爆弾魔 ④
その日の寝起きは最悪だった。
まるで耳元でガンガンと金属をかき鳴らされたような、あるいは銃声が繰り返されたようなけたたましい爆発音と、幾度ともなく宿屋自体が揺れる衝撃。二度寝、三度寝を経ていい加減眠気も覚めて衝撃にも我慢ならなくなってきた頃、窓の外の空はすでに赤らんでいた。
ニ、三時間は眠っていたのだろうか――そろそろ街に出ようと、槍を手にとって扉を開けようとドアノブを捻って押し開けようとするが、ビクともしない。恐らく、あの常識はずれの衝撃によって歪んでしまったのだろう。
寝起きで苛立たしいこともあって、彼女はその馬の足でそれを蹴り開けた。心地よいくらいの清々しい破壊音と共に扉は穴を穿たれ金具をひしゃげさせて吹き飛ぶ。さっきの、爆発じみた衝撃を言い訳にすればいいだろう、そう呑気に思っていたのだが――。
外に出てみれば、そんなわけには行かなかった。
正確にはそんな余裕すらなかったと言えるだろう。
街は喧騒に塗れていて、多くの人々が叫びながら採石場の方向へと逃げ出している。少しでも通りに足を踏み入れようものならば、ケンタウロスの巨躯は瞬く間に障害物へと変わるだろう。
――まったく、何が起こっているのやら。
そう嘆息した瞬間に、逃げ出す多くの来客者の反対方向――つまりこの都市の入り口である谷の裂け目の方向から、就寝中に覚えた大地を揺るがす凄まじい衝撃と、そして嫌になるほど耳にこびりついた爆発音が鳴り響いていた。
「何が、起こっているんだ……?」
ユーリアは未だ夢の中に居るのかと思って頬をつねり、その痛みから現実だと認識したが――突拍子のないこの現象に、彼女はしばし呆然とした。
怒涛の勢いで押し寄せる人波に、ジャンは抜いたバスタードソードを納めぬ訳にはいかなくなった。
人混みの中に紛れ込んだクロアの姿はすでに見失われていて――己の行動、判断、決断の遅さに自分をふがいなく思った。
どうしようもなく自分が阿呆なのだというのはわかる。そして、今そうやって自分を責めている時間すら惜しいのだってよくわかる。
激流を押し分けて流れに逆らって前進する事さえも苦難で、ようやく屋台の裏側へと到達できたのはそれから三○秒もかかってからで――それから半ば崩壊し、真新しい武具を散乱とさせるその上を走りだした。
――これ以上遅れれば、さらに三つ目の爆弾が作動する。
時間はない。だが、三つ目が発動した時点でタイムラグの大まかな時間が把握できる。が、それが利点になるとは到底思えなかった。
その五キロに及ぶ直線の通りを走りぬけながら、人並みの中を、そして前方、谷の上を全て見渡す。
だが、あの派手なドレス姿のクロアを発見するには至らない。
果たして、本当にここを先行しているのか。どこかに身を隠しているのではないか――自分が何か、途方も無い大間違いを犯しているのではないかという漠然とした焦燥が、ジャンの胸を焼き焦がした。
前方に見える空は既に茜色に染まりつつある。クロアと出会ってから、どれほどの時間が経過したのだろうか。
そして、まだ出会ったばかりのあの頃、まさかこんなことになるとは思わなかった。
本当に彼女を殺さなければならないのだろうか。
やり方はごく卑劣であるものの、己の能力を把握して存分に活用できているのだ。その方向性さえ違えば、ごく真っ当で正義感溢れる女性だったのではないだろうか。
殺さずに、更生することは出来ぬのだろうか――。
「ジャンッ!」
今更になって迷っていると、頭の上から呼ぶ声がした。
見上げるまでもなく、その声はラァビのものだった。反対側の”段”を見上げれば、大通りを挟んで並走するボーアの姿がある。
「この先、五○メートルの所を走ってるわ! 話は聞いてる、バックアップは任せてちょうだい!」
最早仕事どころでは無くなったのだろう。そもそも、彼女はいかにして楽に仕事をこなすか常に考えているような人間だ。このような大事に乗じて仕事をサボることなど、お手の物だ。
が、助かった。距離はそう離れておらず、そしてまた彼女がまだここに居るという事が把握できたことに一先ず安堵する。
「この調子だとニ○秒くらいで人並みが途絶える! そこで勝負をかけなさい!」
「了解。わかりました!」
――人並みの密度は、気がつけばまばらになるほど薄れていた。あれほどの人は今、採石場付近に集合しているのだろう。
ウィルソンになにか考えがなければ――そして、ジャンがここでヘマをすればその生命が余す事無く犠牲になる。彼女の、あっぱれな思想のもとで狂った手段によって殺戮が行われるのだ。
ならば、急がねばならない。
手段など選んでいられない。
殺すにしろ殺さぬにしろ、彼女だけは止めなければならぬのだ。
ジャンは腰から剣を抜き、そして力いっぱい地面に突き刺した。
「大地の激昂っ!」
叫び声と共に、魔力をはらんだ刀身が大地に干渉する。そして意思のままに、その隆起は丁度足の下から行われて――低空飛行で突出した四角柱が凄まじい勢いで前方へと加速する。ジャンは剣を握ったまま、その先頭に乗った形で急行した。
全力疾走など鼻で笑えるような速度が、その巻き起こる暴風が、高速度で背後へと送られていく景色が、ジャンを捉えていた常識というものを尽く吹き飛ばす。
咄嗟にやったことだが――こういったやり方もあるのだと、新たな使い道をジャンは学び……。
「ちょっ、もう来たのぉッ!?」
既に人気の無くなった大通り。その中央をなりふり構わず走るクロアを、常識はずれの速度を孕む長大な物体が通り過ぎた――彼女がそう理解した瞬間、同時に、その物体の上から飛び降りる影があった。
高く跳び、そして着地する。片膝をついて、剣を握る腕を伸ばし……己が世界を救う英雄にでもなったのかと錯覚しているような格好つけの姿勢で、ジャン・スティールは目の前に現れた。
衝撃で砂煙が舞う。
彼女はその男を前にして立ち止まるしか術を持たず――だがせめて、とばかりに右腕に刻まれた魔術紋様を輝かせた。
詠唱など無い。
術名の咆哮さえも無い。
その光輝と共に、クロアの身体はまるで霧に飲み込まれたかのように曖昧になって、そして、分離。気がつけば、彼女の肢体は五つの影となってジャンの前に立ちはだかっていた。
「これはねぇ、君が引っかかった幻影――」
バスタードソードの切っ先が地面に触れる。
今はそれだけで充分だった。
クロアの言葉など、最初から聞くつもりなど無い。その命を奪うにしろ何にしろ、最初から全力で――最初から己の考えを押し付けるつもりだった。
「大地の怒り」
術式発動の契機となる発音が早いか、クロアの五つの影は瞬時にして股下から突出した錐状の隆起によって切り裂かれた。音もなく、空気を引き裂いたかのようなにわかな衝撃だけを大気に伝播する。
直後、鮮血が宙に散った。
隆起によって背中を深く抉られたクロアは、周囲を鮮血による血溜まりを作って横たわる。喘ぐような呼吸を繰り返し、痛みに耐えられぬように目を強く瞑る。
痛々しく肉を、そして骨さえもむき出しにする彼女の傷口は深く、放っておけば数分以内に大量失血による死を迎えるだろうということはすぐに分かって――。
衝撃。
大地を打ち鳴らす、大太鼓を撃ったかのような凄まじい爆発音が再び鉱山都市を飲み込んだ。
『三つ目の爆弾』の作動。
二度目からおよそ五分が経過してからの事だった。
が――実際にはタイムラグなど無しで発動させることができるのかもしれない。ジャンらは下手に動けぬのを良い事に自分だけが逃げ、そして危機に陥らぬ限り時間を稼いで、もし自分もダメだと判断できる状況になったなら――自分もろとも、爆弾を作動させる。
そういった考えがあっての事かもしれないが……。
どちらにせよ、彼女の意識がある以上ジャンは動かなければならない。
足を一歩、否、それに至らぬ筋肉に力を込めたその瞬間、彼女の、痛みを抑えた凛とした声がジャンを止めた。
「今この瞬間、私を中心とする半径ニ○○メートル以内に地雷をしかけたわぁ。下手に動かないほうがいい――動いた瞬間にドカンだし、一歩目が無事でも、その瞬間に私に同調して動いてくれている四人の部下が君を殺しちゃうぞ」
彼女の言葉に嘘はない。
紡がれるのは、限りなく純度の高い真実のみだ。
クロアが虚構を作る理由など無く、かえって不利だと思われる真実を伝えるほうが彼女にとってメリットとなる。どちらにせよ隠す必要のない事実であるならば、吐露して魔法の威力をあげたほうがいい。彼女はそう考えていた。
だが――仮にそれが真実でジャンを圧迫するほどの窮地に導くものだとしても、それ故に魔法が致命傷を与えるほどの威力に跳ね上がっていたとしても、それが足を止める理由になるかと言えば、否である。
幸い、切っ先は未だに地面に触れていて――。
「大地の怒り」
ジャンの眼前から隆起。天高く突き上がる錐状の大地は、その刹那に、根元から火焔を吹き出して衝撃と共に弾けて吹き飛んだ。
凄まじい爆発に、思わずよろけそうになる。それは連続して、不特定に出現するのではなく、ジャンからクロアへと一直線に地面を突出させて――そしてその度に、爆発がそれら全てをはじき飛ばしていく。
爆発の衝撃と爆音が、視界を砂埃や煙で余す事無く埋め尽くして五感の多くを奪い去っていく。その中で、さらに自身へと肉薄する幾つかの影と、その気配だけは良く判った。
土の臭い。焼けた火薬の匂い。額から汗が吹き出るほどの高熱。聴覚が麻痺するほどの爆発音。
そのなか、爆音に紛れる足音。地雷に引っかからないのか、爆発はない。
どこからともなくやってきた影が接敵する。逆手に握ったナイフが、狡猾に俯き加減の喉元に喰らいつき――その皮膚を切り裂こうとするよりも早く、折り曲がる肘関節の内側を、ジャンの手が掴んで動きを止めていた。指先を筋に食い込ませ、振り向きざまに肘を顔面に叩きこむ。足を払って地面に倒し――後退ついでに顔面を蹴り飛ばし、男の背中に飛び乗った。
次の影が真正面から切迫。濃厚な煙故に、その距離が完全に縮まぬ限り存在は知覚できなかったが、思いの外未熟であるらしい彼らへの対応は、刹那的な思考と反射的な行動とで充分だった。
己が身に引きつけた剣を振り払う。すると、それは面白いように影へと肉薄――逆袈裟に胸を切り裂き、その返しで怯んだ影を切り伏せる。男の低いうめき声と共に、また一つ安全な足場が完成する。
「――ジャン! こっちで二人仕留めた!」
嬉しい報告は、まるで見計らったかのように叫ばれる。
ならば、と返事の間も置かずにクロアが倒れている方向へと駆け寄ろうとして――その血の臭いが、不意に濃厚になっていることに気がついた。
むしろ、クロアから距離は離れていたはずだ。風もなく、故に……。
「くそ!」
「――ジャンくん。彼らは私を慕ったけど、私はその実、捨て駒にしか使わないわ」
煙の外側、彼女が向かっていた方向から声が響いた。
「それで、実際の所タイムラグなんてのは一分だけなのよぉ?」
彼女の言葉に呼応するように、不意に足元から眩い輝きが放たれた。あの採石場に発現した『四つ目の爆弾』だ。
「返事がないわね。絶望してくれたかしら」
力のない言葉。彼女とて、しゃべるだけで精一杯なのだろう。あの傷は、決して幻影などではないはずだ。この錆びた鉄のような臭いは嘘ではないはずだ。
「私の目的は、復讐――」
輝きが増す。
それが、彼女の言葉が真実である証左だった。
「でも、私がやる事と言ったら、その憎んだ連中と何も変わったところはないのね」
輝きが増す。広がる魔方陣は、彼女の独白と共にその規模を拡大していく。
クロアがその胸の内に秘めていた、ひた隠しにしていた真実と共に、魔法は戦略級魔術ほどの威力へと上昇した。
「君を選んだ理由はそこ。君みたいな、自分の正義を押し付けがましくぶつける人に、私を止めて欲しかったのかも。私も、自分なりの正義だったんだけどね――って、こんな事いっても仕方が無いんだけどねぇ」
やがて煙が、自然な風の流れと共に消え去っていく。
よく晴れ、澄んだ大気の中。クロアのどこか悲しげな笑顔が、ジャンを出迎えていた。
「巻き込んでごめんね。でも、私はこの魔法、止めるつもりはないから」
「復讐と共に……この街と共に死ぬ気か? いや、そんな事はどうでもいい――アンタは、自分勝手な復讐のために無関係な大勢の人間を巻き込むのか?」
「巻き込むわ。だって、それこそ私にとって関係ない事だもの」
「アンタは……間違ってる」
「腐るほど思想があるんだし、間違ってるも何もないんじゃないの? そりゃ人に害するとか、そういった面を見れば私のは大間違いだろうけど――ま、もう言うことはないわ。すっきりした。君も、思った通り、私を殺せなかったし」
クロアの何気ない一言に、ジャンは思わず言葉に詰まった。
――あの時。地雷を無数に仕掛けたと宣言した直後に放った『大地の怒り』は、彼女への道を切り開くだけで、クロア自体を貫くことはしなかった。それは、ジャン自身に彼女を殺すつもりが――否、その覚悟が無かったからだ。
正直に言えば怯えていたのだ。
人を殺すということ。憎んでもない、大勢を殺した犯罪者に、自らの手を下すということに。
もし勢いさえあれば彼女を殺害できた。これほどまで爆弾の規模を広げることもなく、またそもそも爆弾さえも消失していたかもしれない。
あの時に理性すら投げ捨てていれば。妙なまでに冷静でさえなければ。
いくら考えても悔やまれることだが、それでも、その行為にジャン・スティールは後悔をすることが出来なかった。
「おれは……」
目を細めて、あまりにも苦い苦悩を飲み下すように口角を下げた。
「あんたを、殺せない」
だけど。おれは。
「そう。育ちのよさそうなお坊ちゃんだもんね」
「あんたの犯行を、止め――」
言葉も半ばだった。
だが、その台詞は強制的に打ち止めされる。
それは――誰一人として動けぬその状況の中で、唯一の部外者たるソレが、音もなく忍び寄って来たからであり。
また彼女が振るう槍の石づきが、鋭くその側頭部を叩き割り――鈍い音と共に、クロアは姿勢を崩して吹き飛んでいた。すぐさま地面に叩きつけられ、幾度か弾んで、崩壊した屋台の手前で落ち着いた。
――足元の巨大な魔方陣が光を失い失せていく。
全てを威圧していた強大な魔力が、共に空気中に霧散して戻ってきて……。
「まったく。寝呆けて居たとは言え、相棒である私を忘れてくれるなんて、随分寂しいじゃないか」
ジャンの振り絞った格好つけも、最期だからと全てを吐露したクロアも、その全てを台なしにし――功績者となったユーリアは、台詞とは裏腹に優しく微笑んで、ジャンを迎えていた。
胸の中に広がる、暖かな感情。
その安堵を体中に感じながら、ジャンはすり減った精神力でなんとか剣を納めて、へたり込んだ。
肉体的、体力的な面はまだ充分に余力を残している。だがクロアとの対峙や、戦闘以外であまりにも考えることが多すぎて、精神がもたなかった。限界だったのだ。
ジャンは胸の奥底から息を吐き出せば、座り込んだユーリアの手が、暖かく、優しく、さながら母のように頭に触れた。
「確かに強くなった。だけど君には、全てを背負うのはまだ早い。今はちょっとずつ拾っていけば良い。君の周りには、それを手伝ってくれる大勢の仲間が居るんだからな?」
「……はい」
――いつか、こんな事が前にもあった気がする。
それは今、この場に立っているきっかけとなった出来事だ。
思い出したくもない、既に復讐は果たした忌々しい思い出。だが、そのなかで決して忘れてはいけない事もあった。
それが、彼女との出会いだった。
彼女が居たからこそ強くなろうと思えた。
彼女が居たから挫けても、また立ち上がれた。自分の中の正義も、殆どユーリアの為にあるようなものだった。
また助けられた――だが今度こそは。
いや、いずれは、きっと――今度は、おれが助ける立場になりたい。
今回の騒動を経て、ジャンの決意はより強固なものになると共に――その日だけは、存分に己の精神的な弱さに、打ちひしがれていた。