復讐 ②
「お、俺が……な、何をしたって――」
うろたえる男の顔面を、ジャン・スティールは容赦なく蹴飛ばした。
いつ首の骨が異音を立ててへし折れてもおかしくはない威力であり速度である蹴りだったが、クリミアはそれでもしぶとく、顔面を原型無く腫らすだけだった。
「くッ、てめえ……どこの者だ。俺は騎士だぞ、てめえなんぞ、俺を探しにきた連中にぶっ殺されちまうぜ!」
だが、クリミアの意気がるその声はとどまらない。
彼は依然として己の死を理解できぬようだったし、また自身の絶対的な生存を疑う事を知らないようだった。
これまでが、そういった生き方だったのだろう。弱者を挫き己を強者とする人生――故に、失敗や挫かれることを知らぬ。故に恐怖すら、抱くことを理解出来ない。
怖いもの知らず、勇猛と言えることができるだろうが、彼は違う。ジャンは知っている。
すなわち蛮勇。
向こう見ずだ。
「なぁ、アンタ……八年前って言われれば、何を想像する?」
――人気のない裏路地。その突き当りに座り込んだクリミアへと、ジャンは訊く。
男はそんな言葉に、当惑の顔をした。八年前と言われて思い出せぬというよりは、突然の事で何を言われているのか理解できぬようなものだった。
「はあ? 八年前だあ? んな昔のこと――」
言葉を遮るように、短剣がその柔い皮膚を切り裂いて深々と太ももに突き刺さる。
「があぁあぁあッ?!」
耳に障る悲鳴。
ジャンはそれに苛立ち、腹部に鋭い蹴りを入れた。
呻き、男はやがて吐血する。さらに横腹を蹴り飛ばせば、男は力なく横転し、びしょぬれの路面へと叩きつけられた。
上等なコートは血と雪解け水にまみれて汚れ、いい男と言えた自慢の面は既に見るに堪えぬほどに歪んでいる。が、それを見ても、ジャンの胸の中に高揚が生まれることはなかった。
広がるのは怒り。
生まれるのは私憤。
いまいましげにクリミアを見下ろし、ジャンは己を落ち着かせるために冷え切った大気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ここは日陰だから、他よりも一層冷え込んでいる。指先などは、すでに感覚が失せていた。
が、それを気にするほどの理性や思考は失せている。今は、自分自身目の前の男をどうしたいのか――その疑問に駆られ、口は自然に言葉を紡いでいた。
「なあ、てめえ! アレスハイムのカミンの村って、知ってっかよ!?」
「ぐうう……いてえ、いてえよ……くそっ、なんで、どうして……この、俺が……ッ」
「質問に答えろ」
無情な一撃。
顎を蹴り上げられ、男は空を仰ぐように首を仰け反らせた。後頭部はすぐ後ろの壁に叩きつけられ、鈍い打撃音が気味の悪い音となって反響する。
「うう……」
「なあ、てめえが焼き払った村だよ。知らぬ存じぬっつーワケには行かねえだろうがっ!」
怒号を撒き散らし、また幾度か腹を蹴り飛ばし、踏みにじる。
だが依然としてクリミアはこの状況を理解できていないようであり、まともな返答を得られない。
――しかし、ここに連れ込む前に取り上げた首の真鍮製のネックレスは認識票となっているらしく、その氏名やら生年月日が刻まれているのを確認した。それはウラドから聞いた情報と確かに合致していたのだ。
だからこいつで間違いない。
つまり、やはり思考が追いついていないだけか――あるいは純粋なまでに、その記憶を失っているか。否、ただ忘れているだけだ。己にとって取るに足らぬことだったから、なのだろう。
やはり忌々しい。
許せるはずがない。
――ジャンはクリミアの太ももから短剣を抜く。切先は鮮血で弧を描くように尾を引いた。
「まあ良い、おれは、てめえを――」
殺す。
口にしようとして止められたのは、今更になって怖くなり実行を中止したからではない。
その腕を、力強く引き止められたからだった。
「何をするんだっ!」
腕を振り払い、憎らしげに背後のウラドを睨みつける――が、そこに居たのはウラドなどではなかった。
「……今、お前は何をしようとした?」
落ち着き払った口調。鋭い視線は確かにジャンの瞳を見据え、掴み続ける腕は未だ力強くその指先を食い込ませていた。
ディライラ・ホークは底冷えするような声で、ジャンへと問うていた。
「おれの……家族の、みんなの仇だ。こいつが、おれの人生を滅茶苦茶にした!」
ヒステリックな絶叫に、されどホークは顔色ひとつ変えずに頷く。
「だから殺そう、と?」
「そうだよ、おれは善人でもなんでもねえ! ただのガキなんだよ。こいつを、許せるはずがない!」
「別に許せだのなんだのって、いうわけじゃねェんだが……」
ホークは困ったように後頭部を掻く。
それから気づいたように手を離し、寒そうにズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「こんな無抵抗のやつを殺して楽しいか?」
「楽しかねえよ。そもそも、楽しい敵討ちなんざ、無えだろうよ!?」
「そう興奮すんな。オレだって別に、文句をつけてェわけじゃねェんだ」
「だったら、なぜ止めた?」
「さあな。気がついたら、ってのが正確か」
「人殺しのエリートが、善人ぶって?」
「ほっとけ」
やるせないように肩をすくめる。
ジャンは、責めるべきでない相手まで責めてしまう自分にさえも苛立って、またそれすらも押さえ込めずに湧き上がる、というよりは既に噴き出ている怒りをあらわにした。
それから這いずって逃げようとするクリミアの手を力いっぱい踵で踏みにじり、その声帯が潰れたような鈍い悲鳴を聞く。
「こいつを生かしておいて、なんの得がある?」
「擁護するわけじゃねェんだが、命ってのは損得であるモンじゃねえだろ?」
「じゃあよ、例えば――農業を営んでて、害虫を駆除しない農夫が居るか?」
「居ねえな。商品がダメになっちまう」
ホークはなんでもないように答えてみせる。
ジャンは、ウラドが言った、犬でも威嚇するような顔で、目の前の男を睨みながら言った。
「さしずめ、おれは駆除業者。こいつは害虫だ」
「……なあ、ジャン――」
明らかなまでの殺意。そしてその仇を既に人として見ておらず、子供が無邪気に虫を惨殺するような危うさを垣間見せた。
このままではいけない。ホークが直感的にそう理解して、止めようとする。
が、ジャンの行動は物理的に、彼が考えたものとは異なった方法で止められた。
「発現めろ、俺様の法」
建物の壁に黒点が生まれる。かと思えばそれは瞬く間に展開し、やがて腕が飲み込まれそうなほどの大きさに広がった。
その数は四。壁、そして地面に位置するそれらは、そこから瞬時にして――何かを鋭く勢い良く吐き出した。
「――っ?!」
手首から絡み付いて肩口まで、足首から飲み込んで太ももまで力強く締め付ける鎖。ぎりぎりと肢体は締め上げられて、少しでも気を抜けば骨は外れ、あるいは聞きたくもない音を立ててへし折れてしまいそうな暴力で、穴の方向へと引っ張り上げていた。
息が詰まる。
状況が理解出来ない。否、理解などしたくなかった。
「ははッ、糞ガキッ! だぁれが害虫だ?」
背後から、力強く肩を掴まれる。だが、もうそれに対して振り向くことは出来なかった。動けば鎖は肉に食い込み、全ての自由を掠め取られる。
が、目の前のホークはいつしか、脇から抜いた自動拳銃を構え、ジャンの肩口から背後の男に狙いをつけていた。
「くそっ、ホーク! やめろ、こいつはおれが……」
「黙れ」
「――内輪揉めは良くねえな! 糞ども、てめえも動くと、俺の鎖で絞め殺すぞ?」
容赦無く引き金を引こうとしていたホークだが、視認された時点でその行動は易くなくなる。短く舌打ちをして、彼は照準を外した。
「ああ、それでいい」
ヒュー、と口笛を鳴らし、クリミアはごきげんに頷く。
「俺の能力は俺の意思が強ければ強いほど、その力を強くする。つまり、その気になれば――」
「禁断の果実」
間髪おかずに言葉が響く。
僅かな時間すら置かず、それは発動した。
その場にいる全てのものが、ジャン・スティールを中心にして魔力が集中するのを理解した。またその背、クリミアにとって正面の肉体が鈍く輝いたのを認識する。だからこそ行動を起こそうと、その拳を振り上げたのだが……その認識があまりにも遅すぎた。
肉体強化が鎖を引きずりだす。肉体はよりきつく締め付けられるが、ジャンは己に対する配慮はしない。額に右手を押し付ければすぐさま引き摺り出される真紅の果実。そうして言葉と共に、彼はその果実を大きく一口、齧り――。
「覚醒めろ、俺様法っ!」
魔力の塵と消えた果実に倣うように、ジャン・スティールを拘束していた鎖が光の粒子となって薄暗い空間に飛び散り空気中に溶けていく。
同時に背後の男を肘で突き飛ばすように振り返れば、そのクリミアの四肢の位置に穴が広がり――図太い鎖が、ジャン同様に抵抗の暇も無くその四肢に絡み付いていった。
その力は、ジャンの時の比ではない。
まずその鎖の太さからして二倍は軽く、その力とて、四肢を縛り上げた瞬間に異音を立ててぼきぼきと骨をへし折っていた。
男は目を剥いて言葉にならぬうめき声を上げ、間もなく、その首をだらりと垂らした。
意識を失ったのだ。
指を鳴らせば、先程と同様に鎖が消え失せて、力なく四肢を垂らす男はそのまま地面に叩きつけられる。
ジャンは嘆息し、それから手にしていた短剣を男のもとに投げ捨てた。
「馬鹿か、てめえは」
唾を吐き捨て、最後に横っ腹を蹴り飛ばす。
だがもう男は微動だにせず――。
「動くなッ!」
背後から響く、騒がしいまでの静止の声が、二人の行動を制していた。
無数の足音がジャンらを包囲する。どこからともなく現れた男たちは皆剣を構え、殺気を漲らせてその切先をジャン達に突きつけている。
と、共にその無数の男たちは割れ物でも扱うようにクリミアを抱き上げると、路地にところ狭しと言わんばかりに集まった連中は即座に退避していき……やがて、残った一人の巨漢がジャンの胸ぐらを掴み上げた。
「今は見逃してやる。だが、我々は総力を以て貴様に悪夢を見せてやる。覚えておけ」
「あれは、聞いた所によると『スムース・クリミナル』と呼ばれる犯罪組織らしい」
昼下がり。
近くの喫茶店に寄ったジャンは、ホークと共にラウド・ヴァンピールの言葉を聞いていた。
――彼はあの時なにをしていたかと言えば、ただ傍観していただけだと言う。手を出す必要はないからと見ていて、ジャンの命が危機に晒されればある程度は動くつもりだった、と述べた。
そんな彼に何か口を挟む理由など無く、ジャンは素直に頷いた。
ウラドは満足気にコーヒーを啜り、そうして語り始めたのだ。
「連中はクリミアが二年前に摘発した麻薬密輸グループでな。責任者は禁固刑として牢屋にぶち込まれたが、その部下はそのまま――弱みを握られている為にクリミアの傘下に降る。その後の目覚しい活躍は、誘拐、暗殺、薬物売買……とりあえず悪そうなことならなんでもござれ、といった所ですな」
スムース・クリミナルは現在、スラムの全域を仕切っている犯罪組織だ。その統率された行動は軍にも匹敵すると言われており、また事実、軍出身が何十名か在籍しているらしい。数こそ負けてはいるが、この国の民が基本的に戦闘を得意としている奇異な体質故に、相手にするのは困難であり、クリミアによる隠蔽によってその全体像は未だ闇の中にある。
つまり、狙われれば一巻の終わり、ということだった。
「オレはお守りはゴメンだぜ?」
ホークは肩をすくめて首を振った。
「あんたにお守りされるほど、おれはそんなに雑魚じゃない。だいたいクリミアがトップだったんだろ? ならそいつをぶちのめした今、おれに敵なんていねえよ」
「物量で、という考えがあるのだがね……驕るな。死ぬぞ」
「別に、そんなつもりじゃ無い……大体だ、あん時にホークが止めなければ、おれはアイツを殺せていたんだ!」
「おい、私の行きつけでそんな物騒な話はやめたまえ」
穏やかなアフタヌーンティーを楽しんでいた客が、一様に不快げな顔でジャンを睨む。
ジャンは肩をすくめて、悪かったと嘆息した。
「だけど、これはおれの問題だ。なんだったら、組織をぶっつぶして奴の息の根を止めてやる」
「オレはまだ観光みたいところがあるからな。一抜け、だ」
「私に同僚殺しは出来ぬのでな」
「あ、だが一人、この国に居る知り合いを呼んでいるんだが――」
言ったそばから喫茶店の玄関が、小気味の良い鐘を鳴らして来客を知らせる。
その影は立ち止まってあたりをキョロキョロと見渡し、すかさずホークが手を挙げれば、一度だけ目を見開いて頬の肉を釣り上げてから、無表情に顔を戻した。
カツカツと足音を鳴らして、四人がけの席の前で、彼女は立ち止まる。
「久しぶりにきたと思ったら、あんたっていつも仕事の話しかしないのよね」
腰に手をやり、片足に重心を移す。
右腕には装甲のように分厚い真紅の鱗が手の甲から肘あたりまでを覆い、それとは対照的な薄い水色の長い髪は首元で一括りにされて、それは左肩から垂らされていた。
「お前さんも、久しぶりに会ったと思うが……変わらねェな」
胴を覆い尽くす白金の板金鎧に、肘あて、そして下半身はスカートのような佩楯におおわれており、白金の脚甲は太ももまで伸びていた。
蜥蜴族の娘だと、最初は思ったが――その体中から溢れる、堂々とした雰囲気や、どこか高尚な、上品な態度がその違和感の原因だった。
「それで? その妙な連中ってのは何?」
ウラドから勧められるままに席に着いた彼女は、頬杖をついて言葉を続ける。ウラドやジャンには、一瞥しただけであった。
ホークは言いにくそうにたっぷり苦笑してみせてから、先程ウラドから受けた説明をそのまま口にした。
「スムース・クリミナルだ」
「……ッ、冗談でしょう?」
「連中は、総力を以てこいつを潰すとよ」
親指でぐいっとジャンを指してやると、彼女は憎らしげに彼を睨みつけてから、大きく息を吐いた。
この街で生活をする彼女にとって、街の裏の顔たる連中を相手にするとなれば――最終的にはこの街を出なければならなくなる。
せっかく慣れてきたのに。幾度か舌打ちをして漏らした言葉は、ホークの要請を否定するようなものではなかった。
「んで、そこの小僧は何をしたの?」
「クリミアをぼこぼこにして、両手両足をばきばきにへし折ったんだ」
「……はあ?」
ホークの言葉に、彼女はなにを言っているのか理解できぬように眉をしかめる。その、薄く赤みがかかった瞳の奥で、喜色が見えた。
徐々にしかめっ面は緩んで、やがて彼女は強く目を瞑る。
「ぷっ……あはは! また、思い切ったことをしたわね。なんか、恨みでもあったの? お気に入りの玩具を壊されたとか?」
可笑しそうに大きく笑ってから、彼女は目尻に浮かんだ涙を指先で払う。
これまで散々と迷惑をかけてきたクリミアは、その職業が騎士であるがために下手に手を出せず、また組織の規模が大きいために個人では立ち向かえなかった。だからこそ今まで辛酸を舐め続けていたのだろう――ざまあみろ、と吐き捨てた彼女は、嬉しそうに頷いた。
「まあ、近い」
詳しいところは本人から訊けと言い含めたのを、彼女は理解する。
「ま、別にいいけど。でもそのかわり、この仕事が終わったら連れてってよね?」
「勝手にしろ」
「そう――じゃあここからは傭兵としての仕事の話。さすがにあたしと、そこの小僧だけじゃキツいと思うけど?」
彼女は微笑みを打ち消して、真剣な眼差しでジャンを見つめてから、ホークへと視線を移す。
が、彼は首を振って、ジャンの頭を無造作に掴んでみせた。
「ンなこたァねェよ。こいつは、オレのお墨付きだ」
「へえ、珍しいこともあるのね」
「ま、発展途上だがな」
「そう。でもスムース・クリミナルは今夜にでも襲撃に来るわ。準備できるなら、今の内にしておきたいんだけど――」
彼女はそうして、ホークの言葉を疑うこと無く、またジャンの実力に不安を抱くこと無く淡々と話を進めていった。
規模も兵装もわからぬ敵を相手にするというのに、たった二人の、その内一人は実力は勿論素性すら判然としないのにもかかわらず、彼女はなんでもないように作戦を立てる。
ジャンは口も挟めず、ただ呆然とその光景を見守ることしか出来なかった。
そうしてそこに一区切りがつくと、彼女は小さく嘆息した。
「ま、所詮寄せ集めだし。何人かが軍人上がりだとしても、結局は実戦不足の素人集団でしょ? 雑魚同然。種族開放するまでもないわー」
「身近にいるお前がそういうなら安心だな」
「そそ。どんと戦艦にでも乗った気持ちでいればいいわ……っと、ジャン・スティールくん、だったっけ?」
彼女はそこで、思い出したように向き直る。顔は、体ごとジャンに向けられ――差し伸ばされた手は、握手を望んでいた。
「ええ」
頷き、それに手を返す。力強く握り、あるいは握り返されて……見据える視線は、何かを図るようなものがあった。
それからややあって、彼女はにっこりと微笑む。
ギリ合格、と口にした彼女だが、その言葉に対する説明はなく、
「あたしはクラリス。竜人族よ」
「ああ、ジャン・スティールです。よろしく――」
なるほど、蜥蜴に似て非なる――加えて伝説とも謳われる竜の血を受け継ぐからこその、あのごく自然的に溢れた品位なのか。ジャンはその自己紹介から簡単に納得した。
また、そういった完結な挨拶を経て、彼らは一時的なコンビを結成することとなった。