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激励

 上級生、レイ・グリームに対するクラン・ハセだとか、本屋ジェームズにとっての銃だとか、ウィルソン・ウェイバーとタスクの関係だとか――そういった切っても切れない、互いに依存するわけでもなく、だが下心なく信じ支え合える関係。相棒だと形容すべき、それに値する存在。

 己に無いものを思い描いて、嘆息する。

 自分がそういうものを作ってこなかったがゆえ、ということもあるが、逆に彼についてこれるような人間が居なかったという事も言える。彼のようにひたすらに真っ直ぐでどれほどの修羅も、目の前が茨だろうと溶岩だろうと突き進む気概に、誰もが呆れて離れていく。

 だからどれほど仲が良い友人が多くとも、結局は一人であるのは――仕方が無いことなのかもしれない。

 いい歳になって一人が寂しいわけではない。

 ただ虚しい。

 もっとも、誰かが居たら足手まといとしか思わないし、一人で自由に突っ切るのが好きだから、それがいいのかもしれない。もともと、そんなタチだった。この一年間で変わった、というのは、ある意味で的中していたのだ。

 パスカルに指摘されて、己の道が僅かに歪んだような気がした。

 ――騎士を目指しているが、それが天職とは限らない。

 そりゃそうだ。誰だってなりたいと思っている職業が、自分に最適だったら苦悩などしないし、だから多くの者が趣味と仕事を分けている。

 夢は叶わぬから夢だとはいうが、ジャンにとっては飽くまで目標だ。

 だが、しかし――。

(まったく)

 ただ男の、しかも面識はあれどそうそう親しくもない者からの言葉だけで、これほど心が揺らぐとは思わなかった。

 噴水広場。水の飛沫が届かぬ、円形の広場外縁のベンチに腰掛けたジャンは、寒空の下で辺りを見流した。

 仲睦まじそうに歩く男女や、元気に走り回る子供。それを微笑ましそうに見守る女性。井戸端会議に花を咲かす主婦連中。

 平和そのものだ。自分の存在が、妙に無粋に思えてしまう。

 いや――。

(この平和を作ってきたのは、この国の騎士たちだ)

 己が求めたものを、彼らは既に作り上げていた。

 戦争こそあったが、それ以外は平和そのものだ。ならば、己が新たに騎士になる必要性はあるのだろうか。

 疑念が不安となり、不安がアイデンティティを喪失させる。

 平和な世界で武力など……。

「つめたっ!?」

 うつむく頭の上から、不意に何かが迫り、頬に触れる。

 顔を上げれば馬の肢体。そこから生える成熟した女性の上肢、悪戯な笑顔の脇に、妖しげに金属光沢を見せる短剣があった。

 世界に十本しかないと言われる特殊な武器の模造品だ。恐ろしい威力の武器らしいからミキに預けてきたが、どうやら戻ってきてしまったらしい。

 何にしろ、ユーリアとはこの一年間、やや疎遠気味だったが、先日の爆破事件以来、こうして会えば話をする程度の仲に進展している。これまで一方的に避けられていたようだから嬉しいが――自分を騎士に招いた張本人を前にして、それまで考えていた事を思い出してややバツが悪くなる。

「元気がなさそうだな、不安か?」

 ケンタウロスの身ゆえに、ベンチに並べない。その巨躯――馬としては小さいほうだが――では、彼を見下ろすことしかできない。

 だからジャンは立ち上がったが、それでも彼女の腹部ほどに頭がいく程度だ。

「そんなんじゃないですよ」

 鞘に戻された短剣を受け取り、首を振る。

 ――そこで気がつく。

 彼女の格好は、いつもの甲冑姿ではなかった。

 肩から胸元まで伸びる首元がダルダルな白いシャツに、胸元で鮮やかに目立つペンダント。その上には毛編みの黒い上着。白い布をそのまま纏うようなスカートの下には、伸縮性の高い黒いショートパンツが身に付けられている。

 ラフな格好だ。およそ、いつもの彼女からは想像がつかず――また思わぬほどに豊満な胸に、ジャンはやがて見上げることすらできなくなった。

 それを、落ち込んでいるというように受け止めてしまったのだろうか。彼女は優しくジャンの肩を叩いて、突き立てた親指で正門方向を示した。

「悪いけど、ちょっと付き合ってもらえるかな」


 アレスハイムは最南ゆえに、海にほど近い。最南端にあると言われる大渓谷も、大陸の出張った位置に出現しているがために、海へは四半刻程度で到着できる。

 だがユーリアが誘い出したのは海辺、砂浜ではなく――そこを見下ろす小丘。人の手の入らぬ草原の中に、彼らは腰を落としていた。

「ねえ」

 彼女がそう声をかけるのは初めてだった。

 もっと勇ましく、もっと男らしく、雄々しく、さすが騎士だと言わざるを得ない口ぶりだったのに――女性らしい柔らかな口調に、ジャンは気後れする。

「初めてであった時のこと、覚えてるか?」

「え? あ、ああ……忘れられませんよ。だって」

 己の人生を導く一言だったのだから。

 ジャンの言葉に、彼女はゆるく微笑んだ。

「そりゃ嬉しいな。いや、今も嬉しいよ。あの時子供だったお前が、こんなに大きく、強くなってまた私の前に来てくれたんだから。でもね、あの時の私も、まだ全然子供だった」

 吐露するように、彼女は細々と始めた。

 それは何気ない世間話のようなものであったけど、それは珍しく彼女の、自分についてのセリフだった。

 憧れでもある彼女の言葉を、ジャンは決して聞き逃すこと無く、傾聴していた。

「あの時は、まだ十七だった。器用貧乏で、頭も良くて勉強もできたし、状況に対応することも、突き抜けることも、若さも相まってなんでもできた。裏を返せば、ある程度の事はできても頭ひとつ抜きん出ることが出来なかった、ということだけど」

 でも、そこは種族としての、純粋な個体としての強さが背中を押した。

 魔法もあったし、まだ伸びしろがあったから脆弱な部隊だが隊長を務めることができた。努力家だったから頑張ったし、ジャンのような被害者を出さぬようより精を出した。

「だけど結局、出来なかった。どれだけ強くなっても、自分がその場に居なきゃダメなのはわかってた。それが無理なのも理解できていた。しなきゃいけないはずだった。だけど、また強くなればいいって――この国での脅威として手を出させないような存在になれればいいって、思っていた……んだけど、ね」

 やはり純粋な戦闘種族に勝てるわけがない。

 ヒトに対しては、同じ努力をし同じくらい吸収した者を相手にしても勝てた。それはやはり異人種とヒトとの違いがあるからだ。

 だが、異人種同士が戦えば結果は異なる。相手が戦闘に秀でた、生まれながらにして強大な力を持っているならば、圧倒的に不利になる。

「シイナが来て、戦った。彼女は好戦的じゃないが、それでも強さを求める者同士、いずれはそれをしなくちゃならなかったし、避けられない事だった」

 結果はユーリアが勝った。内容はひどく接戦だった。運が良かっただけで、次に戦えば結果はわからない――そんな戦いだった。

「だから私は身を引いた。今の位置をシイナに譲ったという気持ちはない。いずれ、彼女は自分の力でのし上がってきたはずだ」

 そして現在では、掛け値なしで最高戦力だと言える。誇らしいと思う。一応は、部下だったから。

 でも、

「悔しかった」

 生まれた種族の違いだけで、これほど簡単に差を見せつけられるのはさすがにちょっと、堪えてしまった。

 挫折がなかったわけではない。壁が低かったわけではない。どれもこれも血反吐を吐いてまで突き抜けてきたし、これからもそうするつもりだった。

 だからその時の涙は、最後にする予定だ。今もまだ、三度目の涙はない。

 ――そんな話を、ジャンは驚いたような顔で聞いていた。

 実際の所彼は驚いていたのだが。

 彼女は生まれながらにしてとてつもなく強くて、負けたことなど無くて、だけどそれを驕ること無く高みを目指して突き抜けて、諦めずに走り続けていた。そんな理想にも似たイメージだったから、その驚愕を禁じ得なかった。

 まるで少女だ。

 立場が平凡だったなら、どこにでもいるような女の子だ。

「ちょっと情けないよな。でも、誰だって落ち込んだり、挫折したりはするんだ」

 失望してくれてもいい。見切ってもらって結構だ。

 だがせめて、もう少し自分を強くもってくれ。

 言外に含んだ言葉が、直接頭の中に響いてくるようだった。

 頬を朱に淡く染めて、どこか寂しさを孕んだ笑顔で頬を掻く。

「どうせこの平和さに、自分の必要性を見出せなくなったんだろう? 本当に騎士でいいのか、満足なのかって、思ってるんだろう?」

「い、そんなことは……」

「良いんだよ、隠さなくて。いつまでも気張ってたら、壊れちゃうから」

「別に気張ってなんか――」

 気張ってなんか居ない。いつでもおれは、こうやって強いんだ。

 そう否定したかったが、出来なかった。

 彼女に全てを見透かされたような気がして、途端に肩の力が抜けた。

 ――強くなろうと決意した時から、同時に強くあろうと強く思った。

 だから弱音など吐いたこと無いし、諦めたこともそうそう無い。そうしなくてはいけないと、人知れず盲信していた。

「元気出せ、とは言わない。頑張れ、と励ますわけじゃない。だけど、もし、良かったら、だけど……」

 手は下腹部で組まれ、視線はジャンの足元に。たまに瞳が動き、一瞥する。

 ――ああ、わかってしまった。

 ジャンは微笑み、ユーリアを見る。

 彼女の言いたいことが、言わんとしていることが、全くもってそのまま彼女に返すことが出来る。

 忘れていたのか、あるいは今気づいたのか。

 自分を思ってくれている人がいる。支えてくれようと考えている人がいる。

 自分にとっては、それだけで十分なのだ。

 だから……。

 ジャンは手を伸ばして、彼女の手を強引に掴んだ。

 ユーリアは驚いたように彼を見る。頬が、徐々に紅く紅く染まっていく。

「な、何を」

「身勝手な事かもしれない。思い上がりかもしれない。男としてのプライドとか意地とか、そんなつまらないものがおれを動かしているのかもしれない。だけど、今の気持ちは本物だ」

 彼女はこれまで頑張った。多くのものが救われたと思う。その一人だった自分が断言できた。

 そうだ。この気持ちだ。

 誰かのために、この力を。

 戦闘中の高揚とは違う、力強い生命の拍動にも似た感覚。

 まったく――彼女の激励で自覚させられるとは、なんとも恥ずかしい話だ。

「ユーリアさんがおれを想ってくれるなら、おれもあなたを支えたい。おれはずっと思ってたんだ。いつしか、自分で勘違いしてたけど――」

 誰かを護るために、自分のような者を出さぬために強くなってきた……これは間違いじゃない。

 だが本筋は違う。

「おれは――」

「ジャン!」

 ユーリアの叫びが、彼の言葉を遮った。

 呆気に取られている彼の頬に平手が襲いかかる。鈍く、赤く頬が染まる。だがそれよりも――鋭く睨む彼女の顔、その頬がぴくぴくと痙攣しているのが、意外だった。

 彼女の励ましは、飽くまで励ましであるとは思えなかった。だが当たらずとも遠からず。だからこの気持は一方的でいい。そう思っている男がいると、感じてもらっているだけでいい。そう思っていた。

「何を勘違いしている? 気持ちの悪い……まさか、私が貴様を好いていると勘違いしたのか?」

 肩をすくめ、彼女が立ち上がる。見下ろす仕草は見事なものだったが、全体的なぎこちなさは拭えない。

 ――少なくとも彼女の言葉は本心で、また彼女にもそんな者が必要であるのは間違いはない。

 ならば決めた。今決めた。

 己が目指す道を。騎士になって、その以降の目標を。

 自分がユーリアのための男になれぬのならば、他の誰かがなれるような世界に――あるいは、そもそも気負うことがなくなるような世界……出来なくとも、せめてそんな国に。

「調子にのるな。そんな口を利きたいなら、せめて騎士になってからにしろ。シイナは優しい女だが、戦闘に入ればこれ以上ないくらいに厳しい奴だ。決して手は抜かないし、甘くはない」

 踵を返し、スカートを翻しながら彼女はジャンに背を向けた。

「せいぜい頑張ることだな」

 鼻を鳴らし、馬蹄を響かせながら彼女はその場から去っていく。

 そんなユーリアを見送りながら、どうにも恥ずかしくて仕方がなかった。

 惚れた、というならばそれはいつからだろうか。だがそもそも、そんなものではないだろう。

 しかし、どうあっても彼女の言葉を好意的に受け取る事しかできなくて――。

「ええ、がんばりますよ」

 形だけでありながらも、怒鳴り散らされても笑顔を作ってしまう自分は、一体。

 自分に呆れるように嘆息してから、ジャンは暫くの間、余韻に浸るように海を眺めていた。

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