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保護 ④

 ジャン・スティールならば、肉体強化魔術による副作用の影響で肉体の治癒が早い。朝にでもなれば、走って逃げるほどには身体が治っているだろう。

 もっとも、完治ではないから無理はきかない。だが十分だ。

 微笑みさえ湛えて、既に数十メートル先に見えた白い軍団を見据えながら、彼女はどうすべきか、どう立ち向かうべきかを考えていた。

 先ほどまでの心地よさは一変。胸の奥底から溢れでた不安、恐怖は既に全身を包んでいて、意識は既に現実を虚構と認識。故に彼女が今目の前にする大軍には現実感がなく、されど全身に伝播する畏れ故の震えは決して収まることがなかった。

 ――少しでも多く数を減らす。

 それが当面の目標だった。

 震動がやがて激震となって視線を体ごと上下させる。

 その瞳の奥には何を思う――ボーアは右額から目を抜いて頬にかけて刻まれる刻印を輝かせて、魔術の発動を準備する。

 激動。

 白い連中は既にボーアへと進行方向を一様に変えているようだった。

 生命に反応して動いているのか。何を目的としてこの地に移ったのか。

 知性さえ垣間見えないそれらを見ながら、ボーアは一つだけため息を漏らした――直後に、掌に火花を散らせば、その火花は瞬く間に業火球と化して顔を飲み込むほどに、さらには頭上に上り、森を焼き尽くさんとする巨大な球体となった。その変化は時間にして、僅か数秒。

 その数秒で、”連中”と彼女との距離は半分以下になった。

 不安をかき消し、目の前のおぞましい光景を焼き払わんとするように振りかぶり、そして叫んだ。

灼熱ブロークン・ブレイズッ!!」

 火焔は二対の槍と化す。灼熱は彼女の雄叫びと共に頭上から弾け――戦闘の数体に食らいつく牙となる。

 それは大気を揺るがし震動する凄まじい爆発音と共に、直撃した幾つかの”白い連中やつら”が

吹き飛んだ。焼け焦げ、肉体から離別する四肢が、頭部が周囲に撒き散らされて、肉の焼ける悪臭が辺りに立ち込めた。また蛍光系の緑黄色が大地に塗りこまれ、炎はそれで大地にとどまった。

 ――恐らく見た限りでは六体がはじけ飛んだ。

 だがそれだけだ。

 にわかに勢いを停止したかに見えた連中だったが、列をなすそれらは前面のみの被害で恐るるに足らぬと判断するや否や、蹄を高らかに、再びボーアへと駆け寄ってくる。

 距離にして二○メートル。殆ど目と鼻の先だ。

 彼女は指を鳴らし、今度は両手に火球を創りだす。それは同様に頭上にまで上ると、二対の牙が上顎、下顎となって構成された。火焔は大気を喰らって唸り、そして振り下ろされる腕と共に、再び爆炎となって白い連中を飲み込んだ。

 敵は爆散。

 だが焼き尽くされ爆ぜた仲間を踏みつぶして、それでも尚迫る敵は、未だ半数以上を残して――四分の一も減らせずに――大地を駆る。

 周囲の気温は瞬く間に跳ね上がる。周囲を包み込んでいた木々は焼け焦げ火災を起こし、触れ合う葉に伝播して炎が広がる。バチバチと乾いた木が爆ぜる音がして、そして帳が落とされたばかりの夜空を、眩いばかりの火焔の灯りが照らし始めていた。

「ふざけやがって――発現めざめろ……」

 既に、何の揶揄も比喩も無く、白い連中は既に眼前に迫っていた。

 彼女の中に昂ぶる何かがあった。それは心情的なものでは決して無く、魔法発動によって強制的に肉体が干渉されるが故の、身体能力向上の証拠だった。

 血湧き、肉踊る。彼女の身体はだからこそ、歯を剥いて笑顔で触腕を振るうそれらの腕を見切り僅かな足取りでそれらを避けることができていた。

 二対の腕が大地を殴りつけ、そして脇から飛び出てきたそれらが虚空を穿つ。

熱暴走ヒートッ!」

 諸手が真紅に染まり、加熱――その鋭く伸びた爪を含め、彼女の両腕は閃光たる輝きを放ち始めた。そして再び肉体ごと迫り来る無数の敵を認識みて、腕を一閃。そうすると、触腕の腹が彼女の指先に触れた瞬間に、瞬く間に細胞が焼き切れ、そして鋭さ故に両断される。

 見上げる巨体に飛び上がって迷いなく首を刎ね、そして着地と共に即座に後退。凄まじい物量に押し潰されぬように間隙を縫い、呼吸にあわせて足を動かす。

 攻撃を避け、カウンター気味の一閃。触腕と共に肉体を袈裟に切り裂き、半ばから割れた肉塊からは見たこともない臓物が溢れ出し、緑黄の鮮血が周囲に飛び散る。高熱を帯びる両腕は更に踊り、軽い跳躍と共に喉元を焼ききり、かっ捌く。

 その瞬間。

 避けきれぬ、十を超える触腕が頭上から、そして同様に左右から彼女目掛けて襲いかかってきた。

「く――ッ!?」

 両腕を振るい、同時に紋様による魔術を発動。同時に一対の触手を切断し、そして満足に増幅されない火焔は手のひら大のままでつかみかかってくる一本の腕を吹き飛ばす。

 が、それだけだった。

 彼女の抵抗は、その身一つで出来る最大限の攻撃は、それで精一杯だった。

「う……いやぁッ!?」

 両肩を掴み上げる腕があった。両腕を、両足を掴みあげられたボーアは、そのまま掴まれる箇所をぎりぎりと握り潰さんとする腕力に襲われながら――連中はまるで己等に襲いかかった愚かな女を晒しあげるように、ただでさえ巨躯であるそれらより、さらに高い位置に持ち上げた。

「ぐッ……く、くそ……ッ!」

 骨が軋む。

 息が詰まる。

 行動が止まったが為に高揚感が失せて、そして押し殺していた不安や恐怖が、再び髄の髄から肉体を支配し始める。全身が小刻みに震え、視線の焦点が合わなくなる。にわかに現実と認識できぬ現状を、それでも意識は現実だと、逃避を許してくれなかった。

 心臓が、早鐘を打つ。今にも肉を突き破って飛び出てしまいそうな、あるいは破裂してしまいそうな程に鼓動が早く、力強くなった。

 ――静かにのびた手が、緩慢な様子で頬に触れ、そして粘膜に包まれるその表皮でボーアの顔を撫で回した。

 瞼の上から瞳を触り、鼻筋を確認して、唇に触れて――背筋が凍えるような思いを覚えた。まるで、盲目の人間が人の顔を認識するような手つきだ。

 そして唇に触れた指先は、さらに強引に唇を開き、噛みあわせられた歯をなぞる。

「……ッ?!」

 ボーアの唾液にまみれた指でそのまま下唇、顎を経て喉元。指は止まること無く胸元へ。そのたわやかな感触を覚えたのか、興味深く、そしてあらゆるモノを”触れて学ぶ”ように、その指先は優しく豊満なバストをなぞり、そして弾く。

 気色の悪い、憎悪にも嫌悪感にも似た感情が腹の奥底で渦巻いた。

 今にでも叫んで抵抗したかった。いや、抵抗する以前に理性がこの状況に堪え切れずに全てを手放してしまいそうな感覚を覚えながらも――決して屈したくはない、この連中の好きにされたくはないというごく彼女らしい意地が、深淵の闇たらしめる瞳の奥底には宿っていた。

 指先が衣服をつまむ。同時に、もう一本の手が同様につかみ、そして勢い良く引き裂いた。

 小気味良い布の裂ける音と共に、網目のシャツに押し付けられて淫靡に形を歪めるバストがあらわになった。

「き、貴様ら……な、何を――ッ!」

 言うよりも早く、指先は力強くそのバストの先端を摘み、ひねり上げて――。

「あぁあぁあぁあ――」

 ――怒号と共に空気を摩擦するような甲高い亀裂音が”白い連中”ごと、真正面からその無数の腕を肉塊へと変貌させた。


 それはおよそ、少年の肉体には見合わぬ巨剣だった。

 手に握れば、それを構えただけで筋の断裂音が体内に響く。だが構わず、引きちぎれればその度に結合した――肉体に過負荷たらしめる副作用の代わりに、肉体強化魔術パワー・ポイントは常識はずれな身体能力への向上と共に、驚異的な自己治癒能力の強化さえも可能としていた。

 故に走りだす。細胞が死滅するたびに再生し、そして再生した先から死滅する。幾度ともなく繰り返すその中で、数分とせずにジャン・スティールは目的地に到達した。

 そして目にする、悪夢の光景。

 およそ予測し得た事態。

 だが最も回避すべきであり、そうであってほしくなかった未来がそこにはあった。

 ――無数の手によって祀り上げられているボーアの衣服が剥かれ、その手はまるでいかがわしい野郎共の汚らわしい手によって、今まさにその純潔を穢されようとしているようだった。

「――て」

 息が詰まった。

 岩盤から切り抜いたような岩剣を振り上げる。

 関節が悲鳴を上げ、筋という筋全てが断裂する。

 構わない。

 目頭が熱く、視界が真っ赤に燃え上がる。

 鼻腔に突き刺さる悪臭も、肌を焼き尽くす高熱も、その全ては彼の意識に介入することは出来なかった。

「てめぇえぇえぇえぇ――あぁあぁあぁあぁあぁっ!!」

 咆哮。

 背中から吹き出る輝きが、真っ赤に燃える森の中で一筋の閃光となる。

 距離半ば。そこでジャンは剣を勢い良く振り下ろす――が、僅か一秒にも満たぬ時間で距離を半分以下にさえ縮める速度にとっては、その反応速度が一番ちょうど良かった。

 そして接敵。

 やがて接触。

 振り下ろされた剣戟は、最早斬撃たる破壊力を持っては居ない。

 破裂音、爆撃音、共に弾ける肉塊に、爆風と共に吹き荒れる緑黄の血。真正面に捉えられていた一体の”白いヤツ”は振り下ろされたまま爆散して、地面にこびりつく影となる。

 最早”爆撃”と化した一撃によって、ボーアを拘束していた十数体はそれ故に一様に吹き飛び、致命傷、あるいは即死となって肉体を崩壊させていた。

 風が吹き荒れ、火焔が勢いを増す。無防備に空中に放り上げられたボーアの周囲には、されど白い連中は居なかった。

 ジャンはその異種族の脂に濡れた刀身を、近くの燻る木々の中に放り投げて――落ちてくるボーアを両手で受け止めた。衝撃が両腕に流されること無く打ち叩いて、骨が軋む。大きな筋に亀裂が入った感触を覚えるが、肉体の損傷は随時快復された。


「なにやってんだ、あなたは一人でっ!」

 一時的に、魔術を途絶。

 未だ一○○体を超える数が息巻くその中心で、ジャンは無防備なその身を晒すが――今度はボーアとは異なり、その破壊力を認められた。戦術もクソもない直球な力比べに、敵は知性でも持つように足を止め、ジャンを観察するように停止していた。

「逃げろ! あたしはいい、ここは危険なのよ! あんたの敵う相手じゃない!」

 潤んだ瞳で、ボーアは力なくジャンの胸を叩いて、その手で彼の衣服を掴む。無力気にそうする様子は、言葉とは正反対に、行かないで、とでも言うようだった。

「逃げるわけがないっ!」

 腕の中で、ついにはぽろぽろと涙をこぼし始める彼女を自立させ、そうしてから彼女の涙の意図さえも知らずに、ジャンは彼女の肩を力任せに掴んで見据えた。

「おれが目指した騎士は、こんな所で逃げるわけがない! おれは、守りたい人を守るために騎士を目指したんだっ!」

 ボーアが見つめるジャンの瞳には、一瞬だけ黒い何かが過ぎった。

 しかしそれが何か、気にする暇もなく、彼の登場、存在、それに安堵し溢れ出した涙は留まることなく、再び視界を濁らせた。

「だけどあんたは……、騎士のなりそこないじゃない!」

 隠されること無い事実が叫ばれる。

 だというのに、ただ一つのその真実が今を困窮、苦難たらしめる要因となっているのにも関わらず、彼はほんの僅かな動揺の色さえ見せずに頷いた。

「ああ、だからだよ」

「はぁ!?」

「おれは騎士じゃない――だから、せめて今だけは、アナタの騎士でいさせてくれないか」

 ――肉体は既に破滅と再生を幾度ともなく繰り返している。これが示す、肉体強化魔術という支えが失せた先に待つ未来は、いくら魔術に明るくない者だろうとも容易に想像できる筈だ。

 おそらく、まともに戦えるのは今日が最後かもしれない。

 奇跡があったとしても、その肉体が快復するまでにどれほどの技術と労力、そしてどれほどの途方もない時間を費やすか知れない。

 もう他の職業を目指すという問題ではない。

 身体を資本として生きてきた彼の生き方というものを、大きく変えねばならぬのだ。

 その先に待つものは――。

 その覚悟を秘め、ジャン・スティールは全てを賭していた。己の存在理由も、己の強さも、無意味となり得ようとしたその全てを、この瞬間に。

 ついこの間出会ったばかりの女性のために。

 そして目の前に現れた、巨大な壁を突き破る為に。

 ――彼は静かに深呼吸を一度だけすると、近くの幹に突き刺さって炎に炙られていた巨剣を引きぬいた。その刀身は、従来の作戦通りに火焔を纏い始めている。

「あッ、あたしを、守るゥ? あんたが? あ、あんたがァ?」

 手の甲で涙を拭い、あらわになるバストも構わずジャンの横に並ぶ。鼻をすすり、下がる口角を無理やり吊り上げた。

 集団は未だ様子を伺っている。

 二人は臨戦態勢で並び、そしてボーアが続けた。

「”元”騎士のあたしが認めるわ。あんたは今、立派な騎士様よ。存分に、戦友あたしと共に戦いなさいッ!」

 ジャンは力強く頷き、思わずほころびる頬をそのままにして声を荒らげた。

「ああいいとも――連中の暴走は、おれが止めるっ!」

 認められた。

 ただひとことだけでも、たとえそれが虚構だとしても。その言葉は、ジャンに力を与えてくれた。

 血湧き、肉踊る。

 ジャン・スティールの肉体内から、強化魔法とは異なる別の力が湧いてくるのを彼は確かに感じていた。

 あれほどまで”やられかけていた”ボーアが今ではこんなにも頼もしい。

 ただの重い荷物としか思えなかった巨剣が、まるで肉体の一部のようだ。

 目頭が熱くなる。

 闘争本能が昂り、吐き出す呼気は火焔のような熱を孕んでいた。

 そして夜は――明ける様子すら見せずに、更に、更に深き闇へと誘い始めていた。

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