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交渉 ②

「くそっ」

 いっその事、意識でも失っていればまだ楽だったのかも知れない。

 無自覚に漏れる悪態をそのままにして、ジャン・スティールは走り続けていた。

 結局、まともな治療もできないまま――気管の太さが半分ほどになってしまったのかと錯覚するくらいの息苦しさを覚えながら、ジャンは背後からの無数の兵士から逃げ続けている。

 仲間はもう居ない。

 なぜ、こんな事になってしまったのか――右腕の、鈍い輝きを放つ魔方陣を視界に収めながら、腰のバスタードソードに手をやることでいくらか心を落ち着かせた。


 中庭に駆け込んだ理由は、あわよくばそこで一刻を過ごして治療を終わらせること。そして主な目的は、ロメオを誘い出すこと。

 そして後者はまるで思惑通りに、木陰に入ると同時にバルコニーから落ちてくることで完遂した。

「愚者が!」

 そうと知ってか知らずか、皇帝は危険を顧みず単体で四名へと剣を振るう。それに応じるのは、やはりハンスだった。

「まんまとアレスハイムに乗せられたお前が、何を言うッ! 利益ばかりを重視して国民を蔑ろにしやがって!」

 叩き落される剣を手の甲で受け、その射程距離の短さを利用して深く踏み込む。が、それを逆手に取られて返しの刃が突き出て、頬に突き刺さる。思わず顔を背ければ耳元まで深い切創が伸び、顔面に燃えるような激痛が走った。

 されど攻撃の手を止めずに下方から拳を突き出せば、それに応じるように横に回りこみ、柄尻を鼻筋に叩きこむ。じんとする痛みに、視界がちかちかと明滅する。思わず怯めば足元を掬われ――首筋に、冷たい鋭利な刃が突き立てられた。次いで胸元に足が叩きつけられる。

 ――強い。

 ハンス・ベランジェはそう認識した。

 彼は決してそう剣術に秀でているわけでもないし、戦闘能力が極めて高いというわけではない。ただ純粋なまでに注意力、観察力に優れているのだ。故に攻撃を避けられ、それを利用される。隙につながれば、やむを得ず攻撃を受けるしかなくなるわけだ。

 その結果が、コレだ。

 自嘲気味に笑い、

「なぜ殺さない?」

 いまだ来ない死の所在を、ロメオに訊いた。

「最早無礼は抜きにしよう。貴様に一つ問いたい……貴様の母はヒトか?」

「それがどうした。我が父は勇猛なるヴェアヴォルフの民だ」

「やはりな。異人種とヒトとの交配の結果、これまでで全ての場合ケースで子に種族としての特徴が強く現れている。もっとも、種の生命力として強いのだからそれが当たり前の事なのだが――これがどれほど恐ろしいことなのか、貴様には分からんだろうな?」

「少なくとも、我が種族を愚弄しているということではないな」

「その程度には利口か……いかんせん喋りにくい。立て」

 足をどかし、剣を抜く。

 それを提げたままだったが、ロメオは依然として冷静そのもので、城内の喧騒を背にしながら、立ち上がろうとするハンスを眺めた。加えてその背後に控えている三名は硬直したまま、ただその様子を見守っている。

 まったく、治癒でもしてやればいいものを――思いながら、言葉を続けた。

 これは暇つぶしに他ならない。そして自己満足でもある。

 だが、何も知らぬようであるこの連中には伝えておきたいという所存があった。恐らく、年は越せないであろうという漠然とした直感のもとの、未練なのかもしれないが。

「人類と異人種の交配によって生まれるのは、より生存し易い、つまり強い種の特徴を備えた生命体。ゆえにヒトは排他される――いずれ、この世界からヒトは去り、その姿を持った者たちが大地を占めるだろう」

「それがどうした。動物でさえ”絶滅危惧種”があるんだ。ヒトだってそうなったって不思議ではないし――気が遠くなる話だ」

「わたしは、その気が遠くなるような未来を危惧しているのだが。常々思ってはいるが、貴様ら”異”のつく生命体の繁殖力は異常だと言える。異種族のオリジナルを見たことがあるか?」

「……オリジナル? ただでさえ異種族の少ない土地に住んでいるからよく分からないが……あの動物を狂わせたような、あの連中の事じゃないのか」

 ロメオの言葉に、ハンスは素直なまでに反応する。

 同時にジャンは、鋭敏な部位に触れられたように肩を弾ませる。その語句を”理解して”反応したのは唯一、ジャンのみであった。

 そしてロメオは狡猾にそれを見抜き、されど注目すること無く短く息を吐いた。

「知らぬのか。あれが貴様らにとっての最たる姿であり、また本来の肉体でもあるというのに」

 ――ロメオが欲しがったのは、『異世界』に関するものだ。あらゆる者に活用し、この文化のさらなる進展に導ける可能性にある情報、知識、技術……それら全て。

 そして異種族のオリジナル……ジャンが殲滅したあの白い異形『バイター』を始めとするこの世界には元来生息しない、そして生態系としてまずありえぬ形の異種族モンスターについてもそうであるはずだ。

 ならば、交渉の余地はあるだろうか。

 いや、さらに信ぴょう性を高めるには、まずウラド・ヴァンピールと接触する必要がある。

「……なあ、ホーク。考えがある――」


 それから程なくして、ロメオの目を盗んでマリーの変則転移によって城内に移動した。その後の喧騒から、皇帝がまたジャンを探しだしているのは想像に難くないのだが。

「くそっ、どこだ、あの吸血鬼!」

 薄暗い廊下は耐え難いほどに冷え切っている。それは、全ての窓が開け放されているからだ。

 広い空間には絨毯が、そして一定間隔で燭台が並んでいるのだが、風のせいで全てが消えてしまっている。おそらく、城内の地理に詳しくない闖入者対策なのだろう。

 マリーには激しい運動は控えるようにと注意されている。下手をすれば酸欠で倒れてしまうそうだ。が――。

「ほうほう、お呼びになられましたかね?」

 開け放された窓から吹き込む、凍える吹雪がごとき寒風と共に流れこむ黒い霧が人の形をとったかと思うと、瞬く間にお馴染みの燕尾服姿の男が現れた。が、痛々しいまでの、頭に包帯を巻き、首から提げる三角布に右腕を入れて固定している、満身創痍な姿だったのだが。

「決着と、行きましょうか?」

 だが吸血鬼ヴァンピールは、そんな痛ましい格好もどこ吹く風で、鋭くジャンを睨みつける。

「違う――お前、この禁断の果実について何を知っているんだ……?」

 右腕を胸の前にひきつけて、鈍く明滅する魔方陣を見せつけた。

 それに吸血鬼は意表を突かれたように目を丸くして、なるほど、と頷いた。

「この私に、弁護をしてもらいたいと言うわけですな?」

「……その通りだ。おれが生き残れて、何も残らないこの国の唯一の得になるものだと、信じたい」

「そうですか。だが私にはその義理はない、と言いたいところだが――」

「――おい、いたぞ!」

「あ、だけどアレ……ヴァンピール殿じゃ!?」

 一本道の両端から、けたたましい足音と共に兵士たちのざわめきが耳に届く。

 それだけで、この身を抱きしめたいほどの殆ど気温と同じ室温の中で、どっと額から汗が噴きでた。脈拍数が跳ね上がり、呼吸が苦しくなる。傷はふさがっているが、間に合わせに過ぎないのだ。

禁断フォービドゥン果実・フルーツは消費魔力は一定で少量なのにかかわらず、熟練度によってその効果は幅広くなる。貴君は魔方陣を持っているが、それを知らないだけだ」

「……こいつは何なんだ? ただの魔術じゃ……」

「禁呪とされているものの全ては戦略級。そして禁呪とされているものは、魔術書グリモアとして残されどこかの国の図書館最深部に封じられているという話で、それを扱えるものは現時点では存在しないのですがね」

「なら、なぜアンタはこれを知っていた?」

「魔術をかじっていれば、誰もが通る道です。幾多の戦略級魔術が生きるこの中で、同じ戦略級でもその危険性から封じられている魔術……これに興味がわかないわけがない。まして魔術師となれば、それをいかに入手するか、あるいは再現するかが人生の目標となる。その中で最も汎用性に富んでいるのが、その魔術なのですよ」

「もし軍隊にこれを持つ者がひとりでも居たら?」

「確実に後手にまわる魔術ですが、相手が戦略級を放ってきた場合、それを先ほどの貴君のように”再現”して逆転することが可能ですな」

 背後、そして前方の兵士たちは立ち止まったまま。その中で連絡をとる者がいるが、おそらくは皇帝を呼び出しているのだろう。となれば、これは僥倖だ。

「おれはこいつを、多分――異種族のオリジナルから与えられた」

「……理解に困りますな。異種族は基本的に魔術を持たない。無論、魔法も。それが、人智に等しき知能で魔術を駆り、さらに与えた、とは?」

「その異種族を、アレスハイムが百年以上かけて保管していたとしたら?」

「興味深い」

 吸血鬼は、素直に信じこむようににんまりと笑顔を作ってから、筋肉の硬直によって引き起こる痛みに喘ぐ。

「確かに、貴君がそれを扱えるというのは純粋に魔術の適性が高いということですが、だからといって詳しいわけでも、秀でているわけでもない。つまり初心者というわけだ――となれば、貴君が個人的にその魔術を手に入れる事はありえない。どうあれ、他者から与えられたという話は確かなようですが……与えられたというのに、詳細に知らぬというのはいささかおかしな話ではないかね?」

「あんた、熟練度によって効果の幅が広がるって言ったな?」

「ええ」

 こっくりと頷く男に、ジャンは額から流れる汗を拭いながら、喉を鳴らした。

「その異種族は多分、おれがここまで使いこなすとは思っていなかったはずだ。あくまで哀れみを持って、最低限引き出せれば良い程度の考えだったはずだ」

「そんな、不確かな者にわざわざ禁呪を与える理由は?」

「んな事、こっちが知りたいくらいだ!」

「まあ、良いでしょう。こちらも転移魔術を再構成しなければならぬ身。一時的に捜索の任についていましたが……おやおや、丁度よい」

 吸血鬼が振り向く。そうした所作の中で、ジャンはようやく気がついた。

 周囲のざわめきが失せている。

 そして彼が向いたその先に目を向ければ――酷く疲れきった顔をしたロメオが、つかつかと音を立てながらこちらに近づいてきていた。

 ホーク達に足止めを頼んでいたのだが、やはり殺さずに足止めだけを目的とすると、やはり戦闘能力は発揮されないのだろう。あれから十分と経っておらず、また兵士たちの奥のほうから騒がしいまでの悲鳴が聞こえ始めていた。これは、彼らが追ってきているということだろう。

 程なくして、その三人はロメオの背中を見つめる形で、立ち止まった。

 ウラドが膝をつき、頭を垂れる。

 皇帝はその傍らについて剣を構え――ジャンはその右腕を無防備に、ロメオへと突き出した。

「……何のつもりだ?」


「何のつもりだ」

 魔術の発動を警戒するロメオは、そのすぐ後にウラドからの言葉を聞いた。

 あの魔術は世界的に禁呪とされていて、さらに最も有用性があり汎用性に富む、戦略級魔術だということ。ジャンの右腕のそれは、異種族のオリジナルによって刻まれたものだということ。

 そしてジャン・スティールはその右腕自体を、取引材料としようとしていること。

 それを全て聴き終えたロメオは、再びそう口にしていた。

「おれはまだ、おれの命が惜しい」

「所詮は己の保身か」

「だけど、この右腕は皇帝にとって、良い研究材料になるはずです。言っていたでしょう、魔力は異世界発祥だが、魔術はこの世界に来てからだって」

「言っていない」

「だけど、異世界で魔術っていう力が発展してないんでしょう? 魔法だけで」

「わたしの研究ではな」

「なら、このヤギュウ帝国はこの本来手に入らない魔術ちからで、周囲に脅威を与えられる筈です。もちろん、アレスハイムに対して切り札としても」

 ジャンの必死な説得に、ロメオは肩をすくめるように嘆息する。

 そもそもな、と、彼は言った。

「わたしは貴様を殺そうとしていたのだぞ? そんなもの、殺した後にでも回収すれば良い」

 ――ここだ。

 ジャンは直感的に、勝負時を理解する。

 ここで行かなければならない。嘘だろうと事実だろうと、ここでロメオを、一国の王を手玉に取らなければ命はない。

 そんな折に、ロメオは眉をしかめるようにジャンを見た。気がつけば、無意識の内に口角がつり上がっていたことに気がついた。

 まあいい、丁度良い。 

 ジャン・スティールは口を開く。

「そこの吸血鬼から聞かなかったんですか? この魔術は、異種族から与えられたものだって」

「それがどうした?」

「なにも、従来通りに魔方陣を刻まれたわけじゃないんですよ。この身体に、異種族の細胞を埋め込んだんです」

「つまり?」

「おれの意思に反してこの魔方陣が肉体から離れて、それがまともに形を維持しているか――おれは保証できませんね」

 これはその異種族ノロとジャンとの契約のもとで行われた行為だ。ロメオは少なくとも、その言葉でそう理解したらしい。

 また禁呪を手にした経緯はそういったものでなければ説明に難しい。またアレスハイムならば、そういった存在を”飼って”いても不思議ではないという事から、その流れには納得がいった。

 だがそもそも、魔術の受け渡しなんてものに前例がない。

 つまるところ、ロメオはジャンの言葉を否定できない。

 異種族の細胞を肉体に埋め込んだことさえも。そんな、常識はずれの行いにさえも、彼は、この国を統べる男は口一つ挟めない。特に『異世界』に固執し独自に研究を進めた一人の男としても、それは屈辱的であったのだろう。

 わなわなと腕を震わせて――目に見えぬ肉薄のうちの、一閃。

 刃は鋭くジャンの右腕の付け根に触れたかと思えば、動きがそこで止まった。

 重さすら感じさせないのは、ロメオがその重量を腕で支えているからだろう。

 彼はジャンのすぐ隣で、脅すように最確認する。

「貴様は、騎士を志したのではないのか?」

 それは、意外なまでの台詞だった。

 確かに右腕を失うことは、騎士生命を断つことに等しい。仮にこの後に実力をつけて騎士になれたとしても、腕一本が無いという事から上を目指すことができなくなるのだ。まず国が、そんな不安定で脆い存在を、腕を失うほどの不甲斐ない者をトップに君臨させるはずがない。

 が――関係のない話だった。

「アレスハイムでは、魔法が無くちゃ騎士になれないんですよ」

 魔法もなく、右腕も喪失うしなう――残酷な話だ。

 ロメオはどこか憐れむように鼻を鳴らす。

「貴様だけか、まともな敬語くちを利けたのは」

 褒められたのだろうか。もし、そうなら、

「光栄至極です」

「貴様は取引というものを知っているな。無知を良い事に、もっともらしいことを叩きつける。そして相手は反論できなくなる。また持っているモノは本物であるだけに、我々は退くことができない――なによりも、ここぞという時にその笑顔だ。まんまと、乗せられたと思わされた」

 気に食わん小僧だ――ロメオはそう吐き捨てた後、剣を勢い良く振った。

 銀の煌きが宙を踊り、やがてチン、と金属音を鳴らす。華麗な剣さばきはただ剣を鞘に収めるだけで終わり、ジャンの右腕は依然として健在だった。

「人として完結したに近い者よりも、やはり発展途上を見るのはいささか楽しいな。貴様――名は?」

 ロメオは、始めて笑顔を見せた。まだ若そうなその顔を快活な笑みに飲み込ませて、他国の一般人たるジャンの名を訊いていた。

「え、あ……ジャン・スティールです」

「ジャン・スティールか。わたしはロメオ。ロメオ・ヤギュウだ。聞いての通り、わたしの祖先は倭国人でな」

「――それで、どうするんですか?」

「そう慌てるな。部隊は既に一時間以上前に退避させているし、故にアレスハイムでの戦闘は既に終えている。が、貴様はともかく、あの大臣が気に食わん。被害も甚大だ。わたしの首も危うい。だからせめて――戦争には勝たせてもらう」

「溝は良いんですか?」

「何も機会は今回だけではない。追々やるさ」

 ロメオはこの上なく悪そうな笑顔を見せて、

「”客人”に部屋を用意しろ。今夜は泊まってもらう。ククク、楽しみだな。やはり勝敗を分かつ戦争よりも、ただ個人を叩き潰すほうがいささか、楽しい」

 だがそうする姿は、いささか、見るに堪えない。

 ウラドは短く息を吐きながら小さくそう呟いて、指を鳴らす。そうするとすぐさま兵隊は散って――先ほどとは裏腹に、ウラドは丁寧なまでに頭を下げた。

「さ、ご客人。ごゆるりと」

 皇帝は単身で玉座に戻り、残された四人は程なくして、個別の豪勢な部屋をそれぞれあてがわれることとなった。

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