潜入 ③
余暇の時間――。
「それじゃあ、あたしはちょっとお友達とポーカーしてくるけど、スーちゃんはどうする?」
短いベルと共に自動的に開く鉄格子から出ていこうとするトニーは、思い出したように二段ベッドで横になるジャンへと声を掛けた。
「ポーカー? 賭博か?」
「やーねえ、あんな品性の欠片もない連中と一緒にしないでちょうだい! 負けた子が一枚ずつ服を脱ぐだけよ」
「あー……」
いろいろと言いたいことはあるが。
「なんだ、”お仲間”さんか」
「まあね。こんなムサ苦しいとこだと、自然と同じ趣味同士で集まったりするし。スーちゃんも、襲わないから来てみれば?」
「もう大前提である襲わないって事を口に出した時点で不安で仕方ねえわ。勝手に行ってこいよ」
「あーら、残念」
ちまたの粋がっている不良どもでも、視界に入っても決して視線は向けないであろう厳ついトニーは、妙に言葉遣いだけは可愛らしく、そして頬を膨らませて鉄格子の外へと出ていった。
ジャンはそれを見送ってから、頭の後ろで手を組んで寝転がる。反芻するのは昼間の面会だ。
――犯人は『魔法使い』。そして、一時的に魔術によって首輪を無効化できるほどの力を持っている。
朝は目覚ましとなっているベルで、その為に時間も五秒程度とやや眺めだ。そして今の、ただ解錠を目的とするだけのベルは一秒にも満たぬ。そう考えれば、やはり前者の間に首輪が無効化されていると考えたほうがいい。
ならば、犯人の牢獄に魔法として”何かが残されている”べきであるのだ。
が――面倒なことに、ニ○○人近いこの受刑者の中で、魔法を持つ者はニ○人前後。つまり十分の一というわけだ。さらに誰が首輪をつけていて、その居房はどこにあるのか把握しきれていない。その上、畑仕事に参加している魔法使いは、ゴリラのような剛毛を持つ屈強な異人種だ。”目立たぬ事”が前提であるこの『調達屋』にとっては致命的だと思われた。もっとも、意外性ならばありそうだが。
さらに幸運なのか不運なのか、トニーは魔法を持っていない。聞いた所によれば、こんな所に来る前まではアレスハイム領内のどこかの街で酒場を営んでいたという。それ故に薬物の流通やら裏の世界やらに秀でているかと思われたが――本人は下戸で、以前客から渡された麻薬をほんの少しだけ吸ってみたところ、意識がすっ飛んで以来トラウマとなってしまったらしい。
口ではなんとも言えるのだが、どうにも彼を疑う気にはなれなかった。
あの趣味さえなければ、十分信頼できる人間なのだ。
そして性格的に――いや、タチの悪い犯罪を犯した時点でそうとは言い切れないが――薬物など、特に取り扱えないだろう。ハイリスクを負いながら一時的な快楽のために誰かの人生を台なしにすることなど、彼にはできないだろう。
なんにせよ、この時間をムダにする訳にはいかない。
ジャンはそう考えて、二段ベッドから飛び降りた。
この居房区画は、大きく広い空間の壁に鉄格子が幾つも並び、さらに階段を作って吹き抜けの二階を構成する。ジャンはその二階の端を割り当てられていて――唯一ある一階正面の鉄扉から向こう側は、いくつかの空間を経てようやく通路へと出ることができる。
牢獄にはそれぞれ便器と洗面台が備えられているが、こうして自由に出られる場合は、多くの者が居房区画の扉を一つ抜けた先にある部屋から入れる、広いトイレを使用する。トイレ対面の扉は刑務官の仮眠室となっており、さらにその空間を抜けた先に、図書館へと通じる扉がある。
基本的には、そのトイレの部屋までが解錠されており、そしてまた消灯時間まで刑務官が監視しているため、そこまで自由に動けるというわけではない。
ジャンは適当に二階通路の柵に寄りかかってあたりを見渡した。
牢獄の外にでて、どこに行くわけでもなく地べたに座って談笑する連中が殆どだ。そこでボードゲームやらカードゲームやらに勤しみながら――影に隠れて、独自の紙幣らしきものを手渡している。
従来の貨幣は金貨や銀貨などである為かさばってしまう上に摩擦音が目立ってしまう。それ故に、”一時的に”そういった手段で賭けを行い、後日に正式にその紙幣と硬貨とを交換する。彼らのやり方は、そういったものだった。
「……ん?」
そんな中で気になったのは――正面の入口へと歩き出した一人の男。首輪をつけていないためにどうでも良いと最初は流していたのだが、その足取りは扉ではなく、壁際の鉄格子へと向かっているようだった。
そこまでなら別段、目立った事もなく注目することもない。
だが、ジャンが気になったのは、その男が扉でもなく牢獄でもない、その間の、何も無いレンガ造りの壁へと進んでいったからであり――。
「……っ?!」
男の突き出した腕が、壁の中に消失した。
前に進んだ脚が、腿が、その腰ごと壁の中へと飲み込まれて行って……気がつけば、男の姿は跡形もなく失せていた。あたりを確認すれば、誰もがそれを見ていなかったのか、反応した気配はない。
そこではたと気がつく。
(……少なくないか?)
殆どの者が牢獄を出ている。
ジャンはそれを確認するために、通路を歩いて鉄格子を覗いて周り、また向こう側の牢屋を。階段を降りてあたりをざっと見渡してみるが、やはり半数以上が外に出ているらしい。
だが――どういうことだろうか。
(ざっと見て、五○人くらいしか居ないよな……?)
数が合わない。
だから真っ先に、”その可能性”を確認しに、男が消えた壁へと走って近づいた。
裸足ゆえにぺたぺたとコンクリートの地面に足が張り付いて音がなるが、いい加減その寒さが我慢ならなくなるが、それを気にしている余裕はなくなった。
慌てて壁に寄り、そこに張り付くようにして手を伸ばす――が、壁は相変わらず壁としてジャンの手のひらを叩いていた。指を立てても、押しても変化はない。そもそも、あの男はまるでこの先にも通路があるように中に入っていったのだ。
だが、ジャンは中には入れない。
つまり、中に入るには何かしらの条件が必要となるのだろう。
術者の承認か、あるいは何らかを認識していなければならないのか。
どちらにせよ、現段階では今回の事件の本質たる魔法への介入はできないということだ。
されど、その魔法がどういったものか、三日目にして理解できた。
――それはつまり、物質を通り抜けること。
あるいは、指定した場所からどこか別の空間へと移動する”道”を作ること。
新たな空間を独自に作り出すこと。
以上のいずれかだ。
調達屋としての特性を考えるならば二つ目ないし三つ目が近いと考えられる。
壁から離れて、そこを観察してみる。
どこにでもあるように、角材か何かで傷つけられたような跡だけが目立つだけで、他にこれといった特徴はない。
辺りの連中はこのことを知っているのだろうか。あの男が隠すことなくこの中入って行ったところを見るに、認識だけは出来ているはずだ。
そうとなればただハブられている、あるいはこの中に入るのは交代制であるのか。確かに、さすがに一度に全員がいなくなるのは不自然すぎるから、後者が有力か。
なんにせよ、賭博を行なっている連中は繋がっている。そう考えて間違いはない。金の管理を行なっているのが、中に入れる連中――組織的に考えればトップに君臨する者だとすれば、必然的だ。
ならばまずは下っ端だ。そこから情報収集したほうが早いだろう。
ジャンは適当な五人組の近くに歩み寄って、にこやかに声をかけた。
「調子はどうだい?」
勝ってもけて負けてもいない奴らだ。そう著しく機嫌が悪いわけがないと踏んだのだが、やはり果たしてそうだった。
「ああ、どっちかってぇと悪いわなぁ。これじゃまともな勝負にならねえ」
近くの男が、頼んでも居ないのに見せてくる。五枚のカードはハート、そしてクローバーの八が二枚。それだけで後は特に役もない――ワンペアだ。ゴミに等しい。
この男でそう言うのだ。他の連中も似たり寄ったりなのだろう。山札のシャッフル不足が原因と考えられたが、正直どうでもよかった。
「こう煮え切らないと、タバコか酒でも嗜みたくなるよなー。でも刑務所だと、刑務官の仮眠室でも忍びこむくらいしか……なあ?」
「ああ? なんでそんなハイリスクな事するんだよ。買えばいいだろ」
「……買うって? 刑務官から?」
真面目に、わけがわからないといったように肩をすくめて首を傾げる。
すると、小馬鹿にしたような声が他の男から飛んだ。
「馬鹿だな、持ってる連中からだ――ああ、お前新参だな? 金を持ってねえのか」
「金? こんな所で金が必要なのか?」
「ああ、基本は何かしら物を賭けて金を作って、それを資金に賭博で増やす。増やした金はタバコなり酒なりクスリなり。だがこの前、クスリやりすぎて死んじまったヤツがいてなあ。発見が遅くて、先に便所で刑務官に見つかっちまった」
「マジかぁ……っていうか、そんな物を持ち込めんのか?」
ちょろちょろと細長い舌先を唇から覗かせ、そのぎょろりとした瞳でジャンを見る。蛇か何かの異人種らしいが、ひょろながい肢体を持っているものの、下半身は蛇ではないらしい。
男は威嚇するようにまた一睨みしてから、短く舌を鳴らした。
「それを知るには資格がいる」
男の言葉に、ジャンは反射的に「やはりか」と言いかけて、口をつぐむ。
彼は首輪のない首を指さしてから続けた。
「お前は魔法を持っていないようだな。魔法を持っていれば”向こう”に行け、持っていなければ決して渡れぬ。我々はただ連中からの加護を受けるだけだ」
「向こうって?」
「連中の中でも、その力を持つものははっきりとしていないらしいが――刑務官も知らない特殊な空間がある。その存在は、ここの受刑者なら誰でも知っている」
そして、その空間でなんらかの手段であらゆる物品を手に入れ、商品として扱うという。
金の作り方は、月一の必要物品から許可されたものを『連中』に売り、その代わりに紙幣を渡されるという。当面は居房区画でそれを貨幣として扱って賭け事を行い、ある程度の間隔で物品と、あるいは硬貨と交換。
賭博で硬貨を賭けると価値は紙幣より倍になるらしく、それを賭けごとに使う場合もあるらしい。
『連中』の中でも、空間を作り出す魔法を誰が持っているのか確定されておらず、仲間内でも誰が何を持っているのか不明のまま。
「酒のコップ一杯がこれだ」
最初のヒトの男が、見せびらかすようにポケットから”一○○○○”と書かれた紙を取り出した。
「これで金貨一枚分だぜ? 信じられねえよな! んで、タバコ一本がこれ」
次に出すのは、”一○○○”と書かれた紙。これが銀貨一枚分。次が一○○で銅貨。
それ以下を出さぬ所を見るに、最低価格でも一○○なのだろう。
「んで、そのヤクの錠剤一粒がこれだ」
ポケットから出すのは、分厚い紙の束。どれもこれもが一万を示す紙幣で――それが十枚。つまり一粒で金貨十枚分だ。とても信じられぬ額である。
十枚と来れば世間でも一ヶ月は遊んで暮らせる金額だ。それを、たかが一粒で支払えるなんて。その上、薬物の過剰摂取で死んだのがこれまでで二名となると、一度にどれほどの金額が行き交っているのだろうか。
そして――その空間に入れるのは特定の条件を満たした者。刑務官がその気配を感じたとしても、決定的な証拠をこの居房区画に持ち込まぬ限り、尻尾さえも掴まれる可能性はない。
簡単でありながらも確実な手段だ。
まずは徐々に魔法使いと接触していかなければ、完全に逃げられる可能性がある。連中は脱獄できる能力を持っていながらここに残っているだけなのだから。
「それじゃあ、あんたらはクスリとかやってんのか?」
「いや、やらんよ。すぐ抜けるらしいが、何にしろ高すぎてな。これだったら酒瓶とかタバコを箱ごと買うほうがまだ利口ってもんだ――」
男の言葉が終わるやいなや、またベルの騒音が短く鳴る。これは魔術を無力化するためのものではなく、余暇の時間が終了したことを教えるソレだった。
男たちは手元のトランプをひとまとめにすると、最初に声を掛けた男が束にして立ち上がる。ジャンもそれにならって腰をあげた。
「まあそんなところだ。快適に暮らすなら必要ってだけだからなあ。トニーだとかは、関係なしに好きかってやってるみたいだが」
「ああ、確かに」
「ま、時間があったらまた話しかけてくれ。いつでも相手してやるぜ」
男は笑って、トランプを軽く振った。
ジャンは彼の肩を軽く叩いてから、
「そうだな。気が向いたら頼むよ」
そう言って、男に背を向けて階段へと向かっていった。
次の日。
「すいません、ゴミ捨てに行ってきます!」
「ああ、さっさと行ってさっさと戻って来い!」
「あいよ」
そんな軽口を叩いても、あからさまなまでに刑務官が流してくれるようになったのを確認する。これで、受刑者が疑問に思わぬほどの時間は動けることとなる。もっとも、彼らも体裁を取り繕う為に、さすがにそう長く待ってくれはしないだろうが。
どちらにせよ、その時間でできることは短い。
見つけるのは――あの壁にあった、目立つ傷跡と同じような特徴だ。もしこの推測が違えば、違ったなりに情報となる。だが一致していれば、圧倒的に有利となる。それだけだ。
やれやれ、忙しくなる。そう思って見上げた空は、憎らしいほどに青々と清々しかった。
――リヤカーを転がして、建物の角を曲がる。そこからやや進んだ先にあるのがゴミ溜めの小屋だ。
ジャンはそこで気がついた。
小屋を正面にして、建物の壁を背に座り込む一つの男の影。そして、彼からくゆる紫煙が見えた。
首輪をつけた、くすんだ小金色の髪を持つ男。どうやら異人種ではなくヒトらしいのだが……。
「ったく。冬なんだから引火しやすいんだよな……煙草吸うのもいいけど、他でやれってんだ」
既に情報収集で必要な情報は手に入れているために、当分はここに馴染むことが重要だ。せめてここに来てから一週間が経過してから、次の段階に動いたほうがいい。そうしないと、やけに調子に乗った新参が居る、やら不自然なまでに順応している新参に気をつけろ、という噂が流れだしてしまうだろう。
ここで気を付けなければならないのは、誰かに注目されるということを絶対的に回避しなければならない。だから極力ケンカは控えるし、事情を察している刑務官にもとりあえず良い顔をしておく。それがジャンの処世術だと認識される必要がある。
「うーっす。サボりですか?」
軽く頭を下げながら挨拶をしてみる。
男は震える手で煙草を口に運びながら、壁を支えにして立ち上がり――妙な香りがする。
ジャンが知覚した。
あらゆる煙草の副流煙を受けてきたが、この臭いばかりは知らない。と言うか、煙草というにはあまりにも煙っぽい――焚き木をしたような臭いがあたりに漂っていた。
思わず口元を抑えて、リヤカーをそのまま小屋に突っ込んで動きを止める。男を中止すれば、焦点の定まっていない瞳でジャンへと歩み寄ってきていた。
「あ、いや……すいません。気分が悪くなったんなら――」
脇を締めて腕を伸ばす。男の攻撃は、純粋なストレートだった。
戦闘に対して実力があると悟られるにはまだ早い。そういった場面で一目置かれるのは明らかに、作戦を行うにあたって不利になる。ならばどうする。甘んじて受けるか。受けるべきなのか。それとも驚いて腰を抜かして攻撃を避けるべきであるのか――。
考える間に体が動いた。
男の拳が切迫する。同時に、ジャンは滑るようにして地面に沈み――拳が空を穿つ。
その直後に、振り抜いた右腕の脇に溜めていた左腕が袈裟に放たれて、
「くっ?!」
リヤカーの持ち手から抜けて男の背後に回る。だが、そこで見たのは――鋭い刃を拳の先から突き出した男の姿だった。
魔法を使っている。それが明らかであるのにもかかわらず、同時にその刃から魔力も感じ取れるのにも関わらず、首輪は機能していない。ここまで確かに発動しているのならば、既に首の骨をへし折っていてもいいはずなのだが……まさか、こんな重要な所で故障か?
いや、それはありえない。魔方陣は中を空洞とする首輪の内部に刻まれているのだ。それを破壊するには、どうあっても首輪を外して、首輪を壊さなければならない。
彼が首につけているソレは、どう見ても壊れてなど居ないし、むしろ傷ひとつついていない。魔法で修理できるのならまだわかるが、彼の魔法はどうみても『身体から刃を出す』ものだ。
首輪に魔方陣が無いならばまだ話はわかるが――。
「ああ、そうかっ!」
男は振り返り様に腕を振り払えば――その腕から伸びる弧を描くカマのような刃は、一瞬にして対面の壁へと到達して深い斬撃を刻み込んだ。
――首輪に魔方陣などない。
そもそも、その首輪が本物である可能性すら低い。
魔法によって創りだされた空間は、おそらく刑務所の影響が届かない場所だ。そこで存分に魔術を使用して首輪を外し、そして外見を似せて作った偽物を改めて嵌める。そうすれば、魔術制限によって大気中の魔力が存在することを拒まれたこの刑務所でも、体内から精製される魔力を使用して発動する魔法は存分に効果を発揮する。
――なるほど。最も厄介な魔法がこの刑務所では使い放題と来るとは、
「面倒くせえなっ!」
もはや手加減をする余裕など無くなったわけだ。
本気で行くしかないのだろうか――いや、まともな判断すら付かぬヤク中は下手な素人より危険だ。そしてこの伸縮自在の刃は厄介であるから……本気で行ったとして勝てるだろうか。
――本来ならばここで逃げて刑務官の手を借りるべきだったのだろう。
だがジャンは、彼の頭の中からはその選択肢だけがすっぽりと抜けてしまっていた。
だからこそ、ごく自然的に――騎士であるように、最も危険な仕事を、命を顧みずに請け負うこととなってしまっていた。