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お引越し

 寮の退去にはそう時間はかからず、事務係から書面を渡され、理由と署名を記してから約三日ほどで許可が降ろされた。

 紙製品からなる板状の包装資材を箱に組み立て、荷物を整理しつつ中にぶち込む。蔵書や着替え、教科書など。他に何かあるかな、と部屋の中を漁るが、そもそもこの街に来る前ですら大した荷物がなかったことを思い出す。

 やがて約束の週末が訪れた。

 二連休の初日。

 テポンは荷車を引いてやってきた。


「……これが、先輩の自宅ですか」

「なにを今更、先輩とかガラじゃないわね。いつも通りでいいわよ」

 ――そこは噴水広場から東に進んだ所にある。

 少しばかり進めば、鉄門に蔦が巻き付いたり、その奥には噴水のある庭などが多く見られる館が殆どの、この城下町でも一等地と呼べる区画に入る。彼女の家は、その通りの中心部付近に建っていた。

 他と同じように鉄門が侵入者を拒み、外から見える庭には芝生が敷き詰められている、小奇麗な光景が目に入る。そしてその奥にあるのが大きな屋敷だ。

 二階建てだが、厳かで、だからといって目立つわけでもない、良くも悪くも他と同様の館と言った風の建造物である。

「さ、入って」

 施錠のされていない鉄門は、少しだけ重い手応えをみせてから、滑るように開いていく。錆びているわけではなく単純に重量のせいだろう。彼女はその全てを収納部分に押し込むと、大きく息を吐いた。

「ようこそ、我が家へ」

「お邪魔します、と、これからよろしくお願いします」

「わ、私も来て、本当に良かったんですか……?」 

 サニー・ベルガモットは不安気に口にする。そしてそれを表すように両手で胸を抑える所作を見せる。テポンはそれに苦笑するように、

「だって兄妹きょうだいでしょう? 一人ぼっちは寂しいもんね」

 それから優しい笑みを見せて、サニーの頭を優しく撫でた。まるで姉の風体だ。ジャンはそう思いながら、荷車を引いて門から中へとお邪魔した。

 ――芝生が敷き詰められている庭には、されど噴水は存在しない。その代わりとばかりに、ローズアーチを始めとした多種類の花が庭の一画を占めていて、ちょっとした庭園になっていた。

 そこにはジョウロを片手に、そういった花壇などを手入れするつなぎ姿がそこにある。気配や物音に気づいたのか、ソレはゆっくりと振り返り、やがて彼らを視認した。

「ああ、お嬢さん……と、そこの薄汚い小僧と可愛らしい娘さんは?」

 頭に被る麦わら帽子を取り、彼はジョウロを置いて歩み寄ってくる。ジャンを一瞥すれば眉間にシワを寄せ、サニーを見ればにこやかな笑顔を見せる、ある意味紳士的な男だ。

「パスカル、話したでしょう? 今日から家に住むことになったジャン・スティールとサニー・ベルガモットよ」

 男は腕をまくり、首にさげるタオルで額の汗を拭いながら、やがて彼らの前に止まる。

 短髪の頭を掻き毟るようにして、パスカルと呼ばれた男は大きく息を吐いた。

「冗談か何かで?」

「……言わなかったかしら」

「聞いてないっスよ! 大体、住むってんなら昨日今日の話じゃないでしょうッ!?」

「でも、他の二人とトロスは歓迎会の買い出しに行ってるけど……」

「うわあッ、また除け者かよ!」

 大げさなまでに頭を抱えて跪くパスカルをよそに、テポンは彼を指さし、ジャンらに紹介した。

「お手伝いさんのパスカル。こんな感じの男よ」

「ど、どうもよろしく……お願いします」

「これからよろしくおねがいしますっ!」

 一先ず一礼。これから世話になる相手に、心から深く頭を下げると――既に立ち直り腰に手をやるパスカルは、ふふんと鼻を鳴らしてジャンを見下ろしていた。

「お嬢さんを始めとする女性に手を出したら俺が直々に殺す。いいな? それから――」

 途端にニヤニヤと表情を綻ばせて手を差し出すのは、サニーに対してだ。

 下心丸出しのパスカルはそれから声色を変え、咳払いを一つ。

「お嬢ちゃん、何かわからないことがあったり、不便なことがあったらいつでもなんでも言ってくれ。俺はいつでも君の味方だよ」

「……ジャンに悪いことしたら許しませんよ?」

 上目遣いで睨みつけて、サニーは彼と握手を交わす。

 ぎょっと顔を強張らせてからパスカルはジャンを一瞥し、舌を鳴らした。

「善処します」

「さ、パスカル。業務に戻っていいわよ」

「ぎょ、業務ったって……みんな朝っぱらからどっか行っちゃうから、暇で仕方なくやってたんスよ。俺で良ければ、荷物運びの手伝いでもしますよ。ジャンくんのもな!」

 厭味ったらしく強調し、彼はテポンの了解も得ずに玄関へと歩き出す。

 彼女はそんな彼に肩をすくめてから、二人を案内するように先を歩いた。


 玄関から入って右手側に伸びる通路には窓から差し込む日差しが、心地よく室内を照らしていた。壁には五つの扉が並び、説明によればそこがお手伝いさんの私室らしい。

 さらに正面右手側には二階へと続く通路があり、その脇には奥まで続く通路。突き当りの扉はバスルームであり、左手側の壁、そこからほど近いドアはトイレらしい。それより遥か手前の、両開きの扉は大広間に繋がるものであり、主な団欒や食事はここで行われるということだった。

 家主の自室は階段の上にあり、正面の壁には私室が。その反対側の壁には、客室が並ぶ。

 ジャンらはその中から、扉に打ち付けてある、真鍮プレートに刻まれた自分の名前を探して、そこに荷物を運び入れ――終えて、それぞれの部屋で休憩していた。

「しっかしまあ、おれがこんな所に来ることになるとはなあ……」

 夢のようだ、とジャンは思う。

 キングサイズのベッドは、部屋の中央壁沿いに鎮座する。扉の近くには大きなクローゼットがその存在を隠すこと無く堂々と置かれて、さらに本棚さえもある。それでも尚、部屋が狭く感じることはない。

 レースのカーテンがかかる窓は両開きのガラス戸であり、開ければ半円形のベランダが備え付けられている。そこの近くの壁には、これまた大きな机があって――。

 ジャンは思わずため息を付く。

 これでもう二桁に上るソレだ。

 夢のようだと、心の底から思う。

 きっかけはどうであれ、まさか、冗談か何かではないのかと疑いたくなる。

 それほどまでに彼は浮かれていて、思わずその良く身体が沈み反発する寝台に寝転んだ。

「にゃっ?!」

 刹那、悲鳴が聞こえる。

 慌てて身体を転がすと、そのすぐ後ろ、腰の辺りにはもっこりとした妙な感触があった事に、そこでようやく気がついた。その盛り上がりはのそのそと移動して、足元から落ちる。軽い音を鳴らして姿を現したのは、まごう事無き猫だった。

 大きさからしてまだ子猫なのだろう。

 小さな体躯は一度ジャンに背を見せてから、くるりと振り返って、彼の姿を見る。しっぽをゆらゆらと揺らすその姿は愛らしいの一言に尽きる。

「ネコかー。ネコかわいいなー」

 座ったまま前屈体勢になって手を出し、指を揺らす。が、興味なさそうに顔を逸らすと、そのまま悠々とした足取りで扉へと向かう。ジャンはその後についてドアの隙間を少し開けると、ネコはそのまま隙間を抜けて出ていった。


 ジャンはそれから、箱を開けて荷物を出す。壁に立てかけたブロードソードはそのままにしておいたとしても、制服やらは早い所ハンガーに掛けてしまわないと皺になってしまう。

 それに、荷物整理を後に回しても良いことなど無いのだ。

 彼が決意して行動を起こすその瞬間に、ドアは勢い良く開かれた。

「アンタがジャン・スティールね」

 扉を全開にして、壁に叩きつける。

 黄金色の長い髪を翻すのは女性であり、四肢は毛皮に、手足は肉球に覆われている。頭に、尻にはネコの耳や尾が生えていて――考えるまでもなく、彼女は先程のネコなのだろう。

 完全にネコに擬態できるのはかなり高度な技術を要すると聞きかじったが……どうあれ人並の知能を持っているのだ。それを理解した瞬間、ヒエラルキーの下級層に落とされていくのを、彼は感じていた。

「ええ、はい。これからよろしくお願いします」

「つまんなそうな男ねえ。まあいいわ、そんな感じでよろしく。種族はなんなの?」

「種族、ですか。えー……人間、ですかね」

「人間? ヒト?」

 その大きな琥珀のような眼を見開き、縦に長い瞳孔をより細くして彼女はジャンを見る。腕を組んだまま、腰を折り曲げるようにして視線を近づかせる。

「……ビビんないの?」

 それから、恐る恐るといった風に、珍しいものに触れるように声をかける。先ほどの、威圧的な勢いは既に失せているようだった。

「いや、おれネコ好きですし」

「異人種よ?」

「そう言われてもなあ……」

 困ったように頭を掻いてみせる。

 なぜこんな愛らしい姿に畏怖しなければならないのだろうか。

 剣を振り回したり、傍若無人な人だったりしたら怯える、恐れるといった感情を抱くのは当然かも知れないが、ただ外見が少し異なるだけでそういったモノを抱くことはない。

 これまでがそうだったし、そういった人間に対する理解はあっても、ジャン自身納得はしていない。

 そうしてまた、それだけで異人種に自分が評価される事も、しっくり来ないのだ。

 ただの感性の違いなのに良い評価をもらう。好意さえ持ってくれる。そんな彼らに、どこか後ろめたさを感じるような気がした。

「へえ、見る目あるじゃないの。あんた」

「はは、ありがとう。えーっと……」

「タマよ。ここでは一応ネコとしてやってるからね」

「タマさんは――」

「呼び捨てでいいわ。ネコに敬称って、気持ち悪いったらありゃしない」

 身を抱くようにして、冗談っぽくフルフルと彼女は震えてみせる。

 美女然としているのに、表現はどこか子どもっぽい。ジャンは思わず微笑むと、タマはキッと睨んできた。

「あに笑ってんのよ」

 舌っ足らずのように不平する。

「いや。まあ、その……よろしく」

 抑えられない興奮に、思わず頬がゆるむ。手を差し出して握手を試みると――肉球が、鋭くジャンの顔面を殴打した。

 表面の、ちょっとした硬さの中にはマシュマロのようなやわさがある。お日様の匂いがして、ジャンは満面の笑みで寝台に倒れていった。

「……なに、こーゆーのが好きなんだ?」

 軽々と床を蹴ると、タマは獣人らしい身体能力を発揮して軽々と寝台に飛び乗った。大きく弾み、ついで彼女のたわわに実るバストが揺れるのを見ながら、ジャンはさらに頬をペチペチと肉球で叩かれ続けていた。

「ほらほら……そんなだらしない顔して、そんなに気持ちいいの?」

「あ、ああ……に、肉球! 肉球もっと!」

「うふふ、気持ち悪い……そんなに欲しいのなら、ほら!」

「ああっ、あああああっ!!」

 両手の肉球を力一杯顔に押し付けられる。

 幸せだ。

 もう、人生全ての運を投げ売っているのかもしれない。

 理性が潰える、彼はソレが失われるのを感じていて――。

「何やってんの? ふたりとも……」

 テポンの底冷えするような声は、瞬間的にジャンに理性を取り戻させて、また反射的にタマは寝台を弾くようにして床に着地した。

「肉球分を補給してました」

「補給させてました」

「……まあいいけど。わからないことがあったら、いつでも訊いてね?」

「あ、ありがとうございます」

 ひどく恥ずかしいところを見られてしまった。

 つい理性を投げ捨ててしまう程の事態に陥ったことは仕方のないことだが、自制しなければならないだろう。

 しかし、こんな魅力的な存在が身近にいて、果たして理性が保つだろうか?

 タマをちらりと見ると、彼女はニッと笑って、八重歯を見せた。

「ははっ、可愛いやつめ」

 ――新生活は、こうして開始した。

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