最終試験 ②
ぼきり、という嫌な音が身体の中で響き渡った。
左腕が半ばから、不可動域へとへしまがっている。ひしゃげた手の中から握っていた剣がこぼれ落ちた。
「ぐう……あぁあぁあぁあぁあぁっ!!」
膝から崩れ落ち、あまりにも感触が柔い左腕に手を添える。
全身に力が入らない。思考が止まる。息が詰まる。
――彼女の殺気は確かにジャンへと向けられて、だがその寸前で殺傷行為は単なる暴行になり変わる。先ほどの攻撃とて、彼女がその気であったならば、即死していたはずだった。
殺されはしない。
だがその中途半端な強さや自信が、己を再起不能たらしめてくれる――。
「殺すつもりはないし、怪我だってすぐに治せる。ここまででも戦闘は十分に評価できるし、普通ならその場でじっと時間切れを待つね」
「ぐ……普通なら、って……普通、平凡で、おれは強くなれやしない!」
全身から汗が吹き出る。
激痛が持続的に体中をかけめぐっているのにもかかわらず、頭の中からは現実感が喪失しはじめていた。
膝を立てて、地面に腕を突き立ててゆっくりと立ち上がる。まるで操り人形の出来損ないのようだが、それでもジャンは立ち上がった。
強い意思が根底にある……確かにそれもあるだろうが、決定的ではない。
彼はそんなに強い人間ではないし、格好良い英雄でもない。ただ力のある、騎士に憧れる平凡な青年だった。
だからこそ立ち上がれるのは、ちょっとした使命感と、自分ならまだ出来るのではないか、という諦めの悪さ。思い上がり。
しかしどんな理由であれジャンは立ち上がったし、それを評価するのはシイナだった。
「その通り。平凡な強さなら、わざわざこんな特殊な選定で判別つけたりしない。適当に養成学校に戻すだけだわね」
地面に大剣を立てれば、その柄は頭より高い位置でそびえ立つ。
その姿に圧倒されながらも、ジャンは短い呼吸を繰り返しながら言葉を紡いだ。
「なら、おれの全力を出すだけです。おれは――」
背部の魔方陣が、その輝きを増した。
ジャンの唇が限界を紡ぐ。
最大出力、最大放射、限界突破。
へし折れた筋肉が膨張した筋肉に支えられ、全身から生命力が溢れ出す。
肉体強化の限界を越えた強化――持続できる時間は、ごく僅かだったが、
「闘う以上、あなたを倒すっ!!」
体感時間は、千に一、万に一へと細く長く伸ばされていた。
針の先よりも細く――奇しくも、それでさえもシイナと同じ土俵に立てたというだけなのだが。
凄まじい衝突は、同時に強靭な大剣の表層を削る。火花が散り、剣が勢い良くシイナへと落とされた。
が、圧倒できない。
彼と同等、あるいはやや遅い程度の反応速度でジャンを薙ぎ払う彼女は、軽々と彼を吹き飛ばした。
四つん這いになって地面を摩擦し、衝撃が消えると共に再び切迫。
斬撃。
大剣はまたもや遮り――死角から振り上げられた踵が、鋭くジャンの鳩尾を撃ちぬいた。
仰け反るように吹き飛ぶ。それはまるで、子供が人形を投げ飛ばすかのような容易さ。何かの冗談なのではないかと言うほどに、破壊力は、その力強さは一人の男の身体を玩具にしていた。
――彼女は怯みさえしない。
ジャンはその理由を知っていた。
圧倒的な肉体強化に対して、彼の握る武器は余りにも軽すぎたのだ。
今となっては乾燥した木材のような重量。に対して、彼女の鉄塊は変わらず重い。つまるところ、シイナが超重量の武器を扱うのにはそういった理由があった。
常に肉体強化の限界を越えたような身体能力を持つ彼女にとっては、それほどの重さでなければ”手応え”が無い。そして、通常状態のジャンに対する長剣のような――適性。適切な選択。それが彼女にとって”丁度いい”のであり、現時点での彼の武器は、彼に対して似つかわしくない。
ただそういうことだった。
相手が格下ならばそれでもよかったかもしれないが――。
何故よりにもよって、と悔いている場合ではないし、この状況を脱せるわけではない。
思考を戻し、ジャンは地面に叩きつけられると同時に姿勢を正した。
――勝てるわけがない。
そう、ぶつかり会う度に耳元で怒鳴りつけられているかのようだったが。
(おかしいな)
腹が痛い。骨が砕けたような感覚だ。
大剣が地面にたたきつけられる度に地面が爆砕音を立てて巨大な破片を打ち上げていく。その衝撃が己をしびれさせて、どうしようもなく無力さを痛感させられる。
(だが、なんだ……この気持は)
高揚感は。
敵が強い。死にはしないが、修羅ゆえの恐怖が腹の奥底に刻まれる。
だが、感情は昂っていた。
「楽しいことでもあった?」
立ち直ったジャンへと、努めて冷徹な言葉が投げられる。
そこで、己の表情が緩んでいたことを自覚した。
「ええ、どうしようもなく」
剣を握り直し、地面を弾く。
――この状況でジャンに利点があるとすれば、それは唯一たる物分りの良さ。
己と敵との差を見極め、決して誇張や貶めたりなどしない。自分に足りないもの、相手にあって余りあるものを見て、納得する。ああ、だから勝てないのだと理解する。
彼にとっては、最低限として武器の差。
これは持ち帰られぬ事ゆえ、ならばどうする? 疑問はその手の中、小回りが利くとは決して言えない長剣の軽さが告げていた。
ならば長剣で勝負をすれば良い。力で対抗できても、武器が耐え切れぬのならば力は切り捨てれば良い。
強化に指向性を持たせろ。意識を一辺倒にするな。
柔軟に、あるいは強引に、剛を制せ。
ジャンの中での勝利への渇望が、無意識なのか、意識をしたものなのか――戦闘体勢を大きく変えていた。
シイナに肉薄。彼女は従来通りに対応し、突進に対して刃を振り落とした。
彼はまずその鉄塊に対して袈裟に剣を打ちおろし、軌道を逸らす。そして傍らに落とした剣は、最初のニ撃目と同様に横一線の薙ぎ払うものへと形を変える。
だが形を変えたのは彼女のみではない。
「だぁ――らぁっ!」
すぐ横、迫ってくる大剣への障害とするように地面に剣を突き立てる。その刀身は鉄塊にぶち当たり、凄まじい衝撃と共に、長剣は大地に刺さった分の深さだけそこを切り裂いていく。
自由になった右の手は、狡猾に前方へと振り抜かれて――シイナの顔面を、鋭く穿っていた。
「が……ッ!」
短い悲鳴を上げて、彼女は巨剣を手放して後方へと後退る。背中を大きくそらし、地面を摩擦しながらやや距離が離れ、
「すごいわね」
驚嘆。だが、誉れ高き一撃。
本来ならば彼は生きては居ない。ゆえにこの一発は通らないはずだった。
しかしそんなものは屁理屈だ。これは決闘方式であり、現実として彼の痛烈な拳が顔面に入っているのは事実だし、それを避けられなかったのもまた真実。虚を衝かれたし、またあの時点での一撃は確実に受けざるを得なかった一撃だった。
なるほど。多くのものが彼に期待するが所以を理解した。
根気強い。確かな下積みというものがないから、その行動は全てが稚拙で拙劣で、だけど、だからこそ意外性に富んでいる。良く言えば読めず、悪く言えば何をするか分からない。
個人的には失格に推薦する予定だった。いろいろな意味で、ここに居るべきではない。だが――もう答えが変わった。
もう決して揺らぐことはない。
残り時間はまだ二十分強。ならば後は――戯れか。
「だけどこれは最初で最後……でしょう?」
そう言うジャンもそれを理解する。
もう通らない。だが十分だ。
己れはここで終わる男ではなく、むしろここから始まる男だと知らしめればそれでいい。満足だ。
否、決して充足しているわけではないが――今はここまで。強者の戯れではなく、弱者の最低限の礼儀としてここまでが最低限であり、また最大限のラインを決め、そこに到達したから終わりだと、弁えていた。
「そうお前が決めれば、最後になる。そう”諦めて”しまえば事態は進展しないし、そこで留まり燻って消える……でしょう? それはお前自身が、よくわかっていると思うんだけど」
だが、諦めても諦めなくとも、既に大剣を止めるだけで左腕は限界を超えていた。筋肉の膨張でかろうじて形をとどめていたが、今ではズタズタに裂けて力が篭らない。動かせなくはないが……、
「ただの試合で、これ以上身体をぶっ壊すのはバカか狂人だ。だからここで退くのはごく正当な判断――だろう?」
まるで心中を読み取ったかのような言葉に、ジャンは思わず顔をしかめた。
「なっ……」
「悪いけどね、こちとら成り上がりで特攻隊長勤めてるわけじゃないのよ。たぶん戦歴だけならユーリアにも勝る。人がここで何を考え、諦め、希望を持つかよく分かるのよ。まあ、戦場に限る話だけどさ」
彼は、到底勝ち得ぬと判断した敵に一撃を入れた。
さらに部位は顔面だ。本来ならば相手の激昂を促し、隙が垣間見えるチャンスを作り出したに等しい。
だがジャンは諦めた。満足だと肩を落とした。
彼女にとっては不可解な思考だが、まあわからなくも無い。彼女自身正しいと思えるが、そのままにしてやるわけもない。
せっかくの好敵手だ。少しくらいわがままを言っても、罪にはならないはずだ。
どのみち彼の傷はすぐさま完治する。修道院に新しく入ってきた少女に、その魔法があるらしい。
――焚きつけてはみたが、
「まあ、好きにしなよ」
残りニ○分弱。
さあどうする。
別に彼を、これ以上絶望させるつもりはないのだ。どうしようもなく強い敵が居るという事を教えるわけでもない。
これは完全な私的理由だし、彼が乗ってこなければ戦わない。それを原因に評価を変えることもない。
だがやはり、男は男か。
ジャンのどこか落ち着いたような表情が、途端に引き締まるのを彼女は見逃さなかった。
「いいでしょう、やりますか、ぶっ壊れるまで――」
その瞬間にシイナの全身が淡く輝き――ジャンの肉体強化の陣が、その輝きと共に効果を消失させた。
良い敵だ。これから味方になるならば、なおさら嬉しい。
戦闘が得意だが、戦闘が好きなわけじゃない。強い相手を敵にするのは嬉しいが、強いやつが周りに居て共に闘うほうがもっとうれしい。
それは鬼族としての本能なのかもしれないが――ゆえにジャンからの肯定を聞いた瞬間、渇望していた前者の存在と再び戦える高揚が、全ての配慮を捨て去っていた。
それがまず一つ目のミスだった。
次は、彼女が全身全霊を以て最初で最後、規程の時間など関係なしに次で終わらせようとしたその『技』を放とうとしたこと。
それはジャンなら避けられる、あるいは堪える間に対処を考えられたものだった。が、それは飽くまで肉体強化の限界を超えている事が前提であり、彼女がそれを確認できたのは、既に魔法が発動してからの事だった。
「発現めよ――」
シイナの、透き通るようでありながらも力強い声が響き渡る。
その声でさえも身体の隅々に障り、激痛を促していた。
大怪我は肉体強化によってある程度緩和されていたが、逆にその高負担が彼への致命傷となっていた。
限界突破の持続時間は三分弱……これは彼にとって驚異だったが、
「自在重力」
それ以前に、”天の落下”と形容するに値するそれは、大剣を軽々と振るった以上の脅威を彼に与えていた。
「ぐ、がぁあぁあぁあぁあっ――」
巨人が全力で肩を抑えこんでくるような圧迫感。頭を鷲掴みにされて、力強く押し付けられているかのような屈辱感。
そして耐え切れぬ凄まじい荷重。
強化の施されていないジャンの肉体は地面を砕く前に全身を砕き、だがそれを回避するために彼の身体は前屈姿勢から膝を崩し、地面にたたきつけられていた。
みちみちと筋肉が引き裂けていく。骨が粉砕され、既に吐物を吐き出す余裕すらない。
「おれ、は……」
諦めたわけじゃない。
為す術がなかっただけだ――。
それが正しい言い訳だったかは誰にも分からぬことだが、それが彼の最後の言葉だった。
「――おい、まさかッ?!」
あまりにも容易な屈服に、その異変を即座に感じ取ったシイナの魔法はすぐさま途絶えたが――。
既にジャン・スティールの意識は喪失し、共に最終選定は無事……とも言い切れぬ結果で、終了した。