衝突
魔術というものは割合に、感情というものが重要であるとも言われている。
主に精神力を削り魔力を駆使する術なのだから、まず資本となるのが精神だ。怒れば増幅し、悲しめば減少する――とまでは行かぬ、そう単純なものではないが、そういった理由もあってか、女性の使い手が世界的な割合から見て多かった。
魔女という言葉もあるように、それは昔からそうであったらしく――。
「すげぇ……」
つまるところ、アレスハイム王立第六騎士団――魔術師団の団長の実力は、己の肉体のみを信じる第三騎士団以下警ら兵らの予想以上の威力を発揮していた。
――ブリック地方に住まう、加齢を極めて恐れる大魔導師が居た。その力は多くの人々から恐れられ、人里離れた森の中で生活しており、”彼女”は異種族からさえも畏れられていたと言われている。そんな大魔導師――人々は彼女を魔女と呼ぶ――の一番弟子であった『ルーナ』は、彼女からの破門をきっかけにアレスハイムに流れ着き、その実力を認められて騎士へと就職した。
数年の努力が実って今では立派な魔術師団を統率する団長とまで上り詰め……、
「なんて威力だ……」
そうざわめく仲間内の声を背に受けながら、彼女はつい先ほどまで目の前にいた軍勢が消失したのを確かめ、頷いた。
――薄手の長袖シャツはぴったりと身体に張り付いて、そのスタイルを浮き上がらせる。が、首からその胸元を伸び、へそよりやや高い位置までがむき出しになる格好は、むさ苦しい戦場ではよく目立っていた。加えてタイトスカートは動きにくそうに足にまとわりつく。その上下は限りなく暗い黒であり、彼女はさらに、太ももでその口が大きく広くなる革のブーツを身につけている。
最後にツバメの羽根のような外套と、腰と左腕へのファッションベルト、頭にとんがり帽子を載せれば彼女のファッションはおしまいだ。
とにかく淫靡で、誰に襲われても仕方がないと言える格好の彼女は、だがしかし途端に周囲から恐怖を抱かれた。
――数分前。
目の前に迫っていた軍勢は多く見積もっても二万ほどであっただろうか。
彼女は作戦通りに、禁じられてもいないごく正当な手段として、戦略魔術を紡いだのだ。たっぷりと、三○秒はかけてその全てを口にし、およそ個人では扱えぬほどの魔力量が集中し始めるのを実感しながら、その全てが目の前の二万人を虐殺するのだと想いながら、唱えたのだ。
「破滅の嵐っ!」
晴天は瞬く間に、暗澹たる分厚く灰色に濁った雲に覆われた。
増幅、膨張する魔力が辺り一帯を――少なくとも目の前の軍勢を飲み込んだのを理解した時、ルーナの意思のままに雲が円形に割れて晴天が、そこから降り注ぐ太陽光が垣間見えた。
が、次の瞬間。
その約二万の軍勢を飲み込むほどの巨大な雷が、なんの脈絡もなく振り落とされた。
――轟音と共に目の前の大地が蹂躙されていく。その衝撃が大地を激しく震わせ、それを予期し得なかった者は一様に尻餅をつくほどだ。また暴風が吹き荒れ、さながら嵐のごとく……容赦なく、辺りの全てのものを吹き飛ばす静電気を伴った風が大地を広く舐め回した。
故に、陣形は一度崩れたが――術師たるルーナだけは、その最前線で微動だにしない。
雷はされど辺りに伝播することなく、見事なまでに彼らだけを焼き尽くして大地に巨大な穴を穿った。
火山の噴火口にも似た巨大な穴だ。
既に死体の跡形もなく、灰と化して地に帰る。が、その大地は未だ帯電状態にあり……。
まるでそういったことが嘘のように、雷は失せ、空には晴天が戻る。
――敵の残る軍勢は、既に残り少ない。ざっと見ても、一万に届くか否かの数だ。
ともあれ、それでもこの世界ではその軍事力は割合に高いと言える。そもそもの人口が少ないのだから、兵に三万も割けるというのは中々に頑張っている証拠だ。ヤギュウの数倍の領土を誇るアレスハイムでさえ、人数では勝っていないのだから。
しかし、今のを見たが為か――”この程度”の戦略級魔術すら持たぬのか、遠目にでも相手の動揺は良く分かった。
もっとも、この戦略級と冠する魔術は扱える力量に至る者がそもそも少なく、さらに多くの国で”禁じ手”とされているために廃れてきているのだが。
だが結局はこちらも同様で、一様に今の威力を目の当たりにして、目の前に立つ、酒場にいれば迷わず声をかけていたであろう女性に恐れをなしていた。仲間だということを忘れてしまったのか、あるいは”裏切り”を恐れているのかは定かではないが、騎士でさえも団長の声を耳にいれていない。
やれやれ、と彼女は肩をすくめた。
「どうなっているの?」
傍らに迫る気配に振り返れば、真っ赤な肢体を持つ一人の女性はボディースーツ姿で、同様に肩をすくめていた。
「通信兵から」
シイナはそうぶっきらぼうに前置きしてから、告げる。
「相手は本国と連絡がつかない状態で、さらに今の魔術によってすっかり士気が下がってしまったらしい」
「そう。それで、どうするの?」
「これから侵攻を開始する。体勢が整わない内に叩き――」
「た、隊長!」
言葉を遮るのは、首から白い魔石をネックレスとして下げる一人の男だった。
それが先ほどの”通信兵”と言うのはルーナにもすぐに分かり、彼女は頷き、促す。
彼は失礼します、と先に置いて口にした。
「や、ヤギュウ帝国の皇帝から……」
男は言葉を飲むように台詞を留め、喉を鳴らしてつばを飲み込む。視線を外そうとする彼に、シイナは眉をしかめた。
「どうした? 続けて」
「……ディライラ・ホーク以下四名を捕らえた、と。交渉の余地があるのなら戦線を退いてもらおう、との伝達が――」
「はったりだ!」
大臣が、その穏やかさを切り捨てて吠えた。
「ブラフも過ぎる! そんな虚仮威しで怯むな! 進軍せよ!」
『し、しかし、仮にこれが事実だとしたら――』
「仮にもクソも無いと言っているだろうがッ! ここで敵を殲滅しないでいつする!? 敵にむざむざ時間を与えてどうするつもりだ! 貴様、私の部隊を殺すつもりか!」
『そっ、そういうワケでは……』
「ならさっさと敵を蹂躙しろ! 判断は私がする! 責任は私が取る! ならば気が済むまで言ってやろう……仮にこれが事実だとしたら連中は死ぬだろうが、この戦闘でのもっとも大きな被害は敵の軍勢が『溝』に到達することだ! 一度でもあの大渓谷を攻略されてみろ、この国は大変な事になる!」
『国のために、民を捨てろ、と? 他国の者も居るというのに?』
――とんでもない阿呆だ。
そう吐き捨ててやりたかった。今にでも目の前の魔石を、その上に浮かび上がる真っ赤な姿もろともたたきつぶしてやりたい衝動に駆られながらも抑えこみ、口から垂れそうになったよだれを拭いながら葉巻を投げ捨て、灰皿に押し付ける。
騎士というものがこれほどまで扱いにくいものとは……ディアナ大陸出身の彼にとっては、それが信じられないくらい苛立たしい要因となっていた。
敵の事情や心情を鑑みて、わずか数人の”悲劇”にすらならぬ損失のためのその多くを犠牲にする精神。子供ならば偉いと褒めて頭をなで飴玉でも褒美にくれてやることだろうが――国を護る者が、ソレでいいわけがない。
騎士とは飽くまで神と契約するだけであり、軍や国とは書類上のやりとりでしかないと聞いた。学校では、自国の状況が芳しくなければ敵国に寝返った例さえあるとも言っていた。そしてそれが真実だと思っていたのだ。
この国に来てその考えは変わり、連中は”強く逞しい、己を貫く立派な兵士”だというものになったのだが――ココに来てまた一変する。
奴らは阿呆だ。
なぜ敵は信頼できて、自国の大臣を欺けるのだろうか。
連中は売国奴か。ふざけるな。
乱暴に軍服のポケットをまさぐって葉巻を取り出し、口に咥える。
――仮に、本当に本国に侵入した四人が死んだとしたらどうなるだろうか。少しばかり思考してみる。
敵は提案をしているわけではなく、言葉のまま威嚇してきているのだ。が、無断で毒牙にかけられるわけがない。人質は生きていなくては価値がないのだ。つまるところ、彼らは人質であるかぎり”命”の保証はされているわけだ。
ならば、せめて目一杯時間を引き伸ばしてやろう。
向こうに、無条件で時間をやるのは癪過ぎた。
まずディライラ・ホークだ。
これはまず傭兵組合の上層部に酷く怒鳴られそうだ。その上で、被害総額を思い切りぼったくられるだろう。そしてまた、この”取引”の未熟さから、今後の付き合いを改められるかも知れない。
ついでマリー・ベルクール。
彼女は魔術師組合創設者の孫という話だ――聞いた所によれば養子だかなんだとか聞いたが、定かではないが。
これもまた、魔術師組合からの信用を無くすはずだ。これは手痛い事になる。まず技術の進展がさらに遅れるだろうし、それ故にディアナ大陸の技術に頼らざるを得なくなる。
ハンス・ベランジェも同様だ。
そしてジャン・スティールは……これはこれで僥倖か、あるいは全てを失うか。
彼が墓地に埋まる事になれば、彼に執着していたユーリアがようやく目的通りに動くことができるだろうか。少なくとも戦場に居ない彼女は、この事を知る由もない。
が、風説の流布――否、真実だが、大臣が彼を見捨てたということが耳に入れば彼女はこの国を後にする可能性が極めて高い。
もっとも、彼らが捕えられたということなど決して有りはしないだろうが。
「……正直なところ、なぜそう信じられるのだ?」
対面で、この馴染みとなる会議室で、唯一戦況が確認できるために待機していたミキはそう口にする。
「信じる? そんな陳腐なこと、私がすると思っているのか」
「ほう、つまり?」
老齢の女性のような言葉遣いのミキは、悪戯っぽく笑う。言葉は、そのままシイナまで伝わっているだろうが、大臣は構わず口にする。
「勘だよ。彼らを信じるくらいなら、私は私を信じる――尤も」
彼は不恰好なまでに口元を歪め、口角を釣り上げた。
「連中の”取引”以前までは、私が手引きしたのだからな」
「――そういう事か」
ミキは、その悪代官さながら――否、それ以上の悪たる大臣を眺めながら、クッキーへと手を伸ばす。
「ああ、連中はここで我々が無条件降伏すると思っている。”予定”には無いからな。だから勝ち目のない戦闘だとわかっていながらも、馬鹿正直に正面から全軍を投入してきた――が」
『今の言葉、本当かッ! 貴様……!』
続けようとする前に、シイナが叫ぶ。
『わかった、現場は現場で判断する。言質は取った、死にたくなければ今の内に国を出ること――』
そうしてぶつり、と通信は途切れてしまった。
「ッ?! くそッ! あのクソ鬼がッ! 先走りやがって――」
ふざけるな、冗談ではない。
ここで本当に無条件降伏をすれば、相手から人質と引き換えに『異世界』と交渉する手段を与えてしまう。
本来ならばここで首を振り、そのまま敵を殲滅。そしてヤギュウを植民地化する予定だったのだが――あの阿呆の女が先走った。
駄目だ、今止めなければ手遅れになる。
遅くなる。
全てが気泡に……いや、ソレ以下の、泥中に飲まれることに。
魔石に魔力を込める、が反応がない。恐らく向こうで連絡用の魔石を叩き潰したのだろう。そうしたのはこちらだというのに。
「ミキ! ここから間に合うか!?」
「冗談はよしてくれ。転移魔術も無しに、半日かかる」
「クソ、すぐにシイナを止めなければ――」
『あー、少し事情を聞かせてもらえませんかね?』
近くにいてかつ信頼できる者は誰だろうか。およそ生涯の中でそうそうない思考の回転で考える間に、魔石は輝き、声が響く。目を向ければそこには、白髪の青年の映像が立っていた。
「……訓練部隊の、レイか」
『ええ、状況によっちゃ、一番簡単なやり方で止めますが』
「ああそうか、なら頼んだ――」
雑であるものの、大臣は焦る声を抑えつつ掻い摘んで伝えてやった。
アレスハイムは、殆ど大臣の独断で事に及んでいたということが判然とする。
つまり『溝』への交渉権を渡す代わりに、戦争行為を起こして軍需による利益をもたらし、その後傘下に下るという作戦内容が両者の間で行われたのだ。その結果として、現在までで多くの武具などが生産され、今までで武装など考えていなかった小さな村々にまでそれらが行き渡るほど潤沢になったのだ。
経済は回り、豊かになる。
その引き換えに、独占している溝への交渉を許可するのだ。
無論としてアレスハイムは溝への交渉権すら渡す予定はないので、侵攻してきた敵軍を余す事無く殲滅する予定だった。人質として”攫わせた”四人組だが、その作戦内容を告げていない以上無作法に暴れまわるはずだ。つまり、彼らが人質としての役割を務めるはずがない。それに加え、現時点で八から九割方の軍力をこちらに差し向けているのだ。敵うわけがない。
また、ヤギュウも彼らの作戦を鵜呑みにしているわけではない。すっかり信頼してしまっているわけではない。だからこそここで『人質ありきの交換条件』というものが飛び出したのだが――ともあれ、そういった背景を知るのはヤギュウ帝国皇帝と、アレスハイム軍部大臣の両名のみであった。
だが、ここで皇帝の話に頷けばヤギュウの思惑――ヤギュウとの立場を、最低限でも主従関係に移行するというものが台無しになる。
「……ったく、面倒臭ぇな」
確かにシイナも、騎士団のトップにしては話を聞かなすぎだ。
だが大臣も、情報漏えいを恐れて伝えなさすぎだ。それ故に信頼関係がまともに築けず、シイナとのいざこざが生まれている。
――これまでで、戦争の下ごしらえもすべてが無駄、というか戯言じみたものだったのだ。
だが、たかが溝への交渉を許可されるだけで、二万もの軍勢を無駄にするか? 殆ど、主要な戦力だったはずだ。
アレスハイムの裏は全て現れたが……ヤギュウにもまだ裏がある。この取引の提案は、その序章に過ぎないはずだ。もっとも、一章が最終章たりえる短い物語かも知れないが。
クラン・ハセは興味がないと言っていたが、やはり戦争というのは戦闘だけではない。それを思い知らされたレイ・グリームは短く息を吐きながら槍を地面に突き刺し、魔力を固形化、糸を創りだして弓を成す。そうして弓を作り、弦を張り詰めた。
この時点では本当に、例の四人の安否はわからない。
どうしようか、この攻撃が彼らの命を結果的に散らすことにならないだろうか。
小隊を説得して無理に前線に出てきた彼は、空へと弓を傾ける。
一万よりやや多い友軍を超えた先には、半径一キロに及ぶ巨大な穴がある。その向こう側に――戦闘に、豪華絢爛な鎧と外套に身を包む指揮官クラスの兵士。
――敵を目視し、座標を設定。目視した地点への強襲を決定。槍に刻まれている魔術紋様が鈍く輝き、それを受け入れる。そうして弓矢となるそれは、手を離した時点でおそらく干渉がない限り、敵を射抜くだろう。
仮にシイナが既に連絡を終えていたとしても、こういった謀反が敵を逆上させ、先の取引を台なしにしてくれる。
緊張感漂う空気の中。張り詰めた大気が肌に触れ、下腹部に鈍い痛みが走る。
迷っているのか……レイは思わぬ自身の弱さに、思わず傍らのクランに視線をやる。と、彼は腕組みをしたまま、小さく唇を動かした。『やるなら、やれ』と彼はそういった。
やると決めたのならば、さっさとやれということだ。
なるほど、クランらしい――。
レイは頷いてから、張り詰めた弦を開放し、音を立てて、赤く半透明の矢は空を舞った。