決意
「――というわけだ。時期的に、こいつが最後の仕事になるだろう」
軍部副大臣と相成ったエミリオは説明が終えるとすぐさま、紙巻のタバコを咥えて火をつけた。
既に馴染みとなる狭い会議室。
彼の言葉に、ジャン・スティールは戸惑わざるをえない。
「やはり最終的に、実力がなければ……ということですか?」
あの戦争前の訓練より、さすがに少しは成長したとは思う。
だが彼の申し出は、すこしばかり、いや、とてつもなく――越えられない壁であるのは、容易に理解できた。
ジャンの言葉に、エミリオは断固として頷いた。
会議室を後にすると、近くの壁に紙が貼りつけられていた。一定の間隔で貼りつけられる奇妙な絵と文字が書かれたそのポスターには、ジャンの似顔絵の横に『VS』とつき、シルエットを描く。その煽り文は『期待の騎士候補VSアレスハイム現最高戦力』と書いてあった。
わざわざ黒く塗りつぶすまでもなく、相手が誰だかわかる。
改めて考えると、憂鬱になった。
――これから一週間後、ジャン・スティールは特攻隊長であるシイナと闘うこととなる。
真剣同士の勝負であり、また養成学校に入学する際に試験をした相手だから、最後の最後、見極める時として扱うには与し易い。
だが勝てぬ相手だ。その実力差は圧倒的だし、またジャンが勝っていたとしたら――それはそれで、どうかと思う。数年間、あるいは鬼族としての時間感覚で十数、数十年間その力を研ぎ澄ませてきたはずだ。
その力に、ぽっと出て現れた、ただ肉体に常識を逸する速度と力を与えるほど強化する技を持つだけの青年が抗えるわけがない。技量もない。殺気も、気迫も、戦闘面、精神面でもその全てが劣る。
ならば適当に相手をして、必死さだけを振りまいて負けるべきか。
自問した所で白々しくなって、ジャンは頭を掻きながら嘆息した。
阿呆か、おれは。
闘うと決めたなら、決められたなら――戦わなければならないのならば闘うまでだ。それがどうあれ、どんないきさつであれ、そうするべきならば、全力を尽くすまでだ。
一瞬、部屋にある、あの岩から切り抜いたかのような大剣を使用するべきかと考えて、くだらないことだと自嘲した。
同じ土台に立てていない以上、下手な所で張り合わないほうがいい。
時間は未だある。一週間――去年の訓練でも世話になった相手だ。対策も立てやすい。もっとも、単純明快、巨大な装備を強力な腕力で振るう、力押し主義の相手に立てられる対策などあれば、の話だが。
本気でやるからには、準備も必要だ。
ジャンは居候先に一言断るための言葉を考えながら、これから、少なくとも五日――己を極限に追い込む訓練計画を立てていた。
誰にも会わずに、ひとまず行ったこともない、だが確実に無秩序にデタラメな化け物がいる場所に行こうと思っていた。
だというのに――。
ジャンは嘆息する。
「よりにもよって、なんであんたがここに?」
ガラの悪いチンピラのような様相で、パスカル――居候先のお手伝いさんはそこにいた。
「お前の考えはわかってんだよ。大渓谷に行くつもりだろう?」
口元に咥えた紙巻タバコから紫煙がくゆる。
いやらしい笑みに口角が吊り上がり、見ぬかれ驚嘆し動けぬジャンへと、言葉を続けた。
「その選択は間違ってる。少なくとも、お前のような”まだ”まともな奴が選ぶ道じゃない。騎士になるなら、そんな所に行くべきじゃない」
「なんで……騎士だって、扉の向こう側の世界の探索に行ってるんでしょう?」
「ならお前は、どの部隊が駆りだされてるか知ってるか? 長らく外に出ていて、帰ってこない部隊が、本当にあるのか?」
パスカルの質問に、ジャンは舌を鳴らす。
知ったことか。まだ騎士はおろか、軍に正常にかかわらせてもらっていないのだからそんなことなど知る由もない。
そう考えて、思い当たる節がある。
この城下町に来て早くも一年が経過しようとするが――その間に、部隊がぞろぞろと街から出る、あるいは入ってくるという光景を見たことはないし、見逃していたとすれば確実に噂になるはずだが、彼はそれを聞いたことがなかった。
つまり、これはどういうことだろうか。
この国は、あの謎に包まれている『異世界』への探索を、怠っているということだろうか――。
「いや、まさか」
大渓谷は完全な未開の地。
その可能性が浮き彫りになってきた。
「そもそも、あの門から溢れ出す瘴気に堪えられる人間はそうそう居ない。それが異人種であっても例外はない」
「……だけど」
釈然としない。
なぜそんな事を言ってくるんだ。
わけがわからない――声に出そうとした所で、食い気味に彼は言った。
「一言も、あの世界に立ち入る者が居ないと断言した覚えはないのだがな」
「どういう事だ?」
「ただの人間、異人種は向こうへ、いや、そもそも大渓谷にすら到れない。だがそれがまともな人間――そう、正真正銘、『異世界』の住人であったら?」
――この世界に、異世界からの血筋が受け継がれているのだ。
その逆、つまりこの世界の血筋が異世界に混入していても、なんらおかしくはない。
それはこちらの世界で言う異人種と同義語。動物などの畜生からなる異種姦よりの誕生などではなく、完全に未知の生命体との交わりによる誕生。サラブレッドは、向こう側の世界にも居る、そう考えられる。
可能性としては大いにあった。むしろ、ない方がかえっておかしい。
「結構、異世界ボケってのか? ああいうズレは困るんだよなァ。なんか、浮世離れした浮浪みたいでよ。んで、このまえ帰ってきたろ? あれから、これまでのこと――つまり、お前が入学してから、色々なゴタゴタ、その中で起きた事件事故、色々見てきた。それから考えれば、お前が身近にいることが、何かの因果かに思えてきたわけだが」
男の独白は突然始まったが、なぜ不意に彼がそれを告げてきたのかはわからないし――パスカル自身、よく分からなかった。
彼とふたりきりになるのが初めてだったから、ということもあるかもしれない。
ともかく一度口にしてみれば言葉は止まらず、セリフは気がつけば説教臭くなっていた。
「お前は騎士になるべきじゃない。戦闘能力での素質はあるだろうが……お前、出会った当初から徐々に自分が変わっていっていることを、自覚できてねえだろ」
「……なんのことですか? おれが、変わった?」
自分なりの正義がある。
誰かを守ろうという意思がある。
騎士になる大前提として、その意識や思いがあるだけで、十分なのではないか。そしてまた、つい一年前も思い続けていたはずのこの気持が、変わったような自覚はない。あるはずもない。なぜならば、何も変わっていないのだから。
「意思の話じゃない。志のことじゃない」
城の前で依然として動かず会話をするその二人を門番は訝しむが、パスカルは構わず話を続けた。
「要は考え方だ。強くなるための手段の選び方だ。お前はこれまで、体を鍛えて立ち向かおうと考えていたし、そのお陰で肉体に経験が蓄積され、戦闘に関して鋭敏になった。これは間違いじゃない――だが、今は自分を追い込もうとしている。意味のないことだ」
「追い込もうとしてなんか……」
「何にしろ、だ。大渓谷はお前にはまだ早い。第一騎士団が大隊規模で進軍してなんとか、ってレベルだ」
ジャンの言い訳など聞かず、男は言いたいことを全て言い終えると踵を返した。
最後に、背中を向けたまま、
「騎士になれる可能性がある。お前がなりたかったもんだ、好きにすりゃいいが――それが天職だとは、限らないだろ」
パスカルが去った後、だがジャンはそこから動けないでいた。
何か、自分がとんでもない間違いを犯しているのではないか、という不安に駆られる。だが今自分がなすべきことは、ともかく訓練に訓練を重ねて己を磨くこと。その為には、より過酷な状況に自身を置かねばならない……それ以外が思いつかぬがゆえ、大渓谷を目標としていたのだが。
もやもやと胸の中がすっきりとせず、胸焼けしたような気持ち悪さにジャンは嘆息した。
どうすればいいんだ。
ジャンは一週間先の決闘を思い描きながら、ぶらぶらと街を歩くことにした。