帰郷 ④
「サニー、お誕生日おめでとう!」
それから数時間。観光から戻ってきたサニーらを迎えたのは、ホールに掲げられた横断幕に描かれたそんな歓迎だった。
円卓、長机には無数の料理が並ぶ。西洋、東洋、中華。種類は多様に、そして豪華絢爛に。ホールの中央に配置された円卓には、三段はあろうかという巨大なケーキがそびえ立っていた。チョコレートで出来たプレートには、ホワイトチョコレートのソースで”ハッピーバースデイ”と描かれて、ケーキ本体にはイチゴのソースでニコニコマークが彼女を迎えていた。
盛大な歓迎。鉱夫共の酒臭い「おめでとう」「おかえり」の嵐に困惑していたサニーは、暫くあっけに取られていたが、その全てが自身に向けられた好意だという事を理解して、思わず涙腺を崩壊させた。
クロコの胸に抱きつくようにして泣き、それから改めて始まる誕生会。
レイミィは興味津々に料理に足を運び、アオイはいつプレゼント披露会が行われるのか辺りをうかがいながらソワソワとあたりに目を配る。クロコはサニーと共にケーキを食べて――。
「やっぱり、大人ね?」
壁際で、ヴェンが強引に手渡してきた料理が山盛りになる皿を片付けていると、ふとクリスティンが簡単なドレス姿でやってきた。主役をとらない慎ましい、水色のワンピースドレスは、年甲斐もなく膝から下の生足を披露させていた。
「ええ、サニーも昔よりずっと大人っぽくなりましたよ」
ジャンは変わらず微笑んだまま、そう言った。
するとクリスは指を振り、違うわよ、と少し不平そうに否定する。
「キミよ、ジャンくん。だってアナタ、すごくうれしそうな顔してる。サニーちゃんのこと、自分のことみたいに嬉しいんでしょ?」
「ええ、妹がこんなに歓迎されてると嬉しいですよ。これまでがキツかった分、サニーには幸せになってほしいもんです」
「でも、サニーちゃんが年上になっちゃったわね。ジャンくんは兄じゃなくて、弟くんだわね?」
「はは、そこ言われると痛いですね。でもまあ、サニーが慕ってくれる限り、おれはどうあれ兄で居るつもりです」
照れくさそうに頭を掻くと、クリスは笑みを絶やさぬまま、じっとジャンを見つめる。
その視線に気づいたジャンは思わずどきりと胸を高鳴らせたが、それでも平常心を保って、疑問を呈した。
「なんです?」
「いやあ……わたしも、もうちょっと若ければっていう、ね。ちょっと本気でそう、思っちゃったかも」
「クリスさんは随分若いですよ。見た目なんて、まだ二十代前半もいいとこなじゃないですか」
「それじゃあ、もしわたしがジャンくんに迫ったら、いいの? 責任取れるの? 三八のおばさんなのに?」
「おれはまだ未熟だし、自分のことで手一杯だから断言はできませんが……クリスさんなら誰だって大丈夫ですよ」
「うわー、なにげにスルーされたー」
子供っぽくそう嘆きながら頭を振って髪を振り乱し、喧噪の中に飛び込んでいった。
よくわからない言動にジャンは軽く肩をすくめてから、肉片を一つ口に含んだ。
――料理を咀嚼している時は良い。表情が無くなっても、誰かに取り立てて指摘されることが無いからだ。
ジャンはお祭り騒ぎの室内を眺めながら、一つ嘆息する。
どうにも食欲がわかない。舌が鈍くなっているのか、料理の味をよく感じられない。
やはり気にしないふりをしていても――どうやら心底ショックらしい。
――果たして魔石は輝かなかった。
鈍くすら、体内にほんのかすかに残っているだろうと考えていた魔力すら感知されていなかった。
ジャン・スティールは魔法を持たない。
すなわち、騎士になる資格がない。
それが判然とした。
他国へとわたり市民権を得ればまだ話は別だが、アレスハイム以外で騎士になるつもりはさらさら無い。
だから、この後自分はどうするか……それを、自分で決めなければならない。
既に学校には二年分の学費を支払ってあるから皆が卒業するまでは籍を置くつもりだし、学べることは全て学ぶ予定だが、問題はその後だ。
ジャンはそこまで考えて、逆に、と思った。
かえって、早めにそれを知ることが出来てよかったかも知れない。覚悟する時間があって、せかされること無く、時間的圧迫感に迫られること無く自分自身で決められて、逆に良かったのだ。
意地汚く料理を頬張るウィルソン。変わらず酒を浴びるように飲む面々に、それにしかめっ面をしながらも笑う寮母。
少なくともこの空間は幸福に包まれているのだ。
個人的な感情で、自身の不満をあたりに振りまく自己満足で、これを台無しにするわけにはいかない。
だからジャンは頬の筋肉を張って、料理を飲み下すとすかさず微笑んでみせた。
――ヴェンが言うには、既にこの歳になれば魔法を持つ人間はそれを自覚し、ある程度は扱えるという話だ。
魔法を後天的に覚醒することは今まで例が無いらしいし、ヴェンは行く先がなければいつでも来いとも言ってくれた。
ジャンは背中のやけどの鈍い痛みを意識しながら、もう一度だけ深く嘆息した。
《その程度で落ち込んでいるということは、挫折を知らない小童ですね》
無自覚にうなだれていたのだろう。気がつけば、自分の視線が足元に向いている事に気がついた。
顔をあげれば、グラスになみなみと注がれた黄褐色の液体。もしかしてオイルなのでは、と少し期待してみたが、香りからしてまず酒だった。
《蒸留酒は嫌いです。麦酒はもっと嫌いです》
彼女は言いながら、手の中のグラスをジャンに押し付ける。
彼はそれに苦笑しながら受け取り、仕方なく半分ほどを一気に飲み下した。
胸が焼け、頭の芯がじんと熱くなる。眼球が圧迫されたように息苦しくなって、血液の温度が数度ばかり高くなったかのように全身が熱を帯びた。
これがやけ酒か。
思いながら、タスクへと視線を戻す。
《ついでにこれも渡しましょう》
彼女は、ジャンの強張った笑顔が少しだけ緩んだところを確認してから、ついで鞘に収まったジャンの剣を手渡した。
「……なんです、これは?」
《一般にブロードソードと呼ばれる種類の剣ですね。幅広剣と呼ばれていますが、レイピアが主だった際に生まれた故に、レイピアよりは幅広だ。なら幅広剣だ、ということからそう名付けられたという説が主で――》
「違います、違います。この剣じゃなくて、これを渡した意図を聞きたいんですが……」
《ちょっと表に出ろ小僧試してやんよ》
低い声で脅し掛かるように、彼女は深く一歩踏み込んで睨みつける。
そうしてまた退くと、変わらぬ無表情で背を向けた。
《というのが主人の伝言です。スティール様の力量を再び推し量り、背の魔方陣を再構築するための情報を取得します》
「ああ、なるほど」
《念のために裏口から出ます。この騒ぎなら、少し騒いでも勘付かれないでしょう》
外は既に夜の帳が落とされていて、薄暗かった。何も見えぬ程ではないし、戦闘に支障は出ないだろうとジャンは判断する。
彼女が担ぐ木槌を巨大化させたようなそのトンカチは、槌の部分だけでゆうに一般的な樽ほどの大きさを有していた。
底の部分には”天”、その逆には”誅”と深く刻まれ、溝には朱漆が流されていた。
《――肉体制限を二○パーセントに変更、自衛魔術の発動を全面禁止。……武器が大木槌なのはまず謝罪しますが、これが主人の要望です》
「見るかぎりでは、ヴェンさんの戦闘態勢の模倣というようですが……」
《鋭いですね。そのとおりです。行きます》
私語もそこそこに、まるでちょっとトイレに、とでも言わんばかりの軽快さで、タスクは力強く大地を弾いていた。
柄を肩にかけ、槌を担ぐ体勢で。
《下せ――天誅!》
大木槌は、ジャンの遥か手前で振り落とされた。その質量、そして腕力が根こそぎ大地に叩きつけられて――にわかな地響き。大地震よろしく、構えているジャンの足元を大地ごと鈍く揺るがした。
すると途端に、その衝撃面から大地が盛り上がり、もぐらが地表すれすれで這うかのように、ミミズ腫れのような起伏をまっすぐジャンに向けて走らせた。
高速度での機動。本能的な危機を認知して回避を目的に走り出すが、その起伏はジャンを追尾する。走りだしてもその速度を上回ることが出来ずに、やがて飛び上がろうとした足裏に、その起伏が触れた。
爆発。
火焔はなく、硝煙はない。
大地が爆ぜて土や小石が吹き荒れる。同時に、大地に叩きつけられた”あの衝撃”が、まるで足元から解き放たれたかのように接地していた左足に襲いかかった。
体勢が崩れ、にわかに背後へと押されるように吹き飛ばされる。
その最中にも、油断なく容赦せず、大木槌を横薙ぎに振るうタスクの姿が迫っていた。
「く――っ!」
発動しろ。
「振動剣っ!」
戦闘開始前より待機していた剣の紋様が輝き、まもなく魔術が作動する。するとすぐさま刃は肉眼では捉えきれぬ早さで高速振動し――大木槌に対し、その刃を接触面に押し付ける形で対処した。
それは本当に木で出来ているのか不思議に思う。
振動剣に対し、木槌は鮮やかな火花を散らして押し寄せていた。途方も無い質量に、解放された二○パーセントのタスクの腕力。それが合計して、どれほどの威力になるのかわからない。
それでもジャンはそれになんとか耐えていて、踏ん張る足で地面を抉りながらも、撒き散らされる火花に身を焼きながらも、木槌に押し切られることはなかった。
――そして限界が近づく。
肉体は、考えるよりも早く行動を起こす。
接触面を刃から胴に変え、振動権を解除する。そうすると抵抗は瞬く間に弱くなって、剣はその勢いに飲み込まれるが、ジャンが構えた剣に沿うように大木槌は流れていく。
ジャンは押し出される形になるが、それを利用して数歩分を一気に跳躍して後退した。
「穿て、大地の怒り」
着地と共に、柄を両手で握って刃を大地に突き刺した。
紋様が刀身に走り、輝き、命ずるままに魔術が発動。
まもなく、ほんの僅かな時間差の後に、数歩手前のタスクへと無数の針が大地から突き出された。
が――それは柔い土だ。ジャンには、土の密度を本来の素材以上に小さくすることは出来ない。
だがそれでも、タスクは大地から突き出た土を崩し、湿り気のある土に塗れて視界を埋めた。
ジャンが走りだす。共に下方から袈裟に剣を振り上げれば、それでもジャンの気配を察知して大木槌を振り下ろす。堅い接触面と鋼鉄の刃が触れて火花が散り、ジャンの足は思わず止まる。
怯まずに一閃。傍若無人な一打が対応する。火花が瞬き、衝撃が両腕に伝播する。肩に鈍い痛みが走り、疲弊に筋肉が悲鳴を上げた。
全身が軋む。
構わず剣を振るえば、容赦なく大木槌が見出した隙を潰してしまう。
一閃、一撃。一進後退の攻防は、傍から見ればタスクが簡単にジャンをあしらっているだけに見えるだろう。
斬撃を振るう一定の間隔が、僅かに遅れた。
それ故に大木槌は頭上から、何の抵抗も無く障害も無く振り下ろされる。
「――っ!」
狙ったわけではなかった。
だが彼は気づいたのだ。
目の前には、両腕を振り上げて無防備になるタスクの姿が。
だから迷わず深く踏み込んだ。息がつまり、全身の筋肉が引き裂けたかのような激痛が走るが。今更になって、あの衝撃によって剣に細やかなヒビが入っていることに気づいたが、彼は全てを素知らぬように無視して切り捨て。
幸運にも訪れた隙に、一撃に、全てを賭けた。
が――。
「えっ……?!」
居ない。
迫ったはずのタスクの影が、そこには無かった。変わらず頭上から大木槌は迫っていたが、前方、そして左右の視界にも彼女の姿はもちろん、影も無いし、この迫る覇気からタスクの気配だけを察知することは出来ない。
そして衝撃。
腰に鋭く突き刺さる打撃。故に体勢は崩れて、ジャンは突撃体勢のまま背中を押された形で、前のめりになり、転倒。剣を振り上げる無防備な体勢のままで両肩を大地にぶつけ、そのまま顔面を打ち付ける。
素早く身体を引き起こそうと全身に力を込めるが――振り下ろされた大木槌が、優しく背中に落とされた。
《情報提供、感謝致します》
「いえ、おれの為なんでしょう? むしろ、お礼を言いたいのはこっちの方ですよ」
《しかしお陰で新製品の具合も良く確認できました》
「……新製品?」
コレです、と大木槌の柄を手にとって示した。今では誅の字に斜め一閃の焦げ跡が付いているが、彼女はそれさえも誇らしげに頷いた。
《天誅という名称で、魔術仕様。打ち付けた衝撃をそのまま物質を伝播して対象を被爆するまで追尾するという高性能です。ついこの間に協会からよこされた代物で、実験品なのですが、問題はないようですね》
呼吸は乱れること無く、ただ少しだけ声音に交じるノイズを目立たせて、彼女は続けた。
《そろそろ誕生会もお開きでしょう。予定では、プレゼントお披露目会は終盤です。出遅れぬように戻りましょう》
「あ、はい」
暗がりの中で、彼女は大胆に衣服をまくり上げる。既にバストも、その引き締まった身体もあらわになっているであろうにも関わらず、先程より暗くなっているお陰か、彼女のその肢体を視ることは出来なかった。
だが、その腹部に闇よりも深い漆黒が生まれたことだけはよくわかって――そこに大木槌が飲まれたのも、奇妙な感覚だが良くわかった。
《おまたせ致しました。では》
「はい」
ジャンは改めて頷いて、裏口へと向かうタスクの後をついていった。
八月二七日。
誕生日が終わり、その翌日もコロンの街に滞在したジャン一行は、その次の日に荷物をまとめて街を後にした。
最後までヴェンは心配気な様子だったが、魔術の施術をしてくれたウィルソン、そしてタスクはどこか含みのある笑みで別れを告げて、再開を誓った。
その際に手渡されたのが、白く濁った魔石――ではなく、それが加工された、透き通る水晶だった。丸いそれではなく、多面体。陽に掲げるだけでそれは鮮やかに陽光を反射させるが、それが目的ではない。
魔力を込めれば、それがプリズムを所有するウィルソンへと音声が繋がる仕様だ。簡易な通信装置というものらしいが、それはアレスハイムにはない技術だった。
彼はその際に「いい商売相手になってくれることを願う」と、これからのジャンの成功を祈る言葉を告げてくれた。それは未来を失ったに等しいジャンにとっては非常に嬉しく、また彼の知らぬ世界の人間故にどこか希望すらもたらしてくれる言葉だった。
「ねえ、ジャン?」
金貨二枚の価値が本当にあるのか定かではないペンダントを胸に提げるサニーは、上目遣いで声をかけてきた。ペンダントには、何らかの魔術仕様があるのを願うだけである。
「ん、どうした?」
レイミィも、アオイも、クロコも、どこか満ち足りたような表情で同行し、言葉を交わしている。今回の事が、どうあれ彼女らにもタメになったのだろう。
「これ、ありがとね?」
「ああ、気にすんな。そう高いもんじゃないし」
そう口にすると、財布の重量を否応無しに最認識させられる。
ここに来る前に買っておいた、本当に安物の宝石はクリスティンに渡してきたが――妙にはしゃがれたので、なにやらかえって申し訳ないことをしたような気持ちだ。まさか、処分ついでにプレゼントされたとは思ってもいまい。
「大切にするね!」
「ああ、大事にしてくれ」
「私ね、もっともっと頑張って、絶対一緒にジャンと騎士になるから」
「……ああ、そうだな。だけど、あんまり無茶はだめだぞ?」
「わかってるって。ジャンもだよ」
「そうだな」
――背中の魔方陣は元に戻り、そして右肘に小さな魔方陣を刻まれた。
それは、背中の魔術を制御するコツを教えてくれるとウィルソンは言っていたし、右肘の魔方陣単体でも、使いようによっては持て余すとも言っていた。
それがどんなシロモノなのかは伝えられなかったし、試すヒマも無かったが……魔法を持たぬことを今更になって自覚したジャンに対する、ウィルソンなりの配慮なのだろう。
――腰の剣も、既にあの使い慣れた幅広剣では無くなってしまった。
それよりも大型の、一メートル以上ある刀身に、長めの柄が特徴的な雑種の剣。魔石によって加工されたそれはブロードソード同様に魔術の使用を可能にしてくれたが、ブロードソードのように軽々とふることはできない。重さ故に、下手をすればそれに振り回される可能性があるのだ。
そして携える位置は腰から背中へ。
与えられたそれらはまるで、ジャンの心に開いてしまった穴を満たしてくれるようだった。そしてそれは非常に嬉しいことで、喜ばしかった。それだけで十分だった。
それでも、もう気にしていないと口にしても、胸の奥にある喪失感は拭われない。
漠然とした将来への不安が生まれたのだ。まず進路を新たにしなければ、その穴が縮まることはないかも知れない。
「一緒に、騎士に……か」
「ん? なに?」
消え入るようなつぶやきに反応したサニーが顔を向ける。
ジャンは、なんでもないと首を振った。
――騎士に、一緒になると決めたから彼女がついてきた。
だが、ならばこれからどうなる? 下手にジャンについてくるより、その資質を騎士になって活かすほうがかえって安全なのではないか?
騙してまで、彼女の本来の望みを利用して騎士という枠に押し入れて――良いのだろうか。
「……っ」
駄目だ。その回答を、今の感情で出す訳にはいかない。
この件についてはじっくり考える必要があるのだ。
ジャンは大きく首を振って、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「がんばろうな、サニー」
軽く頭を叩いて撫でると、彼女はくすぐったそうに肩をすくめて、首をかしげた。
「うんっ!」
元気の良い返事は鮮やかに蒼く晴れ渡る空に反響して、それにレイミィたちは楽しげに笑って――。
夏休みのイベントは、結局その帰郷が最後となって、終わりを告げた。




