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潜入 ⑤

「そうだ。いざとなったら手助けをしてやれ」

 長い持ち手に沿った刃を付ける斧。それが長い柄の上下に備えた武器――トマホークを構えた男は濃い紺色の制服を見にまとい、目深に帽子をかぶっていた。

 眼の前には華奢な少女。

 彼女は腰に手をやり、気怠げな顔でそう告げた。

「しかし、私はいつ動けばいいのやら」

「すぐに分かる。アイツが、最後の最後――つまりその素性を隠す必要が無くなった時には、もうどうでも良くなって派手に動いてくれる。その状況で利用できる全てを使って、な」

「……それはある種の信頼ですかな?」

「ああ。評判の騎士見習いだ。だから将来的には私好みに育て上げるプランを立てている」

「私物化する気まんまんですか」

「ああ満々だ」

 ミキは鼻を鳴らして胸をそらす。だが悲しきかな、その胸には蠱惑的な魅力の一切がなかった。

 素直に伸びた肢体に、健康的な見た目。その感想は、近所の昔から居る女の子が元気に育ってくれたことを嬉しく思うようなものになってしまう。

 男は短く息を吐いて、小さく頷いた。

「ともかくわかりました。看守長として全ての責任を負うと共に、刑務所の将来を考えます。今回のことは、余りにも穴だらけだ」

「その点については、私も同感だ。共に考えていこう」



「なあ聞いてくれ!」

 通称『ゴリ』の声は、一つの牢獄の中では十分すぎるほどに盛大に響きわたっていた。

 そこにたむろする、幾人かが同時に顔を上げる。青白く顔色が悪いヒト、額辺りから黒い触覚を伸ばす異人種。その他様々な、総数十人ほどの――首輪をつけた連中。

 見るからに、ここの男たちが主要人物なのだろう。

 つまり共犯者であり、その根源がどこかに居る。

 ――今から刑務官に頼んで魔術制限を一時的に解除してもらえれば、こんな”懲役受刑者”止まりの連中などは一捻りだ。粋がった自称中級者などの過剰な自信などではなく、確かな実力が彼をそう思わせていた。そして事実、この状況ならば一分と経たずに撃破できる。そんな現状だった。

 まず個室である事。

 そして、それぞれが”魔法”を得意とすること。

 明日辺りに来るミキの続報から連中の魔法とその経歴を見れば、さらに弱点を探ることができるはずだ――。

「こいつよォ、ケンのヤツを一発でのしやがったんだぜ?」

 男の言葉に、『連中』は一様にどよめいた。

 それぞれ顔を見合わせ、あるいは興味深そうにジャンを見つめる。

 彼は気まずげにゴリの横で、ただ”休め”の姿勢で立ち尽くしていた。

「それは本当か?」

 貧弱そうな、貧血であるような男が訊いた。

 ゴリはまるで己の事のように嬉しげに微笑んで頷く。

「ああ大マジだ! しかも鎌鼬カマイタチじゃなくて、マジモードの針鼠ハリネズミの時によ!」

「……針鼠か。あれは、一度なると俺達も太刀打ちできねーんだが」

「それがよ、”ベル”を待ってなんかの魔術を発動させたんだ。ボロボロで死んだみてえだったのに、そこから一撃だぜ?」

「へえ……それで、だからそいつをここに招こうって?」

 何かの昆虫らしい異人種がそう口にする。

 やはりゴリは元気に頷いた。

「そうよ。アイツは顔面ボコボコにやられて医務室行きで当分帰ってこないみたいだしよ」

「そうか……名前は?」

 不意に振られて、ジャンは驚いたように――極力わざとらしさを消して――肩を弾ませた。その為に、見た目はすっかり不良のたまり場に紛れ込んでしまった金持ちのお坊ちゃんだ。

「え、あ……ジャン・スティール、です。今日で、ここに来てまだ四日目なんで……」

「へえ。何やったんだ?」

「酔っ払って、隣に居た客と口論になって……完治に半年以上かかるって」

 という設定だ。

 ちなみに義務教育を終えてからまともな職に就いていない脛かじり。そういう設定にもなっている。

 つまり、危ない”キレた野郎”という位置づけだ。これで下手に実力があっても、ある程度はごまかせる。

 そして、その説明で多くのものがそれをそこはかとなく察してくれたようだった。

 そこからの総意が、こいつにはクスリを売ることはできない、というものになる。いや、クスリだけではない。酒もだ。ジャンに与えるだけでリスクにしかならぬのだから、決して分け与えることも売ることも出来ない。

 ジャンもまた、それは予定通りの展開だった。

 もっとも、まさかこれほどまで早急に到れるとは思わなかったが。

「悪いがお前には何も売れるものはない。特に酒癖が悪いらしいからな」

「あ、ええ。それは別にいいです。これを境に禁酒しようと思ってたんで」

 具合が悪そうな、貧血の男は続けた。

「見たところ腕は立つようだ。なら、用心棒にでもなってみるか?」

「用心棒……ですか?」

 ジャンの問いに、彼は頷く。

「ああ。いつ我々のやり方を乗っ取ろうとするワルモノが出るかわからないからな」

 つまるところ、男たちは男たちを中心として独自の組織を築いており――その隠蔽と、明らかな上下関係によって暴徒と化す下々に備えてある程度の、魔法を使わずとも確かな実力が確立されている人間が必要だと考えていたらしい。

 まるで、これからの余生をこの刑務所で過ごすかのような計画だが――事実、この中での経済は予想以上に潤っている。なにせ、幾人……およそ百人以上もの受刑者が毎月、無償で何かしらの物品を合法で手に入れているのだ。もっともそれらは、彼らの作業により発生する給与から天引きされるのだが――ともあれ、それを彼らが転売して資金にする。

 仮に一つが銀貨一枚となるとしても――毎月金貨一枚分以上の儲けが出る。

 その上、格安で入手したのだろう娯楽品の数々をぼったくり価格で売買すれば……労せず金持ちだ。出所した後、さらにその商売を上手く続けていけば、死ぬまで程々の生活で生きていけるに違いない。

 ここで引き受ければ、およそ考え得る限りの罪を擦り付けられて、少なくとも今よりも長い受刑期間を与えられるはずだ。これほどまでていの良い奴隷は居ないのだ。その気になれば、”魔法”という実力を持って屈服させることもできる。

 だがジャンは頷いた。

 快く、

「おれにできることなら」

 と。

 そうか、と男は頷いて立ち上がった。

「なら、まずは目を通してもらおうかな。我々の全てを――」

 もう逃げられない。

 逃げようとすれば、刑務官に助けを求められれば――彼らの本領たる”向こう側の空間”で殺される。彼はそんな冷徹な視線でジャンを一瞥してから、立ち上がった。



 後悔は程なくして、ジャンの精神を苛んだ。

 いつもそうだった。

 後悔は文字通り、期待を裏切ること無く後からやってくる。必ずだ。いつもだ。冗談ではない。背後を許した覚えなど無いのに、図々しくその背中を叩いてくる。得意げな顔でやってくる。一度くらい、あの『ケン』とかいうヤク中同様にぶん殴ってやりたい気分だった。

 ――鼻を突く瘴気。

 その独特の生々しい青臭さは、ジャンもよく知る”男の臭い”だった。

 居房区画の扉付近。ジャンが初めて見つけた向こうへの入り口たる壁から入った、初めの空間。そこは壁を隔て向こう側にトイレがあるのが嘘のように、広大だった。

 そしてどこか冷たくもあった。

 壁は同様にレンガ造りで、そこには鎖が伸びて手錠が備えられている。その手錠に拘束されているのは、薄汚れた全裸の女性だった。それは一人ではなく、五人ほど。その誰もが横に倒れていて、血に精液に塗れていた。

 近くには空の酒瓶が転がる。吸殻もだ。不衛生極まりなく――また欲望という欲望の権化たる場所だと言えた。

 彼らが犯罪者だということを思い出す。

 どうせここに魔術規制の影響など無いのだ。

 いっその事――殺すか?

 不意打ちならまず五人は倒せるだろう。その後本気を出せば確実に全員を倒せる。

 問題は、そこからどうやって流通経路を見つけるか、だ。

 さらに、こういった空間に拘束されている人間が居る以上、下手に手を出すわけにもいかない。謎めいた空間ごと消滅なぞという具合になれば、さすがに責任を取れないのだ。

「ここはデッ部屋ド・スペースだ。本拠地であり、様々な場所に繋がっている」

 押せば倒れてしまうような男は、そう得意げに説明してみせた。

「誰かの魔法によって造られたらしいが、それはまだ言えない。というか俺自身も知らないんだ。そういう能力なのか、ただ知られて利用されるのが嫌なのかはわからないが」

「そういう能力、とは?」

「知られないという事によって魔法を発動させるか、あるいは強化するか。そんなところだ」

 男が告げる。

「まあ――お前に何もやらないというのも悪い話だ。好きなのを選ばせてやろうと思う」

 そう言って、指で示した。その先にあるのは、横たわる全裸の女性たちだ。

「溜まってるだろう? それとも、新しいのを選ぶか?」

「――ああ、そうですね。どうせならお古じゃないほうがいい」

「フッ、そうか。ついてこい」

 そのまま歩み、近くの適当な壁を前にする。男はそれでも躊躇すらせず前に進むと、先日みた男のように壁は水面のように揺れ、男をその向こう側へと吸い込んでいった。

 ジャンもその後に続き――壁を抜ければ、また新しい空間に出る。だがソレは、どうやら魔法によって造られたソレではないようだった。

 確かに存在する空間。だがそこは、ジャンが過ごすような居房区画ではないらしい。

 たしかに無数に牢屋が存在する通路ではあったが、そこは余りにも空気が冷えていた。

「ここは無期懲役となった受刑者が収容される独房だ。そういえば、新入りが居ると聞いたが」

 ――やめろ。

 声に出さず堪えれば、胸が張り裂けそうになる。

 怒りで頭がどうにかなってしまいそうだ。

「ん……こいつか」

 壁を背にして立ち尽くすジャンとは裏腹に、まるでおもちゃ屋にやってきた子供のような軽快な足取りで歩みだした男は、一つの鉄格子の前で足を止めた。

 拳を力強く握りしめていれば、骨が軋んだ。指先が手のひらに食い込んで、肌が裂けて鮮血を滴らせていた。

 だが怒りは、恐れている事態は収まらない。

「綺麗な女だな。なるほど――ジャン、お前の前に味見をさせてもらうぞ」


 その後の記憶は曖昧だった。

 気がついたら彼女――クロアは男によって運び出されていて、怯えた表情にさらなる興奮を覚えたのか、例の空間で男はぎこちなくズボンを降ろし始めた。

 記憶が強烈に――そして意識が鮮明になったのはその瞬間だった。

 背中の魔方陣が、無自覚に発動する。

 ――全力全開マキシマム限界出力マキシマム最大解放マキシマム

 魔方陣から排出された輝きが幾重にもなる虹輪を作り出す。

 肉体が構わず、現状など顧みずに必要以上に強化される。

 だが身体は悲鳴をあげない。むしろ満ち満ちる最大限の力が心地よいほどだった。

「死ね」

 床を弾く。

 言葉を置き去りにして、刹那の時――ジャンの振りかぶった拳が、一瞬にして押せば倒れるほどの男の背後へと肉薄した。

 そして――必殺の一撃。

 それは単なる打撃だった。誰でも行える拳撃だった。

 だが男の側頭部は、まるで粘土細工を叩き潰したかのように、それは何かの悪い冗談のようにへこむ。ジャンの拳がそこに力強く喰らいつき、男の命を刈り取った。

 目玉が飛び出て、顔面がおよそ人ならざるように異形化する。

 彼の即死は誰が見ても明らかで――吹き飛び、壁にたたきつけられれば皮膚が裂け、全身の骨という骨が粉々に砕けた。

 ――そこに居る男たちは、何が起こったのか理解出来ない。

 だがそれでいい。

 理解する必要など無い。

 そもそも、理解するまでの時間を与えてやる予定もなかった。

「てめえらの中に、この空間をつくりだした魔法使いは居るか――居たら出てこい。てめえは騎士に突き出す。命の保証はしてやる」

 輝きは消え失せた。一時的な肉体強化は目的を終えたと共に消失し、必要以上の負担をなくしてくれる。

 ――そもそもだ。

 潜入だとか捜査だとか、そんなまどろっこしい事はする必要などなかったのだ。

 人は総じて力に屈服する。

 この刑務所でも力が全てだ。

 ならば、同様に力でねじ伏せれば良い。連中に従うのは癪だが、郷に入れば郷に従えと言う。

 だからこれでいいのだ。

「おい、居ねえのか?」

「ほ、本当にわからないんだ!」

「ああそうか。なら次の質問――酒タバコ薬物、そこはどこから買い付けてるか。ゴリ、お前が答えろ」

「あ、ああ……この空間は、印をつけた壁から入れて、そのどこかに自由に出ることができる。だから、外の世界も自由自在だ。そこで、毎週火曜に、噴水広場に居るんだ、オレたち専用の業者が」

「外見――」

 言い切る前に、腹部に突き刺さる衝撃は唐突にやってきた。

 強い気配が眼前に現れる。そこから伸びる腕が、ジャンの腹に強烈な打撃を浴びせていた――が、ただの打撃だ。致命傷でもなく、ジャンの動きを止めうるものでもない。

 ただの反逆の意を示す愚かな行いだ。

 学べぬ愚者の行いだ。

 愚かなのだから、一度は許すべきだと思った。そういう考えが一瞬よぎった。

 だが考えてみれば、彼らは愚かだからこそ外の世界で何かをやらかしてここに居るのだ。だというのに、反省もせず学びすらせず、同様に、外での愚行をここでも繰り返している。

 これは許すべきか。許さざるべきか。

 ジャンが選んだのは、無論として後者だった。

「瞬間移動か」

 男の魔法を理解して、口にする。

 どう見てもそれしか判断できぬというのに、男は驚いたようにぎょっとした表情でジャンを見て――振りかぶらぬ拳の一閃。硬い拳骨が男の顎先を叩き上げ――喉輪を打つ。共に背中の魔方陣が、極力控えていた行動を促して……指先で喉を掻っ切った。

 ぬるりとした血が手に付着し――間も置かずに、すぐ横で電撃が迸るのを知覚する。

 ――最大出力マキシマム

 全身が力に満たされる。

 主観的時間が細く細く引き伸ばされて、傍らの男の行動が殆ど停止しているかのように感じられた。

 短く息を吐き、拳を抜く。弾丸のように振り抜かれたその鉄拳は、吸い込まれるようにして男の顔面を穿ち――先程の男同様に吹き飛んだ。

 肉体強化を終えれば、その直後に首を切り裂いた男が喉の穴から血の泡を吹いて倒れこんでくる。

 ジャンはそれ以上動きを見せぬ周囲を見て、肩をすくめた。

「他に死にたい奴は?」

 ――ジャン・スティールの激昂を目の当たりにして、それ以上の死にたがり屋が出ることは決してなかった。


 刑務所全体を見て、特別に造られた空間はそこが最初で最後だった。

 刑務所のあらゆる壁に『印』をつけた場所から、許可された者は自由にその空間に出入りでき、また空間から印のついた場所ならばどこへでも出ることができる。その印の数は、少なくとも十で、全てを把握しきっているものはあの十人――現在では七人に減ってしまっているが――でも、ほんの二、三人だという。

 そこに捕らえられていた五人の女性は、一週間程前から妊娠を疑われていた者たちだった。彼女たちの証言によれば、余暇、そして就寝後にあの空間を介して居房から連れだされ、幾度と無く性行為を強要されたらしい。逆らえば暴力が待っており、従うほかは生き延びる術はなかったという。

 ――主犯格と思しき七人は、その日の内に隔離された。

 騒ぎを駆けつけてきた看守長は、あの空間から引き摺り出された三人の死体を見て言葉を失い、遅れてやってきたミキは、余りにも急速過ぎる事態にただ呆然としていた。

「脳筋」

 程なくしてミキがそう言って背中を叩いた。

「毎週火曜日に、噴水広場に業者がいるらしいです。抜け出せるのは、時間的に余暇の時間かと」

「ご苦労。だがな、もう少しスマートにやってくれると思ってたんだが」

「必要なら頭を使いますよ。ですがね、言葉も通じない猿どもは、やっぱこっちのほうが良く分かるんですよ」

 ジャンは言って、腕を叩いてみせた。彼らを一撃で殺害した、自慢の右腕だ。

 背中の衣服は無論、その人工皮膚は見事に魔術発動の勢いによって吹き飛んでいた。だから、何も知らぬ受刑者たちはその異様とも言える格好に、皆鉄格子から眼を丸くして見ていた。

 ――デッ部屋ド・スペースを持つ者は、もしかしたらその業者の可能性もある。

 受刑者という性質上、どうしても中から外に出ることばかり考えていたが、外に出られるのだから、必然的に外からも中に入ることもできる。それに、外部の人間ならば刑務官に見つからぬ限り自由に行動できるし、印もつけやすい。

 最初は模範囚である何者かかと思ったが……。

「スーちゃん」

 呆れるミキを前にしていれば、ふと頭上から声がかかった。

 顔を上げれば、鉄格子に顔を押し付けるトニーの姿があった。

「あたしの可能性を疑わなかったの?」

 ――ジャンは潜入捜査官だった。そういう事実があるのにもかかわらず、彼は動揺すら見せずにそう訊いてくる。

「あんたは首輪をつけてないだろう。魔法の有無は、魔石が確かめる。こいつばかりには嘘をつけない」

「あたしにも、スーちゃんと同じように肉体強化の魔方陣があるとしたら?」

 とある魔石は魔力に反応して輝く。そして魔法使いは、体内で魔力を生成し、その魔力を糧にして能力を発動させる。つまり、魔法を持っていれば必然的に魔石は反応する。

 肉体強化の魔術は、体内に魔力を蓄え、術が発動する際に魔力で直接肉体に干渉し、強制的に強化するという仕組みだ。故に、魔法を持たねども魔力は体内に存在することになる。

 魔術制限は、大気中の魔力を感知できなくする魔術だ。だから、体内に魔力が残ったままになるのは、そう不思議なことではない。

 が、それで検査をするなどということは――あまりにも穴だらけだ。刑務所は何かしら対策をとっているに違いない。

 ジャンはそう思ってミキを一瞥すると、彼女はその考えを察したように首を――横に振った。

「……どういうことです?」

「養成学校入試試験でも似たようなことがあったろう。私はその可能性に今気づいたが」

「ちょ――馬鹿かっ?! なんでそんな……ありえんでしょう!?」

「いや、彼が魔法使いであるのは確かに記述されていた。その効果もな。だが――数年前の大規模な人事異動があったことは知っているな? 恐らく、その引継ぎの時にろくに書類に手を付けなかったのだろう。それ以降の記録は確かに為されているが、それ以前は手付かずだった。彼は、自分を知る刑務官が居なくなったのを良い事に、首輪を外すという”賭け”に出たわけだ」

 そしてその賭けが見事に成功した。

 彼が首輪をつけていたことを知っているのはそれまで居た受刑者のみであり、さらに模範囚として過ごしていれば刑務官から目を付けられることもなくなる。

 ジャンが改めて顔を上げれば――鉄格子に張り付いていたトニーの姿は消え失せていた。

「包囲網は既に敷いてある。奴がこの日を予測していない限り、確実に捕まるはずだ」

「アイツが……」

「――ジャンくん」

 また騙されていた。

 それに肩を落とそうとすると、ふと声がかかった。顔を上げれば、弱々しい足取りで近づいてくるクロアの姿があった。

「ありがとう。私、怖かった……」

「いや、被害者を減らしたかっただけだ。気にするな」

「でも君は、私だから、怒ってくれたんでしょ?」

「……好きに捉えてくれ。ただおれは――あんたは、その正義と力を、より正しい方向で使ったほうがいい。そう思っただけだ」

 クロアはさらに一歩踏み込み、今にも抱きついてこようとする。ジャンは彼女の肩を叩いてその脇を過ぎ、クロアをやり過ごした。

 ミキはそんな様子に微笑んで――事件はそういった形で収束を見せた。


 ジャン・スティールが陰で脳筋と呼ばれ始めるのは、今回の仕事がきっかけだった。

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