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潜入 ④

 尋常ならざる身体能力は、余す事無く発揮されていた。そしてそれが薬物の効果であることは、火を見るより明らかであった。

 高く跳んだかと思えば、膝を抱えて空中で縦に回転する。その中で後頭部から直線上に背中、腰へと刃が生えて――大気を抉り、削りながら頭上から落ちてくる。ジャンはその姿を認識すると同時に大地を蹴り飛ばして後退。

 その直後に、ジャンが居た場所に男が叩きつけられて――衝撃と、刃の高速回転によって大地が削られて土が周囲に撒き散らされる。男は前転するように衝撃を逃して立ち上がり、壁を背にして立つジャンへと腕をふるう。するとやはり、拳から伸びた刃が大地を切り裂きながら伸びて壁へと到達し、しなるように弧を描く刃がジャンへと肉薄した。

 彼は再び姿勢を崩して、斬撃を頭上でやり過ごす。

 衝撃の余波が体勢を整えようとした肉体に襲いかかるが――かつての爆発ほどではない。つまりはさしたる問題ではないのだ。

 立ち上がる際に小石を拾い、振り上げるように投擲。

 途端に刃が縮小して、返し手でそれを切り裂いた。

 そこを狙い、特攻。全身全霊を込めて走りだし――切迫。

 振り下ろされる両の手を掴んで動きを止める……が、膝打をしようとしたところで真正面、つまり腹部から巨大な刃が突出した。

 息をつく暇もなく男を弾いて横に飛ぶ。白刃は刹那にして虚空を貫き、 また消える。

 男は口に咥えた煙草から紫煙をくゆらせ、依然として異様な風体でジャンと対峙する。にわかな興奮をそのままに、ジャンは一度大きく深呼吸をした。

 敵はその魔法によって中、近距離を制している。

 一方でジャンは近距離のみしか行動できない。

 これだけで圧倒的に不利だというのに、相手の身体能力は異常だという。

(まったく、冗談じゃない)

 また石を幾つか拾い、相手を待つ。

 が、男は石を拾い上げた瞬間に襲いかかってきた。

 ――逆袈裟の両腕が刃を伴って切迫。

 前後の動きでは決して回避できぬそれらに、ジャンは力いっぱい石を投げた。

 見たところによれば、ジャンにとって男の刃が致命的なスピードと距離になるのは、己からニメートル以内に入り込んだところと見て良い。つまりはソレ以内に相手の行動を取り消させれば良い。

 ジャンの投擲はそういう意味もあったが、純粋に、その石が弾かれず避けられずに顔面に当たれば致命傷足りえるのだから、どちらに転んでも彼にとっては嬉しいものだった。

 まず一発目が切り裂かれる。無論、右腕の刃渡りは十センチ弱だ。

 さらに二発目を投擲。ジャンはこの時点で走りだす。

 対の腕が行動終了したばかりの右を補うために、追撃に対応する。やはり突き出された刃は吸い込まれるように短くなり、袈裟に切り裂く。石は石という硬度を見せず、まるで溶けかけたバターでも割いたかのような柔さで二つに割れた。

 疾走――肉薄。

 直後に拳は、男の右頬に穿とうとして、そこから鋭い刃が突出するのを知覚する。

 やはりこうきたか――ジャンは吊り上がる頬肉をそのまま右腕の引っ張るようにして動きを止める。同時にその反射とも言うべき反応で左拳が、間髪おかずに男の顎先を叩き上げた。

 男の唇が煙草のフィルターを押しつぶす。肺腑から吐き出された紫煙が顔にかかり、酷く濃厚な煙を感じる。だが、ジャンは動きを止めずにさらに右腕で水月を穿ち、左手で喉輪を打つ。

 さらにもう一撃――というところで、男の全身から強大な魔力が溢れ出すのを感じた。

 全力が来る。

 無意識が察した。

 逃げなければ。そう考えた刹那には既に、ジャン・スティールの肉体は地面を弾いて男の身体から引き剥がされていて――瞬間、男の皮膚を切り裂いた黒い刃が、体の至る箇所から、まるで剣山のように鋭く突き出した。

 一見すれば針山か、ハリネズミのどちらかだ。

「てめえぇええ! イテエじゃねえかッ!!」

 口の端から鮮血を垂らし、男は雰囲気としてではなく、実際の姿として異様な形でジャンを睨んだ。

 もはや、ジャンの攻撃が通用する形態ではなくなった。

 もう手も足も出ない。ここで傷つくわけにも行かない。

 だが、ここで刑務官に彼の姿が発見されれば――現時点で魔法を扱えるものの首輪が全て交換されるはずだ。捜査するには丁度いい環境が、己の保身のために崩され、真実は再び闇の中に沈まんとする。

 それだけは避けねばならない。

 ならばどうする。

 おれはどうすればいい。

 ここで、どういった選択をとればいいのだろうか――自問はそして、行動として答えを出した。

 石の投擲。

 男は突然の事態に訳もわからず、その小石を頭部で受けていた。

「お前はどうする? 痛かったらガキみてえに泣きわめくだけか?」

「てめえッ!」

「叫んでる暇があったら来いよ、相手してやるよ」

「もう許さねえ! ぶっ殺す! ぶっ壊すッ!」

 咆哮は、そこいらのチンピラによる威嚇となんら変わるものはない。

 威圧もなく、恐怖すらも催さない。

 男から感じるものは、強い怒りと脆い危うさしか無かった。

 相手の能力はたしかに、手ぶらであるジャンにとって危険極まりない。まともに戦って太刀打ちできる敵ではない。仮に、相手の根本的な戦闘能力が低かったとしてもだ。

 だが、なぜだか――否、ジャンは己が畏れぬ理由を知っていた。

 それは敵が冷静さを欠いているからだ。

 本来ならば戦闘で、しかも真剣勝負で感情に飲まれることなどは決して無い。だが、戦うということはイコール喧嘩であるような男を見るに、それも仕方がないように思える。というよりは必然的だと言えた。

 まず経験が浅い。

 調べればわかるだろうが、捕まった理由も殺人には至らないはずだ。

 戦略も戦術も、修羅場の経験もろくにない。

(だっつーのに)

 殺意だけは一人前――そんな相手に、恐れを抱き敬意を払う必要などない。

 たまにはいいだろう。

(少し調子にのってやろう)

 己の全てを吐き出して。


 男が頭を下げて四つん這いになる。その姿は、犬が今にも駈け出してきそうな――その威嚇に良く似ていた。

 先ほどのニ撃を食らわせられたことは僥倖と思われたが、本人への致命的なダメージとなっていない時点で怒りを買っただけとなっている。故に、男の言葉にならぬけたたましい絶叫は、その折に、

「死ねェッ!」

 殺意を伴う咆哮が、全身の黒い針山に意思を伝播させた。

 怒髪天を衝いていた全身の針が一様に寝る――否、その針先の全てが前方十メートルに構えるジャン・スティールを狙っていた。その総数には、華奢とも屈強ともつかぬ男の身体からであっても百近くあり、まるで毛穴を間近で見ているような喜色の悪さがある。虫の蠢きに似た怖気があった。

 ジャンは知る。その全てが”射出形態”へ移行したことを。

 魔法と言えば、何も無い所から炎や氷を出したり、爆発させたり瞬間移動をしたり、傷を瞬時に癒したり――そういったイメージがある。だが、魔法と言うものはその能力を説明できぬ”奇跡”に近き力に対して名付けられただけであり、正確には『特異能力』というのが近い。

 だからこそ、針が出現した時点でそこまでの推測はごく容易なものだった。

「蜂の巣にしてやらぁあぁあぁあッ!」

 針が寝る。その直後に男が叫び――ジャンが一直線に走りだす。

 とち狂ったような叫び声はおそらく刑務官の耳にも届いているだろう。

 針が射出される。まずは十本ほどの束がある程度の間隔を持って吹き飛んだ。

 眼前に迫る。その鋭い針先が身体の中心を狙って肉薄した。

 その攻撃は”散弾銃”の発砲のようだった。実包ショットシェルの中には無数の小さな弾”散弾”が詰め込まれており、発砲の際にその散弾が周囲に弾き飛ぶ事によって一個体に致命的なダメージを、あるいは近接する複数の敵にダメージを与えることができる。

 その針の束も、受ければ冗談では済まぬ程度には傷を与えるだろう――が。それは当たれば、の話だった。

(まだ来ないのか)

 間近に迫る針に対して、ジャンは横に飛ぶ。つまりは回避行動を取ったのだ。武器も持たず魔術も使えない者にとって、その行動はごく必然的と言え――刹那、その動きを予期されていたのか、同様に針が着地点へと放たれた。

 肝要なのは”着地点”を目標にしたということ。

 ジャンが飛び込んだ中で姿勢を崩し、力いっぱい腕を突き出して大地を掴めば、軌道はわずかに逸れる。故に、着地とほぼ同時に降り注ぐ針の雨は、それの手前で地面に転がるジャンを貫くことを出来ない。

 無数の針が地面に突き刺さる音。その緊迫感が無意識に心臓を高鳴らす。

 命の危機を楽しんでいる自分を見つける。こんな時に、死ぬかもしれないという時に。

(空は紅い。時間的にはそろそろの筈だ……)

 ジャンは体勢を立て直すと同時に、一本の針を引き抜いた。長さ五○センチほど、直径が二センチほどの図太い針だ。

 それを確認する間に針が――空高くに射出。

 同時に前方から、それまでのまとまった束など比べ物にならぬ数が飛来した。

 おぞましい程の針の数。視界に入るもの全てを覆い尽くす必殺の豪雨。

(一瞬で良いんだ。頼む、一秒でも早く)

 懇願もそこそこに、ジャンは両手で構えて前方の針に対し、頭上に構えた針を力いっぱい振り下ろす。甲高い金属音と共に、幾つかの針がジャンの針によって叩き落された。が、無論それだけで全てを防げるわけもなく――太ももに走る激痛。脇腹に覚える焼け付く痛み。

 だがそれらは突き刺さるというわけではなく、肉を抉って突き抜けていく。攻撃の直後に頭を、そして胸を抱くようにして急所を護る。だが、やはりそれだけでは防ぎきれぬ豪雨が男の思惑通りにジャンの肉体を貫いていく。

 肉体を抜けた針が周囲に鮮血を撒き散らし、次第に血煙を上げていく。

 体内の血液と共に、意識さえも急激に外界へと排出されていくように――激痛から逃げるように薄れていく。

 ダメだったか。

 力ない言葉が心のなかで漏れる。

 全身が穴だらけになっていくのを如実に感じる。そして――。

「馬鹿野郎ッ!」

 男の野太い叫び声。

 刹那――肩口に耐え難い灼熱が突き刺さる。

 天空に射出された針の群れが、時間差で落ちてきたのだ。が、その命中精度は極めて低い。その証となるように、ズタズタと落ちてきた針の束はその全てを地面に突き刺すだけだった。

 ――気がつけば、全身を文字通り蜂の巣にせんとしていた針の攻撃は終えていた。

 咳き込めば、内蔵から逆流する鮮血が食道を通って吐き出される。全身の筋肉に力を込めれば痛みが走り、跪く。自分の意識が保っていられるのが不思議なくらい、肉体はボロボロだった。

「んな目立つ殺し方してどうするッ! つーかよお……くそ面倒くせえ! 煙草貸せ!」

 乱入してきた男の一人――剛毛に身を包む、作業仲間の異人種が苛立たしく叫んで、男が加えていたタバコを口元からぶんどった。

「なっ、何を」

「小屋に火ィつけてこいつをぶっ込むんだよ。下手に魔法使ったってバレてみろ。タバコよりタチワリイぞ!? もう時間もない。刑務官がド間抜けで助かったが――」

 男たちの声だけが聞こえる。

 最早、それ以上を考える余裕はなかった。

 ”賭け”は失敗に終わったのだ。最後の最後で、まさかこんな事になるとは――予想した中で一番最悪の結末だった。

 が。

 ――けたたましいベルの音。

 作業を終了する合図でありながら、それは居房の解錠を――つまり魔術制限を一時的に解除するための騒音が周囲を満たした。

 時間切れ。

 頭の中でそれが浮かぶ――と共に、己が待っていた、圧倒的に不利であった時間が終了したことを告げていた。

「やっと……来たか……っ!」

 背中の魔方陣が眩く輝く。

 それを最大限に解放する必要など無い。

 顔を上げる。視界は鮮明だ。男が小屋へ、そして狼狽えるヤク中がその後を追う姿がよく見える。

 肉体が強化されて、体中から流れだす血が止まる。傷口が結合し、全身の筋肉に対して過負担となる代わりに、自己治癒能力を極限にまで高めていた。とは言っても、さすがに傷跡まで失くなるわけではないのだが。

「おれはテメエの暴走を止める!」

 周囲の針は、男の魔法が終えた時点で自然的に消滅していた。それが魔力によって構成されていたのだと理解したが、最早どうでもいいことだった。

 体を起こし、大地を弾く――加速など必要ないくらいにはやい初速が、刹那にして男へと肉薄させた。

 わずか一度の跳躍。

 男がジャンの切迫に気づくまでも無く――しっかり脇を締め、体をひねる。

 パン、と何かが破裂したような盛大な爆発音。それはジャンが力強く大地を踏んだ音。

 奥歯をしっかりと噛み締め、力強く踏ん張る。その勢いは、振り上げられた拳に相乗した。

 歯が軋む。全身の感覚が麻痺してしまったような感覚。時間が限りなく、細く長く引き伸ばされてしまったように、己の行動が酷く緩慢に感じた。

 捻りを開放。ブレーキしきれぬ勢いが地面を削って滑るように、男へと肉薄――間もなく、拳撃が炸裂。

 衝撃。圧倒的な力が、男の横っ面に余す事無く叩き込まれる。頬骨が砕け、鼻筋がへし折れ、顔面が歪む。間抜け面が憐れみを呼ぶサル顔へと変形し――男はその肢体をひしゃげさせ、回転するように吹き飛んだ。

 勢い良く飛んだかと思えば、すぐさま壁にたたきつけられて、生々しい何かが潰れるような音。そうしてズルズルと背中を引きずるように沈んでいき、地面に倒れた。

 一秒に満たぬベルが終え、強制的に背中の魔方陣が途絶する。中途半端な強化故に、背中の人工皮膚は裂けてすら居ないだろう。

 ――血は足りないが怪我は完治し、疲労はあるが体調は万全。

 剛毛の男へと顔を向ければ、彼は今まさにタバコを小屋に投げ入れようとして、動きを止めたところだった。

 やれやれと嘆息し、ジャンは凝った首を捻って骨を鳴らす。

 彼も魔法使いだ。恐らく、あの男がサボっていた事を知っていたのだろう。余りにも帰りが遅いのと、叫び声やらを聞いて駆けつけてきた、というところだろうか。

(バレたか……?)

 しかしある程度の――否、死に体から持ち替えした上で、一撃で魔法使いを倒すほどの実力を持っているという事は発覚された。もっとも、他にもやり方はあったのだろうが、この時間帯ならばこれが最善だったのだ。

 しかしあまりにも浅はかすぎたか。

「えーっと、小屋に火をつけて、何をぶっ込むって?」

「……テメエは、何者だ?」

「たまにクスリの影響か、キレると肉体のリミッターが外れることがあるんだよな。そこのヤツにタバコもらおうと思ったら、突然襲われてさ……参ったよ」

 災難だ、と肩をすくめる。

 さすがに苦しい言い訳だったが、身体能力を一時的に向上させる薬物は今のを見るに確実に存在する。そしてこの刑務所にあるということは、外にもある。さすがにこの刑務所内で栽培したり配合したり、そんなリスクは冒さないだろう。

 やはり男は疑ったような顔でジャンをにらみ、だがその指先で、高熱のまま燃える火種を押しつぶして消した。吸殻をそのえんじ色の作業服のポケットに入れて、歩み寄ってきた。

「へえ、お前結構ヤるのか?」

 彼はそう言って拳を構える。

 ジャンは察して、謙遜するように首を振った。

「いや、全然。ただ人を半殺しにしてタガが外れちゃった感じだな」

「ふうん、面白いなお前」

「そうか?」

「ああ。特別に、俺達の仲間に紹介してやるよ」

 ジャンは男に肩を組まれるようにして、注意深く辺りを観察してから誰にも見つかるようにそこから退いていく。

 彼は果たして――予想以上に棚ボタ的に、状況を良好に転がすことに成功していた。

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