潜入 ②
刑務所の独特の空気に慣れることなどなかった。
ただひたすらに作業に打ち込むフリをして、休憩の度にあらゆる囚人に声をかけては情報を探る。不自然ではないように、とにかく『調達屋』の存在を公に理解している事が第一目標となるために、入手が許可されていない物品を発見しようと画策しているのだが――タバコはもちろん、酒を飲んでいるところさえ、三日目現在で見ることはない。
ここの連中はガラも素行も悪いくせして、妙なまでに真面目だった。
そう、異様なまでに真面目に見えていた。
橙色の囚人服を腰履きし、やたらとイライラしていてケンカを売りたそうにしている者もいる。無意味に誰かをいじめている連中もいる。だというのに、刑務官には一切歯向かう事はなく、模範囚とは言いがたくも命令にはきっちりと従うのだ。
だから、その光景ははたから見れば圧倒的な信頼を寄せているのか、あるいは完璧に洗脳が済んでいるのか。だが会話の中に刑務官への悪態が多く含まれている所を見れば、それはない。
となれば、そういった事を我慢できる”アメ”があるに違いない。そうすると、必然的に娯楽の存在が確定するのだが――。
堂々巡りに終え、ジャンはむしった雑草を手にしたまま、立ち上がって大きく息を吐く。
「そこッ! 手を止めるなァッ!」
「いえ――ゴミがそろそろ溜まってきたんで、捨てに行っていいですか!?」
いかにも取ってつけたような提案だったが、少し視線をずらせば畑の外に置いてあるリヤカーには枯れ木やら雑草が山ほど盛られている。広大な畑は見渡せば気が遠くなるようで――雑草を一日中むしっていてもほんの一部だけで、空が赤らんでくる時刻になってしまう。
そして、数時間その作業を続けるだけでリヤカーの荷台はゴミで溢れかえる状態になる。
ジャンはそのゴミを、焼却炉のあるゴミ溜めに運ぶ作業を強いられていた。
刑務官はリヤカーを一瞥するなり、大仰に大きく頷いてみせた。自分を圧倒的なほどに上の立場――ここを統べる者たらしめるであるような堂々とした所作が、彼らの行う中で、ジャンは一番嫌いだった。なんだか癪に障る。それだけの理由なのだが。
「ふう、少し休んでから行くか……」
――刑務所での仕事は、命を賭す戦闘を前提に肉体を鍛えていたジャンにとって然程苦になるものではなかった。だが、決まりきった時間に決まりきった作業をこなすという、なんの生産性も無い仕事ばかりは苦痛だった。確かに未体験だった耕作も、よく横を通り過ぎる工場も面白みはある。が、それは飽くまで第三者からの観点で見たからであり、実際に手を出してみれば、退屈のほか無い。
鉱山や炭鉱などでは無駄な思考が働く暇も余裕もなかった上、肉体を鍛えるためになるからと考えていたからまだ良かったが……。
ジャンは塀際にある正面の壁がない小屋にゴミを流しこんでから、大きく息を吐いてリヤカーに寄りかかった。
思い出すのは、夜中の刑務官の警備に回ってくる間隔だ。深夜の十時、午前一時、四時といった具合に三時間ごとに回ってくる。その間に、これまでで特に目立った様子はない。
余暇の時間では、居房区画からは出られないが、それでも牢獄間は自由に行き来し、談笑したりボードゲームをしたりなどで時間を潰し、娯楽としているようだが――金が出回っている。それだけはなんとかジャンは確認できた。
というのも、まず二日目、つまり昨日の夜に誘われたのだ。隣の牢獄から、”賭け”をしないか、という提案を。初めは”タダ”でいい代わりに、負けたら何かを強いる、という条件で声をかけられたが――その直後にタイミングが悪く、トニーに背後を取られてしまった。
途端にその連中はバラけてしまって、話はご破算に。目的の調査は中途半端に終えてしまう。
だが金を賭けるという事は、すなわちこの刑務所内で独自の経済があるということだ。そう考えればその根源たる存在がしていることが明らかになった、ということになる。
そしてトニーを見て逃げたということは……あまり深く考える必要など無く、単に面倒な相手だからか――あるいはその大ボスであるかの二択だ。
後者は考えたくないのだが――。
そろそろ戻ろうかとリヤカーを引こうとした所で、ふと気がついた。小屋の外側に転がる小さなゴミ。それ自体は不思議なことではないし、普通ならわざわざ小屋の中に入れる手間をかけずにスルーする。が、ジャンにとってはそのゴミ自体が問題だった。
白い紙に巻かれた、薄汚れた棒状のそれ。半ばから色が代わり、その棒の中には綿らしきものが詰まっている。
つまりはタバコだ。フィルターギリギリまで吸われている吸殻だった。
そして刑務所ではタバコや酒類は禁じられていて、入手すら出来ない。月に一度だけある必要物品の要望で却下以前にすぐさま切り捨てられるものだ。
刑務官は事務室、休憩室以外でのタバコは許可されていない。
拾い上げて確認してみれば、どうやらやや古いらしいのが分かる。といっても、ここ二、三日前のものだろう。ジャンのこの作業が開始したのは昨日から。最後の確認に刑務官がここを訪れることを考えれば――昨日の作業終わりから現在までの間に、ここでタバコを何者かが吸っていたことになる。無論として、刑務官が外を出歩く必要など無く、受刑者にとって敷地の端の方であるこの場所は、隠れるにはうってつけの場所だろう。
やはり、何らかの手段で禁止されているものは勿論、薬物を手に入れていることは明らかだ。
また、それに刑務官が関わっている可能性は低いと思われる。
ならば犯人は一体……。
ジャンはその吸殻を小屋の中に放り投げてから、畑へと戻っていった。
昼の休憩が終わろうという時に、ジャン・スティールは刑務官に連れられるまま、とある個室にやってきていた。
扉が向い合っており、その個室の真中には小さなデスクが置かれているだけの部屋だ。向かい合う椅子に、扉の横に一人ずつ監視の刑務官が立ちふさがるそこは、面会室だ。
やってきたのは第ニ騎士団長。ジャンを強盗未遂で捕まえたという設定の、可愛らしい少女然とした矮躯が特徴的な『ミキ』だ。そして、今回の仕事の先頭に立って動いている人間でもある。
彼女は長い金髪を頭の左右でくくり、その宝石のような琥珀と蒼の瞳でジャンを見ながら、短く息を吐いた。
「久しぶり。色々あったけど……いやあ、本当に色々なあ」
彼女はこれまでを思い出すように口にしたは良いが、この九ヶ月の間にジャンに降りかかった数多の災難に、しみじみと頷く。ミキと最後に会ったのが騎士養成学校の試験であるから、どこか気まずかったものだが、彼女はそれを気にした様子もなく、開口一番にそう言った。
「ええ。しかし、面会時間は三○分ですから、ムダ話をしている暇はありませんよ?」
「ムダとは失礼な。というか、今回は捜査に関わった”呼び出し”なんだから時間は気にするな」
「職権乱用だ」
「そう思うなら、お前が気にかけていた『爆弾魔』の続報は話さないでおこう。必要最低限で」
ふふん、とおよそ少女らしくなく鼻を鳴らし、用意させた紅茶をすすり――途端に顔をしかめて、カップを置いた。
「出涸らしじゃないか!」
「刑務所に何求めてんですか」
「くっ、押収品でいいものを使ってると聞いたのに……」
「紅茶に気を遣うヤクザってのも気の抜ける話ですね」
ぶつぶつと一人で文句を漏らしながら、なんだかんだで味と共に色も薄い紅茶を飲み干して――話は自然に、本題へとはいった。
「あの爆破事件の死傷者は八ニ人となった。驚くことに、ちょうど昼下がりでフードコーナーの客数が少なく、またあの空間内は崩落しきったわけではなく、頭上からいくつかの岩が落ちてきただけだったらしい。そもそも爆発の出所が、内部ではなく入り口だったから、死者数は十八名、重軽傷者がそれ以外だ。あれほど大規模な爆破事件にしては、予想以上にその数は少ない」
――そして二つ目の爆弾により爆破された木造建築の宿屋は、客も従業員も皆出払っていて、爆破による直接的な被害者は居らず、三つ目の爆弾も同様であったという。
さらに、彼女『クロア・ヴェーラ・アリサ』の動機がブリックのかつての塗りつぶした過去、つまり限りなく黒い政治的なものに関わるということで弁護士の手がそれ以上入ることが出来ず、今ではアレスハイム第二騎士団の幾人かが調査に加わっているという話だ。
「爆破という致命的なまでに危険な行為に加え、八ニ人という決して少なくはない死傷者数によって彼女は無期懲役の刑に服しているが……彼女の、これまでの処遇によってなにかが変わるかもしれない。ブリックが隠し続けている、何らかの過去によって――というのが私の今日までの調査結果」
「クロアさんがやったことは決して許されるべきじゃない……だけど、あの正義は決して間違ったやり方に飲まれるべきじゃない。おれは、そう思ってます」
「ああ。あの娘は間違っただけだ。惜しい人材でもある」
「……よろしくお願いします」
「まったく、民を護る騎士が殺人犯を救けて、私は被害者に顔向けができなくなるな」
やれやれと冗談っぽく言ってみたが、どうにも真実すぎてジャンは反論することが出来ずに口ごもった。ミキはやりすぎたか、と苦笑してから、手を伸ばして彼の肩を叩いた。
「気にするな。お前は出来る事をやった。あの娘がどうになるか、その判断をくだすのは国だ。最終的にどうなろうとも、お前に罪はない」
そう言ってやるのが精一杯だった。
もし未だにあの事件のことを引きずっているのならば、恐らく騎士としてやっていけない。立ち直ったとしても、そういった出来事が連続し、それを目の当たりにしてなおかつ解決に導かねばならぬ職業上、いちいち一つの事件に後ろ髪を引かれていれば身が持たない。
だから騎士は、自分の持ち場が終われば、後を任せられれば任せられる限り後継にそれを押し付ける。それが日常だった。なにせ、騎士は一連の事件や仕事の中で、一番つらい所に当てられるのだ。少しは楽をする術を知らねばやってはいけない。
もっとも、騎士になりたての新参ならばまだしも、騎士以前の、ただ修羅場を幾つかくぐり――さらに他者の命が危機に晒されることなど前回が初めてなのだから仕方のないことなのだが。
しかし、ミキの不安は果たして杞憂に終える。
ややうつむきがちになっていたジャンは、彼女がそうするのにつられるように顔を上げて、微笑んだ。
「気にしてなんか居ませんよ。ただ、関わったからには最後まで知りたいと思って」
「ああ……なるほどな。そういった真摯な態度が気持ちいいのかもしれないな。あの娘も、お前が心配していると言ったら、馬鹿だのなんだの言いながら笑っていた」
「元気そうでなによりですよ」
「ああ……だが、お前の方は随分とやつれたような気もするがな?」
「まあ、こっちも色々ありまして」
食事が質素なのもそうだが、何よりも気が休まらないのが原因だ。
情けなくて、とても同室の同性愛者が原因だとは口に出せないが。
「でも今日までで判然としたのが――」
思わず言葉を止めようとして、その意味が無いことを悟る。
別にここで脱獄の相談をしようというわけではないのだ。むしろ、刑務所内で悪事を働く輩を特定しようと尽力しているのだ。さらにミキが居る以上、この場にいる刑務官には口止めをしてくれるだろう。
「――経済が回っているという事。そして、やはり受刑者連中は何かしらの手段で違法物を手に入れているということですね。特に目立った騒動が無いところを見るに、日常的にストレスを解消するような行いがあるんでしょう」
「加えて、『調達屋』は影が薄いと考えて良い。いや、正確には不特定多数に紛れるような男だ。できる限り刑務官に目を付けられぬようにしなければならないからな」
「……なら探すのがよりくたびれますよ」
「だが――ひとつ、私はお前にヒントをくれてやれる。言い換えれば、一週間も張ってひとつのヒント程度のものしか、私は見つけられなかったということだな」
彼女は目にかかる前髪を払って息を吐き、首を鳴らし、身体を伸ばし――背もたれにもたれかかってから、下腹部で手を組んで口を開く。
「その犯人は、魔法なり魔術を使用している可能性が極めて高いという事だ」
――魔法対策は、魔法の発動による魔力の反応を感じ取って作動する首輪が。魔術は、空間ごとに刻まれる魔術制限の術が、それぞれ発動を規制している。だからこそ、囚人は生身で動くしか無く、たとえどれだけ強大な魔術や魔法を持っていたとしてもそれを発動させることができない。
だというのに、彼女は犯人はそれが可能だと言った。
どういうことだろうか――ジャンが考える間に、ミキは追撃する。
「いや、魔法だな。魔術ならば”その機会”が終えた瞬間に台無しになる。だが魔法は違う。発動させる瞬間こそ魔力が関わるが、その干渉下に置かれた時点で独自の、特異能力の影響となってその場に残る。むしろそれを考えて、魔術制限下でも発動する特殊な首輪なのだが――犯人が、いかにしてソレに逆らっているか。ここがネックだな」
「その機会って――魔術が発動できるタイミングってことですか?」
「ああ、あるだろう? 日に一度だけ、その決定的な、五秒近くの騒音が」
「なるほどっ! あの”目覚まし”の時か!」
手を打ち、彼女の意図することを理解する。
つまり彼女がヒントとしてくれたのは――魔術によって首輪の施術をどうにかして外せる者であり、また魔法によって”場に何かを残せる”者が犯人だということだ。
何を残せるのかは分からない。そして、首輪の施術を外せる――つまり魔術制限、あるいはそれに準ずる、道具自体を破壊せずに魔術の発動を食い止めることができる魔術を持っているならば、まずその存在を隠蔽するはずだ。
刑務所で使用されている魔方陣は最上級のものと考えてもいい。いくらそういった手段を持っていても、首輪に刻まれた魔方陣を上回る力を持たねば意味が無い。
となれば、少なくとも魔術師レベルの魔術を持っているということだ。
「今思いついたことだが、真実味が増してきたな」
彼女は真剣な面持ちで椅子を引いて立ち上がり、しっかりとジャンを見据える。
「資料を洗ってくる。お前はこれからも、その調子で続行してくれ――やれやれ、今日は帰れると思ったんだけどな」
大きい欠伸を隠すこと無くしてみせてから、頭を掻いて踵を返す。
「はい! お疲れ様です!」
深く頭を下げるジャンに、彼女は軽く手を上げて――ミキが退室すると共に、ジャンも再び作業へと戻されることとなった。彼を連れて行く刑務官は、それまでの話を聞いていただろうにも関わらず対応は変わらず、それを求めていたのだが、どこか不満で仕方がなかった。