帰郷 ③
「ただいま戻りました」
室内は、やはり寮母のがんばりのお陰で清潔が保たれていたが、少しばかりの喧噪故にその様子を明確に認識することは出来なかった。
入ってすぐは、一般的な酒場のような空間が広がっている。円卓に長机。その奥には寝室やらが並ぶ通路とを隔てる扉があって、右手側の壁には台所に繋がる扉。
扉を開けるなり、慎ましく酒を煽る十数人の鉱夫が一様に振り向いた。
「……誰だお前」
まず開口一番がそれだった。
一番手前の、一番若いドワーフの青年が神妙な顔つきでそう告げた。
ヒトが、既に五○近くの中年男性と寮母くらいしか居ないこの空間は既に凍りついたように静まり返って――ジャンは迷わず、バッグから土産物を机に投げた。今度はチョコではなく、酒のつまみになる牛の干し肉の袋詰めを幾つか。
すると打って変わったように表情を明るくして、男は立ち上がって勢い良くジャンを抱きしめた。
「良く帰ってきたなぁ! おめっとさん、無事でなによりだ!」
もはや慣れたとも言えるが、しかしラァビとは違う男臭さの混じった酒気に懐かしすら感じた。
ジャンは抱擁の後、男と強い握手をかわしてから、あたりを見渡す。するとみな同様に立ち上がり、ジャンの帰郷を我が子の帰郷のように喜び破顔し、タイミング良く寮母が持ってきた酒瓶を掲げてグラスに注ぎ始めていた。
中身は蒸留酒だ。ジャンの苦手な種類の酒だが、彼らはそれを知っていても構わず木で出来たジョッキにそれをいっぱいに注いで、押し付けてきた。
暫くして、酒が皆の手に回る。随分と手馴れた速さに改めて驚愕しながらも、また少し呆れて、だけど相変わらずの様子に思わず笑みが零れた。
「それじゃー、ジャンの帰宅を祝して……かんぱーいッ!」
「カンパーイ!」
こいつらはただ何かを理由にして酒が飲みたいだけなのだ。いつも酒をあおっているクセに、何かイベントがあれば興奮ゆえに酔いが早いからとわざとそうする。
ジャンは変わらない連中を見ながら、各々が一気に酒を飲み干す姿を眺め、ジョッキを口につける。途端にクセの強い香りが鼻腔に突き刺さり、ジャンは勢いで一口含む。すると辛い以外の味を覚えることが出来ず、彼はそのまま飲み下した。
「ふぅ……」
マズイとまでは言えないが、あまり進んだものではない。
ジャンは飲みかけのジョッキを近くの机に置くと、不意に背後に迫った強い気配に気がついた。
「ジャン、良く帰ったね。まさか、こんなに早く帰ってくるとは思わなかったよ」
振り返れば、恰幅の良い女性がそこにいた。長い髪を三つ編みにしてまとめ、頭には三角巾をつける彼女は寮母としてこの宿舎を切り盛りしている、無くてはならない存在だった。
差し出された手に手を返し、力強い握手を交わす。
早くも懐かしく感じる姿にジャンは素直に笑んで、頷いた。
「ええ、飛んできました。それに、今日はただの日じゃないですしね」
「ああ、なんだ。良かったよ忘れられて無くて」
豪気に笑って、彼女は力一杯ジャンの肩を叩いた。彼は強い衝撃に思わず顔をしかめながら、抵抗することなくそれを受ける。
彼女は続けた。
「安心しな。ケーキも用意したし、今夜は豪勢だ。来れたらクリスも来るっていってたし、あの胡散臭い武器商の二人も参加するらしいし」
「そりゃ良かったです。あと、友達を三人ほど連れてきたんですけど……」
「んな心配は要らないって。こんな野郎どもでも腹や口を抑えてもまだ有り余るくらいの量は用意してるんだから」
「ははっ、なら安心しました」
「――おーい、ジャン! ババアなんかと話してねぇで、こっち来い!」
「こらアンタ! お前は明日の弁当ナシ大決定ね!」
「はっは! そりゃひでえ!」
既に酔いが頭の芯にまで回ってしまっているのだろう。そんな事を言われても男は手で顔を隠すようにして、大きく笑った。まるで知性の”ち”の字もうかがえない空間だ。脳の要領を、ほんの僅かでも使っていないだろう。本能で生きている連中だ。
懐かしい。
喧噪を肌に纏って、ジャンは自ら飛び込むようにその中へと入り込んでいった。
結局その騒ぎがある程度落ち着くと、いつものように親しい者同士で円卓を囲む形となっていた。
特に誰と誰が仲が悪い、ということはないが、言うなれば特に相性がいい者同士だ。
ジャンが座ったのは、経営者であるドワーフ族のヴェンと呼ばれる八○過ぎの男の席であり、そこには中年男性のヒトが一人に、手持ち無沙汰になった寮母が腰をかけていた。
しかしドワーフ族の平均的な寿命は二○○歳近く。だから見た目もまだ若いし、ヒトにしてみればここに居る中年男性よりもまだ若い風貌を持っていた。
加えて、そこには最初に話をかけた青年が眠りこけるように、机に突っ伏していびきをかいている。
「ははは、いつもみてぇにうるせぇだろ。やっぱ、育ちのいい学校に慣れてからここに来ると、さ?」
口ひげを生やした、作業服姿の男。彼は倭国から流れてきた技術者だったが、いつからか居着いて今では立派な作業員となっていた。
「いや、まあそうですかね。でもやっぱり懐かしいっていうか、ここは良いです。落ち着きます」
「そう言われると嬉しいねぇ」
「ははは、確かに。お前さんの故郷はここだからな。いつでも帰ってきてくれてもいい」
「ええ。そう何度も帰っては来れませんが、長期休暇があればまた来ますよ」
「ああ、それがいい」
二人のヒトはそう言いながら酒をあおる。
そうすると、寡黙だったヴェンが酒の手を止めてついに口を開いた。
「にしてもなァ」
長らく聞いていなかった声が聞こえて、ジャンはそちらに顔を向ける。
立派な顎鬚を蓄えたヴェンは、図太い腕を魅せつける下着姿のままで、一口分だけ残っているジョッキを口に運んだ。
ごくりと飲み干し、寮母に次を催促すると、円卓に何本も置いてある内の一本の瓶を投げられた。
彼はそれを受け取り、蓋を捻り、ジョッキに注ぐ。
まるで一仕事終えたように嘆息してから、ヴェンは鋭い目付きでジャンを見た。
「まさかお前程度の実力で試験をスルーできるとは思わなんだ」
「まあ、おれが入学できるくらいだから皆さんも余裕でしょう。なんたって、おれに戦い方を教えてくれたのは皆さんなんだし」
――ドワーフ族は一般的には戦闘が得意な種族ではない。ただ手先が器用で、魔法を持つ者は少ないがその特殊な加工技術故に無数の特殊な道具を創りだす能力に秀でているだけなのだ。
その気になれば、文明的にやや遅れ気味のこの大陸でも随一の技術を見せる事ができるが……彼らはそれをしない。理由は簡単に、そうする必要がないからだ。つまり現状で満足しているから要らない、といった所だ。
しかし、ジャンはそんな彼らから戦い方を学んだ。
もっとも、主な訓練方法は組手であり、その多くは倭国人の『イワヤ』か、ヴェンだったし、イワヤはその無駄のない修練されたまさに”サムライ”といった動きで苦戦を強いられ、ヴェンはその無茶苦茶な機動に馬鹿力によるゴリ押しで一度は死にかけた。
今生きていられるのは、養成学校に入学できたのはそのお陰とも言えるのだが、外に出て、あらゆるモノを体感してみて、知る。そして思った。
ジャンは彼らの、そのあまりの実力の高さを理解して、そのケタ違いの強さを再認識させられて、まだ彼らを相手に勝利することは難しいだろうな、と考えていた。
「ま、俺が直々に鍛えてやったんだから問題はなかろうかと考えては居たがな」
ヴェンはふふんと誇らしげに鼻を鳴らして、蒸留酒を一気にあおる。
それから寮母に麦酒を催促する。どうやら円卓の上には出ていないらしく、彼女は面倒そうに肩をすくめてから席を立つ。
酒を待つ間に、ジャンが腰に下げている、己が与えた剣を指さした。
「んで、そいつの具合はどうだ?」
「ああ、すごく良いですよ。最近はなんだかんだで振動剣モードが一番使いやすいですが、地属性も風属性も、まんべんなく扱えるし。使いこなせているかといえば、閉口ものですけどね」
「お前は性格的に力任せってのは似合わんのだが……まあ、魔術ナシの接近戦タイプなのには代わりがないな」
「……? 力任せじゃないのに、接近戦タイプなんですか?」
「そう。正確に言えば、相手の力を利用して、あるいは隙を誘ったりするのが得意そうってんだ。違うか?」
「……そう、ですかね」
先ほどの狼との戦闘。そして思い出される、夏休み前のトロスとの実施試験。ギルドの初仕事ではそのまま力任せだったような気もするが、アレは魔術のお陰であり殆ど戦闘技術は不要だった。
戦闘をするという事自体あまりないから実感は無いが、その傾向にあるのは否定できないだろう。
ヴェンは台所から投げられたラベルが貼ってある麦酒のガラス瓶を軽々受け取り、指先だけでその金属製蓋をはじき飛ばした。
途端に飲み口から泡が溢れて溢れかけ、それを楽しそうに見ながら蒸留酒の香りが残るジョッキへと注ぎはじめた。
「でもまだ成長過程だからな。経験を積めば積むほど、そういった面が顕著になるだろうが――ま、お前は結局、騎士にゃなれねぇだろうが」
「はは、久しぶりに言われ――」
「冗談で言ってるわけじゃあないぞ?」
言葉を遮り、食い下がるようにヴェンは言った。
真顔で。真剣な眼差しで、ジャンを見据えながら。
だからジャンは戸惑ったし、なぜそんな事を行ってくるのかわからなかった。
当惑する少年に、ヴェンは一つ、と指を立てた。
「お前には色々なことを教えたし、このあまりにも厳しすぎる世の中を確実に生き抜くための力も与えた。だが騎士になるというには、お前にはある一つの才能が無かったんだな、コレが」
「じょ、状況判断能力……ですか」
「違う」
きっぱりと彼は切り捨てた。
「魔法だ」
そして、ためらいもなく、まるでそもそも周知の事を改めて伝えるように彼は言った。
「な……何を言っているんです。おれはちゃんと、あの白い魔石に魔力が反応して、ですね。それで受かったんですが――」
「――そりゃあ反応するわな」
ヴェンとは違う声が、脇から乱入した。
背後から掛かる声に振り返れば、そこには席に着いたばかりらしいウィルソンの姿があった。隣にはもれなくタスクの存在がある。
そうしてウィルソンは、ジャンが反応するよりも早く指を鳴らし、タスクに手を差し出す。すると、先ほどと同様に胸元から一つの石を取り出した。白く濁る魔石であり、それは魔力の伝達が限りなく高い種類の――入試試験で渡されたソレだった。
彼はそれをジャンに見せびらかすように掲げ、一つの文句を垂れる。
「魔術と魔法は、同じ魔力を根源にして行われるのが難点だな。そう考えれば、お前が受けた試験はとんでもねェザルだったって事がわかる」
魔法を持つ人間は、体内から魔力を生み出す能力を持つ。それは遺伝的なものでは無く、仮に親が魔法を持っていたとしても子が持たぬことがあるし、その逆もある。
魔術は体外にある魔力を利用して発現する。
それが魔法と魔術の、まず一つ目の大きな違いだった。
ならば特殊な施術によって、体内から魔力が感知されればそれは魔法が扱える事になった――そういう判断をしても良いのかといえば、違う。後天的な覚醒めは本来無いとされるからこそ、魔法は魔法たらしめているのであり、そして施術によって行われる”魔法”は決して”魔術”の域を出ることが出来ない。
「ど、どういうことなんですか?」
「まあ、まずは服を脱げ。簡単に説明してやる」
「俺のした施術は、つまり肉体に魔力を流して、常時発動を待機状態にしておく副作用がある。もっとも、そうしとかないと魔方陣を発動させた際に、肉体に慣れない魔力介入が激痛を与えるし、発動も随分遅くなっちまうからな」
半裸になって座るジャンの背中を、ウィルソンは撫でながらそう説明した。
引き締まった身体。効率的についた筋肉。その背は広く、頼もしくさえ感じられた。
少年と言うには立派すぎる肉体だ。これから実戦を幾度となくかわしていく中で、彼がどう成長するのか――彼自身が本来目的とする、商業的なものではない己個人の欲望とは別に、純粋に興味が湧いた。
彼は性格的に好敵手というモノを今後多く作っていくかも知れないが、あるいは一人もできないかも知れない。その代わりに出来るのは頼りになる友人あるいは、師だ。
人には、特に強くあろうという人間には良い師が重要になる。
この環境ではあまり望めなかったからこそ、ウィルソンは興味をひいた彼に少しばかりの手助けといった風に手を出したが、それが吉と出たか凶と出たか、学校に入学した今、それを推し量ることはできない。
ウィルソンは背中に強く念じて、己の右掌に刻んだ魔方陣を発動させる。ジャン同様に肉体内でくすぶる魔力が燃えて、陣が陣たる役割を果たさせてくれる。
「少し、我慢しろ」
掌が光熱を孕む。眩く輝き、その手はまるで太陽を掴んでいるのではないかと、炎を宿しているのではないかと錯覚するほどの熱を帯びた。
「ぐぅっ?! な、何を――っ!?」
輝きが灼熱を放ち、肉を焼き肌を焦がす。するとジャンの背中に刻まれた魔方陣の一部がソレに飲まれ、魔方陣は一瞬にして”出来損ない”へと姿を変えた。
ウィルソンが手を離し、即座に氷嚢を準備していたタスクがそれを布で包み、患部に優しく押し当てる。
「な、何を、したんですか……?」
怯えたような声色で、背中越しにウィルソンを眺める。それと共に、体内から呼気と共に何かが抜けていくのを感じていた。体力が減ったわけではなく、それはまるで筋力トレーニングの直後のように、身体に力が入らなくなっていくようだった。
全身から力が抜ける。身体は不抜けたように体勢を維持できず、ジャンは思わず円卓に寄りかかった。
「お前の魔方陣を破壊した。こいつは刻まれてる限り半永久的に魔術を作動させる一方で、一部でも破損すれば使い物にならなくなるっつー、脆弱な存在でな。一部を肉体ごと焼ききった。安心しろ、怪我も治すし、魔方陣もお前にあわせて適度に強化しておいてやる」
「そ、それで、その目的は?」
「お前の肉体から力が抜けた。そういった自覚はあるか?」
言われてから、手を目の前に挙げれば無意識に震えてしまう疲労感と、全身にべったりとまとわりついた気持ちの悪い不安、無力感を認識する。
ジャンが声もなく頷くと、
「それはお前の身体から魔力が抜けた証拠だ。本来、肉体に潜む魔力が魔術の作動と共に爆発的に増幅されて肉体を強化するんだ。肉体内にあるだけで、発動時よりは程度も低いが、そういった影響は及ぼされている」
つまり、身体から魔力が失せた時点で、それが本来のジャンの身体能力となったわけである。
もっとも、その疲労感はやけどのせいもあるし、魔力を体内から排出するという事象に体力を随分と要した事が原因になる。それは自然な現象なので、それを抑えることはできないから、初めてであれば戸惑うのも仕方がない。
「……つまり」
ごくり、とジャンはツバを飲む。
喉が鳴った。
「今、その魔石を持てば……本当に魔法を持っているか、否かが、分かるんですね……?」
「ああ、その通りだ」
ウィルソンはタスクに魔石を手渡し、彼女は口を閉ざしたまま、ジャンの前にやってきた。
《――どうぞ、お取りください》
掌を上に向け、魔石はその上に鎮座する。一方的に渡すのではなく、手に取る、否、の選択肢を彼女は与えていた。
ここで取らずに、拒否して逃げることも出来る。腰抜けだと罵倒されても、まだ自分の中には魔法が存在するかも知れないと信じることが出来る。それが僅かであろうとも。
しかし、意を決して取って、そこで真実を見て、これからの生き方を変えることも出来る。どのみち魔法を自覚し扱えるようになっていることが卒業の条件だ。魔方陣ではその存在を露呈してしまうし、隠し通して騎士になることはできない。
仮にその試験を合格して騎士になったとして、そんなインチキな存在で騎士になれて、自分が心から喜べるはずもない。常に自分で魂に刻んだその卑怯の烙印を抱きながら、ビクビクして生きていくことになる。
それでいいのか?
満足できるのならば――おれは、この魔石を手に取らない。
手をこまねく中でも、ウィルソンは、タスクは、ヴェンは、イワヤはそれを促さないし、煽らなかった。
鼓動が高鳴る。
頬が、紅く熱を持つのを自覚した。
「お、おれは……」
思わずタスクを見上げた。
誰かに背中を押して欲しい。この石を掴む、真実を見る勇気を、少しでいいから分けて欲しい――無意識にそう考えた刹那に、ラァビの言葉が蘇った。
甘ったれるなと、彼女は言った。
きっかけは自分で作るものだとも。
その言葉で、ジャンは己の精神的な脆弱を垣間見た。認識した。理解した。納得した。自覚した。
――そうだ。おれは、もう自分で決めるんだ。
「頼む……!」
手を伸ばす。腕は情けなく、小刻みに震えていたが――それでも力強く、彼女の掌にある魔石を力強く掴み上げた。