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邂逅

 正直なところ、自分に被害が及ばぬ遠方での、自国と敵国との戦争よりも、身近にある危機のほうが国民にとっては重要であるらしく、『スムース・クリミナル』が一晩にして壊滅したことは次の日からさっそく話題にのぼっていた。

 というのは、ロメオ・ヤギュウが密かに雇った者による号外がきっかけであったのだ。

 そしてその内容は、ついに政府が動き出してこの国を侵す不届き者を成敗した――という、清々しいまでの手柄の横取りだった。

 最も、そんな事もあってかロメオは幾度目かになる尻拭いに、ついにアレスハイムに頭が上がらなくなり、数日に及ぶジャンの治療を請け負っていた。

 『治癒魔術』は基本的に成長を促進するもの。だから、治らぬ傷、というものは”前の状態”に戻さなければ元には戻らない。それには術者にもよるが、多大な魔力を消耗することになり、またそれを持続しなければならない事から、様々な準備が必要となる。

 魔力増幅の効果がある触媒だったり、魔術作用を効率よく与えてくれる神聖な空間であったり、その目的によっても異なるが、ジャンの場合は下手に傷がふさがっているため、またその患部を開いてからの治療が必要となったのだが――ともあれ、ヤギュウとマリー・ベルクールの協力により、それは丸二日の行程を経て終了。あの死ぬほどに苦しい喘息症状は、今のところ出なくなったのだ。

 が、一応は安全を期して、少なくとも一ヶ月は激しい運動を厳禁とされることとなる。どちらにせよ訓練課程は終了したのだから、そうそう動くこともないだろうな、とジャンは快く承諾した。

 その実、アレほどの施術と時間を使っても完治はしていない。

 運動はもちろん可能だが、彼の戦い方を見ていれば、いつ再びあの症状が起こるか分からない。そんな状態だった。

 ――ヤギュウ帝国を訪れて五日目。

「今回は、随分とご迷惑をおかけしました」

 王座の間で、ロメオは揃った一同に深々と頭を下げた。

 それもそうだろう。不必要な戦争をふっかけ、その上人質を殺そうとして、その人質に大規模な犯罪組織を叩いてもらったのだから謝礼の一つもくれて然るべきなのだが――どうやら一国の主の頭は、そんなものよりもはるかに価値が高いらしい。

 白々しい態度にジャンは鼻を鳴らすが、その様子を咎めるようにハンス・ベランジェが肘で脇を小突いた。

 王座の横にはウラド・ヴァンピールを始めとする騎士団長が並び、皇帝同様に深く辞儀をしてみせる。これが、彼らの精一杯の誠意というものなのだろう。

 嘆息すれば、きっと鋭く、疲れた様子のマリーがハンス越しに睨んでくる。

 ――皇帝らの対面には、レヒト・アレスを始めとしてユーリア、ディライラ・ホーク、そしてその傍らには何故だかクラリス。反対側のレヒトの隣にジャンが並び、次いでハンス、マリーといった具合だった。

 ジャンがやや中央に立ち並ぶことになった理由としては、やはり私的な理由であったにせよ、独自の働きで犯罪組織をクリミアごと屠ってくれたという功績があるからだ、と考えられた。というよりも、それ以外には考えられなかったのだ。

 この中で唯一、なんの職にもついていない平民であるのに。

 いや、確か学生だった気もするが――。

「この度は一概にわたしの独断による先行がきっかけとなり、アレスハイムの被害がそう大きいものでなかったにしろ――」

(ま、気長に考えるか)

 わざわざ居候させてくれているテポンには悪いが、もう学校に行く理由もない。知的欲求がたまにあの講義を求めるが、それでも適当な本屋で該当するジャンルの本でも漁れば事足りる。

 また、知り合った連中は殆ど何かしらの専門家だ。そこを当たるのも良いだろう。

(しかし、疲れたな……)

 目の前で長々と謝罪、感謝の意を述べ始める皇帝を一瞥してから、視線を空に彷徨わせた。

 二日間の治療は悪夢だった。それを思い出して、今度は悟られぬように細く息を吐き出した。

 痛みで眠れぬし、麻酔の効きも鈍いし、その為に酷い寝不足だ。息苦しくて何度も呼吸ができなくなったこともあった。そのせいで、体力や筋肉が大幅減少してしまったような錯覚を覚えていた。

「――後日、またわたしの遣いと共に謝礼を含めた諸々の件をお送りさせて頂きます」

 王座の手前の、幾つかの段差を降りて、ロメオはレヒトの前にやってきた。

「国王、この度は……ありがとうございました」

 真摯な態度。だが、その間には言い含めてある何かがあって――レヒトは、それまでのジャンの印象とは大きく異なるほどあくどい笑みを浮かべて、差し出された手を力強く握り返していた。

「わしは、貴国と良好な国交を結びたいと思っている。くれぐれも、よろしく頼むよ」

 多くの企業を装って裏社会で暗躍する、あのクリミアなどとは比にならぬほどの大きな器を持つ首領のような顔で、一国の主は微笑んでいた。それに多くのものが思わず、本能的に心のなかで無条件降伏する。

 ただでさえ、今回で充分なほど有能な部下の活躍をみせつけられたのだ。騎士以下の青年でこれなのだから……そう考えて、軍事国家を冠する彼らは、いたたまれなくなった。

 握手を終えて、今度はジャンの前にやってきた。

 同様に手を差し出すのに、彼は対応。軽く握り返せば、また口を開いた。

「貴君には世話をかけたな」

「勝手にやったことです。むしろ、大事な騎士さまを殺してしまって、刑に服さないだけでも充分なんですが」

 調べてみれば、スムース・クリミナルには騎士を除名された、あるいは憲兵を辞めさせられた、いわゆるドロップアウト組が数多くいた。それらがいわゆる『軍出身の連中』ということだった。

 そういう事もあって嫌味に言ってやると、ロメオは頬肉をひきつらせた。

「その胆力が正直うらやましいな。一応、この国の王なのだが……貴君は腕が立つようだが、もう少しそういった方面で勉強すれば、そこのアレス王の手助けにもなるのではないか? 外交などの、国交にはそういった人材が必要だ」

「そうですね、考えてみます」

 簡単な交差。皇帝に対して敬愛も何もない無情な言葉のやりとりは、だがロメオにとってはそれが良かった。下手に尊敬されても、妙なまでに憎まれても困る。だからこそ、この距離がちょうどいい。もっとも、それは少なくとも皇帝と他国の平民といったような、そんなしがらみのある関係には見えなかったが。

 ロメオは離れて、また玉座の前へ。

「ラウド」

「御意」

 呼ばれた燕尾服姿の紳士は、布の手袋の上から指を弾き、乾いた音を鳴らした。

 すると、国王を中心にして大きな魔法陣が展開されて――。

「せめてお送り頂きます」

「――ジャン・スティール!」

 ウラドが叫び、腕を振るう。すると、その手から離れた何かが弧を描いて投擲される。手を伸ばしてつかめば、それがおよそ刃渡り四○センチ程の短剣であるのが分かった。

 控えめであるものの、威厳さえある立派な装飾が施されたそれは、素人目に見ても逸品だ。店を探しても見つけることはできないだろう。

「特殊な魔鉱石を使用した短剣です。この間、私の”私室”を整理していたら誰かの私物らしいソレが見つかりましてな。特殊な効果は……ともかく、使えば分かる。餞別だ」

「ありがとうございます」

「構わない。だが、次は負けぬからな!」

「ええ、今度は対等な条件で」

「それと、貴君の――」

 言っている間に足元の魔方陣が、ウラドの意思に反して眩く反応し始めた。

 もう転送がほぼ開始している事を示しているのを理解しながら、薄れ始める外界からの影響に、ジャンはそれでも何かを言っているウラドへと耳を傾けた。

「カミンの……調べ……時……ち……や……くそ――」

 が、その要領も得ぬまま、空間は光に満たされて――。


 目の前には巨大な門。

 周囲は、緑生い茂る平原が広がっている。気温は心なしか暖かく、吐息は白く染まらない。

 そこがアレスハイム王国の城門であることを理解するのは、それだけで充分だった。

「ふう、やれやれ……」

 背広を着崩し、腹のボタンを全て外したレヒト・アレスは、一同の前に居直って諸手を広げた。

「今日は疲れただろう。まだ朝だが、まあゆっくり休んでくれ。あー、スティールは学生だったが……まあいいだろう。どうせここニ、三ヶ月行ってないのだろう?」

 そんなあまりに砕けた言い草に、先ほどのウラドの言葉が吹き飛んだ。

 ジャンは思わず苦笑する。

「いや、まあそうですけど……」

「細かい事や些細な倫理はこの際いらぬ。それに、お前も今更行く気にはならぬだろう? たとえ、魔法を持たぬ事も許容されたとしても」

 ――その言葉に、レヒト分空いた隣の向こう側、そこに立っているユーリアから視線を投げられた。

 いろいろなことはあったが、結局強くなろうと、騎士になろうと思えたのは彼女のお陰だった。命を助けられた恩もあるが……だからといって、彼女もジャンの意思を無視してまでそうしたいわけでもないだろうし、何よりも、もう彼女の敷いたレールを歩く必要もない。

 未来は未知だ。

 道は切り開くものだ。

 誰かに促されるわけなどではない。だから――まあ、これから何をしたい、なにをしようという考えもないのだが。

「そうですね。冒険者ギルドで働きながら、気長に考えますよ。とりあえずこの街を出ようと思っても、今の同級生がどうなるか……見守ってから、ですけどね」

「ふむ。好きにしろ――とまあ、なんだかんだでわしのミスなんだよなぁ。わしが、あの魔石の反応を見抜けなかったからだし」

「でもすごく感謝してますよ。あのまま学校に通えてなかったら、今のおれは絶対にない。こうやって死にかけたり、この戦争に関わることも、なかった」

 この街に来てから一年も経っていないが、随分と濃厚な日々だった。特に、ここ最近は。

「僥倖、と言ったところだな。ともあれ、わしはまだ仕事がある。行かせてもらうぞ」

「はい」

 ジャンは深く頭を下げて、門へと歩いて行く国王を見送った。


 それから簡単な挨拶のあと、クラリスはホークと共に、ハンスはマリーと共にそれぞれの宿へと戻っていった。

 ジャンも同様で、居候しているテポン家の前にやってきたのだが……。

「……なんか、胃が痛い」

 無断外泊をしたのだ。心配は勿論、怒ってもいるだろう。

 国が説明しているとは到底思えないし――とはいっても、ヤギュウ帝国よりはずっと良心的な国だ。下手に情報が流れぬよう配慮に加え、不必要な心配を促さないための措置に違いない。

 だから、なんとも……開けにくい。

「いや、だけど」

 考えていても仕方がない。

 この燕尾服を茶化されても構わない。似合わぬ帯剣用のベルトにささるバスタードソードの場違いさを笑われてもいい。ベルトに挟まる短剣をバカにされてもいい。ともあれ、怒るのは心配してくれている証だ。下手に無視されるよりははるかにいい。

 だからドアノブに手をかけて、回して押し開けた。

「た、ただいまー」

 わざとらしく、いつもより少しだけ声を張り上げる。

 静かな空間に、自分の声が良く響くのがよくわかって、なんだか気恥ずかしくなってきて――どたばたと騒がしい足音と共に、居間から一つの小さな影が飛び出してきた。

「ジャン!」

 少女の甲高い、悲鳴のような声と共に、胸に飛び込んでくる小さな衝撃。小回りのきく小躯は、そんな見事な素早さを見せて、ジャンの胸に抱きついていた。

 四月より長く伸びた栗色の髪は、今では肩甲骨に届かんとしている。その大きな瞳は涙をこぼしながら、まだ新しい――二着目の燕尾服のワイシャツを、さっそく涙で濡らしていた。

「ジャン……もうっ、遅いよ! 何日も、帰ってこないで……すっごく、心配したんだから……」

 こう来たか。

 クリミアなどよりはるかに手強い相手だ。

 ジャンはしばし言葉に詰まってから、優しくその頭へと手を伸ばす。柔らかな髪を撫で、できるだけ穏やかな笑みで、口を開けた。

「ごめん。ちょっと、色々あってさ……」

 声を発せば、サニー・ベルガモットはさらに強く身体を抱きしめてくる。

 いつかは、今回のことを彼女にも話してやらなければならないだろう。カミンの村での唯一の生き残りである二人なのだから。

「でも、連絡の一つくらい……ううん、ジャンが帰ってくればいいの。私ね、ジャンが頑張ってる間にね、私も頑張ったの。私ね――」

「ジャーン!」

 今まで溜め込んでいた何かを、自分なりのペースで吐き出そうとしているサニーに、小さく相槌を打ち続けていれば、そんな全てをぶち壊しにしてくれるような声が響き――どん、と身体は衝突と共に押されて、玄関の扉に背中を叩きつけられた。

 肺腑から空気が吐き出され、息が詰まる。

 そんな苦痛の最中に、サニーに脇から弾力のある柔らかな感触が押し付けられるのを知覚した。

「ジャン、あたしをほったらかしてどこに行ってたのよ!」

 大きな肉球で顔面を容赦無く殴り続けるのはタマだった。

 独特な感触。硬さの向こう側に垣間見える、クッションのような柔らかさ。だが、無自覚の高速打撃により肉球の外皮は――つまるところ、水面に凄まじい速度で突っ込んだような感覚だ。簡単に言ってしまえばそれは凶器だ。鈍器である。

 尻尾をばたばたと振って足を叩き、耳とひょこひょこと動かして――催眠術にでもかけようとしているのだろうか。

 ともあれ、タマからの一方的な嗜虐はその後数分間に及び――。

 最終的に前屈みでは収まらなくなった己の欲望がのっぴきならなくなり、四つん這いになることになって事無きを得た。

 その頃になると二人の興奮はいくらか収まっていて、同様に待ちわびていたのだろう、テポンを始めとして、トロス、オクト、スクィドが、玄関先に集まっていた。

「話は聞いてるわよ。レイとクランからね」

 タマを比較対象にすると少しばかり哀愁ただよう肢体をもつ……言い換えれば、全身から無駄という無駄を全て剥ぎ取った流麗にしてしなやかな肢体のテポンは腕を組んでそう言った。

 徐々に落ち着いてくるのを理解しながら、ジャンは大きく深呼吸をしてから立ち上がる。

「ああ……なんか、ごめんなさい」

「いいのよ、だって巻き込まれたんでしょう? むしろ、良く生きて帰ったわね」

「ま、おれを殺せるやつなんかそうそう居ませんよ」

「ははっ、スティールらしいな」

 トロスが笑う。

 そうしてから彼は、仕草だけで居間へとジャンを促した。

 果たして――ジャン・スティールの日常は、ようやく戻ってきた、ということだった。


 程なくして、三人は朝食を終えて学校へ。

 残されたジャンは、久しぶりの余暇を、燕尾服のままでだらりと過ごしていた。

 膝の上のタマはゴロゴロと喉を鳴らし、椅子に背もたれに体重をかけていれば、やがてオクトとスクィドが紅茶を手にしてやってきた。

 ――そして、まったくもって珍しいことに、どこからか帰ってきたらしいパスカルが、気怠げに頬杖をついて居た。

「坊主、ガッコーどうした?」

「ああ……休みだよ」

「てめっバレバレなんだよ! お嬢さん方行ったじゃねえか!?」

「王様が休んでいいって言ったんだよ」

「今日びガキでもんなこと言わねえぞ!」

「マジなんだってー、聞いてくればいいじゃんか」

 久しぶりに会ったというのに、その三人目のお手伝いさんは簡単な挨拶すら無く頭ごなしに言ってくる。

「ま、お前のことなんかどうでもいいんだけど……せっかくの休みに、俺の他に男がいるってことが気に食わねえ」

 短髪を掻き上げるように頭をなでつけてから、嘆息。それから紅茶に手を伸ばす。

 隣りに座ったオクトは、あからさまに面倒くさそうな視線をパスカルに送った。

「まあ、一人で仕事に行かせてるのは申し訳ないとは思うけどぉ」

 スクィドは、それに続けた。

「疲れているのなら部屋で休めばいいでしょう?」

 責められて、パスカルはそっぽを向いた。

「お気に入りか」

 そう吐き捨てた言葉に、悪意はないようだった。突っかかるのはいたずら心からだろう。

「だけどまー、実際のところ、浮いた話とかないのか?」

 紅茶を啜って、パスカルが言った。

「いや、実際そんな余裕ないですよ」

「だけどさあ、もう八ヶ月だぜ?」

 とは言うが――まともに学校生活を送っていたのは半年に満たないのだ。まだ女性と多く知りあってはいないし、そもそもそういった面で親しい女性など、数えてみればサニーか、数に入れればタマくらいだ。

 ラァビは仕事仲間だし、ボーアは命の恩人だが……。

 意識したこともないことを言われて、ジャンは、そういえば自分がそういった色事で充実していないことを思い出す。

 鉱夫時代は仕事に明け暮れ、汗臭い男たちと仲良くやっていた。それ以前は、近所の男友達とわいわいやっていた。隣の家に住む女の子と随分仲が良かったが、もう居ない。

 その後となるこの生活だが――息をつく暇もない。

 学校生活に慣れたと思えば、夏休みの帰郷と共に発覚する魔法を持たぬ事実。

 自暴自棄による暴走。そして死にかけ、異種族『バイター』の殲滅。

 そこから受容的に訓練に巻き込まれて――今回の戦争だ。もっとも、戦争を彷彿とさせる戦略魔術の発動はあったが、それは聞いた話だし、それに主に活躍したのは戦争後の、しかも敵国での話だ。

「……くっ!」

 よくよく考えれば。

 そうだ、気づいてしまった。

 平和になって、自分の気持も落ち着いて、騎士という道も失ったがそれが結果的にこの身を自由にさせて……。

「彼女が欲しい……」

 気づかなければよかった、こんな気持ち。

「ふん、患いやがって」

 パスカルは鼻を鳴らし、そうして紅茶を飲み干した。

 ――人恋しい。

 誰かに強く抱きしめて欲しい。

 血肉なんぞいらん。あの甘酸っぱさが良い。

 膝の上で背中を撫でてやるタマはもう眠りに就いていて、動くに動けなかったが、もし自由であったなら街に出ていただろう。

「まあ、時間はあるんですし、今度は自分のことを考えてみたら?」

 オクトはまるで人事のように言ってきた。

 事実人事なのだから仕方が無い。

「そうですよ。ベルガモットさまだって自立しかけていますし、テポンさまも、スティールさまがここに居さえすれば文句もありません。居候と言う立場はそうですが、スティールさまも一人の人間なのですし、ね?」

 スクィドがそこに重ねる。

 確かに、言われてみれば――不幸自慢をするつもりなど毛頭ないが、自分というものを蔑ろにしてきた……つもりはなかった。逆に自分のことしか考えてなかったのだ。

 いかにして強くなるか。どれほどの期間でどれくらいの筋力がつくか。そういったことばかりに費やして、己を鍛えてきたのだ。確かに女っ気というものはなかったが、自分を気遣わなかったと考えれば嘘だ。

 それなのにそう言われて、思わずいたたまれなくなった。

「でもまあ、あれじゃねえ?」

 そんな折に、パスカルは茶請けのクッキーをかじりながら口にする。

「随分といろんな連中から、もう一押しでさらに深みにいけるって所で行かねえってなるとさ――お前、ロリなんじゃねえの?」

「あー。だからサニーちゃんを大事にしてるわけね?」

「ちょ、ち、違いますよ! お、おれはどっちかって言うと、年上の人が好きですし!」

「あら、口説かれちゃった」

「口説いてねえよ?!」

 あらら、と口元を抑えるオクトに、思わず興奮気味に叫んだ。

「いや、こいつにそんな度胸ねーだろ」

「ほっといてくれ……」

「でも、実際どうなのです?」

「えっ」

 スクィドはそのぎょろりとする単眼を半目にして、覗き込むようにして顔を見てくる。

 これまで会ってきた女性はどれもこれもが大雑把でおおっぴらな女性ばかりだったから、そんな控えめに訊いてくる所作におもわず、ぐさり……いや、どきりと来てしまった。

 そして突然そんなことを言ってくるものだから、思わずテンパってしまう。

「あ、いや、そうですね。スクィドはすごい可愛らしいと思いますよ」

「なっ……そ、ち、違いますよッ、その、小さな女の子が好きとか、そういう方の話で……」

 ぼっ、と音がなりそうなほど、彼女はゆでダコ、否、ゆでイカのように真っ赤に染まる。もっともイカは茹でても紅くなどならないが。

 彼女は受けた言葉に恥じるようにうつむいて、膝の上で指を合わせてもじもじする。そんな様子に、ジャンも気恥ずかしくなって、紅茶を一気に飲み干した。

「でも、ジャンくんはどっちかって言うとお姉さんじゃない? さっきだって、タマのおっぱいで反応してたし」

「いや、さっきそう言いましたけどね」

「ははん、判ったぜ。つまりお前らは、単純に魅力不足ってわけだったか」

「うるさいわねえ、お子ちゃまにはわかんないだけよ。これだって、街に出れば良く言われるのよ? 街角一番の美人さんだって」

「随分と局所的な美人さんだな」

「後ろ姿が可愛いとか」

「もうやめてくれ。目からしょっぱい汁が溢れてくる」

 自分で言ってうつむき始めるオクトに、それをなんとかフォローしようとして流すことしか出来ぬパスカル。

 ここから巻き返すことはできないだろう。

 ジャンは人知れず破綻したお茶の間を眺めては嘆息し、優しくタマを抱き上げてから、その場を後にした。なぜだか勝手に意気消沈とするお手伝い三人衆に、それを止めようとする者は誰一人として居なかった。

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