帰郷 ②
結局その後も幾度か戦闘を交えて、街に到着したのは三時間後の事だった。
そう多くはなく敵の数も少ない戦いだったが、初めてであったり慣れていなかったりしていた彼女らだから、それだけでも随分と疲弊してしまったらしい。わかりやすい疲れた顔をして、街についた途端にわざとらしく肩を落としていた。
――コロンの街は、アレスハイム領内でほぼ中心近くにある。それ故に、観光と言うよりは通過点として、補給所として多くの人間が立ち寄り栄えているし、近くの鉱山から採取される魔石や鉱物の加工品が主な名産品として販売されている。
街の造りは一般的なもので、大きな通りの両脇に宿や武具店、道具屋、土産屋を始めとして様々な商店が並び、山に寄り添うように創られたこの街の奥まった場所は鉱山となっていた。
ジャン・スティールとサニー・ベルガモットが世話になっていた鉱山はそこであり、今回はその経営者である一人のドワーフの手紙をきっかけに帰郷したことになる。
まだ昼下がりという時刻。西の空には未だ赤みさえ見えず、青々とした快晴の空が広がっていた。
「さて、まだ日は高いし、見物でもしてみるか? おれはこれから、ちょっと知り合いの所に行くんだけど……」
「うん。じゃあ私がみんなを案内しようか?」
ジャンの提案に、サニーが躍り出る。
うん、と頷きながら彼は少女の頭を撫でて、
「それじゃ頼んだぞ」
その場はそのまま、一時お開きとなった。
まず始めに立ち寄ったのは、二年間だけだったが生活を支援し学校にまで通わせてくれた保護施設だった。つまり、簡単にいえばいわゆる孤児院である。
資金面の援助や入学手続きは全てユーリア……あのケンタウロスの女騎士が行なってくれたのだが、それでも育ててくれたのはこの施設だ。まずは学校に顔を出してみようと考えたが、特にこれといって良い思い出もなかった場所であるのを思い出し、首を振った。
結果、気がつけばここに来ていたのだ。
小さな鉄門。その向こうにある小さな広場には、幼い子供たちが元気に走り回っていたり、ボールを投げ合ったりなど楽しげに遊んでいる姿が見えた。
一階建ての、長屋のような建造物は白い塗料で清潔に塗られていて、清潔感が溢れている。どうやら最近、改装した様子が見えた。
――男の子が一人、ジャンに気づいて建物内に引っ込んでいく。
ややあって、袖を引っ張って職員を一人連れてやってきて、鉄門の前で佇むジャンを指さした。促されるように、妙齢と言うよりは歳をとっているし、最後に見た時よりも老けてしまっているようだが、それでも随分と若く見える女性は顔を上げた。
既に四○代近いというのにシワひとつ無い顔に、鮮やかな桜色の長い髪は一つに括られて右肩に垂らされている。
彼女はジャンを見るなり驚いたように目を見開いて口元を抑え、それからおっとりと、危なげな足取りで門の近くまで駆け寄ってきた。
「あらぁ、ジャンくんじゃない……! すっごく、久しぶりねえ。もう、幾つになるんだっけ? 街を出てから、結構経ったようにも感じるけれど、まだ、一年も経ってないのよねぇ?」
垂れ下がった目尻に、薄く開かれた目。やや丸めの顔には愛嬌があって、高い鼻が特徴的だ。
琥珀色の宝石のような瞳をくりくりさせて、遥かに歳上であるのにも関わらず小動物のような雰囲気を纏い、彼女は指先で毛先を巻いた。
「ええ、お久しぶりです”クリスティン”先生。おれはもう十八になりますよ。というか、この街を出るときに挨拶に伺ったじゃないですか」
錆びた音を立てて門が開く。まるで無防備な様子で、彼女はエプロンで身体をタイトに絞めつけた出立ちで出迎えた。柔らかで、背丈はそう変わらないが小さく見える華奢さだ。
いかにも大人の女性という彼女から、やはり保護者という観念を拭えずにいた。
しなやかな指をからませて手を組み、クリスティンは微笑んだ。
「ええ、そうだったわねぇ。どうせなら、お仕事中もたまには、遊びに来てくれればよかったのにって、思ってたけど。でもこうして遊びに来てくれると、嬉しいものねぇ」
「ははっ、そう言われるとおれも嬉しいですよ。適当な土産しか買って無いんですが……」
肩から背負っていたバッグから包装された箱を取り出す。ずっしりとした重さが腕に伝わり、その分、肩からの重量が失せた。内容量を重視した、王道な土産物である。どこ産でどうとか言うものを一切を無視したチョコレートだが、ここら一帯ではチョコレートの原材料であるカカオは採れず、その多くは輸入頼りだ。故に、そのぶん値段は高くつく。
「みんなで食べてください。お茶にあうかはわからないんですけど」
「あらあら、まあまあ。嬉しいわねえ、いい男にもなったし、気遣いもできるし」
うふふ、と笑いながら彼女は手を伸ばす。その手は暖かに優しく頭を包み込むように撫でてみせた。
彼女の熱が頭髪越しに伝わる。その暖かさが、直に心を温めて、穏やかにしてくれるようだった。
――母は居ない。
しかし居たとするならば、こんな気持ちになるのだろうか。
「さあ、それじゃあ一緒に上がってお茶にしましょう? ちょうど、あの子たちもお昼寝の時間だし……」
「ああ、すみません。これから他に行くところがあるんで……もしよろしければ、その後でも良いでしょうか?」
「行く所? あの、ドワーフさんたちの所かしら?」
「はい。多分、今日は泊まることになると思うので」
「それじゃあ、まず始めに私の所に寄ってくれたのね? 嬉しいわぁ、ほら、いつもみたいにギュッとしてあげるわ」
両手を大きく広げて、彼女は抱擁するような仕草を見せる。ジャンはそれに思わず紅潮し、顔が熱くなるのを自覚したが、それを抑えこんで一歩踏み込む。
自分の腕を脇から後ろに回して、小さな背を軽く抱く。それと同時に、彼女の手もジャンの広い背中に回された。
吐息が耳にかかり、彼女のやや熱っぽい体温が衣服越しに良く伝わった。その女性特有の柔らかさも、まるで代わりなく感じることが出来たのだが、正直に喜べず複雑に彼は微笑んだ。
「サニーちゃんとは仲良くやってるの?」
出迎えの抱擁から一歩離れて、彼女は訊いた。
「ええ。今日も一緒に来たんですよ。ここに居た時より、ずっと楽しそうにやってます。友達も出来たし、一緒に遊んでくれて、おれも一安心ですよ。サニーは頭もいいし可愛いから、多分これからも大丈夫だと思いますよ。おれの用事が終わった後で、その友達も一緒に連れてきます」
「うふふ、楽しそうでなにより。私たちも変わらず元気よ。また来てね?」
「はい。明日にでもまた」
「絶対よ? なんだか、嫌な予感がするから、念を押すのだけれど……」
「嫌な予感、ですか?」
「うん。だけれど、ごめんなさい。あまり、気にしないほうが良いかもしれないわ。ほら、いつも、私の勘ってあてにならないじゃない?」
言って、彼女は指を立てる。それはひとつ、というわけではなく単に空を指しているものだった。
確かに、とジャンは頷いた。
彼女が雨が降りそうだと無根拠で告げる時は確実に晴天になる。逆に、晴れそうだという時は降雨があるわけではなく、どんよりとした曇り空だ。そういった事をはじめとして、彼女が口にする直感めいた言葉には一切の信ぴょう性がない。それはほとんど、彼女を知るものならば周知の事実と言えるだろう。
「それじゃ、頭の隅にでも置いときますよ」
「あら、ありがたいわ。ジャンくんは、いつでも私に付き合ってくれるものね。小さい頃から。立派だと思ってるわ」
「ま、それがおれの処世術みたいなものですし。それじゃ」
「ええ、行ってらっしゃい。今回だけじゃなくて、たまにでもいいから、また帰ってきてくれるとうれしいわ」
「はい。休みのたびに帰ってこようと思っていますよ」
軽く手を上げて、それにクリスが手を振り返すのを確認してから踵を返し、街の奥へと足を向ける。
それから当分の間背後の音に注意していたが――結局、鉄門が錆びた音を立てるものが聞こえることはなかった。
暫く歩くと、寂れた木造二階建ての宿舎が見えた。
さすが手先が器用であるように、最近なされたであろう目張りは目立たずに、されどその真新しい綺麗な板をしっかりと隙間に叩きこんでいた。
「変わらないな、ここは」
目の前には木々もない断崖。その麓には大きな穴が開いていて、そこからはレールが吐き出されていた。トロッコはいくつか止まっていて、そして適当な所で山になる石炭は無造作に鎮座していた。
トロッコが稼働していないということは、もう仕事を終えているということだ。そもそも鉱夫の仕事は朝っぱらから昼下がりまでだから、それも当然だろう。夜遅くまでやる必要は、今はないのだ。
「おや、やあやあ! まさか、いや、奇遇だな!」
そんな風に、妙に感慨深く辺りを見渡していると、宿舎から一人の男が出てくるなり、彼の存在に気がついて大きく手を振った。格好は旅人然とした、そう清潔そうではない布の衣服に外套姿だった。
そしてその傍らには、どこぞの令嬢かと見紛う少女。透き通るような柔らかな黄金の髪をそのままにして、色素の薄い肌に強い日差しが突き刺さる。腰までの長い髪をそよかぜに流しながら、薄く開かれる瞳は珠玉のように紅く、美しい。
まるで人形か何かのような美貌だが――事実、彼女はある意味で人形であった。
「まったくよ、偶然にもほどがあるぜ。今、帰ってきたのか? 学校は休みで?」
――この男は、ジャンの背中に魔方陣を刻んだ武器商の男だ。魔術を齧っていると言っていたが、そのレベルはとても齧っている程度のそれではない。立派に魔術師を名乗ることが出来るものだ。
そして彼は、この大陸ではない世界から来ている。異人種が文明にそう大きく影響をもたらしていない、西の大陸だ。あの古本屋の”中佐殿”が居た国がある大陸である。
「お久しぶりです、ウィルソンさん。ええ、ちょうど夏休みなんですが……あと少しで終わりなんですよ。今日はちょっとヴェンさんに呼ばれてきました」
《――例の騎士学校にはご入学出来たのですか?》
胸に、『自分を励ます一○○の言葉』という自己啓発本を抱いた女性は、自然な人の声にやや機械的なノイズを混じらせた声音で訊く。
ジャンは頷き、照れくさそうに頭を掻いた。
「はい、お陰様で。順調でやっていけてますよ」
『ウィルソン・ウェイバー』はとある商業組合に属す一人の商人である。その中でも特に武器を扱う者を武器商人と呼んでいて、それを託されるということはつまり、ある一定以上の信頼と戦闘面での実力を認められているということだ。
そして彼女、『タスク』はその商業組合で創られた人型移動式の倉庫である。
科学技術、そして魔術を組み合わせた特殊仕様によって擬似脳と呼ばれる、独立して人間のように思考するものを創りだした。もっとも、完全なオリジナルというわけにはいかず、その思考や発言、行動理念は開発者あるいは開発者がモデルとした人間に偏っている。
人工的な筋肉。人工的な瞳、神経。その多くは魔術を頼りに構成されており――その腹部にはなんでも”亜空間”だとか”異空間”に繋がる魔方陣が刻まれているらしい。
武器を主として、あらゆる販売道具やらなにやらはそこに収まっていて、販売する際にはそれを展開。虚空に虚像を浮かび上がらせて表示するという。
彼女ら移動式倉庫は一般に人造人間などと呼ばれているが、武器倉庫としての名称は主として人型移動用武器収納倉庫というものになっていた。
技術の粋だ。
到底、ジャンの住む世界とは大きく異なっているし、途方もなく高い位置に居る。
《――ともかく主人がどうこう言った所で、この嘆かわしい経済状況が覆るはずもないのですが》
「や、やかましいんだよ! 少し黙っとれ!」
《やれやれ、世界は悪意に満ちてますね》
「俺は個人的に思うんだが、その思想もある悪意の一つだと思わないか?」
《そんな事を言える余裕の一つでもあれば、早く武器の一つでも売って資金をこさえてもらえませんか? 餓死したいのなら構いませんが》
「くそ、観光人さえ居れば……!」
冷徹そうに無表情で言葉を投げるタスクに対し、心底嘆くようにウィルソンが頭を抱えた。
話を聞く限りでは、どうやら資金の工面に苦労しているらしい。
彼らは、この一帯ならば異種族にも手間取るし、武器も必要になるだろうとやってきたのだろう。以前もそう話していたのを思い出す。
だがこの街には、既にそういった店が存在する。しかも、彼らが販売する魔術仕様の武器ではないものの、一般人が自衛のために用意するならば上等なそれらが格安で販売されているのだ。わざわざ高価なそれらを、持て余すとわかっていながら購入する物好きが居る筈もなく。
故に彼らは頭を抱える現状に至っていた。
「ああ、ならウェイバーさん?」
なら貢献ついでに、何かを買おう。彼はそう考えた。
「ん、どうした?」
「ペンダントか何かあります? 今日、ちょうどサニーの誕生日で。たぶんヴェンさんも、そのお誕生日会のために呼んだみたいなんですよ。一応適当なものを用意していますが――」
《……アナタは愚かしいですね、スティール様》
やれやれと頭を抱えてタスクは首を振った。
その所作に合わせるように、ひざ下まであるフリルのついた黒いスカートはゆらりと揺れて、胸を張れば人形だというのに柔らかなバストが衣服に押されてやや形を崩すのが見えた。
彼女は、よく聴け、と言わんばかりに指をさす。
ジャンは、彼女のそんな姿に思わず息を飲んだ。
《女の子に”適当なもの”? 何を言っているんです、妹と形容してもおかしくはない幼なじみに、それでよろしいのですか? ただでさえ好意的で、あんな可愛い子なのに? 正気ですか?》
「う……いや、それは……」
《ただの他者の思考にここまで言われて、悔しくはないのですか? アナタはここまで言われて、どうしたのです?》
彼女は言いながら、胸を締め付ける仕様の、衣服の胸元、その紐をほどき始めた。ゴシック調の衣服は西の文明のものであり、こちらの大陸ではやや着るのも難しく面倒そうな造りだったが――彼女はいとも簡単に胸元をあらわにして、バストの大事な部分にだけ衣服を重ね、その輪郭を見せびらかした。
ついで現れたのが、水月付近に刻まれた魔方陣であり、
《これを、これが……》
おもむろに、その魔方陣へと腕を突き刺す。すると肉は裂けず皮膚は破けず、だというのに腕は体内へと飲まれていった。
《欲しいのではないですか?》
そして、なんでもないように慣れた様子で腕を引きぬく。
そうすると、それまで何も持っていなかった手には、ジャラジャラと鎖のついたハート型のペンダントが握られていた。
彼女ははしたない姿のままでそれをジャンへと突き出した。
《アナタの気持ちを読み取り、相応しいものを与えましょう》
ジャンは促されるままに手を出せば、その上にペンダントは音を立てて落ちて、乗る。
次に手を差し出したのは、タスクの方だった。
《金貨二枚で手を打ちましょう》
彼女はこの上なく上等な営業スマイルで、ぼったくりレベルの価格を交渉する間もなく要求した。
「えげつねぇ」
それがウィルソン・ウェイバーの感想だった。
《いいのですよ。結局、主人もこのあとスティール様の背中の魔方陣を調整するのでしょう? その手間賃も取っておきました。まったく、愚直……いえ、バカなご主人を持つと倉庫は苦労します》
「言い直す必要ねぇだろ……まあいい。街に出るぞ。倭国帰りで、この文化をもう少し見て回りたい気分だ」
《結局、目的のものは手に入りませんでしたけどね》
「まあ、な。黄金の国と呼ばれるくらいだから期待したが……ま、神話時代のシロモノだ。俺たちが二本も所有してる事が奇跡なんだよ」
《しかし我々は単なる武器商人。ただ特殊な技術を用いているだけに過ぎません》
「そうなんだよなぁ、ただの商業組合の一人ですったって、権力がなさすぎる」
《……いいですね、素敵ですね、騎士って響きは。ああ、わたしの騎士様はいつお迎えに来るのでしょうか》
胸元の紐を通して結び直して、それからわざとらしいため息を吐いた。彼女はじっとりと悪意を孕む視線でウィルソンを舐め回し、そしてあからさまに肩を落とす。
《甲斐性のない主人を持つと苦労します。まだスティール様のほうがからかい甲斐もあって、可愛いですのに》
「やっかましい! さっさと行くぞ、日が暮れたら店が閉まっちまう」
《はいはい》
ぽんぽん、と拗ねるウィルソンの頭を軽く叩いてやりながら、二人は宿舎へと向かうジャンに背を向けて、そのまま街へと歩みを進めていった。