再検査
ある日の昼下がり。
親しみなれた団長の言葉に、意味が分からないといった様子で肩をすくめるようにして翼を広げ、鳥人のアエロは眉をしかめて口を開く。
「正気ですか?」
怒りをはらんだような声音は、狭い会議室に響き渡った。
それは少なくとも上官に対する態度ではなかった。睨みつけ、気をつけすら解いている気安い立ち方は国が国であれば処罰対象にすらなり得たソレだ。もし――ちょうど話題に出ていたヤギュウ帝国のように軍事国家であったなら、即座に怒号と共に組み伏せられていたことだろう。
だが、このアレスハイムでの軍とは飽くまで自衛手段でしか無く、軍内部での取り決まりはそう厳しいものではない。
だから上官下官の違いといえば、その鎧や制服の胸につける称号くらいのものだろう。が、彼らが基本的に行動する場所ではそれすら身につけていないという現状を顧みれば、殆ど自由、というのが多くの者の見解だった。
動きにくく、実用性もなさそうな装飾だらけの華麗な鎧を着こむ男は、無粋な質問だと言いたげに眉をしかめ目をつむり、刈りこまれた短髪を撫でるように手を伸ばした。
「現在考え得る状況で、もっとも最悪の展開を避けられる作戦だ」
「そんなもの、そんなお馬鹿さん達は勝手にぶっ潰しときゃいいんですよ。”溝起源種”にぐっぷり喰われればいいんです」
それに、とこめかみに青白い血管を浮かび上がらせて、ライトグリーンの髪を苛立たしく羽毛の先で掻き上げて、歯を剥いて食ってかかる。
「そんな実験部隊のような連中……そこになぜ”一年”が入っているのです――ッ!?」
――既にヤギュウの一件が騎士団、さらに戦地での役割は戦闘支援を主とする警ら兵の部隊長に情報が通達された現在。各々には特別な命令が下されず、事態の進展までは通常業務を課されたままだったが、現在アエロは、己が所属する第三騎士団団長から一つの命を下されていた。
それは騎士養成学校で目覚しい成績を残す生徒を選別し、緊急事態の為の臨時訓練を行えとの事だ。さらに実戦に限りなく近い状況を作り出すために、異種族が巣食う森にて訓練を行わなければならないらしい。
あらゆる状況を再現し、少年兵が如き戦歴を与えよというのが、一番の目的だった。
そして、今回の予期される侵攻は、以前の異種族侵攻時のように”教育”に使用する。つまり先と同様に学校からの生徒で部隊を構成し、教育区域と割り当てた区画に前線で戦闘する騎士団が部隊数を調節しながらそこへと部隊を流し込む。
彼らの戦闘は、そこで行われる予定だった。
――と言っても、対峙するのは息巻いて駆けてくるヤギュウではない。
予定されている戦闘相手は紛れも無く異種族だった。
砂漠を渡りアレスハイムに来るためには、遠回りしない限り確実に森を通過することになる。
アレスハイムはそれを利用して、多くの異種族をその地点に集中させておく作戦を立てたのだ。そして早々苦戦し始めるであおるヤギュウに対し、なんだどうしたと素知らぬ顔で小隊規模で巡回する騎士団が応戦。つまり自分でかけた罠に嵌めた獲物を、自らで助けてやるのだ。
自作自演も良いところだと、アエロはつくづく思う。
だがアレスハイムは、ヤギュウの侵攻については一切の情報を与えられていないというのが相手の認識だ。あらゆる手段を用いて知っている筈だと理解していても、証拠がない。
だから、ヤギュウは一方的にアレスハイムに”借り”を作ることになるだろう。
それが、現在挙がっている中で最も平和的な作戦だった。
次点に挙がっているのは、通常通り殲滅するといったものだ。しかしどちらにせよ、期待され部隊に所属することになる生徒の役割は変わらない。相手が人間になるか、はたまた異種族になるかの違いだけだった。
「将来、このアレスハイムに利となる人材は丁重に成長させる。機会があれば、戦争さえも経験したほうがいい。今回は、”あの村”の生き残りも体よく居るらしいしな」
「あの村……まさか、あのユーリアさんが珍しく、八つ当たりするくらい怒ってたって言う……ヤギュウの偵察部隊が襲った村の事ですか?」
「ああ。その生き残り二名が、騎士を目指している。嬉しいことではないか?」
「ジャン・スティールにサニー・ベルガモット……その中でも、ジャン・スティールは以前の異種族侵攻の際にも選ばれていました」
「戦闘面では頭ひとつ抜けているらしいな。秘める魔法によって、その特性も、今後の成長も大きく方向性が変わってくるはずだが……ジャン・スティール、名簿にはその欄だけ未だ”不明”の印が押されている」
もう半年が過ぎたというのに、だ。
団長は呆れたとでも言うように肩をすぼめる。
「少年のためにも、我々のためにも、もう一度検査をした方が良いのではないか? 半年の間型通りの訓練を重ねてきて、環境に刺激されて、少しはその己と言うものがわかってきた筈だ」
「ええ、そうですね。検討しておきます」
頷き、一礼。そうして背を向ける彼女へと、嘆息混じりに団長は言った。
「出来れば近い内に頼む。これは君の個人的感情が左右できる場面ではないことを、良く理解してくれなければ困るからな」
授業終了の鐘の音が鳴り、担当教員が明日には特別何があるわけではないと告げて、一日の教育課程が終了する。
各々は気の抜けた声を出して席から立ち、荷物を纏めて教室を後にする。
ジャンも同様だった。
「なあスティール、一緒に帰らないか?」
と、クリィムが誘う。彼女も随分と素直になって、今ではそれに加えてラックとトロスとで帰り道を一緒に歩んでいた。
「ああ、喜んで」
「……喜ばれても困るんだがな」
気安く頬を赤らめて、横顔を見せる。
ジャンはそれに軽く笑い、間もなく二人も合流し、教室を抜ける――すると、対面の窓際に立っている甲冑姿の男を、ジャンは捉えていた。そして男もまた、待っていたかのようにジャンだけを見て、壁に寄りかかっていた身体を引き剥がし、立ち直る。帯剣したままであったが、敵意もなく、どこか使命感に駆られたような面持ちで、立ち止まるジャンへと一歩前に出た。
「ジャン・スティールで間違いないな。悪いが、少し時間をくれないか」
言われるがままに連れてこられたのは、それでも学校の敷地内だった。
ちょうど校舎裏にあたる、焼却炉や”ノロの地下室”などがある場所。そこから程なく歩いた所にある、小さな納屋のような建造物。小奇麗な鉄筋造りの白い小屋だ。
促されて中へと入ると、どうやら武器庫らしい。壁には無数の剣や槍が並び、そして扉があるが、恐らくその向こう側には防具が同じように備えられているのだろう。
ジャンが中へ入るが、ここまで案内した警ら兵らしき男は出入り口で足を止めたまま。そしてその理由を知るのは、室内中央に置かれたテーブルに肘を置き、椅子に腰を落とした一人の女性が居たのを認識してからだった。
両手のあるべき箇所には鮮やかな緑の羽毛。それは鳥の翼であり、下半身さえも鳥のソレである彼女は鳥人族と呼ばれる異人種だった。
「アエロ……さん?」
「あら」
と彼女は驚いたように、そして嬉しげに微笑んだ。
「名前を覚えてくれてるなんて嬉しいわねえ……!」
「ええ、名前くらいなら。それで、おれを呼び出したってのは、またなんでですか? 用があったなら、また前みたいに飛んできてくれても良かったんですが」
「あはは、そんな事まで覚えてるの? もう、恥ずかしいなあ……それに、今日は仕事でね」
「仕事?」
彼が席について問う間に、彼女はポケットをまさぐって一つの石を取り出した。
それはもはや見慣れた、白濁色の魔石だった。魔力伝導率がこの上無く高いとされている種類の鉱物であり、主に武器や装飾品に加工され、魔方陣を刻んだり、あるいは魔術の紋様を刻んだりして魔術仕様へと精錬する事で、戦闘用にも扱えるすぐれモノだ。
以前ウィルソンから渡された多面体も、それを器用に加工した一種である。
彼女はそれをテーブルの上に置くと、気軽く気安い彼女らしからず表情をしかめ、気まずいようにジャンから少しだけ視線を逸らしてうつむいた。
「別に、ジャンくんの資質を疑っているわけじゃないのよ。気を悪くしたら、ごめんなさい。だけど上から――適性検査の再検査要請が出ていてね。再検査の場合は、君が持っている魔術の刻印か、魔方陣を見せてもらわなければならないんだけど……ある、かな?」
その言葉に、ジャンは呼吸の仕方を忘れたように息を止めた。
いつか来るとは思っていた。だがそれは、卒業間近だと無根拠にそう予測していた。
しかしそれは思っていたよりも早すぎたのだ。
自身が魔法を持たぬことを自覚してから、まだ一ヶ月と経過していない。まさか、同時に彼女らもそれを知り、確信を持つために再検査などを行おうとしているのだろうか。
もしここで魔法の有無が判然として、その処遇はどうなる? 入学を許可したのは学校側だ。国だ。だが、どう処分するかも学校側、国だ。こちらが……ジャン・スティールが不正をしたと判断するに違いない。
ならどうなる。逮捕して、独房に押し入れて……この時点では、まだなんの機密も情報も手に入れられていない。ならばそう罪が重くなるはずもないだろう。だが、この学校を追い出されるのは確実――。
「……ジャンくん?」
そこまで考えて、止めていた息を勢い良く吐き出して、胸を抑えながら肩を激しく上下させ、呼吸する。
声をかけられて我に返った。
それに怪訝そうな表情で、アエロが続ける。
「どうしたの、体調でも悪かった?」
脂汗がにじむ額を拭いながら、ジャンは背もたれに預けていた身体を起こし、座り直す。
感づかれないように深く息を吸い込んで、アエロを見据えた。
「いや、今日は戦闘訓練があったんで、ちょっど疲れてただけですよ」
「あら……それじゃあ、また後日にした方がいいかしら?」
「ああ、いえ。大丈夫です、問題ないです」
「本当に? 別に急ぎというわけじゃないから――」
「気にしないでください。ほんとに、ちょっとぼーっとしてただけなんで」
食い気味に遮ると、少し驚いたように目を大きくして、そう、と顔に微笑みを湛えて頷いた。
「なら、始めようか」
ジャンにはそれが、どうしようもなく死刑宣告に聞こえて仕方がなかった。
自己申告だったが、ジャン・スティールは思いの外素直に肢体を晒した。
腹には内なる筋肉が表面にまで浮かび上がり、六つに割れているのが良く分かった。図太いとは言えないが、がっしりと筋肉がついた対の腕。筋張った首に、衣服を脱げばあらわになる、割合に大きい肩口。
筋肉質な身体があらわになる一方で、同時に彼の肉体に”意外にも”刻まれていた魔方陣を、彼女は発見する羽目になっていた。
魔術は、そう詳しくない方である。だがそれは昔ながらの、古典的な魔方陣として有名なものであるのを、アエロは知っていた。
ジャンの背中に広く刻まれる魔方陣。小難しい魔法文字に、特殊な配置の紋様。そして力の象徴たる剣が交差する柄。
それは見紛う事無く、分かる。
肉体強化魔術と呼ばれるそれは、肉体に魔力を流しこんで強制的に干渉、増幅し、肉体の総てを活性化させる強化魔術だ。本能的に制御している力を解放するに等しいそれらは、故に肉体に高負担となる。
だからと言えるが、その為に最近ではあまり見ないそれだった。
しかし、経歴を見るに彼は六年ほど鉱山で働いているのだ。恐らく、崩落などから身を守るために、それを刻むことを義務とされていたのかもしれない。
「なるほど、ね」
彼女は頷きながら、次いで右肘に同様に刻まれる魔方陣へと視線を移した。
直立不動で、頷きさえしないジャンはただ目をつむり、瞑想でもしているかのように微動だにしない。
眠っているのだろうか――アエロは思いながら、軽く屈んだ。
「これは……?」
見たことのない形の陣だ。
どこかの魔術師のオリジナルだろうか。
しかしこんな箇所に、迷いなく魔方陣を刻むとなれば――これをしたのは、随分と手だれだろう。魔術については門外漢とまでは行かぬが、それでも他よりやや疎い彼女でもそう認識できた。
「これは、体内の魔力を体外へと放出するための魔方陣です」
つぶやきを拾い、ジャンが答える。
「そう」
納得し、そして背中のそれと関連性があるのだろう造りに、頷いた。
「それで」
彼女はそこで一度止め、咳払いをしてから続ける。
ジャンは思わず肩を少しだけ弾ませたが、アエロは構わず言った。
「君は、魔法についての自覚はあるの? あるのだとしたら――」
どんな系統の魔法かしら。
彼女は無情に口を動かした。
具現化系か。あるいは属性を持ったそれらか。転移か、分解・再構築系か、錬成か、はたまた未だ現れぬ未知の魔法か。
ジャンはツバを飲み下し、喉を鳴らす。
額から流れた汗が頬を伝う感覚が、己の研ぎすまされた感覚を刺激する。
いつか――ラックは、ジャンの体内の魔力は抑えこまれているから少ないと感じるのだと言った。
だがそれは間違いだ。
肉体強化魔術を使用しない限り、体内に残されている魔力は限りなく少ないのだ。だから、少ないと感じるのは当然だし、抑えこむ以前に絶対量がまず無いのだ。あの期待は、まっすぐにジャンの胸に突き刺さっていた。
「自覚は、あります」
「そう。それは、どんな――」
「おれには魔法がない。その自覚が、あります」
彼女の返しを許さぬように再び遮り、ジャンは振り返る。そんな不意気味の行動にあっけに取られたアエロへと、ジャンは再び見据え、悲観とも失意ともつかぬ感情の入り混じった表情で、繰り返した。
「おれには魔法がありません。魔石が反応したのは、肉体強化魔術が肉体に魔力を注いだからです」
逃げ場など無い。
ここで偽る意味はない。
仮に分岐点があったとするならば――おれにとってにそれは、今なんだ。
ここで逃げて、おれはまた選択を誰かに委ねて、誰かに促されて生きることはしたくない。
おれはおれが決める。
無いものはないし、あるものはある。
だったら、おれはおれの中にある力だけで生きていく。
ただ突き進む――それだけだ。
汗はひき、表情には余裕が戻ってくる。
それとは対照的に、彼が発した言葉を、理解できぬといったように硬直するアエロがあった。
「魔法が、ない……? ど、どういう事?」
彼女を横目に、ジャンは脱いだ服を着直していく。そうしながら、簡単に答えてやった。
「そのままの意味ですよ。どんな処罰でも、おれは甘んじます」
「ちょっと待って、この学校は、魔法を持つことがまず受験資格の一つだったはずよね?」
「ええ」
詰襟の白い学生服を着こみ、ボタンを締める。
「だけど、魔法がない」
「魔石は、おれの持つ魔術によって体内に蓄えられた魔力に反応しただけですからね」
だが、それが妙に滑稽に思えてしまって、ジャンはホックまで締めてから、そのすべてを外して全面を開放した。すると中に着る、輸入品の綿生地のワイシャツがあらわになった。
「……前例が無いわ」
それは失望の意を孕んで漏れた言葉ではなかった。
単純な驚愕だった。
そんな事例もあるのかという、思わぬ発想に純粋なまでに驚いていた。
そうか、この魔術にはそういった使い方まであるのか――という驚きと同時に、それをしれっと答えてみせるジャンに、不信感を抱く。
その様子はまるで、バレてしまっては仕方ないと開き直るそれに等しかった。
ならば、意図的にここまでを過ごしていたのか? あわ良くば、魔法を持たぬまま騎士になろうと。その高い戦闘能力に驕って?
彼はそんな……それほどまでの”クズ”だったのか。
眉をしかめ、ジャンを見る。すると視線は交錯し、蔑みの感情を持つ視線を受けて、ジャンは肩をすくめた。
彼はそのまま、手提げのカバンを手に取り、ついで白濁色の魔石を手にとってみる。
それは相変わらず、何の属性もない、純粋に魔力だけを感知した”透明の輝き”を放っていた。
短い嘆息の後、再びアエロへと向き直る。魔石を手渡せば、それは彼女の羽毛の中で淡い緑色の輝きを漏らし始めていた。
「おれは、国の選択に甘んじます。おれは、おれがしたことの責任くらいはとるつもりだから」
そうそう大げさな言い方になってしまったが――見ようによれば、国を騙したのだ。
なんらかの処罰があってもおかしくはない。
ましてや、この学校が国の軍事力に直線関係してくるような施設だからなおさらだ。
ジャンは飽くまで表情を消し、アエロの横を通り抜ける。その所作、顔つきには――初めて会った時のような気さくさや、あのこっちまで恥ずかしくなるような初々しさはない。それは既に、決意した男のものだった。
少年の部分は一切無く、青年としてもその精神は研ぎ澄まされていた。
――アエロの意識が己の思考から外れたのは、背後で扉が閉まる音が、小さくしてからだった。