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ラッキースケベ

 自身の悲鳴と共に目覚めてみれば、ふさがり始めた傷を覆う包帯や衣服は汗でぐっしょりと濡れていて、酷く不快な状態になっていた。何の夢を見ていたのか、上肢を起こして考えてみたが思い出せない。どちらにせよ、思い出せないのならば大したものではないのだろう。

「どうせ夢だし」

 鬱陶しそうにシャツを脱ぎ捨てて包帯を外し、そうしてシャツを着る。縫糸がまだ患部から抜けてはいないが、こっそりシャワーを浴びるくらいはいいだろう。

 窓の外は未だ闇に包まれていて、それが早朝の暗さなのか深夜のそれなのか判然としない。

「ま、別に関係ないか」

 明日、あるいは今日はもう土曜日だが、当分は学校に行けず、また行くつもりもないジャンには関係のない話である。

 彼は胸いっぱいに息を吸い込んで立ち上がると、溜息混じりに肩を落として病室を後にした。


 廊下の壁に一定の間隔で備えられる燭台には、燭台らしくろうそくに火を灯しているわけではなかった。そこには魔石を置き、魔術を利用して電灯に使用しているのだ。故にろうそくなどよりも明るく、廊下はまるで昼間ほどの輝度を保っている。

 人気がないところを見るとやはり深夜か――考えながら、病室が並ぶ廊下を裸足でぺたぺたと歩き続けて、病棟と呼ばれる区画を抜ける。

 その先は修道女の休憩室や、簡単な会議室、そしてリネン室に洗濯場、共にトイレや簡易シャワー室が設えてある。彼女らは寮住まいであり、また寮はここからやや離れた敷地内の端に追いやられているから、居るのは夜勤担当の二、三人だけだ。

 よって、誰かがシャワー室を利用しているはずがない。

 確固たる自信と、ホークから与えられた論理的に思考するというヒントから導きだされた答えはそれであり、またおそらく揺るぎようのない事実であると思われた。

 だからシャワー室という白いプレートが貼りつけられている扉のドアノブを、迷うこと無くひねったのである。

 ――途端に吹き出る、水気をたっぷり吸い込んだ空気の奔流。白く濁る湯気はそれ故に暖かく、明るい室内にもやをかけた。

 そして目の前には影があるのを認識する。片足を上げて、両手に持った何かにその足先を通そうと奮闘する姿だ。思わず頑張れ、と応援したくなるが、次に気づいたのはその身体が何も見につけていないことである。

 たわやかな胸……は存在せず、膨らみかけのそれが腿に押し付けられて形を歪める。だというのに少女らしい足はどうにも肉付きが良く色っぽい上に、やや赤らんだ全身からは色気が溢れ出していた。くすんだ金髪は頭の後ろで一括りにされていて、水気を含んだやわらかな髪は背中から横腹にかけて張り付いている。

 そして足を上げているために、局部はにわかにあらわになっていて、そのもやの中でもジャンの寝ぼけ眼は少女らしいそれを認識した。

「なんだ」

 故に、その幼いという情報からこの修道院に居る女性の中で該当する者が、すぐさま脳裏によぎった。

「クリスか」

 つかつかと、片足に桃色の可愛らしい絹のショーツを引っ掛けたまま歩み寄れば、それ故にたわやかと言うものとは縁遠い小さな双丘が揺れることすら忘れて彼女の胸に張り付いた。

 やがて近づけばそんな掛け声と共に突き出された二本の指が、ジャンの眼球に突き刺さる。

「せいッ!」

「目がっ!」

「ばかっ! スティールさんのばかっ! ばかばかっ!」

 さらにショーツをひっかけた足を胸に引きつけて力を溜め、脚力を開放すれば踵が鋭く水月を穿つ。両手で目を保護していたために無論防御など出来るはずもなく、彼は為す術もなく後方に吹き飛ばされた。

 ジャンはその網膜に焼き付けたあらゆるアングルからの少女の裸体を、走馬灯よろしくよぎらせながら――壁に後頭部を叩きつけ、二度寝へと洒落込んだ。


 ジャン・スティールは囲まれていた。

 屈強な、警棒をにぎる男たちがニヤニタした笑みを浮かべながらこの肢体を眺めているわけではなく。ごく薄着といえる女性たちが、呆れた顔で椅子に座り足を組み、あるいは腰に手をやり、あるいは壁を背にして座り込んだジャンの対面に屈んで睨みつけているなどの様相だ。

 紅いキャミソール姿のクリスに、黒いベビードールにガーターベルトのどこか娼婦然とした格好の担当医。もう一人は修道服姿ということは、彼女ら二人はこれから仮眠につくところだったのだろう。

「だから言っているでしょう、おれは純粋にシャワーを浴びたかっただけで、あわよくばシャワーを浴びているあなた達に出くわさないかなんて青少年にはありがちな邪な考えにたぶらかされたわけでも、そんな淡い期待に駆られたわけでもないんです」

 彼は決して墓穴を掘っているつもりは無かったが、その台詞の当然の帰結として彼が本来持っていた説得力や信頼というものは瞬く間に霧散していった。

 汗が引いてきたせいもあって、いくらか肌寒くなってくる。遥か南方の国だからこの季節でもまだ暑いほうなのだが、やはり夜更けともなると気温はぐんと下がってくる。

 十月も半ばだから仕方のないことだ。

 ジャンは自己主張する己の分身を、やや前屈みになることで隠蔽しながら論弁を続ける。

「冗談はやめてください。なぜおれがそんな不純な動機で動かなければならないんです。おれがあなたたちにそんな好意を持っていたならば、ごく自然的に事が動くよう努力します。おれだって男だ!」

 目の前のクリスの半眼は、まとわりつくような視線を流し続けている。

 弁解も済んだ所で彼女に構ってやろうと声を掛けた。

「なんだよ」

「スティールさんのどスケベ!」

「おいおれの話聞いてなかったろ!」

「べらべら口が回りすぎ! 絶対考えてきたんだよ! ね! だよね!」

 キャミソールが身体に張り付き、立ち上がればそのスタイルを浮き立たせる。ギン、と一層力強く吠える己を無表情で押さえつけながら、事の成り行きを見守った。

 その言葉に修道服の女性”コレット”は困ったような笑みを浮かべ、またスケスケのベビードールにガーターベルトという、殆ど裸の格好をしている彼女”レイラ”は艶やかな黒髪をかきあげながら、短く息を吐いた。

「つまり」

 と口を開くのはレイラの方だった。足を組み、テーブルに肘をついて手の平に顎を乗せた彼女は、気怠げに続ける。

「相手をして欲しいんでしょう」

「な、なんの!?」

 クリスがいかにも動揺したように声を上げる。レイラはごく冷静に、言い方を変えれば、と続けた。

「構って欲しいのよね?」

 ジャンは毅然とした態度で頷いた。

 この状況をやり過ごす、もとい突破するにはこれに乗るしかないと判断する。

「その通りです」

 そうして立ち上がり、諸手を広げる。そんな折に股間に奇妙なまでの違和感と窮屈さを覚えて視線を下に向ければ、また己の本能、もとい煩悩たる部分もタチ上がっていた。

「ホークに打ち負かされた事があまりにも衝撃的すぎて、一人では寂しかったんですよ」

 屹立とする我が相棒。

 飽くまで毅然とするジャンの姿は、それにあいまって最早変態と形容するべく現れた男のようなものになっていた。

 そして襲いかかる、軽蔑したような視線に、どこに目を向ければよいかわからずに瞳を見つめてくるもの、そして好奇心に満ちて相棒を凝視するもの。

 ジャンはそれにうろたえて退避を試みようとするが、体はすぐ壁にぶつかった。

 ドン詰まり――まさかここで毒牙にかかるのか。確か修道女は患者のわがままやその過酷な勤務体制から酷くストレスが溜まっていると良く聞く。まさか、こんな所で彼女らのストレス発散に付き合わされて”散らす”のか――。

 そんな事を考えていると、ふとレイラから酒瓶を投げられた。それを胸で受け止め痛みに喘ぎながら、手に取り、凝視する。

 それは飲みかけのぶどう酒だった。

「さすがにいかがわしいことはできないから、それで機能不全させなさい。それと私たちに付き合うのよ」

「えっ、あの……夜廻りは?」

「患者がここに居れば問題ないでしょう? 他には誰も居ないわけだし――いいわね?」

 レイラの不敵な笑みに、コレットは大きなあくびを噛み殺しながら頷く。夜中の巡回を免れたらしいクリスは、純粋にその事実だけを喜んで……。


「ていうかさー、ただ酒癖が悪いだけでこんな美人さんを逃すってわけわかんなくない? ありえなくない? なくなくない?」

 地べたに座り込むジャンの膝に腰を掛けたレイラは、肩を組んでそのたわやかで豊満でたわわに実る豊乳をジャンの頬に押し付けながら愚痴を饒舌に垂れ流す。

 クリスは情操教育上よろしくないとの事で眠りに付いているが、すぐ傍らで座り肩に頭を乗せて、コップにぶどう酒を並々と注いだまま眠ってしまったコレットは、眠りにつく前までは穏やかな見た目とは裏腹にノリノリだった事に衝撃を受けていた。

「いやー、酒癖って結構アレじゃないですか。どんな美人でも中身クズだったらアレじゃないですか」

 またジャンも三杯目になるぶどう酒で言語のリミッターが解放されているせいか、普段なら心の内でとどめている言葉がすらすらと漏れてしまう。

「あー? ふざけんじゃないわよ! 私の絶技魅せつけるわよ!」

「修道女のくせに」

「……そうよ!」

 彼女は何かを思いついたように、握ったままの酒瓶をそのままに腕を天高く突き上げた。

「そうなのよ! 美人だけど酒癖が悪くて、さらに処女ってトコで”重い”って思われんのよね! 分かった、今分かった! あんた偉い!」

 ご褒美よ、と言って彼女の酒に濡れた艶やかな唇が、喉の奥から吐き出される生温かい酒気混じりの呼気と共に頬に押し付けられた。やわらかな皮膚が少しだけ濡れて、幸福な感触を与えてくれる。僅かに頬が紅潮するが、既に酒がめぐったせいの上気した顔には特に目立った変化はない。

 レイラは何事もなかったかのように酒瓶へと手を伸ばし、その瓶を逆さにして直接口をつけた。

「っはあー! もう二六よ? あたしより小さい頃から頑張ってる元特攻隊長さんだって二四なのにさ。やっぱ女って、二五を超えると変わるもんよ? しかもあたしヒトだし! ケンタウロスで二四でかなりひよっこじゃない!? うらやましッ!」

「恋愛に歳はあんま関係ないですよ。でも、子供欲しいなら早めに生んだほうがいいとは思いますけど」

「もーさー、君って空気よめないとか言われない? 普通さ、その後半入れないでしょう?」

「事実です」

「じゃあ君、私と付き合ってくれる?」

「いやあ……ははっ!」

「うー!」

 酒乱とまでは行かぬ彼女は、膝の上で両手を振り回して好き放題に暴れて回る。空になった酒瓶はそこらへんを転がり、ジャンの肩をたたき、また抱き寄せ、その顔を意図的に胸に押し付ける。が、アルコールのせいで相棒の反応は鈍かった。

「いや、まだ二十歳前ですし? 大人の階段絶賛上昇中ですし!」

「言い訳が多いのよ! だっからモテないの! せっかくいい男なのに……実際、彼女とかいた事ないの?」

 腕を腰に回し、頭と頭を沿わすように首を傾ける。たれてくる髪からほのかな石鹸の香りが、酒とは対照的に控えめに漂ってくる。そんな女性らしい一面に胸が高鳴って、それがきっかけになったのか――頭の芯が、どうしようもなく熱くなって、緊張してしまう。

「いや、ないっすね。元々鉱夫で、そんな時間も無かったですし」

「甘えね。娼婦くらい呼べるでしょう?」

「サニーが居る宿なんかに呼べませんよ。他の連中は売春宿とかには行ってたみたいですけど」

「でも、興味はあったってわけね?」

「ビビリなんで、行動には移せませんでしたが」

「その気がないだけでしょ?」

「ま、今の自分には贅沢過ぎるって勝手に決めつけちゃって、自然と自分から離してたって事実はあります」

 コレットが握ったままだったコップを奪い取り、その半分ほどを一気に飲み下してから頷いた。

 ジャンは倣うように、もう半分もないぶどう酒を全て飲み干し、空になったそれを床に置きながら続ける。

「今も、自分のことで精一杯で、未熟だし、恋愛なんてって考えてますけどね。でもそんな理由、自分で論破できちゃうくらい拙いし」

「言い訳だって自分で分かってるわけね」

 首肯。

 どこかカウンセリングじみて来ていることを自覚しながらも、彼は彼の胸の中に渦巻く何かを吐き出さずには居られなかった。

「だからせめて、強くなろうと頑張ってたんですよ。魔法がなくたって、リハビリのお陰で精神は保たれてたんです。でも、まだ完治してないって言い訳しても無駄なほど完敗しちゃって……それに、肉体強化をしてたから――これが無かったら、おれはどのくらい弱くなるのかなって」

 おそらく、学校の連中に辛うじてついていけるレベルではないか。

 これまでは肉体強化によってどこか優越感すら覚えていたが、それがどれほど滑稽な姿だったかを理解する。

「自信が無くなっちゃって」

「そう、不器用なのね」

「イヤ、むしろ器用にそれを如何に周囲に伝えないかを――」

「――違うわよ、バカ」

 レイラが無防備に両手を広げる。殆どあらわになっている胸をそのままに、彼女はそこへと促した。

 確かに彼女は酒乱だし、愚痴は垂れるわ暴力を振るうわで中々に酷い。美人だが、そういったガサツな点が大きくマイナスされるらしい。

 しかしそんな彼女には確かな母性があった。それらを覆い隠せる、誰かを守り支える強さがあった。

 ジャンは吸い込まれるように彼女に抱きつき、両手を背中に回す。レイラは拒否することも抵抗することもなく、彼を優しく抱擁した。

「人と人とは助けあって生きていくものなのよ。困ったら誰かに助けてもらえば良い。その代わりに、困っている人がいれば助けてあげればいい。君は、人に甘えるのが苦手なだけ。そのせいで自分の中に、ずっと外に出せない悩みだけが詰まっていって、どうしようも無くなっちゃってるのよ」

 この感覚は懐かしい――この間の帰省の際にクリスティンに抱きしめられたことを思い出す。目の前の女性の腕の中で他の女性の事を思い出すのは至極失礼に思えたが、今のレイラは女性というよりも、母の感覚に近かった。

 全てを託せる。

 全身の力を抜ける。

 そんな感覚。

 気がつけば、瞳から零れた熱い液体が頬を伝っている事に気がついた。

 彼女の言葉によって奮い起こされた悩みやあらゆる感情が、落涙という手段によって発散されて行く。

 胸の奥が熱くなる。男の腕力で強く抱きしめても尚、彼女は強く抱きしめ返してくれた。

「困っても誰かがいる。君は一人じゃないのよ?」

 まだ幼き頃に全てを失った常人に至れぬ成長過程が、今まさにこの瞬間を持って解消されていくような気がした。

「お、おれは……自分が、強いと思ってました」

「うん」

「でも、全然強くなかった……ガキなんです。当たり前なんです。大人になったつもりでも、ただ背伸びしたガキでしかなくて……恥ずかしくて、情けなくて。おれ、自分をどうしたらいいかわかんなくて、漠然ともってた騎士になるって夢も、なくなっちゃって」

「大変だったわね」

 この悩みの解決法は未だ見つからない。だが他者に、彼女に自身の口から初めて告げてみれば、なんだか肩が軽くなったような感覚に陥った。まるでそれがどうでも良くなっていくような気がして、胸の中にぽっかりと空いた孤独感が、徐々に狭まっていくのを感じた。

「人はそうして成長していくのよ。悩んで、絶望して、それを乗り越えて立ち上がる。君はいま立ち上がろうとしているの。成長っていうのはそういうものよ。今度立ち上がれば、君の視界は今よりもっと開けるはず。何も、悩みを解すことだけが立ち上がる方法じゃないってことだけ、覚えておいて」

 それが酔いによる行為なのか、あるいは母、姉として、抱擁者としての行いなのかはわからないが――また、今度は軽く頬に口付けをしてみせる。また驚いてレイラを見つめてみれば、彼女はにこやかな笑顔で片目を瞑った。長いまつげが踊った。

「唇はお預けよ。初めてを奪うほど、私は無粋じゃないし」

 彼女はそういって立ち上がると、肩に頭を乗せたまま眠るコレットを静かに抱きあげて簡易寝台へと移動させる。それから戻ると、今度はジャンに手を差し伸べた。

「ほら、おねんねの時間よ。今日は特別に、お姉さんが添い寝をしてあげる」

 冗談で言っているのか本気なのか、それがジャンには分からなかったが、否定する理由はない。むしろ頼みたいくらいだった。

 ジャンはその手に己の手を重ねて、あまり負担にならぬよう自力で立ち上がる。

 気がつけば窓の向こうでは既に薄明るくなりつつあり――真っ赤に充血する目から溢れる涙を拭って、ジャンは手を引かれて休憩室を後にした。

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