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最終試験

 結局のところ、この一週間で何かをしたわけではなかった。

 だが得たものはある。

 騎士が天職でなくとも構わない。ただ誰かのためにあるだけでいいのだ。自分の力で、誰もが肩の力を抜いて休めるような場所を作る――それさえ出来ればなんでもいい。

 パスカルに伝えたが、彼はつまらなそうな顔で「そうかい」という一言で切り捨てた。まるで自分の言葉を忘れたような様子だったが――。

 ――周囲を、腰ほどの高さの柵で囲んだ戦場。

 その外周には、張り紙を見て集まった野次馬がやかましくざわついていた。

 中にはテポン一家も漏れ無く居て、パスカルも同様だ。クラスメイト、また面識のある憲兵、騎士など、多くはここの関係者ばかりだが、ともかく大勢集まっている。

 城下町から十五分ほど歩いた所にある平地。極力何もないその空間は、半径五○○メートルといったところだろう。そう広くはないが、戦うのに不備はない。

 相手が普通の敵ならば。

(ったく、まじかよ、ありゃあ?)

 五○メートルほど先に直立不動で剣を担ぐ紅い姿。機動性を重視したのか、上肢はバストだけを隠す黒い下着姿に、漆黒の腰巻。足は太ももまでレザーのベルトを巻きつかせるサンダル。

 まるで戦闘に臨むかという気概の見えない気易い格好だが――いつ見ても、うんざりするような大剣が常に彼を警戒させた。

 それは持ち手から先まで一つの鋼鉄の塊だった。

 まず鍔はないが、鍔たる部分が彼女の肩幅以上に広く、そこからまっすぐ並行に伸び、ナタのように垂直に閉じる。

 途方もなく巨大な剣だ。まさに巨人の扱うものであり、決して、間違っても、曲がりなりにも人が持つべきソレではない。

 見るだけで威圧される。

 振れば精神が砕かれる。

 あんなものに、太刀打ち出来るわけがない――そう思わせてくれる逸品は、使用者を併せることで完成する。

 なんでも、あれは彼女が特攻隊長として扱う最大にして最高の一振りだという。大きさだけならばまだ他にも存在するが、手になじむと言うものならば他にない。

 つまり、彼女が本気だという事だった。

 ――空を見上げれば、頭の上には太陽の圧倒的な存在感。まだ肌寒い季節だが、彼の震えは寒さによって起こっているわけではないようだった。かと言って、恐れではない。

 武者震い、と俗に言われる精神の高揚の体現。

 それもいずれ、発散されて収まるだろう。

 剣を抜き、ジャンは細く息をした。

 どこかでユーリアは見ていてくれるだろう。どこかツンとした態度で、その母性に満ちた優しげな瞳で。

「――時は満ちた。始めよう」

 よく通るシイナの声が、感慨もなくその火蓋を切った。


 その殺気は指向性を持っていた。

 故に、切迫と共に鋭い刃の切っ先に似たソレに触れた瞬間、ジャン・スティールの脳裏に”叩き潰された”という錯覚が刻み込まれていた。

 それは決して比喩ではなく、次の瞬間には己が肉塊へと変わり果てる、というある種の予知めいた感覚であり――初動が遅れてしまったのは、彼の経験が不足しているだけとは一概には言い切れないだろう。

 だが、シイナを軽く見ていたのは、確実にジャンの失敗だった。

 あれほどの巨剣だ。重量にしても数百キロは余裕であるだろうし、振るうにしても腕に対する瞬間的な負荷は数トンに至ってもおかしくはない。だから少しは、少なくとも徒手よりは遅くなる。はずだった――。

 大地を蹴り飛ばす。もうもうと砂煙を巻き上げ、その真紅の影は瞬時に眼前へと肉薄した。

 対応する暇もなく振り下ろされる、大上段からの一撃。

 受け止められる――わけがない。

 だから振りかざした長剣が大剣に触れる直前に、背中の魔方陣が眩く輝き、幾重にもなる光輪をはじき飛ばしていた。

 凄まじい重量が頭上から叩き落される。

 とても柄だけで支えられる代物ではなく、咄嗟に刃に手を添え受け止める、が――地面が音を立てて陥没し、辺りの大地が細切れに亀裂を走らせた。

 受け止められたのは、僅か一秒にも至らぬほどか。それ以上は腕が壊れる。いや、それ以前に武器が破壊される。

 長剣の悲鳴を聞いたジャンは、すぐさまその大剣を横に流した。

 だがどうあっても、彼には第一度目の接触は防げない。避け切れない。

 まず当てなければ、仕事が成り立たない彼女にとって、後が続かなくともその一撃目には全身全霊を尽くす。

 仮に、何らかの障害によって防がれたとしても――不可避のニ撃目が待ち構えていた。

 手の中で柄が転がる。大地に対して垂直に落とされた大剣は既に並行へと方向を変え――大地を叩く事無く、その大剣は薙ぎ払うようにジャンの横腹へと切迫した。

 盾のように長剣をつきたて、その側面にぶち当たる。長剣は火花を散らし、ジャンの身体は掬われるようににわかに浮かび上がった。

(おい、マジかよ)

 大剣が振り抜かれ――決して華奢などではないジャンの肉体が、いとも容易く空中へと投げ飛ばされた。

 大気の摩擦音がやかましく、また衝撃によって痺れた全身がその殆どを知覚させない。

 流すことも、受け止めることも無論としてあの攻撃は当たれば即死。ユーリアの言葉の通りその特攻に手加減など無く、ただ圧倒されていた。

 ただ一度の接触。

 だが絶望するには十分すぎる二連撃。

「くっ……」

 五分にも十分にも相当する体感時間。実際には五秒にも満たぬ対峙の後、勢いはやがて死に、不快も過ぎる浮遊感と共に、その身体は大地へと吸い込まれるように落下し始めた。

 眼下に広がる広大な戦場。柵の付近に落ちるジャンへと、煙を上げながら走ってくる紅い姿は――

「嘘だろ……っ?!」

 高く飛び上がり、

「っ、らァッ!」

 下方から凄まじい勢いで迫る紅い影は、その大剣を振り払った。

「っ!」

 軽々と迫る超重量級の武器が、辛うじて構えた長剣を捉える。袈裟に落とされた刃が、再び体ごと吹き飛ばし――ジャンの身体が、彗星のように滑空。

 自分でさえ何が起きているのか理解できぬ速度で、彼は地面に叩きつけられる。が、それはあくまでも叩きつけられるというような生やさしいものではなかった。

 大地が抉れ、ぬかるみを通ったかのような轍が出来上がる。轟音と共に大地が鈍く揺さぶられ、ジャンは引きずられるように地面に溝を創りだしていった。

 乾燥した大気が濁り、およそ十メートルほどの間大地を摩耗させたところで動きが止まる。共に、彼の背から発されていた輝きも失せていた。

 その傍らに着地し――。

「やはり、この程度……」

 とはいえ、攻撃をことごとく受け止めてみせたのには、さしものシイナも驚愕したし、騎士になるならば最低限である以前に、その反応はあまりにも十分過ぎる技量であり、対応速度だった。

 実力としては中堅程度。

 彼がまだ一年だということを考えれば、彼がまさに期待の新星と呼ばれるのも納得に値する。

 この時期に、”あの情報”が入ってきた所を見れば、これほどまで地力があって伸びしろもある青年が来るという事は喜ばしかったが――この程度を”最低”として、あと大隊規模なければまだ不安だ。

 ――近いうちに『異世界』とこの世界とを隔てる門が開く。

 それは帰ってきたパスカルが言っていたことだが、どうにも一波乱起こりそうだ、というのが騎士、憲兵、王らの共通認識だった。

 下手をすれば――。

「くっ……お、げぇぇ……げほっ」

 待つこと数分。

 青年の覚醒は、予想より五八分ほど早かった。

 呼吸を荒く、全身の衣服をボロボロにした彼は、それでも立ち上がった。


 全身が痛い。骨が軋む。皮膚が裂けて、肉が引きちぎれた。

 だけど、立ち上がれる。だから立ち上がってしまった。

 立つしか無い、立ち向かうしか――この状況では、その選択肢しかありえない。

「まだ失格って、わけじゃないですよね……」

 頭がふらふらする。先ほどまで倒れていた場所に吐物が撒き散らされて、そこがまんべんなく赤く染まっていたが――背中の魔方陣の起動と共に傷が塞がっていく。それが寿命を縮める行為であるのは誰が見ても明らかだったが、今はそうせずにはいられなかった。

「規程の時間内での戦闘を評価するからね。残り時間は、大体五○分」

 剣を杖にするように身体を支え、息を吸い込む。だが、息をするだけでも酷い痛みが体中を駆け巡った。まるで肋骨が幾本か折れたかのような痛みだ。

 酷く、堪え難い。

 が、堪えられぬわけではない。

「雑談で時間を潰すつもりはない」

 剣を引き抜き、構えは正眼に。

 対するシイナは、同様にまっすぐ構え――打ち合いを所望していた。

 ならば、応じるまでだ。

 ――ジャンの地獄はまだ、始まったばかりだった。

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