見送り
冒険者ギルドに行っても、そうそう都合よく適当な仕事があるわけでもなく。
暇を持て余したジャンが、街をぶらぶらしていると、
「おっ、第一街人発見」
噴水の前で、アイスの屋台を指さしてなにやら話し合っているハンスとマリーの姿を見つけた。
――ここに戻ってきてからまだ二日ほどしか経過していないが、それにしてもまだ本国に戻っていない彼らを見て、ジャンは嘆息する。が、まだまともなお礼もできていないことを思い出して、丁度よいと頷き、近づいていった。
「よっ、お二人さん」
そう声をかけると、驚いたような様子でマリーが肩を弾ませて、恐る恐るといったふうにふり返る。それから顔をひきつらせて、それに応えた。
「あ、あら……スティールさんじゃありませんの」
「おっ、良い所にきたスティール! 聞いてくれよ、こいつったら、ウィルソンたちのお土産にここのアイスを――」
「お黙りなさい!」
小気味の良い破裂音を響かせて、ハンスの顔面に拳が食い込んだ。彼はその頬にくっきりと拳の形の跡を残して広場に吹き飛び、ぴくぴくと身体を震わせて動かなくなる。一方で、マリーは何事もなかったように口元をおさえて、優雅に「おほほ」と笑っていた。
「は、ハンスが何か血迷ったことを口にしていたようですが、ついさっき、どこぞのレストランで出されたキノコを食べましてね。アレルギー反応なのですわ」
「いや、さすがにそんな……」
「アレルギーなのですわ!」
「さすがに……」
「アレルギーっ!」
顔を真赤にして、必死になって押してくるその主張に、ジャンは気圧されて何度も頷いた。
(この娘、結構……)
魔術師は頭の回転が早く発想も柔軟で、つまり頭がいい者ばかりだと思っていた。特に、魔術師としてかなりの実力を持つマリー・ベルクールは自分など足元にも及ばぬと、そう思っていたのだが……。
「バカ?」
そう口にすると、間もなく深く踏み込んだマリーの拳が、眼前に迫ってきて――。
「不可避の攻撃っ!!」
肉体が硬直する。全身の筋肉が、否応無しで張り詰めて指先すらまともに反応できずに、拳がその鼻筋に突き刺さる。そして女の子とは到底思えぬ凄まじい衝撃に、大きくのけぞり、足は地面から引き剥がされて宙を滑空。為す術もなく地面にたたきつけられ、幾度か転がり、アイス屋台にぶつかって動きは止まった。
意識はある。痛みも思ったほどではない。
だが、身体は筋肉の無意識の痙攣のみが支配していて、それ以上動かすことは出来なかった。
――おそらく、それはマリーが構わず放ってきた魔術の効果だろうが……無防備な知り合い相手に、なんてとんでもない事をするんだろうか。
いくらアイスでも、氷雪系魔術で凍らせれば問題ないだろうと考えているようなヤツだ。おそらく考えなしだったのだろうが。
寒そうなノースリーブの白いとっくりセーターに、レザーのタイトスカート、ひざ丈のブーツを合わせた格好は、むしろこの南方の国ではちょうど良いのかもしれないのだが――。
「おじさま、それぞれ全種類二つづつお願いいたしますわ!」
屋台のすぐ手前に倒れ込むジャンの前に立てば、不可抗力的に、そのスカートの中の黒タイツ越しに白と水色のストライプ柄のショーツが丸見えになって……。
「た、棚ぼた……!」
口にした瞬間に、ブーツが顔面を踏みしめた。
凛と、後頭部の高い位置で括り馬の尾のようになる髪を揺らして、マリー・ベルクールは深く頭を下げていた。頭を下げ過ぎてテーブルにごん、と嫌な打撃音を鳴らして、彼女は涙目になって額を抑えた。
「こ、興奮のあまり……」
「お、おれも興奮のあまり……」
萎縮しきってあらゆる意味で縮こまるジャンとマリーを睨みつけて、ハンスは苛立たしげに腕を組んでコーヒーを口に運んでいた。
なぜか付け合せに頼んだ野菜スティックをしゃりしゃりと咀嚼しながら――近くの喫茶店、そのテラス席でグチグチと説教をしていたのだ。
あのあと、さっそくの平和ボケかわからないが、ジャンの一部がのっぴきならぬ事になっているところをマリーが発見し、その後幾度ともなく『不可避の攻撃』を受けて意気消沈。
ここまででハンスに怒られる理由など無いのだが――なぜだか一緒になって縮こまっている状況だ。
テーブルの上には先程マリーが購入したアイスが収まっている紙箱が。そしてそれは、寒々しいほどの冷気を放っているところを見るに、中は大きな氷塊となっているのだろう。
「むやみやたらと魔術を使うなッ!」
「はいいっ!!」
「スカートを見上げるな!」
「ひいいっ!!」
「で、でもっ!」
うちのめさんとするハンスに、マリーは元気よく手を上げて発現許可を得た。
「アイスだって、どうせ転移魔術ですわよ? 溶けるわけ無いじゃないのよ」
「アイスなんてどこでも買えるって言ってるんですよ」
それにこの季節は寒すぎる。
なのになんでアイスなんだ。
ハンスのそういった言葉に、彼女は早くも「ぐぬぬ」と言葉に詰まっていた。
そうして彼女は早速、他力本願にちらちらとジャンを見つつ足先で小突いてくる。
「スティールさん、助けて」
そっぽを向いて無視していると、やがてそう声をかけられた。小さい声で、消え入りそうな困窮する声音だ。不覚にも少し可愛らしいと思いながら、大きく息を吐いて座り直す。
「ハンスが正しい」
「スティールさん?!」
驚くように目を見開いて、その宝石のような蒼眼を丸くする。にわかに見える絶望の色。
「別にアイスの産地ってわけでもないし、繁華街でも土産屋があるだろうに」
正直な感想に、彼女は「ぐぬぬ」と苦しんだ。
「だって」
「だってじゃない」
「アイス美味しいじゃない」
「土産である必要ないだろ」
「タスクさんアイス好きだって言ってたもの」
「タスクさん飲食しないって、ウィルソン言ってたぞ」
「ぐぬぬ」
大きな溜息。
ハンスは肩をすくめて、
「まあ、別にどうでもいいんだが……」
「どっ、どうでもいいのにこんなに怒ってたの?」
「大人になる前に、せめて論理的な考えができるようになればいいと、思っているんですがね」
「何その言い方」
彼女はぷいっとそっぽを向いた。
「まるで私がバカみたいな言い方じゃない」
「おお、わかってくれましたか」
「そこまでバカにしないでよ!?」
怒った顔から一変、泣きそうな顔になってテーブルにすがりつく。
そんな様子にジャンは苦笑し、ハンスは「騒がしいだろう?」と表情で言ってみせた。
――確かに騒がしい。サニーはいつも物分りの良い子だったからこんなに騒がないし、こんなバカな一面もない。少しおっちょこちょいなところと、そのミスが明らかであっても隠すクセはあるが、その程度だ。
彼女といて楽しくないというわけではないが、こっちもこっちで飽きなさそうだ。
やはり女の子は明るい子の方がいい。それに、どう責められても彼らは信頼しあっているために、冗談だとわかって受け止めている。良好な関係だ。
少しだけ、うらやましい。
いつしか苦笑が微笑みに変わっていることに気づいて、それをマリーに見られ――彼女は頬を膨らませたまま毅然と吐き捨てた。
「なにニヤニヤしてますの? 気持ち悪い……おえええ」
「そんなに?!」
「うふふ、冗談ですわ」
――そういったやりとりの中で、不意に喫茶店の前に一台の馬車がとまった。
御者台に座る一人の男が、そのテラス席に座るマリーとハンスを見るなり手を上げ、合図をするように手を振った。
それを見て二人は立ち上がり、ハンスは私物が入った大きめのバッグを、マリーはアイスの紙箱を手にして馬車へと向かう。
「私たちはこれから、ここより南へ移動しますわ。そこに魔方陣を用意していますの」
「じゃあな、スティール。また」
「ああ、二人共。またな」
「ごきげんよう!」
軽く手を振るジャンに、マリーは大きく手を振ってから馬車へと乗り込んだ。
馬蹄の音をひびかせながら、それから間もなく南の正門へと馬車は向かっていき――やがて見えなくなるのを確認してから、ジャンはどこか満たされたように息を吐いた。
本当にうるさい連中だった。
だが、楽しかった。
彼女らの魔力はおおよそ把握できたから、これから魔石による通信もできるようになるだろう。もう会えないわけではないのだから、寂しいという感情は一切無く――。
「さて、帰るか」
席を立ち上がり、テラスから中へ。そして玄関へと向かった所で、見知らぬ男が腕をつかんだ。
「お客様、御代金のほうが……」
背広姿の男は、どこか申し訳なさそうに告げるのに対し、
「……あ、ええ」
ポケットをまさぐるジャンは、その手に触れた財布となる布袋の薄さに、深いため息を漏らしていた。
喫茶店の帰り。
噴水広場で縁に座り、一人寂しくぼーっとしていると、城の方から集団がぞろぞろとこちらに向かってくるのを視認した。
そしてその先頭に立つ、紅い腕を持つ少女が大きく手を振ったかと思うと、勢い良く走りだして――。
「ジョネス! 奇遇ね!」
水色の鮮やかな髪を振り乱した白金の板金鎧と脚甲に身を包む彼女は、ヤギュウ帝国で犯罪組織殲滅の際にコンビを組んだ相方だった。
「クラリスさん」
名前を呼んで、立ち上がる。
すると、それに追随していたディライラ・ホークを始めとする傭兵部隊も群れをなして、私語を慎むこと無くざわざわとジャンの前にやってきた。
「もう、帰るのか?」
「ああ、マリーたちと帰る場所が一緒なもんでな。ついでに送ってって貰おうってェ算段だ」
「なら急いだほうがいいんじゃねえの? さっき、あの二人馬車で帰ってったぞ」
「待ってくれてるだろ」
「マリーが覚えてたら、な」
「……だ、大丈夫……だろ?」
「いや訊かれても」
ホークにしては珍しいほどの不安げな顔に、ジャンは気の毒そうに視線を向けた。
どちらにせよ、マリーが動く前にハンスが止めてくれるだろう。彼が居なければ彼女はポンコツだ。下手に魔術の才能がある分、なおさらたちが悪いくらいである。
そうに話していると、ホークの脇から丸メガネの男が出てきた。クラリスは依然として、ホークの傍らにいる。
スミス・アーティザンはホークの右腕だ。彼が居なければ、部隊はただの戦闘集団としてしか機能しないと聞く。また、訓練の合間に、良く彼がスミスを褒めているのを聞いていた。
そしてまた、そういえば彼とは挨拶もまともにしていなかったことを思い出して、ジャンは手を差し伸べた。
「お久しぶりです。ろくな挨拶もなくて、すみません」
「いえ、こちらこそ。とまあ、不躾で申し訳ないのですが……一つ提案を。ジャン・スティール、君は我々と共に来るつもりはありませんか?」
スミスは穏やかな笑顔で、まるでただの挨拶の一環であるようにジャンを勧誘する。
だが、それが意外であるようにも思わず、ジャンは驚くこともなく素直に首を振った。
「まだ、その世界はおれには早いですから」
「そうですか。残念ですが、もしその気になったらいつでも来てください。ヤギュウ帝国にいつでも居ますから」
「ありがとうございます」
強く握手し、そして頭を下げる。
そうしてから、待ちわびていたようにクラリスが口を開いた。
「ねえジョネス、あたし、あんたにすごく感謝してる」
「ジャンです」
「あたしは、あんたが居なければ多分いまもずっとヤギュウの傭兵組合で細々とやってたわけよ。あんたが来なければ、あたしがホークと合流することもなかった。またブラック・オイルに来ることも……だから――ああ、ついでってわけじゃないんだよ? ジョネスは充分強かったし、だからこそ、一緒に来て欲しいって思ってたんだけど」
顔が火照っているように頬が紅潮しはじめて、あの堂々とした様子とは一変、指先をあわせてもじもじし始める。そういった、如何にも女の子らしい所作から、不意に彼女の華奢な肢体が随分と女の子らしいものに見えてくるのは、決して錯覚ではないだろう。
よく見れば容姿端麗だ。そして接し易い性格でもあるし、人を気づかえる。だからといって気を使うような疲れる相手ではなく、多分、一緒にいても自然と気にかけてくれるだけだろう。
そんな女性に、どうやら気に入られたらしい。
その事実に純粋な喜びを呈しながら、ジャンは頷いた。
「そうね。ジョネスにもジョネスの道があるんだし」
「ごめんな」
「いいのよ。別に、これが今生の別れってわけでもないんでしょ?」
「そうだな。おれも、そうそう並大抵のことじゃ死なないし」
「あたしも……っと、どうせジョネスは暇なんだろうけど、あたしたちは行かなくちゃ」
彼女はそっと周囲の連中の様子を確認して、それらが余す事無くニヤニヤ薄笑いを浮かべていることを理解する。クラリスは気まずいように微笑んでから、顔の近くに手を寄せた。
「じゃあ、またね」
「ああ、また」
彼女は指先を前後に振って別れを示し、ホークの後ろに隠れてしまう。
そうして改めてホークがジャンの肩を叩いた。
「んじゃな、達者で」
「ああ、ピンチになったらいつでも呼んでくれよ」
「はん、頼りにしてるぜ」
――この二ヶ月間の出会いは、瞬く間に過ぎ去っていた。
己を鍛えた傭兵たち。
友人からの遣いであり、また巻き込んでしまった二人組。
そして戦場で出会った友。
学園生活よりも遥かに短い期間だったが、その影響はこれまでの何よりも遥かに大きかった。
自分を鍛えてくれた連中だ。その結果、肉体的にも精神的にも大きくなったような気がした。が、それは気のせいなどではない。実際にジャン・スティールは成長していた。
この訓練、そして戦争を経て、身近に居る者でも気づかぬほど些細だが――最も重要な部分が。
肉体は確かに、衣服のサイズが変わるほど無茶な訓練方法によってその成果となっている。だが目に見えぬ、その精神――心とも言うべきものは、その肉体に見合うほど大きくなっている。
考え方。瞬時の思考。判断。
そして、今回の戦いで生まれた自信が、ジャンに余裕を与えていた。
つまり、人間的な成長。
年齢的には青年であっても、その精神は未だ少年であった。
だが、もう彼は大人と言っても差し支えはない。
それはジャン・スティールの人生の、大きな変遷――その、変わり目に到達したことを意味していた。
これまでは流れるままに受容してきた人生。
これからはそうは行かない。自分で決め、自分で進む生き方。
――ジャンは彼らが去った道を呆然と眺めながら、それを確かに自覚していた。