ガス抜き
アエロは、まるで突然重大な秘密を暴露されたかのように、詰所に戻ってもその頭の中では物事の整理がつかぬままだった。
だから一先ず報告書を書こうと思うが、混乱しているままではまともに文章が成り立たず、彼女は心底困っていた――その折に、団長が顔を出してきた。
今日のうちに再検査を行うということは既に伝わっているから、彼女は彼女なりに、しどろもどろではあったが、相談でもするように総てを吐露した。団長はカウンセラーよろしく頷き、肯定し、受容する。そうして、状況を改めて説明して彼女自身も落ち着き始めた頃、同様に団長も事態の大体の全容が見えてきたのだ。
つまり、それはごく単純な結論で――ジャン・スティールは魔法を持たず、つまり本来の受験資格を持たずに養成学校に入学したというものだった。
そしてそれが判然とした時、その問題は既にある一つの”事例”として、彼らの間で取り扱われることになる。
――夜も更け、サニーにおやすみと告げて部屋を後にしたジャンは、そのまま自室に向かうでもなく、少も躊躇う様子も無く階段を静かに降りていった。
普段着のままで、足音一つ立てずに玄関の前に立つ。昂ぶる感情が、腕に伝播して思わず震えたが、彼は構わず強引にドアノブを掴み、ひねり上げた。
「どこかに出かけるの?」
背後から気配もなく声をかけられる。だが不思議と驚くことはなく、まるで予期されていた出来事のようにジャンは動きを止めて、自然に振り向いた。
暗がりの中にある小さな影。それはテポンのものだった。
「ええ、眠れないんで、夜の散歩でもと思って。テポンさんもどうです?」
訊いたのは、本気で誘ったわけではない。
彼女がこれに乗ってこないと確信してのことだ。そして同時に、下手に勘ぐられないようにした配慮でもある。
「いや、もう寝るけどね。ただ明日も学校だから、あんまり夜遊びは感心しないわよ?」
「はは、わかってますって。一時間もすれば戻ってきますよ」
「そうなの? ま、それじゃあいってらっしゃい」
「ええ、行ってきます」
軽く手を上げ、挨拶に応じた後、再びドアノブを捻って扉を押し開けた。
月明かりに照らされる石畳の往来は、昼間とは打って変わった物静かな様子に、ジャンは新鮮さを感じていた。人通りは少なく、またそのほとんどは警ら兵のそれである。
ジャンは足早になる己を抑えることは出来ず、そして気がつけば走りだしていた。景色が早送りになって背後へと流されていく。闇の中、不鮮明な視界の中で構わず突っ込んでいく無防備なままでありながら、ジャンは既に他者への配慮や己へ降りかかる危険など、その一切を無視していた。
「めざ……めろ……っ!」
胸の奥底から、感情のままに言葉が吐き出される。
体内で渦巻く魔力がにわかに膨張して、背中の魔方陣が熱を持つように、淡く輝き始めた。
「発現、めろ――っ!!」
背部の衣服がはじけ飛び、それと同時に背後へと虹色の光臨が幾重にも重なって溢れ、魔方陣の輝きはその中心を貫いて――置き去りにされた。
ジャンは肉体の強化を自覚すると間もなく大腿筋を収縮させて、力強く大地を弾く。空間を切り裂いて垂直に跳び上がるその肉体は、いとも簡単に建造物の屋根へと至り、着地と共に膝を折り曲げて衝撃を殺す。
「くっ、そ……っ!」
屋根を弾き、他の建物へと。さらに次へ、次へ。風を纏い、闇の中に迸る一閃の輝きと化してジャン・スティールは宵闇を切り裂いた。
やがて目前に、その屋根よりもやや高い外壁が現れた。
だが止まる訳にはいかない。
止まれば、この壁を飛び越えられなくなる――決意する間に、その超加速した肉体は、百メートル近く離れる建造物の、最後の屋根の先端へと迫っていた。
「おれは、なんで――」
後悔するはずはないと思っていた。
だが実際に全てをさらけ出してみれば、なんだこの醜態は。胸を締め付けるこの苦しみに耐え切れずに家を飛び出して暴走するなんてのは、最早言うまでもなく始末に負えない。どうしようもなく精神は脆弱で、成長したと思っていた己は錯覚だったのだ。
「はじけろ……はじけろぉっ!」
右肘の布がはじけ飛ぶ。暴走するように渦巻く体内の魔力は、まるで桶に貯めた水が小さな穴から吹き出るように掌中へと集中し、魔方陣が制御するように右腕に纏われた。やがて可及的速やかに体内の半分以上のそれらが体外へと放出された頃、ジャンの姿勢は限りなく前かがみであり、そしてその右拳は、既に屋根の端を狙って振り下ろされていた。
「――魔力放出……っ!」
腕にまとわりついていた魔力は、その言葉と共に拳に移行、集中。そしてそれが頑強な人造石へと触れるか否かの刹那、魔力は全ての存在を拒絶するように――爆発。人造石の一部は爆ぜて破片を宙に弾き、拳と屋根とに圧縮された魔力の衝撃が、容易くジャンの身体を吹き飛ばした。
空高く、拳を振り下ろした前屈体勢のままで、無防備なまでに空を舞う。それはただ吹き飛ばされているだけだったが、再び右肘の魔方陣から魔力が溢れれば、体勢を整えて推進する。それは確かな滑空となって、やがて眼下に迫った外壁に、ジャンは足を伸ばした。
魔力放出を遮断し、体内に残った魔力で再び肉体を活性化させる。
勢いによって、足裏にある確かな感触は、滑るようにして背後へと送られてしまう。だがジャンは構わず、そのまま僅かに腰を落とすと、それまでと同様に足場を蹴り飛ばし、空を切り裂き月に届かんばかりに、高く、己の理想とした己よりも遥かに高く、飛び上がった。
その瞬間だけは、ジャン・スティールという自分を忘れることができていた。
「はぁ……っ、はぁ……っ――おれは、なんで、おれは……!」
街から遠く離れた草原で、ジャンは足を止める。全身の筋肉はズタズタに裂けてしまったように激痛を覚え、関節、骨は悲鳴を上げるように軋んでいた。
身体はもう限界だった。
立ち上がれば、生まれたての子馬のように膝がガクガクと小刻みに震え、体勢を維持できない。心臓は今にも破裂してしまいそうなほどに鼓動を繰り返し、汗に濡れた服は絞れる程に水気をはらんでいた。
どれほど走ってきたのか覚えていない。
もう魔力も無いから、歩いて帰っても朝方になってしまうだろう。
だが、もうそれもどうでもよかった。
――腕を振り上げ、全身全霊を込めて大地を殴る。鈍い打撃音を鳴らすだけで、大地はえぐれず、拳に鋭い痛みが走るだけの無意味で虚無な行為だった。しかし、それでも腹の奥底で吐き出されること無く溜まっていた怒りが、にわかに緩和されたような気がした。
こんな八つ当たりは彼自身、初めてのことだったのだ。
今までは、何があっても耐えてきた。我慢してきた。そうすれば、いつのまにか忘れているからそれで十分だったのだ。
しかし今は違う。もう我慢もできないし、耐えられない。
もしあの時、再検査を拒否して、あるいは誤魔化していれば……アエロならば、騙し切れていたかも知れなかったのに。
――なぜ口にした。
自問自答は、その行為に対する後悔の深さを表すように、既に幾度も繰り返されていたものだった。
――なんで、なんでおれは、自分のプライドなんかのために……!
「くそっ!」
また地面を殴れば、小石が皮膚を裂いて突き刺さる。息を殺して呻くが、ジャンはそれでもまだ地面を殴り続けていた。
「なんでおれには」
村を壊滅させられて、それでも命を助けられたから必死に生きてきた。体を鍛えて、自分で金を稼いで、それでようやく念願が叶おうとしていたのだ。夢は既に、手が届く位置にまで迫っていた。
しかし、無に、水泡に帰した。最終的にそうしたのは、自分の手によって、だ。
「なんで、どうしてよりによって……」
あれほどの苦痛に耐えてきたのに。
おれだって、弱かったわけじゃない。自分だけが不幸だと嘆くわけじゃない。だが少しくらいは、せめて自分が目指した場所に立てる”権利”くらいは、平等にあっても良いのではないかと、思っていただけだ。
現実は非情だ。
たかが、魔法がないだけで。
それがないだけで、ジャン・スティールの夢は、望みは、救いはいとも簡単に潰えてしまった。
「おれには、魔法がないんだよ……っ!」
最後の一撃とも言える、体力の総てを出し尽くす殴打。大地はびくともせず、傷一つない。己の無力さを再確認させてくれるそれが、むしろ清々しくさえ感じていた。
――こんなに感情的になったのは久しぶりだ。
草原に横たえて、無数に星が散らばる夜空を見上げながら、胸いっぱいに吸い込んだ息を吐き出した。
外気に触れて蒸発する汗が、感じる冷気が熱した肉体に程良く心地よい。
静かに目を閉じて、何もかもが空っぽになった身体を感じながら、全細胞に針を突き刺したような痛みを覚えながら、されどそれさえも気持ちよく感じていた。
自分はどうしようもない。
他者からの期待や評価は、所詮上辺のものにすぎない。しかしそれは、誰しもがそうであるはずだ。つまり、他者の前で自分がどう取り繕えるのか、どう体裁を整えられているのかが、他者にとっての自分の実力だ。
もういい。
明日は学校を休もう。
アエロだって、まさか明日までに処遇を決定させるはずがない。あの顔を見るかぎりでは、彼女自身も戸惑っている様子だったから、一週間位は待ってくれるだろう。
騎士になれないのならば――少し、世界でも回ってみようか。その為には組合の仕事で資金を貯める必要がある。
それに、サニーだってもう十九だというのに、独り立ちができていない。おれが居なくても大丈夫な位には慣らしておこうか――なんだ、思っていたよりも、騎士を目指さなくても忙しいじゃないか。
ジャンは無自覚に、口元が緩んでいたことに気がついた。
汗だか涙だか分からぬ液体が蒸発して、顔の熱が引いていく。
もう身体を鍛えた意味も、魔方陣を刻んだ意味もなくなった。
ジャンは静かに目をつむり、自然にその身全てをまかせて、闇の中に意識を沈め始めていた。
「――こっちの方か?」
「――ああ、確かに。少なくともオレはこっちから声を聞いた」
静寂に支配されていた空間は、不意に紡がれたその声音によって破られる。
身体を起こそうとすると、既に始まっているその筋肉痛やにわかな関節症によって激痛が走る。痛みに喘いで身体は草原に沈み、足音は、気配は、話し声が、如実に近づいているのが良く分かった。
今、ジャンにあるものは何も無い。
それ故に研ぎ澄まされた五感が、今更になって奇妙な二人組を捉えていた。
しかし、仮に一方的に相手を察知し構えられたとしても、動けなければそこに優位性などは存在しない。
「ん……、おい」
「ああ」
やがて、為すすべもなく、立派な鎧を着込む二人の男は低い声で示しあった後、ほとんど同時に剣を抜いて構えた。
草原に、半身だけ起こして横たえるジャンへと敵意むき出しで現れた二名の男に、彼は素直に両手をあげて無抵抗の意を示す。
見なれない鎧だと、ジャンはまず思った。
流線形の肩当ては外側に向かうほど細く伸びて鋭利になる。幾枚ものプレートを重ねたような甲冑はまだ新しく、脚甲の膝部には鋭くとがった棘が、そして足甲の先端も同様に尖る。
そして羽織る黒い外套の背には国章が刺繍されているが、ジャンの位置からではそれを見ることは出来なかった。
「何者だ? 俺たちがここに来ることを知っていて……そうか、罠か」
「ちょっ……な、なに言ってんだよ、あんた。罠? こんな見晴らしの良い所で、待ち伏せなんてするわけないだろうが」
柄には見事な装飾の剣。月明かりに照らされる顔は、まだ若い男のそれだったが、表情に同様も何も無いのを見れば、やはり修羅を経験し場数を踏んでいることが分かった。
ならば軍兵か、あるいは騎士か。
しかし、どうみてもエルフェーヌのそれではない。だとしたら、こんな夜遅くにやってくるのはどこの人間だ?
「方角からして、アレスハイムの人間か。まだガキだな、こんな所で何をしていた?」
男が冷静に、冷徹に訊いた。
――熱していた意識が瞬く間に鎮静とした。捨てかけていた思考を掴み直して短く一呼吸を置いて、彼は自身の状況を再認識しながら、己の存在が如何に国に不利益を、迷惑を被らせるかを考えながら、口を動かした。
「ええ、そうです。少し嫌なことがあって、走って気分を紛らわせていただけですよ」
そこに嘘、偽りはない。
少し表情を引きつらせて、怯えているという様子を見せながら、内心では面倒な事になったと、胸の奥から息を吐き捨てていた。
「実は俺たちは隠密任務訓練でな。誰にも発見されずに街に戻らなければならなかったんだ」
(――声のした方向へと自分から近づいておいて何を言っていやがる)
「そうなんですか」
しかも、訓練ならばそこまで闖入者に不審がる必要もない筈だ。客観的に見れば、彼らのほうが不審であるのは明らかなのだから、そのセリフが欺瞞であるのは明らかだった。
ならば、何者だ? 隠密任務、というのは近いか、恐らくそのとおりということなのだろう。
だとすれば、偵察か。
(敵国……?)
政治の話は得意ではないジャンは、そこいらについての察しは鈍かった。
現在、アレスハイムには敵対国家は存在しない。貿易や技術の共同開発などで多くの国と関わっているが、どれもこれもが建前上は少なくとも友好的であるし、面と向かって嫌悪を示す国は”今のところ”は存在しない。
それに近しい国とすればやはりヤギュウ帝国だが――やはりそれを、ジャンが知る由もない。
「ああ、だからお前に見つかったという事実を処理しなけりゃ、俺たちは教官からこっぴどく叱られちまうんだ」
「うわ、大変ですね。……処理っていうのは、具体的にどうするんですか?」
腰の脇に手を下ろして、力を込める。尻を浮かして足を折り曲げ、膝を立たせる。ジャンはそうして立ち上がると、全身の痛みに喘ぐ暇もなく大きく二度ばかり呼吸を繰り返して、草原から舗装された道へと降りた。
魔力は大体、半分程度は回復した。全力を尽くせば街まで戻れるだろうが……肉体は耐え切れるだろうか。今の状態を見れば、休めば治る程度の疲弊だ。だがこれ以上の無理を言わせれば、正直な所どうなるかわからない。それ以上の領域に、彼は踏み込んだことがなかった。
相手は他国の人間だ。しかも、偵察任務で来ているとすれば、無論、相手にしてみれば自分たちの存在を知覚した者を殺害することも厭わない。
一方で、ただの国民であるジャン・スティールは個人の私情で手を出すことは許されない。その選択で、どれほど国が立場を失うか、計り知れないからだ。
(くそ……せっかく、いい気分なのによ……!)
二名の男はそれぞれやや左右に別れて、剣を構えた。表情には、不敵な笑みさえ湛えている。
余裕の表情だ。
そして眼光は鋭く、殺意に満ちていた。
「分かりやすく説明してやると……こうだよッ!」
深く踏み込み、縦一閃。距離が離れていたと認識していたはずなのに、気がつけばその剣先は肩口を通り越して肉を切り裂かんと閃いていた。
ジャンは慌てて地面を弾くように横に飛ぶ。そのまま草原に飛び込んで――肉体強化を発動。させようとした刹那、全身に電撃が流れたような激痛が走り、不発に終わった。
息が詰まり、思わず意識が飛びかける。眼球が圧迫されたように視界が狭まり、世界から自分以外の総てが排除されたかのような錯覚に襲われる。
背中は輝きすらせず、されど発動には十分なほどの魔力量はささやかなれど、肉体には戻っていた。
「くっ……限界、か……!」
「逃げてんじゃねえぞ、おら!」
素早く回りこむ男が、再び鋭い剣戟を払う。ジャンは大げさにのけぞって尻餅を付けば、剣先は僅かに頬を掠めただけで通りすぎていった。
(最悪だ――最悪すぎる!)
転がるようにして男たちから離れようとするが、彼らは駆け寄って離れない。受身を取るようにして何とか立ち上がるが、そうすれば逃げることもままならぬほど肉体が激痛に悲鳴を上げていた。
「走りまわってお疲れか? なら楽にしてやるよ!」
「ふざ、けんな……!」
薙ぎ払う一撃。ジャンはそれを深く地面に沈むような進撃で避け、頭上でそれがすぎるのを感じながら、迷いなく男へと特攻した。
右腕を抱くようにして、肩を突き出して危険を顧みずに突撃。そして男は不意気味の行動に、避ける間もなく、ジャンの攻撃を甘んじた。
堅い衝撃がジャンの肉体にそのまま跳ね返る。だが少なくとも、男は反動によって大きくよろけ、その背後に並んだ相棒にぶつかってしまった。
「うわッ!」
「てめ、どこ見てんだ!」
よろけて無防備となる男へと、ジャンはさらに踏み込み、大げさなほどに右腕を振り上げた。
肘の陣が鈍く輝く。
残された魔力が、行き場を失っていた力が、本来あるべき手段に使われることを喜ぶように右腕へと集中する。
「解放だ――魔力放出っ!」
体外から背中の魔方陣に強制的に干渉させて、一時的に強化を行う。さらに物質を透過できぬ魔力は、街を出る際の屋上と同様に、鎧と拳に挟まれて高圧縮し――踏み込んで拳を穿てば、それ故に男の腹部の鎧は爆発と共にひしゃげ、足が浮かび上がり、凄まじい衝撃によって後方へと力任せに押し出されていった。
間もなく体勢を崩して転倒し、呻き、あるいは悪態をついて立ち直ろうとする。だが、攻撃を直接受けた男は腹部を押さえるばかりで、四つん這いから体勢を変えることができないようだった。衝撃は鎧を貫き肉体をなぶった。故に、それも当然の結果とも言えたものだった。
そしてまた、ジャンへの負担も限界を超えてしまったようだった。
「っ……、まあいい。言えない、よな、あんたらは。こんなガキに、手ぶらのガキに、苦戦した、だなんて」
普通に考えれば、先の通りに下手に手を出せばジャンの行動が国を左右することになる。
だが今は、それ以前の問題だ。
敵は彼が言ったとおりに、子供だと侮った相手に苦戦している。相棒などは不意を打たれて鎧をひしゃげさせて、ダメージを負ってすぐさま戦闘に再入できぬ程の痛手を負っていた。
これはつまり、命がけで逃げる事無く、命がけで戦えるということを教えてくれていた。
「くそがきが……、そんなに死に急ぎてえか」
剣を高く構え、切先をジャンに向ける。
男は嘲笑じみた声を漏らして、さらに続けた。
「本気でやってやるよ……発現めろ――」
剣が輝く。眩く、闇を白く塗り替えるほど眩く光るその反応は、魔術などの反応ではなかった。
魔法――ジャン・スティールが本能的に察知したのは、それだった。
「付加属性」
輝きは、その直後に臨界点を突破したかと思うと、さらにバチバチと迸る電撃を纏ってい始めていた。
肩にまで引き上げた剣の、突きの構え。男はそれで構わず、十数歩ほどの距離を持っているのにも構わず、相手がまるで眼前にて待っているかのように踏み込み、剣先を穿つ。
と、その先から伸びた電撃が目にも留まらぬ速度でジャンへと向かい――反射的に横に飛べば、彼が居た虚空を電撃が貫き、その背後の大地を、まるで巨大な槌で抉ったように地面が弾けた様子が、爆音と共に目に写った。
「ちっ、避けやがって」
さらに一閃。
下から振り上げる袈裟斬りは、その切先から増幅した火焔を伴って振り上げられ、大地を這う獄炎、加えて斬撃となって迫る業火が共に容赦なくジャンへと切迫した。
――肉薄する、純粋な魔力を伴った攻撃。
それに、指先がぴくりと弾けるように痙攣した。
心臓が、緊張や恐怖故か――あるいは高まりを覚え、期待をするように激しく力強く高鳴った。
意識が、僅かに肉体からブレる。意識が今まさに迫る火焔から、己の肉体へと移ってしまった。
もう避けられない。
為す術もない。
だというのに、ジャンは己の胸に手を当てて、魔力を集中させていた。
「覚醒めろ」
口が勝手に動く。
身体が乗っ取られてしまったかのように、彼の意識とは別に、手は、喉は、そして魔力は自動的とも言えるほど勝手なまでに動いていた。
胸の手前に、魔方陣が浮かび上がる。極彩色の小さなそれだったが、声と共に、大気中からの魔力さえも取り入れて高圧縮されて何かを”精製”し始めているのがよく認識できた。
(なんだ、これ。おれは、どうなったんだ……?)
魔方陣から姿を表しつつある球体。
それがなんであるか、そして火焔が肉体を焼き尽くすまであと何秒の時間が残されているのか――同時に考えながら、声は紡がれた。
「禁断の果実」
ジャンが精製されたその深紅の果実を手に取るのと、巨大な火焔が足元から、そして眼前から共に迫り彼を飲み込んだのは、ほぼ同時だった。




