救出作戦 ③
「あの『ジャン・スティール』という少年は、何者なんだ」
扉をぶち破れば、薄ら寒くなる通路に出る。先ほどの空間は背筋が凍るような惨劇の場だったが、ここから先は実際に気温が低く空気が冷たいために、言葉のまま背筋どころかその滾る血潮さえも凍ってしまいそうだった。
一本道の通路は右に左にと、直角な曲がり角ばかりを作っていた。壁には一定の間隔で鉄格子が存在し、その向こう側には白骨した遺体や、未だ鼻腔に突き刺さる腐臭を振りまく腐乱死体などが。さらにその首や四肢に鎖を食い込ませるものばかりが目立ち、生存している者は誰一人としていないようだった。
中には錆びた斧を自らの首に当てたままの死体さえもある。それはまだ新しく、”辛うじて”性別が判然とするものであり、その奥には首を切り裂かれた三人の男女の遺体が放置されている。
たまに、薬物の臭いが凄まじく臭った牢獄があった。その鉄格子の向こう側には、壁に血で幾何学的な落書きや、文字とすらなっていない文章がところ狭しと綴られている。壁に抱きつくようにして死した男の指先は、既に第一関節までが減摩していた。
終わりの見えない地下牢獄にうんざりとしながら、ホークは寂しくなった口を慰めるためにポケットをまさぐるが――愛用の紙巻たばこを忘れてきた事を思い出し、短く舌打ちをしながら、クセのように、己を落ち着かせる為に視力を失った左目を眼帯越しに指先で撫でる。
「みんなのお気に入りさ」
「みんなの?」
「ああ、特に――現在ではアレスハイム王国最強とされている『元・第一騎士団で特攻隊長のユーリア』にな。んでその人馬は軍を統べる大臣に気に入られている。そういうことだ。彼女とは、小耳に挟んだ話によれば因縁だか怨念だか、忘れたがともかくそういうものがあるらしい」
「物騒な話だな。いずれ成長したスティールと一騎打ちでもするつもりか?」
「どうだろうな。魔法もねェ小僧にあそこまで目をかけるんだ。ただ戦闘センスはあるが、騎士向きじゃない。あの近接戦闘の才能は馬にのったり槍を振ったりするためのもんじゃねェな。傭兵とか、強盗、盗賊だとか、そういった連中のもんだ」
――アレスハイムでは騎士になるためには魔法を持つことが絶対条件とされている。そうして騎士至上主義であるためにわざわざ養成学校なんてものもあるのだが、魔法を持たぬ一人の青年にあそこまで人員を割くのは確かにおかしな話だった。
現在の特攻隊長に、わざわざ他国から呼び出した”名高い”傭兵組合の一教導団の団長、そして軍の中枢たる警ら兵を統べる隊長までも教育係に遣う有様だ。
その待遇はまるで一国の王子が如く。
だが出自は一般層よりも底辺とも言える――戦災孤児で施設育ち。辛うじて義務教育課程を終了するが、高等教育を受ける事無く鉱夫となり鉱山、炭鉱などで働き続け、やがて騎士の入試試験の受験資格の一つたる十八歳を超えた所で、アレスハイム王国へ。
少なくとも平穏とは縁のなさそうな出所ではあるが、彼は彼なりにその中で穏やかな日常を作り成長してきたのだろう。ともあれ、その事にともかく口を挟めるものなど誰もいないのだ。わざわざそれを指摘するなど、無粋以前に品性を疑われてしまう。
「一騎打ちはわからんが、それに近いことはするんじゃねェのか」
「恐ろしい国だな」
とは言うものの、ハンスはホークが冗談で言っていることはわかっているし、そうするのは彼自身答えられない――純粋にわからない――質問だったからということも理解していた。
だからこんな状況でも笑い混じりにそう返せば、
「ま、アレスハイムは特にな」
ホークは肩をすくめながら、狭い階段を駆け上がり、ハンスを先導する。
そうして足を止めて、短く、胸の奥から勢い良く息を吐き出した。
「言ッてる間に、もう出口だ。優秀な奴の辛いところだな」
――鉄の扉に近づくにつれて空気は凍り、壁には霜が張り付き、はく息は煙のように白く染まる。
やはりここは遥か北方の土地だ。
扉の先に広がる銀世界を想像しながら、ハンスは脇のホルスターから抜いた拳銃をドアノブに引っかかる南京錠に照準し、発砲。澄んだ空気に三度ばかり鋭い破裂音が響き渡った後、ほのかな硝煙の臭いを残し、南京錠は甲高い金属音を鳴らして床に落ちた。
次いでホークは扉を蹴破れば――凍える暴風が全身を嬲る。
思わずその身を抱くようにして外に踊りでれば、目に痛いくらいの眩い輝きがあった。
そこら一帯は雪原であった。
小屋ほどの大きさの建物が一つ。そこは彼らが出てきた地下牢獄の入り口だ。
辺りには何もなく、また昼間らしく燦々と降り注ぐ太陽光はその銀世界を余す事無く照らし、そして反射する輝きは思わず目を細めてしまうほどであり――。
眼前には一軒の民家。
そこは、彼らが出てきたレンガ仕立ての小屋に対して中を見せびらかすように一面を寒々しいまでのガラス張りにしていて……。
「そういうワケか――発現めろ」
ホークが嘆息混じりに、魔法を唱える。共に彼の下げる右手には、槍を摸す長い輝きが出現した。
「ディライラ。もう俺は我慢ならん。行くぞ!」
「ああ行ッちまえ! オレが全力で後方支援する――無限射程の長槍」
その民家の中には、多くの男達が居た。少なく見積もっても十人以上の野郎どもだ。十数メートル離れている、息をするだけでも鼻の粘膜が凍りついてしまいそうな空気の中でも、吐き気を催すような濃厚で醜悪な男の臭いがする。
そうして彼らが前にするのは、首元がゆるく胸元があらわになる、グレーと黒のストライプ柄のセーター姿の少女だ。彼女は床を這い、怯えた形で後退する。足を忙しなく動かしているようだが、彼女の足は、両腿の半ばから存在していなかった。
逃げられないように切断されたのか――最初はそう思った。
セーターの裾から、動く度にあらわになる桃色のシルクのショーツを見る度に、男たちは口笛を吹き、にやにやとどす黒い笑いを漏らす。
だが、どうやらそれは違うらしい。
まず切断面が綺麗過ぎる。魔術や魔法による治癒でも、あそこまできれいに皮膚は繋がらない。ならば、それは元々存在していなかったことになる。
ホークはその冷たい雪の上に身体を伏せた。長物の狙撃銃の二脚を深々と雪に突き刺すことによって安定させる。
――付属する照準器を覗き込み、そこに刻まれる十字を、今まさに毒牙と化す腕をマリー・ベルクールに伸ばす男の頭部に合わせ、
「ふぅ……」
押し殺した短い嘆息。
引き金は、慣れた手つきで弾かれた。
開かれた広大な空間に、気持ちがいいまでの破裂音が響き渡り――後数歩ばかりでガラスを突き破ろうとしていたハンスを遥かに上回る速度で、その分厚い鉄の壁さえも打ち破る徹甲弾は障子紙でも破るようにガラスを砕き、それが粉砕する音さえも置き去りにした。
直後に、その男の頭部は爆ぜたように吹き飛んだ。
顎から先が喪失し、鮮血が直角方向へと扇状に撒き散らされ、その肉体はワンテンポ遅れて転がり、その血の中に倒れこむ。むき出しになる食道から、蛇口を捻るように血が溢れて池を作り、一様に動きを止め驚愕する男たちの中に、鬼神たる憤怒の表情を携えたハンス・ベランジェは飛び込んだ。
振るう一閃が無防備な男の胸に深く突き刺さり、逆袈裟に切り裂けば心臓はことごとく破壊される。
さらに蹴りが首筋へと撃ち込まれれば頚髄を砕き、拳を作れば胸を貫通する。どれもこれもが必殺の一撃足りえるほど洗練されていて、故に彼に立ち向かえる者など誰一人として居らず――故に、彼から逃れられる者も誰一人として居なかった。
あわや慰みものになろうとしていたマリーはガラスを一身にかぶりながらも頭を抱えた形で丸くなり、動かない。
惨劇と化す民家を眺めながら、一先ず一件落着か――長槍の柄を砕くように握りつぶせば、その狙撃銃は瞬く間に霧散し魔力の塵となる。
すっかり凍えてしまった身体を起こして短く息を吐けば、民家の影から黄土色の外套を羽織る、立派な装飾の鎧を纏う一人の男があらわれた。
――民家の奥の部屋から、武装した男たちが数人現れる。が、ハンスなら何の問題も無いはずだ。
また銃を出さなければならないのか、と面倒さに思わず溜息を漏らせば、男は静かに腰から剣を抜く。
促されるように、ホークも腕を交差させるようにして二本の剣を振り抜いた。
「坊主だと思えば、どうしたことか。俺の予想ってのはこんなもんか――いや、その眼帯に、二本のフランベルジュ……まさか」
男の声が聞こえる程の距離に近づけば、失望から歓喜へと声の色が変わるのをホークは感じた。
短い金髪の坊主頭をなでつけるようにしながら、そのホークに勝つとも劣らぬ屈強な肉体を持つ男はにわかな笑顔を作ってみせた。
「傭兵組合『ブラック・オイル』教導隊のディライラさんじゃないか!」
――傭兵組合はそういった名称を掲げるために、いくら組合と言えども、組合ごとにその名称は異なりまた慣れ合うこともない。つまるところ、組合とは名ばかりの民間企業だった。
その中でもガウル帝国発祥の『ブラック・オイル』は現在世界で最も有名な傭兵組合となっており、その仕事は戦闘の代理や戦争の助っ人、また戦闘訓練を行う教導や、武器の買い付け、横流し、あるいは保管、貸出……。さらに荷物運びや護衛、さらにはお使いなど、殆ど”何でも屋”のように仕事の幅を広げており、それ故にその年商は金貨一○○億万枚を超えるという。
またその中で、戦闘を請け負う部隊は組合の八割であり、さらにその上位となる教導部隊は八割の中の一割。教導部隊はいくつかあるがやはり、戦闘訓練を行える人員の数は限られているためそう多くはなく――その中の一つの部隊を統率する男ともなれば、有名なのも仕方がない話であった。
一般人や軍関係、あるいはそういった世界の裏たりえる部分に精通しないものならば知らぬのも無理は無いことだが、一国家の騎士として、それを知る者は多い。
「悪ィな、オレはあんたの事は知らねェし――興味もねェんだ」
「いや、構わない。坊主の代理というにはあまりにもレベルが高すぎる相手だ――全力で相手をさせてもらう!」
かつて偵察兵としてジャンと対峙し、クリードと呼ばれた男は、そういった咆哮と同時にホークへと特攻した。
正直なところ、ウラド・ヴァンピールの戦闘能力はそう高いわけではなかったし、その攻撃速度は適度な肉体強化で避けられる程度のものでもあった。
が、攻撃はやはり霧散する故に当たらず、捉えても彼へのダメージになるわけではない。
「貴君!」
背後から呼び声が、狭い空間内に響き渡る。と同時にジャンは深く身を屈めれば――前方で構えた大型の自動拳銃が火を吹いた。虚空を穿つ弾丸は、その直径が13mmにもなる大型だ。思わず食らえばただではすまないだろうが……主に知略のイメージにある吸血鬼にしては、その戦術はあまりにも”おざなり”だった。
だから剣を振るえばウラドは霧散し、対面へと逃げる。ジャンはそこへと右腕を突き出せば、魔方陣が輝くその右腕は、確かにその胸ぐらを外套ごと掴んでいた。
「くッ!?」
「禁断の果実」
指はぬるりと、服を通り抜けて男の体内へと潜り込む。
――その魔術の魔方陣を刻まれた腕は、既に魔術干渉をされているとみなされ、つまり彼の右腕は魔術的存在となっているのだ。故に吸血鬼である彼はその腕による拘束は拒めず、またいくら霧や煙となろうとも、まるで実態があるように捕えられてしまう。
そして基本的には白兵戦を得意としない為に力ではジャンに勝つことが出来ず、またその強化された動体視力や運動能力から、吸血鬼による魔術はことごとく避けられてしまう。
密室ならば簡単に倒せる――そう余裕綽々だったことが仇になる。まだその領域に限りさえなければ、抗う手段もあったのだが。
指先が飲み込まれ手首までが体内に届く。そうする間に、息が詰まったように顔をしかめるウラドは腕の震えを抑えながら、ジャンの頬に長方形の箱に取っ手をつけたような拳銃を押し付けた。
「退け、下流……!」
引き金を絞れば、13mmの銀の弾丸が――先程までジャンの顔があった場所を撃ちぬいた。今では彼の顔は、既にウラドの頬に触れるか否かの距離にまで迫っていた。
彼の肉体が具現化している隙にジャンは素早くバスタードソードを男の腹部に深々と突き刺し、気がつけば確かな手応えの中で、その刃は背へと貫通し、鍔までしっかりと切り裂いていた。
ウラドは口から鮮血を吐き出し、目をうつろに、それでもまだ拳銃の引き金に指をかけ、またジャンの側頭部にそれを押し付けた。が、今度はその腹部を蹴り飛ばして剣を抜き、その切先は鮮血で尾を描き――発砲音。弾丸は幾度目ともなるように壁に叩きつけられ、ジャンを捉えることができない。
そうして引きぬかれたジャンの右手には、確かな”リンゴ”の形をする果実が握られていた。
迷わず齧れば、瑞々しい果実が果汁を迸らせて溢れ始める。が、それが血溜まりに垂れて波紋を作るよりも早く、また口腔内で咀嚼され嚥下されるよりも早く、その全ては魔力となり霧散した。
「し、知っているぞ……貴君。それは、禁呪だ……怒りにかまけて理性を失ったな。あるいは、単純に使いこなせていないか……ふ、ククク――だから言ったろう、無知とは恐ろしく、愚かしいことだ、と」
男は苦しそうに言葉を紡ぎながら、その間に吐血する。
実体化した際の傷は霧散しても戻らないらしく、男は壁に身体を打ち付けて支えにして、その手を患部に当てて回復魔術をかけるが、ジャンの鋭い視線がそれを許さない。
――いつも通り、身体から魔力が、あの高揚感が溢れ出す……事はなかった。
この右腕は強制的に相手の魔法を奪えるものだとばかり思っていた。だから、実際にそうしてみたのだ。事実、取り出した果実の反応はそれまでと同様だったのだが――どくん、と胸が大きく高鳴った。
それをきっかけにしたように、頭の中心からじわりと鈍い痛みが溢れ出し、すると共に脳みそを鷲掴みされているような不快感と、堪え切れぬ激痛が襲いかかった。
記憶が過る。
嬉々として己が少女を解体する映像。
嬉しそうに高笑いしながら首をナタで切断し、机に並べる映像。
牢獄で男を犯す男を撃ち殺し、安堵し泣きながらすがってくる男に、さらなる屈強な同性愛者たちを複数人差し入れた映像。無論、女性の場合などはその倍以上の数がある。
悪夢だった。
その中に、圧倒的に数が少ないものの、網膜に焼き付くように残像を残すものがある。
それは己が膝まずき、敬愛する誰かに深々と頭を垂らしているものだ。おそらくは主人たる者なのだろう。
が――生首やこの濃厚な血の臭いに嘔吐したジャンに、それが耐えられるはずなど無い。
気がつけばその身体は膝まずき、両手で頭を抑えて、その頭は半分ほど血溜まりの中に浸っていた。
「ク、ははッ! 愚者を見下すのはやはり良い! 知恵の実の味はどうだったかね? はははッ!」
それまでの鬱憤を晴らすように、ウラドはその革靴の底でジャンの頭を踏みつける。そうした後に身を弾ませて、恐る恐る屈んでから血溜まりの中に沈むバスタードソードを取り上げて、出口の向こう側に放り投げた。
「ち、知恵……?」
ジャンの消え入りそうな声を高らかな笑いでかき消しながら、男は告げる。
「そうだとも、貴君は知らなかったのかね? 知恵の実は知恵を授ける。貴君が口にしたのは私の記憶だ。無論、その中に私の息の根を止めるヒントさえもあったはずだが……どうやら他人の記憶は肌に合わないらしい」
そして、とウラドはこの上なく楽しそうな笑顔を作った。
「先ほどの弾丸で、五芒星は完成した」
指を鳴らせば、空間に五芒星が浮かび上がる。そうすると同時に、床からも小難しい魔法文字が刻まれた魔方陣が展開する。その中心点に、跪いたジャンが位置した。
「身体能力のみで驕り、圧倒していると錯覚したがための誤算。愚かしい、脳筋にありがちな敗北だ――我が記憶を噛み締めながら、地獄の怨嗟に飲み込まれるが良い」
「……っ! ウラド・ヴァ――」
彼の名を呼ぶより早く、彼のつま先がジャンの顔面を蹴り飛ばす。声は言葉にならず、ただ息だけを吐き出してジャンは大きくのけぞった。
地面には深淵たる穴が空き、飲まれるというよりは落ちる彼は、ウラドの空間に響き渡る笑い声をききながら――紡ぐ。
「天駆ける馬の翼よ、空間を統べる者よ、我が声を聞き、我が言葉に耳を傾け、我に力を貸し給え――変則転移っ!」
肉体が輝きを放つ。
下から風が起こっているのか、己が大気を乱して風を起こしているのか定かではない。吐き気がするほどの浮遊感が全身にまとわりついた。だがそれも、さほど気になりはしない。
詠唱したのは、マリーから与えられた魔術書に刻まれた一節だ。魔術刻印を刻んでは居ないし、魔方陣もない。故にそれらの代わりを為して世界と繋がり魔術を発動させてくれるのが言葉だ。だからこそ大気中の魔力が反応してジャンを包み、その肉体自体が光っているような錯覚をもたらした。
そうした直後、臓腑が全て浮かび上がるような気色の悪い感覚は消え失せて――血で湿る床の上に、ジャンは無防備な体勢で叩きつけられた。
「……ふぅ、はぁ……」
血は、砕かれた机は、飛び散っていた死体の一部はジャンが飲まれかけた穴の中に全て落ちてしまった。
あのウラド・ヴァンピールも同様だ。己が作り出した穴に飲み込まれていった。
「……勝負には、負けたよ」
ジャンは己の不甲斐なさを嘆くように、魔方陣の輝きが失せた右腕を力いっぱい床に叩きつけた。
――あの魔術は『何かと何かを入れ替える』ものだ。今回はジャン・スティールとウラド・ヴァンピールを入れ替えた。位置関係はそのままであり、故にジャンは彼が居た場所に、彼はジャンが居た場所に移り変わる。無論その指定は術者によるものだから相手の承認など不要であり、ウラドは未だ理解不能なうちに絶命しているかもしれない。
「試合には、勝ったけどな……」
ジャンは酷く居心地が悪くなりながら、息を吐き出した。
――今回は完敗だ。
ウラドが言うとおり、自分が敵を圧倒しているという事に酔っていたのかも知れない。だから相手が無駄だと知っていながら撃ち続ける銃に疑問を抱けず、またいつもと形状が違い、引き出し方も違う『果実』に不信感を覚えられなかった。
記憶は魔術の発動を停止したと同時に消え去り、今では何に対して苦しんでいたかもわからないが……ともかく、今回の勝利は幸運他ならない。つまり負けたと同義だ。
純粋に喜べぬ勝利に、また自分には決して無いと思っていた驕りに、彼は少しばかりの間呆然として――遠くの方からけたたましい銃声が三度ばかり続いた所で、身体を起こし、先を行った二人の後を追うように歩き出した。
無気力そのものだが、今はそんな感傷に浸っている暇はない。
そういった唯一の目的が身体を駆り、有り余る体力がそれを実行した。
「……ありがとよ、吸血鬼」
今回は良い体験になった。
この気分が戻ることは当分後のことだろうが――これでまた、成長できる。
ジャンは力なくそう告げると、床に転がるバスタードソードを拾い上げて鞘に収めた。