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療養

 その後のことは、想像に難くない。

 ――せっかく肉体表面下、つまりずたずたに引き裂かれていた筋肉がまともに結合して、通常通りの生活はもちろんリハビリ代わりとなる訓練を行うには差し支えない程度に治癒したと思えば、今度は深い、致命傷足りえる切創に、もはや致命的となっているほどの失血は、落ち着いたばかりの修道院にまた波乱を呼んでいた。

 そしてそれが一段落する頃。

 目が覚めたジャンに対して、今度はクリスのみならず、多くの修道女からの説教や同情の目などを向けられる事になっていた。

 また、右腕の怪我が悪化したのは言うまでもない。

「なんか悪ィことしちまったかなー?」

「いや、仕方がなかったことです……と言いたいところだが」

 ジャンが自室呆然として寝台から窓の向こう側を眺める一方で、眼帯の男と丸メガネの男が困ったように言葉を交わしていた。どれほどの罵詈雑言を浴びれば廃人になれるのだろうか――冗談でありながらも、どこか的を射ている話題の中で、眼帯の男ディライラ・ホークのそう漏らした言葉に、副長”スミス・アーティザン”はその丸メガネを中指で押し上げてから、息を吐いた。

「やりすぎです。お陰で部下の士気もあがっていましたし、この国に対する見方も彼の健闘のお陰で良い方向に転じましたが……」

「当の本人がこれじゃあなってトコか?」

「少しは責任を感じてもらいたいところですよ」

「確かになァ。てめェの尻くらいてめェで拭けってことだ」

「ディライラ、あなたって男は――いや、むしろいつもの調子で安心しましたがね。私はこれから一先ず軍部に顔を出してきます。ディライラ、あなたは王への挨拶が終わったので、今日は好きにしていてください。部下たちにも、この国の法のもとで好きにするよう伝えてあります」

 まだまだこれからが忙しいんだ――スミスはこの遠征から今日まで休みなしで裏方で働き続けている。ようやく昨日の試験じみた闘いが終わったと思えば、部下たちに指示をして校庭を舗装しなおさせ、宿の手配、加えて当面の計画の再修正。

 今日は今日で実際に派遣要請を出した大臣に当面の日程や仕事を仰がねばならぬし、長い間を金のかかる宿屋にたむろするわけにはいかないから、国に衣食住を用意してもらう交渉もしなければならない。用意してもらっても木賃宿であった場合は部下の士気にも、体調にも関わることだから時間がかかるだろう。

 隊長としての役目は、王に顔を見せて挨拶をする程度だ。さすがにこればかりは代わってやれないので頼んだが――僅かな空き時間に彼と一緒にジャンの見舞いに来たスミスは、手首に巻きつけた腕時計を確認した後、忙しそうに病室を後にした。

「まったく働き者だなァ。もう一部隊くらい来れればまだ話は違ったんだがな……」

 彼らの部隊は隊長、副長を含めて十人前後で構成される。

 そんな人数が基準の部隊で構成される傭兵組合だから特に問題はないのだが、その問題がないのは主に戦闘面だ。政治的に関与する必要がない存在だからそうそう裏方で忙しいことになるわけではないが、それでも裏で指示を受け取り伝達する役目がひとりきりでは、とホークは思った。

 が、自分は動きたくないときたものだがから、解決のしようがない。

 困りものだ。

 ホークが悩んで唸っていると、ふとそんなノイズじみた声に気がついたらしいジャンが顔を向ける。

「うっせえ」

「んだと? 目上には敬語を使えって学校では教えてねェのか?」

 ツナギのような服の胸ポケットから、この国には無いタバコを取り出し、手馴れた手つきでオイルライターで火をつけ、紫煙をくゆらせる。

 ジャンはその煙を忌々しげに睨みつけながら、まるで入院する羽目になった怒りをぶつけるように悪態をついていた。

「バカでも生きてりゃ目上になれるから良いもんだよな」

「てッ、てめェ言ってくれるじゃねえか。ンな事に頭使う前に、オレとの時に頭使ったほうが良かったんじゃねェか?」

「いちいち返し言葉に頭使うかよ。こんなもんで頭使ってるって思われるほどおれが馬鹿にされてんのか――それとも、あんたの頭の程度が知れたってわけか?」

 売り言葉に買い言葉。その応酬はとめどなく、そのうち握りしめて腿に押し付けたその拳が、いよいよ相手に向けられようとした所で……何かが破裂したような音をがなり立てて、扉が開いた。

「怪我人は黙って寝ててッ!」

 怒りを湛え、その幼い丸っこい顔に精一杯の怒気を孕め青筋を立てるクリスに、両者の勢いは瞬時に霧散した。


 昼食を終えた所で、ホークは世界地図をジャンの膝下に展開した。

「地理のお時間だ」

 いやらしい笑みに、紙巻たばこの匂いがふれ回る。

 そういった要望をしたのは確かにジャンの方だったが、やはり――この男からモノを教えてもらうのは気に食わない。そう、非常に癪に触るのだ。

「オレたちの居る大陸を指してみろ」

 寝台に腰をかけるホークは、肩と肩、腕と腕が密着しあうような近さで訊いてくる。吐息が、その呼吸がかかる程の距離で、ジャンは大げさに首を捻って顔を背ける。そうしながら、指で示した。

 ――世界地図は基本的に、造られる国の大陸を中心に描かれている。これはおそらく”向こう側の大陸”で造られたものらしく、くびれがある縦に長い大陸がやや左側に寄せられている。

 海を挟む向こう側には、その大陸よりも遥かに大きい、地図の半分よりやや小さいという程の大陸。倭国はその大陸に寄り添うように存在するが、それでも地図の最も東という位置だ。

 その他にも様々な列島や大陸があるが、大きく分けてこの世界にはそれら二つの大陸が中心となっていた。

 ジャンが指し示すのは、その巨大な大陸。

 ホークは満足気に頷いた。

「そう、ここが『ヴォルヴァ大陸』で、地続きの最南端にあるこの国がアレスハイムだ。大体ここの半分位までを領地として占めていて、だいたい半分くらいからある広大な砂漠地域に食い込むかたちでエルフェーヌがあり、この橋みてェに唯一繋がらせてる細い陸地の手前から向こうが『ブリック共和国』だな」

 縦に伸びるナスのような形の大陸をすぎれば、横に広がるそれよりも広大な大陸。それらの総称は彼が言うとおりヴォルヴァ大陸であり、その知識のほとんどは義務教育で与えられるものばかりだった。

 ホークは続ける。が、彼が頼んだ説明は中々語られずに、既に得ている情報ばかりが垂れ流された。

 ――曰く、その”向こう側の大陸”と呼ばれているのは『ディアナ大陸』であり、彼らの本国となる『ガウル帝国』はその中ほどに存在する。

 これから侵攻してくるらしいヤギュウ帝国はヴォルヴァ大陸の北方、アレスハイムから真っ直ぐ北に進んだ最北端に存在する。さらにヴォルヴァより海を渡り北へ向かえば”氷の大地”なるものがあるらしく、また南にも同様のものがあるらしい。規模は未知であり、そこに異種族が生息しているかは不明。

「んで、まァ地形的にブリック、エルフェーヌを抑えられてるとしたらかなりキツい所だろうな――と考える。普通はな」

 ようやく本題に入ったかと思うと、ホークはそこで言葉を止める。

「普通は? 溝がある分、そこを配慮した考え方をしないのか?」

 彼はそういったジャンの疑問を経て、頷き、促されるように先に続けた。

「いいや、違うな。他国はアレスハイムが溝と上手く付き合って行けているとは思ってない。異種族にすげェ迷惑かけられて、自国のことで精一杯だと思ってる。実際、オレらもこの国に来るまではそう思ってたしな」

「……ヤギュウはそこまで含めて、ここに侵攻する価値があるって?」

「その通りだ」

「理由は」

「知らねェし、興味ねェよ。それを探るのはオレたちじゃなく、この国の仕事だ。オレたちはただ兵を育てて、前線で敵を蹴散らすだけだ。ま、この国がその調査を怠ってりゃ、勝てる勝負も勝てなくなるがな。少なくともオレやお前みたいな駒は無駄なことを考える必要なんざねェのさ」

「そう、だな」

 力なくそう頷くジャンは、ホークから視線を外して世界地図を凝視する。そんな殊勝なジャンが珍しかったのか、ホークは目を丸くして彼を見つめた。

「どうしたんだ? 気持ち悪ィ」

 そんな挑発じみた台詞にも、ジャンは反応せず、ただ小さく首をふるだけだった。

「いや、早く怪我を治さなくちゃなって……ヤギュウの動きがアレから無いってなると、そうとう準備してんだろ? 学生のおれがどうこう出来る話じゃないだろうけど……」

「そうだな。二年ならまだしも……だがよく考えろ。ちょっと気にしてみろよ。なんでその二年生よりも、一年のお前が注目されているかを――」



「――して、演習の結果は?」

 大臣の部下から手渡された資料に視線を落としながら、スミスは中指で滑り落ちる丸メガネを押し上げた。以前から考えていたが、いよいよ買いなおさねば戦闘に支障が出てしまうだろうと考えながら、促されるままに読み上げる。

「記録されている成績に見合った動きがなされていると考えてまず間違いはない上、単純な戦闘能力で言えば十分新卒生レベルだと言えるでしょう。右腕の負傷をカバーする機転の良さや、観察力、柔軟性など場慣れしているように見えます。ただ、魔術が肉体強化や魔力解放しか持たないことが不安要素ですが、部隊での行動ならばそれをカバーすることができます」

 ――概ねそのとおりだとは言えるが、やや大雑把すぎやしないか。スミスは思いながらそれを読み上げ終えて、机の上に下ろした。

 卓を挟んだ向こうに座る大臣は葉巻を咥える歯の隙間から煙を吐き出しながら、訊いてくる。

「して、君の評価はどうだね?」

 わざわざ他を追い払った理由はこれか。

 狭い会議室で、彼と大臣の二人きりで開始された会議に抱いていた疑問はそこで解消される。

 スミスは大きく息を吸い込んでから、小さく頷き、口を開いた。

「この報告書レポートはやや誇張気味ではありますが、将来性があるのは確かですね。正直、ディライラ――隊長も気に入っていることですし、このまま勧誘して本国で訓練させたい所です。現在の戦闘能力は、上位を占める学生の戦闘能力が分からないので判断材料に困りますが……確かに、異種族の群れを単体で薙ぎ払ったという信ぴょう性はあります。限界まで肉体を強化した場合につきますが。しかし、センス自体はあるとは思います」

「ほう。簡単に、強いか、弱いかで言えばどうなるのかな?」

 大臣は飽くまで簡潔な答弁を好んでいた。

 スミスは頷き、失礼と、机の上に出されている紅茶を口に含み、飲み下す。

「”今は”強いでしょう。あの歳で、所属している学校では。ですがこれから――例えばヤギュウ侵攻での掃討戦に実際に投入する、となれば弱いと判断せざるを得ないでしょう。それほどまでに、ある一定の実力は持っているでしょうが、不安定で、断定しきれない強さがあります」

 鼻から抜ける芳醇な紅茶の香りを嗜みつつ、大臣が優雅そうに椅子の背もたれに身を預け、楽しそうに首を縦に振るのを見守った。

「ただの優等生だ、と?」

 言葉に、ただ頷く。

 ガラスでできた灰皿に葉巻を押し付けて大臣は続けた。

「私の期待は外れたのかね?」

 そうは言い切れない。

 スミスはそういう意味で首を振った。

「二年制の学校でしょう? 彼にはまだ、あと一年半の時間が残されている。成長する時間は存分にある……でしょう?」

「いや――」

 自信満々の、されどそういった様子をおくびにも出さないスミスに、残念そうに大臣は首を振った。

 そして彼の脳裏には、スミスの言葉の直後に過ぎった”事例”があった。

 ジャン・スティールには魔法がない――この事実が、ジャンの学校生活を大きく揺るがしているし、実際、それが判然としてから以降、怪我が治癒し完治とまではいかぬが日常生活が可能なレベルにまで立ち直ったのにもかかわらず、彼は学校に通おうとはしていなかった。

 リハビリと言う名の基礎訓練に明け暮れ、それ故にその肉体はより実用的なものに練りこまれていく。

 これほどの逸材を、たかが原則的な決まり程度で捨ててよいモノか……これを例外的にして、決まりに穴を作ってしまうか。その決定権を持っていない大臣でさえそれほど混迷するのだから、実際に判断し下す者はどれほどのストレスに襲われるのだろうか。

 将来有望な少年少女は多くいる。その中での、より突出した男だ。この国が望んでいた、超精鋭たる特攻隊長やそれに類する重鎮的人物となりうる存在。

 強き者は士気をあげ、敵を打ち砕く。士気はさらに上がり、敵を屠り――その軍の理想的な在り方に、必要なものだ。

 いずれは海軍にも、騎士の手を回したいから軍力はさらに増強せねばならぬし……。

「ジャン・スティールは――彼の明日は未だ分からない。魔法を持たぬという事実から、彼が在校できる可能性は皆無だが、その実力から考えれば決して捨ててはおけぬ男だ。私に決定権がないことが、心底悔やまれる事例だな」

「なるほど……憲兵に留めておくという考えは? 他にも、彼を活用できる組織を創設することだって出来るのでは?」

「その価値があるか、試したのが今回の演習だ。だが騎士においておくのが安牌だったのだが」

「そういうわけですね。なら今回の紛争が終えるまで、彼の身を”貸して”貰えませんか?」

「……どうするつもりだ」

 新たな葉巻に火をつける大臣は、悪戯に微笑むスミスの、その丸メガネの奥の瞳が鋭く細まっているのを見た。まるで悪魔の微笑みだ――そう思いながら、見慣れた悪代官の面に煙がかからぬよう、口の端からそれを吐き出した。

 スミスは飽くまで落ち着き払う大臣を見ながら、小さく、まるで痙攣するほどに小さく頷いた。

 喉が鳴る。

 自分の言葉が青年の人生を変えることになるかもしれないが――どうせ騎士を目指しているのだ。変わらないだろう。

「我々が育て上げて見せましょう。ヤギュウ侵攻戦で、まともに戦場に立てる程度には」

 自身あり気にスミスは鼻を鳴らす。

 が、大臣は疑うような目付きで彼を見つめる。スミスはただくゆる紫煙だけを眺めながら、決め手となる言葉を叩きつけた。

「もともと、我々は教導隊です。ネコはおろか、ライオンでさえ噛み殺せるネズミを育てて見せましょう――ですから」

 続く言葉に、大臣は思わず苦笑した。

 自身の望みとも言えることを無償で請け負ってやる”代わり”に、と彼が突き出した交換条件に、大臣は快く頷くほかなかった。



 ――正直な所、ジャンは己の実力に自信があるし、また無いとも言えた。

 戦えることは戦える。そしてある程度の強者にも打ち勝てる自信がある。

 だが、相手がホークやボーアなど、歴戦の勇士とも言える実力者が相手となると、より燃えるのに対して、その行動がどこかなげやりやけくそ気味になっているように思えて仕方がなかった。

 それには明確な理由がある。

 ただ一つ、それは――彼自身が、魔術である肉体強化に頼っていることである。これは使い方を間違えれば諸刃の剣にもなる魔術であり、そのお陰で無数の異種族を薙ぎ払って生き残ることができたのだ。技術や判断は確かにジャンのものだから、生き残れた要因はただそれだけというわけではないのだが、言い換えれば肉体強化も生き残れた一つの要因だという事になる。

 つまり、そういった外的要素を除いた素の己は、本当に強いのだろうかという疑問が残るのだ。

 昨日の演習――試験だってそうだ。あの時点では既に肉体強化を発動させていた。そしてまた、その魔術がなければとてもホークの攻撃に対応しきれなかったし、仮に頭が働いていたとしても身体が思考に追いつかなかったのだ。

 つまり……本当は、自分は弱いのではないか。

 生身では、魔術やら何やらがなければ誰にも勝てないのではないか。

 不安が思考させ、その結果がさらに不安を募らせる。まさに悪循環たる落ち込みは、ホークが帰宅した今では誰も止めてくれはしない。

「強く、なりたい……」

 もれる言葉を、誰かが聞き止めてくれることはなかった。

「力が欲しい……っ!」

 魔法はもう良い。

 だが、ならばせめて、誰にでも通用する、もっと強い力を――。

 病み上がりで負った大怪我によって、彼の精神状態は不安定になっている。今こそ、誰かがそばにいてやる必要があったのだが、今回に限っては誰もいない。窓の外はもう暗がりに飲み込まれ始めたばかりであり、これから始まる孤独な夜は、その長さ故に彼にとって絶望でしか無かった。

 立ち直れそうだったところを挫かれた……意図的でないにしろ、タイミング的には的確なまでにそうであったこの現状に、ジャンはただうなだれるだけであって……。

 為す術もなく、夜が更けると共に、彼の肉体も静かな闇に飲み込まれていった。

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