
彼が運ばれたのは、シイナの魔法が途絶えて数分後のこと。治療自体は、治癒系魔法で最高練度と言える彼女の<修復>ですぐさま癒されたが、彼はそれ以降目を覚ましていない。
サニーの言葉によれば、修復はなんであれなんでも『直す』というものらしいが――。
「……私的理由の戦闘で、そもそもの騎士候補生を潰した、ということですか。体の傷は回復する。聞いた話だが、<修復>は彼女の知るままに元に戻すという魔法。だが精神は?」
珍しく責め立てるような口調。
まず採用不採用以前に、その青年がこの場に立てなければ意味が無い。いくら論議しようとも机上の空論に過ぎないのは、誰が見ても明らかだ。
そしてまた、大臣のそう具体的ではない言葉も正当な意見を孕んでいた。
つまりやりすぎだ、と。彼はシイナを非難していた。
――彼女には配慮が足りなかった。
いや、正確にはジャンに対する評価が高すぎた。
身体が強いから、戦闘能力が高いから精神も同等だろうと、ある程度の修羅を歩んでいたから見合うくらいの魂は持っているだろうと。そう信じすぎていた。
あながち、それは間違いでもなかったが――。
やはり意見は帰結するし、それは変わらない。
やりすぎた、のだ。
「も、申し訳……ありません」
シイナは深く頭を垂れる。が、大臣は憮然とシイナを眺めたままだった。
「返答が正しくありませんね。私は精神の修復まで、魔法の及ぶ範囲なのか、と訊いたのですが」
――彼は前任のように頭角を表しているわけでもなかったが、彼は極めて勤勉な男だった。
思う様に使われていたが、そこから学ぶことも多々あった。
それゆえ、ある程度の人間ならばその性格をわきまえているし、その責め方、あるいは褒め方を熟知している。
前任とは別の意味で恐ろしい人間だと――その場にいる彼以外の全員は、そう認識した。
「言っていても仕方が無いことですが。ともあれ、あの戦力をわざわざ弾く理由はないと、私は思うのですが」
「確かにそうだ。戦い方がどうのだの、今更関係ねえだろ。俺だってそうだった」
過去に想いを馳せるように言い切ってみる。
しかし、ヒトながらにして高い戦闘能力を持つ彼が言えば、そこはかとなく説得力があった。
「ならば――」
シイナは、先ほどのやり取りはなかったかのように音頭をとった。
「ああ、そういうことで」
微笑み、ユーリアが頷く。頭の上の馬の耳は、先程からぴくぴくと痙攣していた。
大臣は書き物の手を止めて息を吐く。
彼が綴っていたのは、ひと足早い入団証明書。最後に朱印を押して、完了だ。
「ならばジャン・スティールは四月の入団式を以て、国立騎士団に入団を許可する――以上で、解散」
かくして青年の夢が叶った。
それと同時に――不穏な空気が、巨大な門から漏れ始めていた。
酷くよどみ、怖気の走る強烈な腐臭。
それは一五○年前の、異種族の侵攻以来の最悪な惨事を彷彿とさせる――そう意識せざるをえない空気が、アレスハイム全土を飲み込んでいた。




