保護 ⑤
大剣はその巨大さ故に破壊力は魅力的であるものの、緩慢、鈍重であるイメージを払拭することはできない。それが身の丈三分の二などの大きさならまだしも、等身大などの大きさならば尚更である。
しかし、そもそも大剣とは巨躯を持つ者のための武器だ。その肉体に見合った剣を作れば必然的にそれは巨きくなり、また小柄であってもそれを扱える筋力さえあれば使用するのは無理な話ではない。
巨体が大剣を使えばそれは剣たりえるのだが――その大剣を中心と見て――小柄な者が扱うとすれば、それは剣たりえない。単なる巨大な近接格闘用の武器であり、それを飽くまで刀剣としての概念を捨てずに使用するならば重量や大きさから、足かせにしかなりえない。
「くそどもがぁっ!」
本領発揮とは、まさにその事だった。
剣術という型に当てはめれば弱体化し生かしきれぬ巨剣は、力任せに振り回し、敢えてジャン自身が剣に振り回されることで脅威的な破壊力をもたらしていた。
さらにその重量ゆえの緩慢さは、遠心力に振り回されることによって解消。その勢いを孕んだ暴力はまさに疾風の如し。
――数十センチにまで距離を縮められたジャンは、それまでと同様に俊敏たらしめる勢いを殺さずに剣を振るう。故にその加速は、留まるところを知らずに速さをさらに求め続けていた。
眼前にその大口を開けて迫ってきた顔面に横薙ぎにして剣を振るえば、頭は吹き飛び、下顎は並びの良い歯を小刻みに揺るがしながら突撃の勢いを殺せずに、死して尚ジャンへと突っ込んでくる。彼は振り薙いだ勢いと共に斜め後方へと勢い良く跳躍すれば、すぐ脇を通り抜けて体勢を崩し、地面を抉りながら急停止した”白いヤツ”が視界を過ぎった。
着地点には、ジャンへと手を伸ばすソレが待っていた。
「はっ、くたばれっ!」
脇に構えていた剣を背後に振り下ろせば、その刀身に触れた手が半ばから袈裟に切り裂かれて吹き飛び、さらに身体に沿うように切迫してから振り上げれば、腹半ばから肩口にかけて肉体を切り裂き、一度抜けた刃は再び首を刎ねて空中に飛び出た。
蛍光色の鮮血が周囲に飛び散り、見たことも用途もわからぬ臓物が溢れ出る。辺りは腐臭に満ちたが、嗅覚は麻痺し、奴らの鮮血に対する補色か、瞬きの度に真紅の残像がチラついた。
ジャンは着地とほぼ同時に、左足を軸にして腰を回し、身体を大きく開くように捻りを加えた。足は半円を描くように開いて地面を踏みしめ、それに追いつかぬ大剣は、それ故に白い連中の全方位からの包囲を許してしまう――否、彼は余裕を持ってそれを”許可”していた。
そして捻りを解消するように力強くその巨剣を薙げば――深く食らいついた剣は下方から振り上げるようにして”白い連中”を切り裂き、その胴体を瞬く間に両断する。一体を切り裂けば、その横に並ぶ一体、さらに次を切り裂き、勢いは衰えずに肉体を吹き飛ばす――。
鋭い円の軌道が終える頃には、瞬時にして十以上の”白い連中”が肉塊と化した。
「はぁ……っ! まだ終わらねえのかよっ!」
呼吸を乱しながら、ジャンは改めて辺りを見回した。
――敵の数が本当に一、二○○体程度ならば既に戦闘は終えているはずだった。
一度に十体以上を屠るジャンの機動は、既に数十回と繰り返されている。随時行われる魔力供給から肉体強化が絶えることは無かったが、それでも自己治癒が鈍くなっているのは確かだった。
筋の結合が一瞬だったはずが、今では数十秒もの時間がかかっている。そして回復の為に時間を稼ぐが、その際に無理をして怪我が悪化し、またそのための時間を作り――悪循環の堂々巡り。
「くそったれが」
吐き捨てるジャンは、怒りや憎悪から、本来口にするはずのない言葉を口にする。それは彼が、幼少期の”出来事”以前に持っていた本質的な性格であり、環境によって矯正されたより攻撃的な一面であった。が、彼にはもちろんその自覚はないし、多くの者にはあるだろうそれだ。
が、その性格こそが、彼を死を畏れぬ幽鬼とさせていた。そして本能的にそれを携えているからこそ魔術よりも近接戦闘よりなのであり、ジャンをジャンたらしめる、彼を受容するには知らねばならぬ部分である。
――周囲には白い連中は居ない。
先ほどの戦闘で習性と”力押し”を学んだボーアは、獣人族特有の”種族解放”と呼ばれる――タマの獣化のように、彼女の持つイノシシ系の獣を肉体に憑依させるようにして戦闘能力を強化した。全身に毛皮を纏い、その両手は蹄のように硬質化する。牙が太く鋭く伸びて野性味を帯び、そして彼女の本質を見せるように――真っ直ぐ一直線に踏み込む一撃が、彼女の身を守り、そしてしのぎを削った。
「なるほど、な。そういうことか――異種族の恐ろしさってのは」
木々をなぎ倒してやってくる同数、あるいはそれ以上かもしれない”第二波”を遠目に見ながら、青年は考える。
――ジャン・スティールの肉体強化から始まる驚異的な破壊力は、されどそのお陰で状況が有利になったというわけではなかった。
白い連中自体はそうそう戦闘能力が高い存在ではない。
まれに”学ぶ”知性を見せることもあるが、個体が学んだ所で周囲にその情報や知識が伝播するわけがなく、その知力を活用するよりも早く屠るが故にそういった異種族は本来持たざるだろうと考えられていた習性は、苦にはならなかった。
ならばなぜこれほどまでに苦しまされているのか――理由は簡単であり、明快だった。
無尽蔵を思わせる敵を前にして、
「格好はついたが……生きて帰れるかな」
その独り言はどこか喜色すらはらんでいた。
異種族の脅威はその圧倒的なまでの物量であり、また痛みや傷に怯まぬ狂乱的な本能でもあった。
どれぼど殲滅に尽力したとしても、いずれ疲弊し力尽きる。
敵は味方の多くを犠牲にしながらも、ただひたすらにそれを待っているようだった。無論、連中にそんな知性はないだろうが、彼にはそう思えて仕方がなかったのだ。
――戦闘能力が脅威などではない。
その無限を彷彿とさせる物量こそが、最大の脅威であり恐るるに値する”現象”たらしめていた。
そう、異種族の襲来はもはや現象である。彼は全てをひっくるめ、そう理解していた。
「ジャン……、あたし……ジャン……ッ!」
硬質化する五本の指が瞬時にして白く染まりあがり高熱を帯びる。その手がさらに貫手となって、敵の肉体に横一閃を走らせていた。
焼ききられた肢体は為す術もなく内蔵を零して倒れ、されど執念深くボーアをつかもうとする両の手を切り裂いては、足を振り上げて頭を打ち砕いた。
――体内の昂りは、最早抑えられはしない。
ジャンの登場によって爆発的に増幅した脳内麻薬が、彼女の戦闘能力をぐんと跳ね上げていた。コンディションは最上のものとなり、戦闘意欲はそれ故に彼女をより効率よく確実な生存へと導いていた。
だからこそ、己の中で定めた規律は無自覚に破られ”種族解放”が行われた。
獣人族はその獣化、人型化は自由自在だ。他の種族は分からないが、少なくとも獣人族はそういった変身能力の向上が顕著であり、今のところ確認されている限りでは唯一と言えた。
そして彼女のそうする戦闘態勢は、人型の臨機応変である柔軟性と、獣型の力、俊敏さという根本的に高い身体能力を併せ持った、彼女の全力たる形だった。
それ故に、最初期の戦闘とはまるで別人のようにその殺害数は跳ね上がり、ジャンのように一撃で数体を倒せぬ者の、地道な戦いで今では五○をゆうに超えていた。
が、敵の数は一時消えたかに思えたが、肉塊の山の向こう側。未だ森の火災が及ばぬ、月光に照らされる薄暗い向こう側に、さらなる援軍を彼女は見た。
悪臭立ち込めるそこで、いよいよ体力的にも追い詰められ始めたかというところで。
首を回して背後を見やる。やや離れた位置で立ち尽くしているジャンを一瞥するが、彼はその視線に気付かず、大剣を杖代わりにして身体を支え、肉体強化魔術によって全身を淡い光に包んでいた。
表情には余裕があるが、おそらく無意識なのだろう震えは遠目に見ても明らかだった。肉体が限界を迎えようと、あるいは既に限界を超えているのだろう。そしてそれは、当然だった。
ただでさえ、肉体強化の限界を超えて治療中だったのだ。そこでさらに本来は扱えぬ超重量の大剣を簡単に振るい、そして一時間にも及ぶ全力全開の気が抜けぬ戦闘を続ければ、肉体がズタボロになってもおかしくはない。むしろ、彼がそうして立っていられる事自体が奇跡と言っても決して過言などではなかった。
が、ボーアもそれを当然として見ていた。
ジャンならそうして当たり前だ。
というか、彼ならばそうしなければならない。
にわかに失われた、もしかしたらまだ戻れるかも知れないという生半可な位置で燻るより――未来を一度失ってから、まだ戻るという強い決意のもとで立ち直ったほうがいい。その成長性は別人のように変わる筈だと、経験則上で彼女は考えた。
「ジャン……、あたし……あんたとなら――」
口にしようとした言葉を、はっと我に帰って飲み込んだ。
一時的にだが、敵も失せて落ち着いた所で心が弛緩したが故に、思わず零しそうになってしまった。
こればかりは、心に秘めなければならない。彼には背負わせてはいけない。この戦闘が終わったら、彼に気付かれぬように退陣して、全てを忘れてもとの生活に戻るのだ――頭ではそう考えていた。
だが、彼女は知っている。もうジャンを忘れることはできない。そして、もうジャンから離れることができないことを。
心が彼に釘付けだ。理由は知れないが、その状態でここに駆けつけられたのが大きかった。
やはり危機を救われるというのは鉄板か――こんな状況での場違いな考えに思わず吹き出して、軽く頭を掻いた。
「一目惚れ、なのかな。だったらすごい情けないなァ」
ひたむきさ、あるいはその弱さに魅了されたというのも恥ずかしい話だ。己自身の精神的な強さを誇っている彼女は、だからこそそういった軟弱な理由が嫌だった。
どうせなら運命的な何かで結ばれていたかったが……現実的ではない。
そしてより事実に近く説明すれば、やはり呟いたとおりになるのだろうか。初めて対峙した時は何も思わなかったから――やはりそうなのかもしれない。
――軍団は、再び距離を縮めていた。
「ビビってます?」
背後からジャンが声を掛けた。ついで肩に手をやると、驚いたようにボーアは身体を弾ませる。
「ああ? 誰に言ってんのよ、実力面では誰もが認めるボーア様よ?」
「……ボーア?」
――彼女から漏れた名前は、まるで電撃のようにジャンの中を走り、そして脳を刺激する。電撃はそのまま記憶の海に飲み込まれて……ボーアという名前に関連する、全ての記憶を引き出した。
あのドワーフの女騎士が、街に襲撃してきた獣人をボーアと呼んでいた。
鳥人の女騎士が、同様にボーアの名を出していた。
そして、目の前の獣人たる彼女は己をボーアと名乗っていた。
食い違う事実は、何一つとして存在しない。
そしてそれまで存在していた、たった今思い出した違和感は、それと同時に解消された。
「ああ――」
感嘆となって、その判然とした快感が思わず口から漏れた。
「あなたが、ボーアだったんですね」
今まで、あれほどまで接していて思い出せなかったことを恥じるように後頭部に手をやって、はにかんだ。
「あ、あの……ジャン?」
「まあいいや。つもる話はまた後だ」
馴れ馴れしく肩を叩いて見せても、ボーアは嫌がる様子一つなく、どこか気恥ずかしいように苦笑して頷いた。
「行くわよ? ……発現めろ――熱暴走ッ!」
言葉と共に、彼女の肢体は熱によって芯まで白く染まり上がる。同時に発動させたらしい灼熱の牙はその影響だろうか――既に頭上で上、下顎の二本で一対となる牙を構成していた。
「全力でな。覚醒めろ……禁断の果実」
肉体の強化に充てていた魔力は、おおよそ魔術を主として戦闘する魔術師ほどの量になっている。つまりは近接戦闘を主体とする者にしては異様な程の量であり、そしてその全ては強化の為に増幅されているという現実が、その強化の程度を知らしめていた。
そしてその魔術によって、魔力の半分ほどが消費されて、胸に現れた小さな魔方陣から瞬く間に紅い果実が精製。彼は空中に投げ出された球状のそれを手に取り、流れる動作で一齧り。
口腔内に芳醇な魔力があふれたかと思うと――同時に全身へと熱が伝播し、間髪おかずに意思を剣へと送れば、その巨剣は瞬く間に熱を帯びて真紅、やがて融解する勢いで白く塗り固められた。
「そして、熱暴走――これがおれの、奥の手です」
ジャンのひと通りの所作を眺めていたボーアは驚愕し、言葉を失う。彼はそれを見ながら悪戯っぽく笑って、
「さあ、行きましょう」
肉体は既に死に体。思考は一辺倒で身体の反射的な機動に頼り切った戦闘方法。戦闘領域は剣の届く範囲までであり――破壊力は最上。速度は敵に反撃を許さず、その戦闘能力は圧倒的だった。
相棒たるボーアは体さばきの柔軟性の全てを捨てて猪突猛進気味の攻撃に転ずることによって、加速。故に敵に捕えられる可能性を低下させた。
そして――走駆。
切先を背後に向け、腰に引きつけた両手で柄を握り引きずるように走りだすジャンを確認しながら、ボーアは微笑を湛えて業火の二対の牙を敵の軍団へと振り下ろした。
前衛も後衛も無いその軍団の、最前列はボーアの灼熱の牙が吹き飛ばした。焼け焦げ体液を燃やし、全身を吹き飛ばすそれらの数は、されど見た目的に大きく減ったようには感じられない。
そしてい炎にさえも怯えず押し寄せてくる”白い連中”へと、ジャンは瞬く間に肉薄する。速度は明らかなまでにジャンが上であり、それ故に切迫し、接触するのにそう時間はかからなかった。
――地面に抵触する程の下方からの、切り上げ。右腕の下腕がすり切れて鮮血が溢れたが構わず力任せにその身の丈の巨剣を振り上げる。
眼前に迫っていた気色の悪い”奴ら”は、先程までと同様に岩剣に深く食らいつかれて、柔く肉体を両断。切断面を焼き、肉が強制的に結合する。
肉体は二つの肉塊となって崩れ落ちる。
本来ならば、そこから先に続くはずだった――。
「く――っ!? なんだ、こいつら……っ!」
いつものような後続は、周囲を囲む連中はそこには無い。未だ大気を消費する爆炎の中に身を置く白い連中は、皆が一様に歯を噛みあわせて斉唱するように音を鳴らしていた。まるで様子を伺うような、異様な光景。
ぞわりと全身が泡立ち、そしてそれまで無視していた”学習能力”が脳裏によぎる。
「ジャン、こいつら……」
「ええ、最悪、かもしれません」
今までは無闇に突っ込んできた。だからそれをなぎ払い、その破壊力と囲まれた際に発揮する最大限の戦闘能力で一度に多くの敵を屠ってきた。
しかし、その時点ですでに”第二波”が待機していたとしたら。奴らがそれを目の当たりにしていたら。
第一波と考える先ほどの連中が、いわゆる特攻隊のような存在だとしたら。もともと犠牲にする予定の軍団が予定通りに消化されただけだとしたら。
――異種族の脅威とは他に、この”白い連中”の本当の恐ろしさが”学習能力”にあったとしたら?
「ビビってんの?」
ボーアの肘鉄が脇腹に食らいつく。だが勢いや力は無く、それが単なるスキンシップであることくらいはわかっていた。
「誰に言ってんですか? おれは――」
何があるだろう。言いかけて、思わず口ごもる。
彼女のように戦闘能力で信頼を築いているわけではないし、現在の機動力や破壊力は、全て強化あってのものだ。そしてこれが終われば、この肉体は使い物にならなくなる。
ならば何が残されているのか。魔術にだって秀でては居ないのに。
「おれは?」
後ろ向きに考えて、いや、と唸る。
そうだ、一つだけあった。
「おれは戦闘もできる元鉱夫ですよ? あんな連中、鉱山の崩落に比べたら屁でもない」
「あははっ、なにそれ」
「唯一誇れる事です」
あの生活は、自分を支えてくれた人たちは未だに大切なものだ。現状は散々だが、それでも捨てたものではないし――しかし騎士でもなんでも無い今名乗るならば、それが最適であるように思えた。
彼女はジャンの真似をするように肩に手を置き、ガチガチと手拍子でもするようなかみ合わせ音を聞きながら、寄りかかってくる。
「――これまでの戦い方が通じなくなるのか、な?」
「ははっ、面白い事言いますね」
そう言って笑い、頭を叩くジャンを横目に睨む。彼は相変わらず無意識の震えが続いているが、それは決して恐怖故の畏れだとか、武者震いだとかいうものではない。全身の筋肉が既にズタズタに切り裂かれていて、ただの直立体勢が、彼にとって一番負担になるからだ。
「戦い方は確かに相手に理解されているでしょう。だけど、速度や力に、連中が一度でも対応できたことがありますか?」
そして同種族が、わずか一時間前後でそれに対応できるほどの成長、あるいは進化を遂げられるわけがない。ならば同じ身体能力で、同じ戦闘能力。学んだだけで代わり映えもない、その個体数だけで数的優位に立つだけの存在だ。
そんな連中が勝てるわけがない。
ましてや、
「おれたちに?」
「……確かにな」
彼女は、どこか引きつったような顔で頷いた。虚栄たる微笑は無いのは、ジャンに下手な演技で心配や心遣いをさせないためだ。
「だが」
釈然としない。
彼女はその言葉を飲み込んでから、いい変えた。
「”学習”するとして、それまでを理解したとして、よ。よく考えてみて、もし本当に”知能”があるなら、その物量を利用した特攻が一番効率が良くてあたしらを倒せる確率が一番高い戦術って事に行き着かない?」
「つまり」
「そう」
ボーアは頷いた。
「罠、かもしれないわね」
「まさか」
にわかに驚いた、という様相を演じて目を開く。
頬、そして両腕、腹、背、引き締まるがやや肉付きの良い腰回り、筋肉質の腿、形良く伸びるしなやかに長い足……その全てに肌触りの良い毛皮を纏う彼女は、さらにその身を強く押し付けて首を振る。
「信じたくは、ないわよねぇ」
「だけど、良く言うでしょう? 虎穴に入らずんば虎子を得ず……なんにせよ、相手が”待って”いるんじゃ、動かなければなにも始まりませんね?」
「ああ、そうね。すごくイヤだけど」
「さて――行きますか」
まるでこれからどこかに出かけるような気軽さで。
ジャンの声を契機に、ボーアは四肢を、そしてジャンはその巨剣を真紅を経て純白へと熱し、駆け出した――その瞬間の事である。
軍団の横腹に盛大な花火よろしく爆発が巻き起こった。
肉塊が宙を飛び爆ぜて闇を蛍光系の緑黄の鮮血で塗り替える。森の火災はひたすらに拡大する一方で、再び爆発が軍団を襲った。
――もう歯の打ち鳴らし音は聞こえない。
大気を激震する爆発音に、さらなる爆発。一方でどこからともなく飛来する無数の真空波は一瞬にして木々と共に白い連中を刻み細かく分解していく。
「まったく、夜中に起こされてみたらこれだもんなァ」
――白い連中は、己らに襲いかかる予期し得なかった方向へと転換して戦闘に向かう。もう、彼らには興味を失った、あるいは向かってこない連中を相手にしていられないというように、こちらに向かってくる様子は一切なかった。
背後から聞こえる、どこか聞きなれた声にジャンは振り向いた。
「や、ジャン。君はいつもこうなのかい?」
母国では新参ながらも確かな実力秘めたる騎士であったラック・アンが手斧を片手に、そこに居た。
「まったくだ。学校では優等生然としていれば、まるでそれまでの不満をブチ撒けるように……情緒不安定と、貴様には二度と言われたくはないな」
そして、こことは違う森で生活していた”元はぐれ”のリサ――偽名はクリィム――が、鮮血のように朱たる炎にその真紅の髪を照らして、腰に手をやり立っていた。口調は荒く言葉は暴力的だが、決して本心からの言葉ではなく、表情から見て取れるように、呆れ半分、安心半分のそれだという事が良くわかった。
――全身から力が抜ける。
無意識に『禁断の果実』が解除されて、そして次いで肉体強化が消え失せる。肉体内から魔力が霧散し、そして筋が断裂、細胞の死滅が回復する事がなくなって……とても立っていられはしない、そもそも正気を保っていられない程の拷問じみた激痛が全身に打ち付けられた。
手の中から零れた巨剣が、大地を揺るがす衝撃を響かせながら、そこに横たわった。
喉が詰まる。
視界がゆらぎ、ぼやけ、意識レベルが低下する。既に肉体の感覚は無いのにも関わらず、痛覚だけは鋭敏で……。
ほっと、どこかわざとらしくジャンは肩をすくめて表情を綻ばせた。
「まったくお前らは……なんでここが?」
そんなジャンの自然な顔にボーアは心底訝しむが、それ以上に”無理をしてでも無理をしていない”体裁を取り繕う彼に、心底驚き、そしてある種の畏敬すら覚え始めていた。
恋心とは似つかわぬ感情。
そうだ、これは知っている。これは――母性だ。
「ラァビさんがね。ココらへんを探ってる時に火事になってる森を見つけて、消化の為に援軍を呼んだらこうなってたってワケ。ま、火事を見つけた時点で大方大変な事になってるって感じたから、ここに僕らが呼ばれたんだけどね」
「あの連中には今、ラァビ、そしてアエロ、エクレルがあたっている。話は後だ。帰るぞ」
リサが説明する中で、ラックはジャンに近づいて肩を組んだ。ボーアは慌ててもう片方を支えて、手持ち無沙汰になるリサは周囲の状況を確認しながら、ジャンが落とした巨剣を引きずり、極力異種族に接触しないよう気を巡らせて道を促した。
「ああ、悪いな……みんな――」
――夜は未だ更ける。だが彼らにとっての悠久に思えた悪夢は終わりを告げ、そして同時に、ジャン・スティールの意識は眠りにつくような自然さで、ゆっくりと泥沼へと沈んでいった。




