順応の日々
新しい環境での一週間とは、ドギマギと緊張に駆られらしく無くもぎくしゃくしながら過ごしていれば、気がつけば過ぎているという、長いようで短く感じるあっというまの期間である。
そしてまた、新しい人間関係が概ね構成し始める一週間でもあった。
「おっはー」「おはよ」「どうよ、昨日の」「あ、あれメチャいいわ」
なんて、相手の出方を探り合いつつも親睦を深め合う、どこにでもあるような若者の会話が交錯する。
登校する道。往来には、妙に堅苦しい白い制服を着る男女が歩いていた。
学校は城の南東、約一キロほどの距離にあり、学生寮は城と学校の通過点にある。だから、そんな楽しげに笑いあう彼らの様子は嫌でも目に入り耳に届いた。
憂鬱ではない。
むしろ微笑ましかった。
彼も皆と同様に制服をまとい、肩にかけるショルダーバッグには今日行われる授業日程に合わせた教科書、そしてサニー特製の弁当が入っている。どれもコレも、今所持しているもの全ては学校から購入したものだ。
サニーとあわせて、まさか資産の三分の二が吹っ飛ぶとは思わなかった。
いくら同郷の友だからとは言え、いくらこの数年間を共に過ごしてきたとは言え――男として、そんな弱音は吐けなかったのだが。
「ねージャン? 今日のおべんとは頑張ったからおいしいよ?」
不景気な表情を見たのだろうサニーは、心配そうに顔を覗き込んでそう言った。
ジャンは笑顔で頷く。
「ああ、ありがとう。サニーの弁当はいつも美味しくて助かるよ」
買いだめした米がだいぶ残っているのが不幸中の幸いだった。
寮は家賃も無く、水も使い放題。台所もトイレ、浴場は全て共同だし、男子女子で分かれているが、少しでも出費を抑えたい彼らにとってはそれだけでも上等だ。
そして寮生は、一年生三十人のうち、大体半数ほどがそうだった。
ちなみに学年は二クラスに分かれていて、十五人ずつ。奇跡的にサニー、トロス、そしてクロコともクラスは一緒になっていた。
そしてクラスでも、挨拶するだけの者から日常会話を交わす者が多くでき、立ち位置も整ってきた。
全てが順調に来ている。
少しだけ問題なのは、クラスの半数以上が――異人種という事である。
そしてそういった関係で微妙なギクシャクがあるのは、多くが城下町ではなく、その支配下、支援下にある多くの街や村出身の者が多いからだろう。簡単にいえば、慣れていないのだ。
加えて純粋に異人種に好意を持っている人間も少ない。憧れすら抱いているジャンは、その中では珍しい方だった。
「よっ、スティール!」
「サニー、スティールくん、おはよ!」
クマのように毛深く、ライオンのタテガミのような髪型の男が背中を叩き、その後ろからやってきた昆虫の羽根や、蜂のような触覚と腹を持つ女子生徒らが追い抜いていく。
「ああ、おはようみんな」
そうしてわざとらしい早歩きを、されど勘付かれぬようにクロコはサニーの隣にやってきた。
「あ、クロちゃんおはよっ!」
サニーは親しく挨拶する。クロコもそれに笑顔で応対した。
物々しい右半身を持ち、また見た目相応にクールな彼女はあまり感情を表に出さない。さらに口数も少ないから少し心配だったが、サニーには心をひらいているようだ。
やはり同じクラスに居るのだから、誰かが苦痛に感じる環境を作りたくないと思っていたから、これはいい傾向に思えた。
彼がそう、人知れず満足気に頷くと、
「うん、おはよう。二日の休みがあったけど、スティールに変なことされなかった?」
思わず吹き出した。
「な、ど、どういう意味だよ!」
「そのままの意味だ、色魔が」
「クロちゃん、ジャンはそんな事しないよ? 優しいけど、家事は全然できないから私無しじゃ生きてけない身体なだけで」
「お前が元凶か!」
なぜ大して接していないクロコにこんな妙に傷つく誤解を受けなければならないのかと思っていたが、その誤解をもたらす元凶は身近に居た。
思わずその尖る耳を引っ張ると、
「いたたたたっ!」
涙目になって必死に抵抗する。振り回す腕はかくしてジャンの下腕に鋭いチョップをかまして、手を離すと同時にクロコがサニーの頭を優しく撫でた。
「サニー大丈夫?」
心配気に彼女を見守る一方で、キッとジャンを睨み返す。
ジャンはさらに何か返そうと思ったが――外壁に囲まれた校舎、その柵のような門が見えてきた。もう無理だと肩を落とし、彼は為すがままで校舎へ、そして教室へと向かった。
校舎は三階建てで、一階部分は食堂や保健室、職員室などがある。二階部分は二年教室が、そして三階部分には一年教室が並ぶ。規模的にはそう大きくも広くもないこの校舎で一日の大半を過ごすことになる。
まず校舎の昇降口から外に出れば、広大な空間がある。授業時間中は閉ざされる門が見えるそこは屋外訓練場であり、肉体訓練や模擬戦闘などの授業は主にここで行われていた。
さらに校舎から伸びる渡り廊下から向かえるのは、校舎顔負けの大きな図書館と、その近くには人工的な水たまりがある。正方形に大地を繰り抜いたようなそこは『プール』であり、夏場はここで訓練もするという。
そういった具合に、施設は充実していた。
総数百人にも満たぬ養成学校、訓練学校とも呼ばれるここで、およそ十人前後の騎士が毎年生まれているらしい。大半の者は卒業出来なかったり、あるいは過酷さに堪え切れずに自ら騎士への道を辞退するからだという。
「そうか……じゃあ今週から本格的にって感じだろうな」
食堂で集まって食事を終えた後、それぞれ自然的に解散となる。サニーとクロコは教室に戻って周囲を巻き込んで和気あいあいとお喋りをしている。ジャンは絨毯が敷き詰められている廊下で、校庭が見える窓に身を乗り出すようにしながら、トロスと談笑していた。
「多分ね。スティールなら大丈夫だと思うけどね。姉さんもそう言ってたし」
――授業内容は、教育というものから六年も離れていた彼にとっては退屈以外の何者でもなかった。
ただ座って、話を聞く。数式を解く、数学という授業もただ延々と公式を覚えるまで似たような問題を解かされるのだ。さらに状況訓練という授業では、あらゆる作戦下で、どのような不測の事態が起こるか、誘発されるか、そこでどのように行動するのがもっとも適切なのか。そういった事を学ぶ。
武具の扱いもまずは机上で習うし、騎馬だってそうだ。
まずは理屈からという考えだ。
だが、そのやり方はジャンに良く合っていた。実際にやってみるにあたって、モノがどういった原理でどう動くのか。武器はどういった事を目的に、どう使われるべきなのか。そういった事を理解した上で行うのが一番効率がいい。何よりも身体の負担にならない。
そんな事を考えていると、不意に後ろから気配が迫った。
「スティールくん、トロスくん。何してるの?」
振り向くと、チョロリと細く長い舌を覗かせた女子生徒が立っていた。深い青色の髪を持ち、それを薄めたような水色の宝石が如く綺麗な水色の瞳の女性だ。上着をしっかりと身に付けて居るものの、その引き締まる腹部が、へそがあらわになる。
そして彼女はスカートも、ショーツも着ていなかった。
「ああ、委員長」
言葉に、彼女のすぐ後ろでとぐろを巻く尾がちょろちょろと反応した。
そう、彼女の下半身は蛇である。
彼女は蛇族の少女だった。名前は『レイミィ』。これからの学校生活でクラスの代表となる立場にわざわざ立候補した、立派な女の子だ。
「おれは今何もしてないをしているんだよ」
「へえ、よくわかんないけど」
「まあ普通にトロスと話してるだけだしね。レイミィは?」
「あたし? そうねぇ、貴方に話しかけたってところかな」
てへ、とわざとらしく舌を出す。
打算的な行動だと彼は思う。
「レイミィは学校に慣れた? 結構、周りの女の子たちと話してるみたいだけど」
「うん、まあね。ただちょっとね、ヒトの男の子が怖いかな」
ヒトが怖い。
それは、これまでの経験や聞いた話でよくあるパターンだ。
異人種は人間の多い場所に好んで住み着く。といっても勝手に居住を構える訳ではなく、移民として普通に転居するように街に済むのだ。そして閉鎖的な場所であればあるほどに外からの人間は珍しく、それが異人種となれば珍しいどころの話ではなくなるだろう。
そして幼い子供ならばなおさら、異人種に対する態度は顕著になる。子供というものは、自分とは違う場所を指摘し弄りたがる生き物だ。
そのあとの出来事は想像に難くない。
一言で言ってしまえば、いじめに遭うのだ。そしてそういった環境にあった異人種はそう少なくはない、というのがこれまで聞いてきた話である。
全てが全て、この国内、城下町内のようにうまくいく話ではない。
残念な話だが、一五○年が経過した今でも、異人種の存在が常識的になっても尚、それが受け入れられる環境は決して多いとは言えないものだった。
「やっぱり慣れかな。でもおれもそのヒトなんだけど?」
「あー、なんかスティールくんて、あんまりそういうの関係無いって感じるの。良くわかんないけど、スティールくんって異人種でも普通の人間みたいに接してくれるでしょ? ちょっとの動揺も気後れもなしに。ただちょっと、ぼーっとこっち見てくることはあるけど」
「それは見とれてるだけだよ。だってすごいよ、魅力的っていうかね。おれたちに無いものを持ってるから羨ましいっていうか。もっと仲良くなりたいかな」
「スティールって女好きだよね」
「あ、トロスくんもそう思う? しかもなんか手馴れてる感じしない?」
「分かる、日常的になってるんじゃないかな」
気がつけばそういう話に移行する。
まだ一週間しか経過していないのにそんな不名誉な称号はいただけないものだ。
ジャンはそれらの声を飲み込む程大きな声を荒げるように、話を転換した。
「あ! ああ、そういえばさ――この校舎の地下って知ってる?」
そしてまた、不意を突くようなその質問に、それぞれが疑問符を浮かべるように彼を注視した。
「地下? なにそれ」
「僕も知らない」
うまい具合に興味を逸らせたようだと、ジャンは胸をなでおろす。
安堵の息を吐きながら新鮮な空気を吸い込み、勿体ぶらせるように説明を開始した。
「なんでも地下には、『呪い』が封印されてるらしいんだよ」
「呪い?」
「なにそれ」
「まあ、超ヤバめの魔術みたいなもんかな。それが具現化して、ヒトの形で暴走したんだって。それを地下の一室に封印したとかなんとかって話」
この話の出自はシイナ。あの鬼族の女騎士である。
聞いたのは、入学式であり、そこで挨拶をした際だった。なんでまためでたい日に幸先の悪い話を聞かせるんだと思っていたが、まさかこんな所で役立つとは思わなかった。
今では感謝感激雨あられだ。
「へえ、異人種じゃないんだ?」
「みたいよ。権化そのものって感じかな」
細かいところはよく知らない。聞いた話だからだ。
だからそこらあたりは全てジャンのさじ加減、イメージで語る。どのみち縁のない話だから、どこまで飛躍してしまっても関係無いだろう。
「でも地下って入り口ないわよね?」
「絨毯で隠してあるんじゃない?」
「あー、それじゃあ捜索は無理ね」
と、レイミィは残念そうに肩を落とした。とぐろを巻く尾もそこはかとなく元気がなさそうだ。
「いや、一応委員長なんだから、むしろ止めようよ?」
「委員長なんだから、危険かもしれない場所を確かめておいて、そこから対策を立てるべきだと思わない?」
もっともらしく言ってきた。
たしか委員長に立候補した時も、他に誰も対抗馬が居なかったのにもかかわらず妙に説得力のある言葉でまくしたてていたな、とジャンは思い出す。
頼もしいと感じられるが、突っ込みどころはいくつか隙間を開けるようにある。警戒すべきか否か、迷ってしまう点だ。
「さすがレイミィ、頼もしい」
ひとまずスルーしておくに越したことはない。
彼女もその返答を流すようにうなずいてから、また改めてジャンを見据えた。
「そろそろ授業始まるわ。遅刻しないように教室に戻りなさいね」
「ああ、ありがと」
と言って、彼女はうねうねと尾をうねらせながら滑らかに前進。割合に速い速度で教室の中へと戻っていった。
――順調だ。
ジャンは改めてそう思う。
人間関係も良好。憧れの異人種も身近に多いし、授業にも追いつける。
だが同時に、ここまで都合よく進むことに不安を覚えた。
また何かあるのではないだろうか。直感的にそう思う。
ジャンはまた窓の外へと身体を向けて、空を仰ぐ。晴れ渡る青空は、いつ見ても心が澄むようで、少し気が紛れた。
「気のせいなら、いいんだがな……」
それからややあって、授業開始の鐘の音が鳴り響いた。