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初めての魔法

「ふう……眠れないなあ」

 アエロは深夜になっても、やはりジャンのあの言葉が頭から離れずに居た。

 団長の、「それでも魔石は輝いたのだろう?」という言葉から、魔術作用の一切ない状態での再検査を再要請され、また後日彼の元に行かなければならないのだが――そもそも仮に、本当に彼に魔法がなかったとして、それは罪と相成るのだろうか。

 それは明らかなまでに国の不手際だ。そしてあの時にわざわざ、隠し通せたであろうものを暴露したという事は、彼自身、魔方陣によって魔力が供給されていた、という事実に気づいたのは近頃の筈だ。

 知らなかったのならば何をしても良いというわけではないが……それでも王が自ら選別した人選だ。下手に退学になるわけじゃない。そして何よりも、今もっとも目覚ましい成長を遂げている少年だ。それをむざむざ、手放せるだろうか? 

 今日は思考が情報に追いつかずにフォロー出来なかったが、また明日にでも行って、早く彼を安心させてやろう。根拠はないが、それでもそう大事になることは無いのではないか、と彼女はそう考えていた。

 なによりも、そういった中でも初めての事例ケースだから、何らかの配慮がなされても可笑しいことはないのだ。

 寮を出て、夜風に当たる。

 闇に散りばめられた煌く星が輝きを放ち、三日月が夜道を照らす。

 今日は久しぶりに、夜の散歩と洒落こもうか――そう考えた最中、タイミング悪く背後から迫る足音を聞いて、彼女は振り返る。

 そこに迫っていた影は立ち止まり、背筋を伸ばした直立姿勢で軽く敬礼した。

「夜分遅くに、失礼致します」

 りん、と鈴がなるような透き通る声音。彼女は月明かりに色素の薄い金髪をきらめかせ、私服姿でそこに立っていた。半袖に、いつもとは異なるパンツスタイルの彼女は第三騎士団副長となるアエロの部下だった。

 彼女は答礼し、気軽に立ち直る部下へと、同様にいつもどおりの気軽さを以て口を開いた。

「どうしたの? こんな夜に、あなたも散歩かしら」

 アエロの言葉に、『クレア・ルーモ』は苦笑するように首を振った。

「私は、まだ実力面が不確かです。もしよろしければ、明日以降、副長のご都合がよろしい時で良いのですが、稽古をつけていただきたいという相談に来たのですが――」

 彼女の夜は、そうして更けていった。



 テポンは夢の中へ。

 そして彼を取り巻いていた多くの友人らは、全てが眠る丑三つ時――。

 爆裂音と共に塗りたくられた闇は一瞬、真っ白な閃光を上塗りし、やがて真紅の火焔の輝きが周囲を照らし始めた。その獄炎とも言える炎に飲み込まれたジャンは、長い間切っていなかった為に伸びた髪の表面を焼いて縮毛し、そして衣服からあらわになっている肌を焦がして居た。

 ジリジリと内部を焼き尽くす高熱に、また全細胞を死滅させる灼熱の中で、それでもジャンは何かにとりつかれたように握りしめた果実――リンゴとも、ザクロともイチジクともつかぬそれを口に運び、歯を剥いてかじりつく。

 新鮮な果実は音を立てて一部を引き剥がし、ジャンは口の中に広がる、味もない、食感もない魔力の感覚だけを確かに覚えて……口腔内の破片の消失と共に、手の中の果実も瞬く間に魔力と化して霧散した。

(こいつは……!)

 体内に広がる特異な力の存在を自覚する。

 そしてそれは、意思も思考も一切無視して、体内の魔力を伴って発動。瞬時にジャン・スティールを中心とする暴風が吹き荒れて、つい数瞬前まで肉体を消し炭へと変えんとしていた炎は、くすぶる暇無く周囲に飛び散り、消火された。

 周囲は再び闇に包まれる。 

 だというのに――身体は火照り、それまで身体を動かすのもやっとだった筈なのに、激痛は失せ快復。加え、肉体は何かに高揚するように、内から覚えのない原因不明の溢れ出る力を持て余していた。

「なんだ、こりゃあ……?」

 呟きが漏れるのと同時に、ジャンは相手がうろたえるのを見る。

「てめえ、やっぱ魔法持ちか……だが――」

「な、なにを」

「面白くなってきたじゃねえかッ!」

 両手で構えていた剣を片手に持ち替え、男は意気揚々とやや前屈姿勢になってから、大地を弾く。修錬されたとも言える行動に、ジャンはその反応を鈍くする。

 しかしそれまで、その魔術を発動にまで至らしめた彼の”無意識”の部分が、さらに肉体を駆った。

付加属性アトリビュート――っ!』

 声が重なった。

 男の剣が淡く輝き、凍えて大地に霜を降ろす。そうしてその刀身は、月明かりを反射する氷の薄膜に覆われ、そこから周囲へと冷気を放った。

 対するジャンは、その全身に火焔を纏う。表面に引火してしまったような姿だったが、肌は焼けず、焦げず、髪はあの独特の悪臭を振り撒かなかった。意識をすれば火焔が膨張し、爆発的に増大する。それは意のままに炎を操る、さながら火炎龍ドラゴンのようだった。

「……てめえ、そりゃあなんの冗談だ?」

 ――認識たものを理解たままに”再現”する魔術。

 それがジャン・スティールの肉体深く、その心臓よりも深い最も行動に関連する位置に刻まれた魔方陣の効果だった。

「なんでてめえが、俺の魔法を使ってんだよッ!」

 快活な笑みが消え去り、表情には憎しみしか残らない。

 同時にジャンは――周囲に強い気配を覚えて、振り返った。

 戦場で、敵に背を向けることは自殺行為であるのだが、男はそれでも襲いかからず、そんな妙な行動をするジャンへと罵声を浴びせる。

 言葉にならぬ声を聞きながら、それでもジャンは感覚を尖らせた。

 見晴らしの良い草原だ。だが近くには森がある。そんな所で、ただの血肉の匂いでさえ集まる”連中”は、これほど派手に魔力を散らして戦っていればやはり当然のように”誘われる”はずだ。

 そして小高い丘になる向こう側に、いくつかの動く影があるのを、彼は確かに捉えていた。

「おい、てめえ――」

 既に背後にまで近づく男は、呆然とするジャンの肩をつかもうとした。だがそれよりも早く、彼は屈んで伸びる腕を掻い潜って後退すると、そのまま背後へ、男の真横へと回り込んだ。

「てっ……!」

「状況が変わった。あそこを見てくれ」

 肩を掴んで指をさす。

 ――この状況で、こんな魔法を使う相手と取っ組み合いながら異種族モンスターとの戦闘なんて、到底できるはずもない。下手をすれば横から突っ込まれて一瞬にして全滅だ。それに手負いだって居る。そいつを庇いながらの戦闘だって、かなり苦労だ。骨を折る。

 この男の実力は、戦ってみて分かったが――本気でやってくれれば、恐らくおれより遥かに格上だ。恐らく肉体強化を施したとしても、行動を起こす前に潰される。その自信があった。

「……なんだありゃ。俺たちの直援なんていねぇぞ」

「あんたら、北の国から来たな?」

 大陸南端にあるアレスハイムは、そこより遥か南西に存在する”溝”にほど近い。それ故に異種族の戦闘能力は他の国に比べて劣化すること無く最高精度の実力を発揮できていた。

 溝より遠ければ遠いほど、異種族の戦闘レベルは低くなる。そしてその弱体化した異種族が住み着けば、そこに生息する異種族のレベルは落ち着き留まるのだ。

 だから、同じ大陸内といえども、アレスハイムから遠ければ遠いほど異種族との戦闘には苦労しないし、そもそも環境に適応していなければ異種族との関わりさえ薄いはずだ。

 一見して”人間”と異形たる”異種族”とを、この状況で誤認するとなれば、彼らが他大陸か、あるいは少なくともエルフェーヌ……否、異種族を軍事利用した”ブリック”より遥か北方、あるいは東西のどちらかであるのは明らかだった。

「よく分かったな。俺は色白なのが自慢なのさ」

 ――となれば、その冷気こそが彼の持つ”付加属性”の中でも最上であり本領であるのか。

 考えて、思わず怖気が走った。

 ”認識たままの火焔”であったなら、恐らく純粋に力負けしていたはずだ。

 今回ばかりは、この闖入者の登場に感謝せざるを得なかったが、

異種族モンスターだよ、お上りさん」

 彼は、鎧ごと殴り飛ばした男が落とした、見事な装飾つきの剣を拾い上げて、なんの感慨もないように「そうか」と漏らす男に促すように先に出た。

「おれが見るかぎりじゃ十八体」

「多いのか?」

「ちょっと前は、五、六○○体相手に五人が圧勝した」

「なんだ、くそ雑魚じゃねえか」

「おれはこれまでで最大で三体までしか相手したことない」

「てめえがくそ雑魚じゃねえか。まあいい、倒しゃいいんだろ? 手伝え坊主、異種族って野郎の殺し方をご教授願おうか!」

 ジャンとの共闘になんの疑問も不快感も表さずに、むしろ喜ばしいとばかりに叫んだ男へと、ジャンは苦笑を漏らし嘆息しながら並んだ。


 夜はまだ始まったと言わんばかりに、新しい戦場は構成された。

 ――見慣れぬ異種族の群れ。身体を包む剛毛に加えて強靭な骨格を持つ巨躯……それは猿人のような肢体をもつものだったり、表面を堅い甲殻で覆う二対のハサミを持つサソリともザリガニとも付かぬ、だが少なくともそれらより遥かに大きい異種族。あるいはお馴染みの強い酸性の唾液を持つ狼だったり――そういった纏まりのないのが総数五体。割り当ては、猿人が一体、サソリが二体、狼が二体。

 そして残りの十三体は全て同種の異種族であり、ジャンが目の当たりにした中で、最も異形なる存在だった。

「なんだあ、ありゃあ……気ッ持ち悪ィな」

 石灰を頭からかぶったかのような白い肉体。四本の足は馬のように蹄を持ち、肉体は豚のように肥えている。前足よりやや高い位置にある対となっている両腕はしなやかに伸びて、三本の指は獲物を見つけて以降、わきわきと動き出していた。

 そして腕が生える中央部に細い首が伸びて、楕円形の頭。歯並びの良いエナメル質の歯は先程からガチガチと音を立てて噛み合わされていて、その上にはいくつもの目を散りばめる顔があった。

 ――異種族モンスターとは、この世界に準拠した生物ばかりだと思っていた。

 だがそれは違う。

 これまで見てきた、聞いてきた動物、昆虫に決して該当しないその異質な生命体は、本来の意味で”異形”だと言える代物だった。

(なんだ、こいつ……)

 そしてそれはまた、ジャン自身知らぬ異種族でもあった。

 聞いたこともない姿。見たこともない格好。色、気持ちの悪い目、肢体。その全ては、彼にとって未知でしかなく、それ故に畏怖の象徴ですらあった。

 異種族の恐ろしさ、その強さを中途半端にわかに知っているが為に覚える恐怖を、彼は抱いていた。

 対する男は――やはりジャンとは打って変わって、その緊張を程良く感じて、肉体を昂らせていた。

 彼はジャンよりも遥かに実戦経験が豊富な男である。特に対人間が多く、そして人間は個体ごとにその実力を大きく変えてくる。だから対峙する敵は全て未知の力を持っていると言え、だからこそ、目の前の異形たらしめる気色の悪い生命体も、彼にとっては同じ未知の存在であり、外観以外、その戦闘方法や可動、機動、身体能力などの違いはあれど、今までの敵と大きく変わっているものとは思えなかった。

 だからこそ平常心を保てている。

 どんな攻撃をしてこようとも関係ない。殺し、殺されるのが戦場の全てであり、唯一の帰結だ。

 故に、今は目の前の敵を殲滅する。

 明らかに、この手の敵には慣れているはずだったこの少年が怯えている様子は少し面倒だったが……。

「おい坊主、今ビビってるようじゃ、殺す価値もねえな」

 前に出るジャンの頭を掴んで強引に後衛へと送る。

 そうして、彼は切迫するように侵攻してくる十八体の異種族モンスターへと立ち向い――勢い良く、足元に剣を突き刺した。

「――食らい尽くせ、大地アース・ピックり」

 間髪おかずに大地が隆起したかと思うと、無数の隆起現象はさらに鋭く天へと突き上がる錐状に変形して、十数メートルにまで迫った異種族群を串刺しにする。

 そしてまた、表面が凍り付いているそれはそれ故に流した鮮血を冷却し、凝結。凍結させて錐状の隆起に張り付かせた。

 鼓膜を打ち破らんとする、轟く咆哮。

 己の攻撃によって怯む異種族へと、男は構わず突っ走り――己が作り出した隆起ごと横一閃で両断する。だが綺麗に分かつわけではなく、砕き、そしてその中にいる異種族の肉体を切り裂いた。

 断末魔さえも許さず、男は前線に立った二体の狼、そして猿人を倒した所で、隆起したその大地を乗り越えて、飛び降りる。冷気を纏う彼はそのまま、待機していたサソリの背中に刀身を突き刺す……が、甲高い金属音をかき鳴らして、その切先は硬質な甲殻によって弾かれてしまった。

 背後から迫るハサミの一閃。

 男は反射的、さらに弾かれた反動を利用して、振り返りざまの一撃でハサミの付け根を叩き上げる。

 反響する程の硬質な打撃音をかき鳴らし、サソリは諸手を上げる。それが降参の意ならどれほど楽なことか――男は無駄に考えながら、嘆息混じりに魔力を増幅。氷の膜はさらに分厚く、冷気が増す。

 そしてその膜が氷塊となって、剣からまるで水滴にように地面に滴った。

 氷滴は大地に触れれば、その地面を凍りつかせる。波紋のように広がるそれらはただの数敵で、攻撃に転じようとしていた二体のサソリの足を飲み込み、地面に留めた。

「おい坊主! 出番だ、”俺の炎”で焼き尽くせえッ!」

 ――そう声をかけられて、男がサソリを放置してさらに先へと迫るのを見て、ようやく自身が呆然と、己が畏怖した敵へと意気揚々と駆ける男に見とれていた事に気がつく。

 肩が弾けたように跳ねて、それから息を呑む。

 剣を片手に走りだし、己に――ごく限定的、一時的だが――宿った炎を剣に増幅させて纏わせる。

 ジャンはその中で、胸の奥で渦巻く感情の全てを遮断し、ただ目の前の敵にだけ集中する。そこでようやく、彼は本来すべき事をするべく、心は持ち直していた。

「今は”おれの炎”だっ、てっ!」

 男の後を続くように隆起に飛び乗り、そこを踏み台にするように高く跳び上がる。

 身体がやがてその重さを感じなくなる一番高い位置で、ジャンは剣を振り下ろす。まとわりついていた火焔は放射されて一直線にサソリへと撃ちだされた。

 凍りついて身動きできぬ異種族は、容易く火焔に飲み込まれて――ジャンはそこを飛び越えて着地する。膝を折るかがんた姿勢で、剣を握る手は放り投げ、そして眼前に掲げた手には、魔力が集中して再び果実が精製された。

「そしてこれが――あんたの――おれの雷だっ!」

 大口で果実を齧り、そして魔力へと帰す。

 放出しきった火焔の代わりに、今度は雷が全身から迸り――振り向きざまに剣を振るえば、その切先から穿たれる稲妻一閃が鋭く甲殻を抉り、弾き、砕いて……火焔の舌が内部を焼き尽くし、瞬く間に二体の巨大なサソリを討ち取って行った。

 ――それで、再び彼が”再現”した魔法が肉体から失せていく。

 凄まじい力の奔流を体験したジャンは、確かに魔術と魔法の違いを理解し、認識し、それで納得した。己には、本当に魔法というものが存在しないということを。

 そして肉体が忘れていた激痛を思い出したように膝まずき、灼熱によって熱した肉体は全身から汗を吹き出させた。

 意識が朦朧とし、そして一度心臓が大きく高鳴って――息がつまり、血管が詰まった感覚。意識が遠のき、視界がぼやけ、周囲の存在感が瞬く間に失せていき、だというのに、自分の中にある痛みや、奇妙なほどの孤独感だけが膨張していって……。

 力量を超える技術ちからの駆使に、肉体が、精神が耐え切れずに、ジャンはそのまま吸い込まれるようにして地面に倒れていった。


 魔力の極端な減少に、男は背中越しにジャン・スティールの気絶を悟った。

 負けたわけではないだろう。おそらく、慣れていないのだろう”魔法”の発動によって力尽きたのだ。

 ビビっていた割には随分と動けていたし、まだ若い。このまま行けばまだまだ強くなる……出来れば、万全の時に戦ってみたかったが。

 男はガラになく考えながら、見上げる程に巨大な異種族へと駆けていた。

 身にまとう冷気は既に無い。

 その代わりに、身体の周囲には常に風が吹き荒れ、

「きめえんだよ、てめえら!」

 未だ十数歩分の距離がある。だというのに男は剣をなぎ払い――その動作の直後、剣から振り払われた衝撃かぜが刃となって宙を駆ける。目に映らぬそれは、緩慢な動きの”白い何か”連中を瞬く間に切り裂いた。柔い皮膚を裂き、緑黄色の鮮血を周囲に振り撒いた。骨は砕けず、ただ筋だけは確かに切断して――それ以前に、異種族でも基本的な構造は同じなのだろう。頭を潰した時点でそれらは崩れ、大地へと沈んでいった。

 目に痛い蛍光色に塗れる姿を送りながら、男はさらに接敵。肉薄、そして己へと振りかぶられた腕に対して剣を振り上げ、降ろしの手早い二連撃で切り落とす。さらに下方からの突き上げで眼前にまで迫った顔面を串刺しにして――蹴飛ばし、次へ。

 ステップ混じりの移動と共に、円の機動で剣戟を薙ぐ。囲まれた男はそれで瞬時に数個体の首を跳ね、脊髄反射で襲ってきた蹄を腹下へと潜りこんで躱す。

 崩れる前にその下から滑りでれば、顔のすぐ横に蹄が落ちて――その死角となった位置から腕が飛来。男の反応速度を上回る俊敏性で肩を掴み上げて、身体を引き上げた。

「こ、こいつら――」

 剣を振るう。すると剣が届く位置より遥か先にある、肩をつかんだ一個体の頭が吹き飛んだ。

 力が失せて、無防備な体勢で地面に叩きつけられようとしたが、男は無理に足で着地し、立ち直る。

「まさか、知能があんのか……?」


 ――残るは二体。

 死骸の山は果たして出来上がり、その向こう側に待機する月明かりに光る白い影。それらは様子を伺うなり、やがて背を向けて、蹄を鳴らし……。

「に、逃げた――だとッ!?」

 盛大な蹄音で素早く道を引き返していく奇っ怪な影は、瞬く間に見えなくなってしまう。

 ――あんな気持ちの悪い生物が、さらに頭が使えるなんて……最悪だ。

 むしろ、あんな異種族ものを”飼って”いながら、よくこの国は国として保っていられて、さらに村や街を外壁も砦も無く、孤立できたものだ。

 領内のあらゆる人種が集まってできた国で生まれ育ったからこそ、彼はそう、感心できた。

 緑黄に染まる剣を振って血を払い、短く息を吐いて、振り返る。

 そうすると、隆起の手前で、ジャンから強引に剣を奪い取った男の姿があった。

 彼は、自身に気づいた男に手を振りながら歩み寄り、苦しそうな顔で声を上げた。

「おい”クリード”、あのガキどうすんだ?」

 このまま放置すれば、他の異種族が死骸を餌に寄ってくる。その巻き添いにあって食われてしまうだろう。

 だが、そこで死ねばそれまでだ。

 されど、クリードと呼ばれた男は、自らの手で彼の未来を終わらせようとは、もう思っては居なかった。

「将来に期待、っつう所だな」

 羽織る外套を翻す。そこには、雄牛が二匹、その横顔を向かい合わせるような刺繍がなされている。

 それはヤギュウの国章だった。

「また出た。お前の悪い癖だ。どのみち、あのガキが騎士だったら、今度の作戦で死ぬだろ。あの程度の実力じゃあな。中途半端に強いと思ってるから、さらに確率は膨れ上がる」

 腰の鞘に剣を収め、やがて二人はその場から離れ始めた。

 大まかな”偵察”は終了した。まさか最終日にこんな出来事イベントがあるとは思わなかったが――異種族との戦闘は良い経験になった。

 あの存在を知らなければ、下手な動揺が周囲に伝播し、対処しきれる場面を逃して最悪全滅する。あの程度の数ならば、恐らく強みと言えるのが”異形の外見”なのだろう。見た目で驚かせ、畏怖させ、隙を作り殺す。

 事前の理解があれば、そう難しい敵ではなさそうだ。

「いいだろ、あんな国での唯一の楽しみだ。平和な国の強者くらいいいだろ……、ある意味でさがなんだよ。あの国で理解できねえヤツぁ居ねえ筈だ。自分の強さを再認識できる、そして戦いこそが自分の生きがいだってな」

 ――作戦の準備にはまだ時間がかかる。だが少なくとも今年中に実行されるのは確実、という話だ。

 ならば、長くて残された時間は約三ヶ月……それまでで、どれほど彼が成長するか。そして己が強くなれるか。

 彼は未来に思いを馳せて、やがて気配の失せた森の中へと歩みを進めていった。

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