新たなる日常
もう十月も残り数日と言う所で、ジャン・スティールは修道院を無事退院した。嵐の過ぎたような修道院にはもう定期的に来てくれる患者くらいしか居ないために、各々はにわかな思い出話を語るように雑談を交わしていた。
ジャンは憲兵、騎士団の訓練に合流するだとか言って街の外に連れていかれたから、もしかしたらまた暫くして戻ってくるかも知れない――期待と言うわけではないし、彼の怪我を望んでいるわけではないが、明かりが消えてしまったような本来日常的であった静けさが不自然に感じられ始めた折に、訪問者があった。
「わ、私をここで働かせてくださいっ!」
サニー・ベルガモットはそうして、ジャンの知らぬところで決意し、成長し、己の道を歩き始めた。
ジャンがスミスに連れられるままに外に出れば、そこには見慣れた褐色肌に露出度の高い服装のボーアと、袖に爪を備える外套を羽織るラァビの姿があった。加えて傭兵団の隊長たるホークに――現、騎士団特攻隊長である鬼族のシイナというそうそうたる顔ぶれに、ジャンは思わずたじろいだ。
「騎士団、及び警ら兵の主な訓練は我々が引き受けます。今日付けで傭兵見習いとなる彼に、皆さんは稽古をつけてください」
――ボーアとラァビはギルドの請負から、ホークは傭兵団の責任者として、そしてシイナは今後の紛争で戦力となる彼の実力を見守るため。そういったでっちあげた理由のもとで、あらゆる実力者が彼を鍛え上げようとしていた。
不安気にスミスをみやれば、彼は終始穏やかな笑顔で、ジャンの肩をぽん、と叩く。
「大丈夫ですよ、怪我は完治していますし」
結局”あれ”から二ヶ月ほどが経過したのだ。筋肉の断裂はもちろん、その後の深い切創なども治らぬはずがない。しかし見当違いな励まし方にジャンは肩を落とさずには居られず、
「――おおい、俺は遅刻か?」
背後からかかる声に振り返れば、そこには頭を丸めた巨漢が居て、それが警ら兵の総隊長である事を思い出すのに、少しだけ時間が必要だった。
そうして、ジャン・スティールの地獄が生ぬるく感じる悪夢の日々は、果たして開始したのである。
「だっ……から、てめぇ!」
振り下ろされた剣を頭上で受け止めたと言うのにも関わらず、常軌を逸する暴力がその構えを破壊してジャンを背後に吹き飛ばした。木剣がその半ばから悲鳴を上げるように亀裂をいれて、だというのに目の前の丸坊主の男、エミリオはさらなる追撃をかけようと下方から袈裟に切り上げんとしていた。
「”いなせ”って言ってんだろうがッ!」
「くそっ!」
まさに猛威。一撃一撃が嵐が如き暴力であり――対応。言われたとおりに肩肘から緊張の力を抜いて構え、振り上げられる木剣を一度受け止めてから、軌道を逸らすように上方へ流す。だが安心する暇もなく、勢いを腕力でねじ伏せるエミリオの第三撃が間髪おかずに降り注ぐ。そこに時間差なんてものは存在せず、まさに刹那の時間だけが空けられる。
咆哮を上げる暇もない。
全身の筋力を全力で稼働させ、”本来ならば”既に離れている筈のその地面を蹴り飛ばして……前進。腰の位置で力を溜めるように構えた剣を突き出して、振り下ろされる木剣を握る手元を狙う。
――肉体強化がなされていない身体が故に、行動にはまず思考が優先される。だからこそ今までしてきた本能的な動きは失われていて、より効率的でより生産的な行動のみが許される。ゆえにその行動は彼にとって行われない筈であるものであり、また肉体強化がなされていれば当然としてジャンはそこに存在していないはずだった。
だから、この流れはジャンにとっても初めてであり、故に、
「なまっちょろいわァッ!」
剣を握る指先だけの力で切先を掴まれ、絡みつかれて木剣の動きがとれなくなるなんて常軌を逸した行為は当然として初めての体験であり、行動自体が失敗につながっても仕方が無いことではあった。
有意義であり生産的であるのは、己にとって未知である事を知り、身につけること。近接戦闘を主とするジャンならば、得手不得手以前に基本的な行動からその理念を理解し、己に合わせてそれを再構築する力が必要になる。
果たして剣は振り下ろされずに、瞬間的閃きによって素早く後退し始めるジャンの腹部に蹴りが叩きこまれた。
地面に力強く踏み込んで摩擦、ブレーキとして勢いを殺す。そして目の前から再びエミリオが迫ってくるのに対して、背後から強烈な殺気混じりの気配を感じ取った。
無言の襲撃。ジャンは背筋が凍えつく思いで転げるようにしてその場から退避すれば、直後に彼が居た大地に何かが落ちてきて――大地が揺れるほどの衝撃と共に、その地面に拳を突き刺すボーアの姿があった。
今回の訓練はより実戦に近い形を再現するために、バトルロイヤル形式の戦闘となっている。最も、現在では明らかなまでに一対五という不条理極まりなく、また勝利できるはずもない状況では、やはり勝利が優先されるというわけではない。
求められるのは、彼がこの現状でどのように生き残り、どれほどの時間を生き延びることが出来るのか。
環境は障害物のない平原であり、それ故に交戦中以外の者は己がいつ出るか、そのタイミングを図っている。その為にジャンの休憩時間はなく、緊張と恐怖と、そして随時消耗される体力、加えて瞬間的な判断や論理的な思考がその肉体を蝕んでいた。
さらに、手加減しているせいか――三時間もぶっつづけでやれば、いずれは限界が来る。常に全力での機動を行い、さらに隙を見ては攻撃に移るのだから、実力は別にして割合で考えればプロだとしても、それはかなり無茶とも言える訓練だった。
彼がなまじ実力があって経験もある程度備えているアマチュアならばなおさらだ。
それ故に、その対峙の際のさじ加減が上手く出来ずに、本気で食ってかかる者が居るのも、また彼を苦しめる要因の一つだった。
「違う! もっと細かく動くのよッ!」
振り上げる、という予備動作を失くした拳は鋭い突きの連撃となってジャンに襲いかかる。彼は振り抜かれる瞬間を視覚で理解し、予測し、回避行動へと移す。共に攻撃後の隙を狙い剣を薙ぐが、彼女の高速機動が刹那の攻防を可能としていた。
振り薙いだ剣を、適切な後退で腹部にかするか否かの距離でやりすごす。そうして退いた反動を利用してジャンに飛び込み、即座に応酬。変幻自在たりえる高速の拳がジャンの顔面を穿とうとして、脊髄反射とも言える早さで首を逸らし、紙一重で避けてみせる。が、それを予期した左拳がその位置に飛来した。
ジャンはすかさず剣を振るって牽制するが――刹那、彼女の姿が消え失せた。眼前から、その影が上方へと伸びる残像だけを見せて消失したのだ。
ただでさえ疲弊故にあがる顎は、そのまま顔を上を向かせる。と、そこには太陽を隠す人影があって……そこから伸びる鋭い蹴りが、ジャンの首を掬い上げるように蹴り飛ばし、負担を相殺するためにジャンが攻撃方向へと飛び退けばその身体は勢い良く吹き飛んだ風となる。
木剣を地面に突き刺して、そこに全体重を掛けて吹き飛んだ勢いを止める。
すると未だ前方から襲いかかってくるボーアの姿があり、そこに並ぶ紅い影は、ジャンには悪魔に見えて仕方がなかった。
「だから、最低限一対一にしてくれって――」
息も絶え絶えに剣を引き抜く。すると半ばからぼっきりと逝ってしまった木剣は、為す術もなく半分以下の長さになってジャンの手の中に収まり、そして構えられた。道具もこんな姿になってまでも扱われるとはジャン様様と言ったところだろうが、彼の選択は勇気や蛮勇などといったものに類することはなく、飽くまでがむしゃら、やけくそといったそれだった。
腰を落とし、やや前屈姿勢に上肢を崩す。伸ばした右手は快調なまでに神経を鋭敏にし、あのしびれなど忘れ去ったように指先に触れたささくれだつ木剣に触れ、さらにその刃を掴み上げる。
そこから、ぎこちないながらもホークから教わったにわか仕込みの二刀流が開始される。もっとも、間合いは限りなく狭められているために、教わったものすら活用できぬ可能性さえあるが。
「言ってるだろうがっ!」
眼前から左右に別れた二つの影が、弧を描くような遠回りをしてから、ジャンの左右へと真っ直ぐ肉薄した。
振り下ろされる剣に、突き出される拳。挟み撃ちをされるジャンは、視界の端で捉えたその行動に対して忠実なまでに対応した。
正直な所退いて、彼女らが自滅するのを促すこともできたが、もしそれを狙っていたのだとしたら。そう考えられたし、何よりも出来ることをやらずに退くという選択をするのは、酷く癪に触ったのだ。
故に――拳が、あるいは剣が刃に触れて、凄まじい衝撃が手首ごと弾き飛ばそうとする。ジャンはすかさず構えを解いて力の奔流に逆らわず、流れのままに手首を捻り足を捌いて立ちまわる。すると彼女らは、滑らかなまでにいなされ、彼の背後へと軌道を逸された。
両手に鈍い痺れ。さすがに近接戦闘特化の二名による直接打撃を受けて無事で済むはずがないが――手加減をしているおかげであるからこそ、その程度で済んでいた。
ジャンは即座に前方へと転がるようにして避ければ、頭上に脚、あるいは剣が飛び出る。
立ち直り、腰を落とした体勢で振り返れば――その場からすぐさま飛び退く二人の姿。そしてその前方から仲良く走り寄ってくる、二つの姿。
両手に構えた拳銃が火を吹き――立ち上がらんとしていた足元の地面が爆ぜたように土を巻き上げた。
地団駄を踏むようにジャンは慌てて飛来する鉛の弾を避けようとして、それを許さぬようにいよいよ目の前から迫った一つの影が腕をふるう。そうすれば、対処せんと立ち直るより早く胸元に一閃が走り、その外套の袖から滑り出た三本の鉤爪が器用に衣服だけを切り裂いた。
さらに滑らかな足取りで彼女は背を向け、そして気がつけば向き直る最中へと動きは代わり……振り向きざまの裏拳が、ジャンの側頭部はもちろんその顔面へと直撃した。
幻惑とさえ思える踊るような動き。されど、それに魅了される暇もない殴打がジャンの足取りを朧気なものへと変えて――。
そして不意に、足元が掬われたかと思えば、世界が反転。身体が地面にたたきつけられ、何がなんだか理解できぬままに衝撃の渦に飲み込まれる。
「第一回バトルロイヤル第一脱落者――ジャン・スティール。今回はこんなモンか」
倒れこんだジャンの額には、冷たい無機質な感触が伝わった。それが拳銃の銃口だと理解するよりも早く、ホークの無情なまでの台詞はごく単調に、訓練の終了を告げていた。
「正直な所、思ったより中々やるってトコ。そりゃ私とか、第一騎士団レベルじゃないけど――主戦力程度の力はあるんじゃないの?」
シイナは藍色に染まりはじめた空を眺めながら、両手を頭の後ろに回してそう評価する。
続けて、ラァビも喜色混じりにジャンの肩を抱き、口の端から零れた酒を拭いながら口にした。
「夏休みよりもずっと強くなってるわよ」
「ああ、確かに魔術ナシだから全然かと思ったんだけど……自己評価がかなり低めなんじゃないか? ねえ、ジャン?」
続けて、その横についたボーアが訊く。そんな質問に、どう答えれば良いのかと詰まっていると、シイナと共に先を行くエミリオは振り向きさえせずに頷いた。
「それに、アドバイスすればすぐに自分のものにする。まったく、こんな優秀な部下が俺ンとこにもいたらなぁ」
「オイオイてめェら、このガキあんま褒めてっと、つけあがって調子こくぞ? お前らは甘々で、アメの割合が多すぎんだよ」
「じゃあディライラ、あんたはどうだってのよ?」
ラァビが流し見るように、しんがりを努めるホークへと問う。
彼は得意げに鼻を鳴らして、外套を翻して腕を組んだ。
「頭だけで考えるんじゃねェ。全身で思考するんだ。知識を細胞に引き落として、反射的に適切な行動がとれるようにする。コレだろ」
「……あんたって、そういうの好きだよなあ?」
妙なまでに理屈や論理を引き出そうとするホークに、思わずジャンは呆れたように声を上げた。
「ったりめェだろが。本能で戦う奴なんざ獣か馬鹿のどっちかだ。思考を放棄して戦うことなら誰でも出来る。だが考えたから、自分で判断したからこそオレたちゃこうやって強さを認められてんのさ。どれほど身体能力が優れていようと、関係ねェの。問題はココだよ、ココ」
彼は機嫌がよさそうに指先で頭をつついてから、
「オレたち傭兵は筋肉バカだって偏見を持たれがちだけどよ、馬鹿じゃこの家業は務まらねェ。擁護するってわけじゃねェが、少なくとも鍛えるにあたっててめェに馬鹿にされんのだけはムカつくから、言っておくぜ」
また機嫌がよさそうに微笑んだ。
それを受けて影響されたのか、シイナは横目にジャンを見ながらそれに続く。
「ま、でもホークの言葉は正しいよ。特攻隊長だって、一点突破の力さえあればいいってわけじゃないし。学校では二年で使い物にしようとしているから、今君が基本的なことを知らなくても仕方が無いことだが――これから君が覚えることは、している事と出来る事を理解して、出来る事を身につける。出来ることはそれで拡大するのよ。んで、それが君の潜在能力……というと大げさだけど、君がこれから学び得るはずだったモノを短期間で叩きこむって事」
なんでもないように彼女は言うが、最長で約二ヶ月の期間がある。この時間で、彼が一年半の刻を利用して身につけようとしていることを、覚えさせるということだ。
ジャンはそれがあまりにも途方も無い事すぎて衝撃はおろか、疲弊した頭は既にそれを話半分で聴き始めていた。が、決して聞き流すわけではなく、言葉はなぜだか、胸の奥に突き刺さったように、鼓膜に張り付いたように残り、高揚感を得た。
ただ一人の青年のために、多くの者が手を貸してくれる。
今までではありえなかった事だ。そしてどこの馬の骨とも知れぬ、この青年に騎士団はもちろん、傭兵団の隊長さえも力を貸していた。
まったくわけがわからないことだが――ここまでされて、期待に応えぬ不孝者では無かった。
完全に期待に応えられるわけではないが、彼らがこれほどまで力を認めてくれているならば、今はそれを全力で伸ばすだけだ。そう、今はただ前だけを向いていれば良い。将来なんてあさっての方向は今は関係ないのだ。
「おれ、がんばりますよ」
そう言えば、後ろから力いっぱい尻を蹴り上げられた。
「ったりめェだろうがよ!」
「そうだそうだ、俺も仕事があるから毎日来れるわけじゃあ無いが、極力手伝ってやる。だから憲兵をあんま消耗させないくらい、強くなってくれよな!」
「ま、ジャンなりの速さでね」
「困ったときはお互い様。今度はあたしの番ってこと」
「――そう、強くなって、”あの娘”に追いつかなくちゃだしね」
「……あの娘?」
激励に胸を打たれて思わず目頭を熱くしていた所に、シイナのそんな台詞が疑問を浮上させる。
あの娘って誰だ。
サニーか? いや、サニー自体が既に弓の腕がかなり上達しているからそれはないだろう。ならば他には……いかん、わからん。
彼が首を捻って、シイナに応えを求めるが、彼女は片目を瞑って首を振る。
「ひみつ。というか、言ったら彼女に殺されるから」
空を覆っていた藍色は西の空へと追い込まれていて、空はすっかり濃厚な紺色に飲み込まれていた。澄んだ空には煌びやかな星が散らされていて、見つめていれば、己がどれほど矮小な存在なのかを徹底的に思い知らされてしまう。
そしてごく自然的に旅愁に駆られるのだが、そんな情緒的な反応が気に入らなかったのか、口に強引なまでにねじ込まれたウィスキーボトルが苦手なウォッカの、あの独特な香味が鼻から抜けて――共に、鉄の味が口の中に広がった。無理やり押し込まれたせいで口の中を切ってしまったのだ。
「っだあ! ラァビさん、やめてください!」
手を払って、肩にかける腕をどける。彼女はしかめっ面でジャンを睨んでから、無言のまま再びボトルを口に押し込んだ。
「うっさいのよ! 仕事の後は酒! これ鉄則よ! これでジャンの訓練に付き合うだけで日給金貨一枚だし、言うことないわね!」
「はははッ、話の分かる獣人だな。その酒、オレも付き合うぜ」
「ちょッ、ならあたしも!」
かくして街についた三名は嫌がるジャンを巻き込んで冒険者ギルドへと足を向けて――。
それを見守るシイナ、エミリオは脱力したように肩を落として息を吐いた。
「いいわね、暇な人たちって」
「まったくだ」
彼らはこれから残された事務仕事を片付けなくてはならない。部下ある程度任せた部分はあるのだが、最終的な確認をしなければならない立場である両者は、どうあがいてもその仕事を避けることは出来なかった。
また、気楽な四名が過ぎ去った路地へと再び視線を送ってから、また嘆息。
考えても仕方ないさ、とエミリオに肩を叩かれて、両者はいい加減に夜の帳が落とされた街路を静かに歩んでいった。




