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冒険者ギルド ~初めての仕事~ ②

 閑散とする、というよりはやや小汚い格好の住人が目立つ西区を抜けると、出入り口同様に巨大な門扉が街を塞いでいた。門番に、ラァビがギルドを辞す際にちゃっかりと奪い取っていた依頼書を見せて、その門を開けてもらう許可を得た。

 南の門から出てこちらに向かうことも出来たが――なにぶん、街が大きいために厄介なまでに時間がかかるし、無駄な労力になる。だから、これが適切な判断といえた。

 そこから舗装された道を歩くと、やがて道の両脇に芝生が生い茂る草原にまでやってきた。

「――それじゃあ君は、この仕事が初めてって事?」

 草原には、野放しにされた牛が雑草を食んでいる。その向こう側には牛舎があって、近くには納屋らしき小屋もあった。

「ええ、お金がなくなったっていうのが、なんとも情けないきっかけですけどね」

 ジャンは肩をすくめるようにして息を吐く。彼女は外套の下から薄く湾曲した銀色の水筒を取り出して、喉を鳴らして蒸留酒を飲み下す。

 より酒気が濃くなった吐息を漏らして、彼女は背中を丸めるように嘆息した。

「でもいい傾向じゃないの?」

「そう、ですかね……」

「そうそう、だからマスターもあたしを呼んだわけだし」

 力一杯大きく何度も頷いた後、ラァビは不意に吐き気を催したように顔をしかめて口元を抑える。

 頬がにわかに膨らんだかと思うと、ごくりと喉を鳴らした音がする。彼女は酷く気分が悪そうな顔でまた蒸留酒を口に含むと、無理にそれを飲んでみせた。

 ラァビは僅か一分にも満たぬ時間で顔色を悪く、青白く変色させてから、少しばかり機嫌が悪そうにうな垂れる。

「どういう事なんです?」

「あたしが一番酔いが浅かったのよ」

 酸っぱい吐息が鼻腔に突き刺さる。

 彼女は眉をしかめて、舌に残る最悪な後味を覚えながら、簡単に答えてみせた。

「実力面は信頼して良いんですか?」

 どうにも心配になって訊いてみる。吐き気を催して吐瀉物を飲み込んだり、それを酒でごまかしたりなどどう見ても酔っぱらい同然の行為に、ジャンは不安を禁じ得ない。

 もしかすると一人のほうが良かったのでは、とさえ思えるのだ。

 この人は、いったいなんなのだろうか。

「う、うはは!」

 胸をそらしてぎこちなく笑ってから、彼女はジャンの頭を叩いて、

「舐めんじゃないわよ? あたしは強いんだから」

 別にいいけど。彼女はそこで一区切りにするように、肩を回して身体を解すように軽い体操をした。

 ――暫く歩くと、潮の香りが風に乗って届いてくる。

 それに反応した彼女が足を止めると、間もなくジャンの視界から消えて、

「海、ちょっと見てみる?」

 後ろから抱きついて、また沈むように屈む。

「ちょ、っとまっ――」

 制止も聞かずに、ジャンは全身に過負荷を覚えながら大地から足が引き剥がされる感覚を覚えて視界が瞬く間に高くなっていくのを見ていた。臓腑が浮かび上がるような不快感は、以前に一度だけ経験がある慣れない感覚だ。

 空が近くなって、日差しが強くなったような気がした。

 芝生が、地面に塗料でも塗りたくったような風に変化して、その向こう側に集落を見た。陽光によって反射する浜は白く輝いて――その向こうには、鮮やかな蒼い海が広がっていた。

 空を飛ぶよりは遥かに低い位置から見る海だ。

 だが、以前見た時よりも遥かに近いソレだった。

 世界の広さを、改めて理解する。実感する。そうすると、身体の中から暖かく火照るような熱が生まれるのを、彼は感じていた。

 ふっ、と意識が遠くなる。気絶するのではなく、自分の存在が、今よりも小さくなってしまったかのような認識。白昼夢でも見ているような錯覚に、ジャンは思わず呆然とした。

 だから着地したことにも気付かなかったように、虚空を見つめて、ラァビによりかかったままだった。

 が、彼女はそこまで優しくはなく、ジャンをそのまま押しのけて前に突き飛ばした。

「おわ……っち!」

 そのまま顔面から地面に飛び込みそうになる体勢を、ステップを踏むようにして何とか整え、そうして跳び上がるように大地を弾いて、空中で回転。振り返って着地するまでの過程は、ダンスでも踊っているかのようだった。

「な、なにすんですか!」

「あたし、馴れ馴れしいのは嫌いなのよね」

「……そうですね」

 ジャンは他にも何か言いたげに眉をしかめたが、結局口にしたのはそれだけだった。

 むすっと、拗ねた子供みたいにそっぽを向いてジャンは踵を返す。前へと向き直ると、彼はラァビを置き去りにするように進み始めた。

 ラァビが困ったように肩をすくめて、急ぎ足で彼の横につく。

 冗談も通じないのか、と首を振ってから、仕方なしにご機嫌伺いとばかりに声をかけてみた。

「そういえば、君は戦えんの?」

「……えぇ……まあ、一応」

「なにそれ、煮え切んないわねぇ」

「いや、実戦経験ってもんがあんまり無いんで。身体は鍛えてきたんですけどね」

 腕を叩いて筋肉を主張してみせるが、これがイコール戦闘能力に変わるわけではない。

 戦闘で最も重要になるのは、センスと経験だ。確かに身体能力が圧倒的に劣っていれば先制を受けてしまって攻撃に転ずるまでもなくなってしまう可能性があるが、それでも経験があれば、行動を先読みすることができる。センスがあれば、どう動けば良いか、その直感が良い方向に、自分の流れを作り出すことが出来る。

 だが、ジャン・スティールの実力とは未だ未知数。命をかけた戦闘は、まだ未体験だった。

「ま、そこら辺は追々教えてあげるわ。君は、今日は見学なさい」

「いえ、足手まといにならない程度には頑張ります」

「そう出来ればいいけど、ね」

「腐っても騎士志願ですから」

 さて、と。彼女は立ち止まる。道はそのまま海岸へと続く道と、草原を突っ切って林の中へと伸びるものとの分かれ道が目の前に現れた。

「さ、こっちよ」


 林の中へと入る。

 その手前に、怪物モンスターは居た。

 ――モンスターは異人種と共に、溝の門扉ゲートから現れた、いわゆる”向こう側”の生物だ。この世界の動物と似て非なる、圧倒的な戦闘力を誇る存在だ。だから、ある程度の実力を持たなければ、その姿を見かけた際には相手に気付かれぬように逃げなければならない。

 モンスターの多くは好戦的だ。

 そして常に飢えている。

 故に、戦闘はより必然的に起こるのだ。

「ふふん、君は下がってなさい」

 外套の袖に両手を通して、彼女は巨大な鉤爪を諸手に装備する。対峙するのは、一頭の狼だ。牙は鋭く上顎から突き出て、爪は長く伸びて地面に食い込む。威嚇するように鳴る喉は恐怖を煽るように唸り続け、獰猛な瞳は既に彼女らを捉えていた。

 一触即発の、張り詰めた空気の中。

 ジャンは思わず口走った。

「そいつを、殺すんですか……?」

「……はあ?」

 イラついたようにラァビが返す。

「それはどういう意味?」

 モンスターから決して視線を外さず、言葉を交わす中でも隙を伺い続ける彼女は、敢えて会話を続けるために膠着を選んだ。

 ジャンは頷く。

「そいつは、おれ達がここに来たから、多分……その、住処を荒らされると思って抵抗しようとしてるんですよ。なのに、それを殺すのって……」

「なら君は殺さずに殺されればいいわ。ったく、何を言い出すかと思えば――失望モノだわ。じゃあ何、君はあたしに死ねって言う訳?」

「そ、そういうわけじゃないですけど……」

 ――ジャンは困惑していた。

 モンスターを見た瞬間に思い出したのは、森の中でイタズラに解体されたウサギの姿だった。

 それはやってはいけないことだと彼は怒った。イタズラに動物を殺してはいけないと。

 ならば、自分が今しようとしている事は何だ? 人のエゴやなにやらで、生きるために必死になっている動物を殺そうとしている、この現状はなんだ?

 そう考えるが、彼が本心からソレをそう思っているわけでもない。

 自分がそうに、今まで取り繕っていた姿と――今の、金のために命を散らす行動。そこに矛盾を見出して、混乱した。

 おれはどれを通せば良いのか、どうすればいいのか。

 気がつけば声が震えているのに気づく。

 自分の取り繕いの思考を自分で論破できてしまうのにも関わらず、思わずでてしまった言葉に、にわかな後悔を覚えていた。

 自分というものを見失い始めている。

 たかが、モンスターと対峙しただけで。

 仕事を与えられた時点で、こういう状況が来るということが分かっていたのにも関わらず。

 ――考える間に、ラァビが動いた。

 狼がそれに大して反射的に跳び上がる。鋭い爪と爪とが振り薙がれて一閃が走り、二つの影が交差する。

 ほぼ同時に両名は着地して、直後に切り裂かれた腹部から鮮血を吹き出して、脱力するように狼が倒れた。

 一瞬の出来事だ。

 先程まで生きていた狼が死に、そして血に濡れることすら無い速度で振られた鉤爪を腕からはずして、ラァビは再び袖ごと垂らし、腕を組む。

 死骸を目の当たりにするジャンへと彼女は振り返って、明らかなまでに嫌悪感を表す表情で、彼を睨みつけていた。

「わかったわ、君は八方美人タイプね。誰からも嫌われたくないから、誰にでも良い顔見せて。差別なく接するからある程度は仲良くなるけど、誰も持ちあげないからそこで終わり。つまんないヒトね、君は」

「……」

 沈黙し、俯くジャンに舌打ちが響く。

 さらに追撃が来た。

「そんな甘ったるい事考えてんなら、今すぐ剣を置いて国に戻りなさい。学校なんてやめて、平和主義唱えとけばいいわ。あの国だから二、三人は賛同してくれるでしょ」

 ずかずかと大股で歩み寄り、狼が作った血溜まりを踏みつけて水の弾ける音を鳴らして、ジャンの目の前に立ちはだかる。無言の彼の胸ぐらを掴み上げて、息が掛かる近さまで顔を引き上げさせた。

「君の剣は、まさか”誰かを守るため”なんて馬鹿ったらしい事を理由わけにして腰に提がってるわけじゃあないわよねぇ?」

 全てを押しつぶすような威圧に、心がまっ平らになってしまうのを彼は感じていた。

「お、おれは――」

 食い下がるように、彼女は言葉を遮って額をぶつけた。

「剣は飽くまで何かを傷つける、打倒するための道具に過ぎないわ。誰かを、何かを守るなんてのは結果でしか無いし、それは剣じゃなくて使い手にすぎない。どう? ちがう?」

 あと一押しだと思う。

 彼の中で、あと一度だけ背中を押してもらうようなきっかけが必要だった。

 今の経験は凄まじく自分を変えてくれる。

 彼女の言葉が全て図星なだけに、されどそれまでの自分を捨てるにはあとは行動するためのきっかけが要るのだ。

 ジャンは軋む首を何とか動かして頷く。

 ラァビは乱暴に彼を突き飛ばすと、腰に手をやり、見下すようにジャンを見た。

「どこまで甘ったれてんのよ」

 冷たく突き刺さる言葉に、ドクン、と心臓が高なった。

 まるで心を見透かされているような気がして、頬が熱くなるのが良くわかった。

 羞恥だ。そして同時に、自分がどうしようもなく軟弱で情けないのかが理解できる。

「きっかけは自分で作るものよ。さあ、今”すべきこと”と”どうしたら良いか”、君はわかるでしょう?」

 ――濃厚な血の匂いが広がり始める。

 それは空気に乗って、林の中へと入っていったのか、ラァビは背後に強い気配が現れたのを覚えていた。

 一つという単体ではなく、三つ以上の複数の気配。殺気。

 歩くたびに、どすんと地面を揺るがす質量に巨体。

 それは恐らく、今回の目的たる敵だろうと、振り向かずに彼女は認識した。

「お、おれは――」

 腰の剣に手をかけ、こなれた手つきで白刃を閃かせる。

 声は震える。

 自分のしていることが正しいのかわからないし、心が本当に、今の行動に賛同しているかも不鮮明だった。

 だが、今すべき事はこれである。

 それだけは、決して間違えては居なかった。

「おれは、戦います」

「住処を荒らされて、怒って抵抗している罪のない動物よ?」

 悪戯っぽくラァビが訊いた。

 ジャンは首を振って否定する。

「無理が通れば道理が引っ込む。おれはそれを両立させる事はできないし……何も傷つけないで生きていくことなんて、おれには出来ない」

 綺麗事で生きていけるほど、この世界は綺麗じゃない。

 裸足で歩いて無事で済むほど、この世界は安全じゃない。

 自分で理解していたことだ。経験したことだ。

 ただ、そんな理不尽に悲しい出来事を忘れて――否、忘れようとして、彼は自分の中に決定的なまでに綺麗なものだけを残そうとしていた。

 今それを完全に変えることはできないし、今の決意も、いずれ揺らいでしまうかもしれない。

 だが、今は戦うと決めたのだ。

 ならばせめて、その今だけはそれに従おう。

 ジャン・スティールはそう考えた。

 ラァビは少しだけ表情を緩めて、踵を返す。

 振り向いた先に居たのは、彼女より遥かに大きい――クマの姿だった。


 クマの咆哮。 

 ビリビリと肌を震わせる衝撃の中で、ラァビは大地を弾くようにクマへと肉薄した。

 鉤爪による一閃。大地に這う程に深く沈んで、地面を蹴り飛ばして懐へと飛び込んだ。

「グオォオォオッ!」

 刹那。

 無防備に攻撃の予備動作に移行した彼女へと、およそ通常のクマよりも遥かに俊敏に動く右腕が影に目掛けて振り下ろされた。

 が、彼女も反射神経で攻撃へと転じていた左腕を引き上げて鉤爪を腕に叩き上げる。間もなく腕は弾かれて、打ち合った故に生じた衝撃が腕を震わし、動きを鈍くさせる。

 その最中に、左腕が振り上げられた。

 懐に飛び上がったラァビを切り裂かんとして――彼女は空中で力一杯足を伸ばした。そう思うと、足は伸び切らずにつま先が何かに触れて、蹴り飛ばし、さらに飛び上がってクマの頭上へと飛び上がった。

 機敏な機動。

 頭の上で逆立ちする彼女は、そのままクマの首筋に鉤爪を当てて、軽く掬うように腕を引く。

 引き締まった筋肉と、頑強な骨の抵抗を覚えながら、ミチミチと肉が引き裂かれる音がして、鮮血が迸る。切り裂かれた喉元からはあふれた血が泡となって吹きこぼれて、首は中途半端に半ばまで引き剥がされたかたちで、ぶらりと垂れた。

 彼女は倒れかけるクマを蹴り飛ばして体勢を整えて、すぐ背後に回り込んでいた敵へと切迫。

 意表をつくように鉤爪を振るい、一閃。冷たい刃は優しく鼻先に触れて、食い込み、抉る。すると鼻の皮膚は肉ごと豪快に引き剥がされて、

「ゴオォオォオォオォオ――ッ!!」

 断末魔。

 それは衝撃を伴って、眼前のラァビの腹に突き刺さった。

「……るさいっての!」

 全てを喰らい尽くすように大きく口を開ける顔へと、頭上から腕を振り下ろして強引に口を閉ざさせる。鼻を切り裂いた手を振るって喉を穿ち、彼女はまたクマを蹴り飛ばして、それからようやく着地した。

 大きく息を吐く。

 やれやれと、額に浮かぶ汗を拭うような所作の中。

 ジャンの遥か前方。そんな彼女の、すぐ後ろで、その巨体は未だに本領を発揮できていないその図太い腕を振り上げていた。

「ラァ――ッ」

 声をあげようとして、それが無駄だと悟る。

 もう間に合わない。声が届いて、彼女が背後に気づいて、それから反応して……それではとても間に合わない。あの位置、既にクマの射程圏内で、背を向けている為に致命傷は避けられない。

 ”どうすれば良いか”――考えるまでもなく、彼は殆ど無意識に、ソレを発動させていた。

発現めざ、め、ろぉぉぉっ!」

 衣服の、背中の部分がはじけ飛ぶ。

 そうしてあらわになる背中いっぱいに刻まれた魔方陣は眩く閃光を放ち、そうしてそのすぐ後ろに、波紋するように同様の魔方陣を重ねてに出現させた。

 ――その直後に、全ての動きが緩慢化した。

 感覚が鋭敏になる。

 クマの、腕を振り下ろす行動が止まって見えて――ジャンは大地を蹴り飛ばし、加速した。

 風を切り裂き、見る間にクマとの距離が縮まるのを感じる。今までの全てを挽回するように、やがてジャンは、気がつけば敵の目の前へと回り込んでいた。

「うおお――」

 切り上げる一閃。

 だがソレは、殆どクマの目に映る事無く攻撃が終了した。

 腕は半ばから切り裂かれて、未だ血も吹き出ずに切断面はまだ肉をあらわにし、綺麗な筋と骨の断面を見せていた。

「――おおおおおっ!!」

 さらに一閃。

 跳び上がり、その頭部から縦に振り下ろす剣戟。

 斬り伏せると言うべき行動だったが――。

 ジャン・スティールのしたこの上なく信じる正しい行動が終えた瞬間に、彼が体感する時間は通常通りに流れ始めた。

 鞘を収め、クマを前にした彼が、

「……っ!?」

 そのモンスターの頭が、腕が不意に爆発したのを見たのは、その直後のことだった。

 魔方陣の輝きは失せて、効果は消え失せる。反動として肉体には既に立っていられるはずもないくらいの疲労が襲いかかっていたが、ソレよりも、目の前で爆ぜた対象に彼は目を奪われていた。

 クマにとっては一瞬の出来事だ。つまりはそれほどの速度で腕を切り裂き、頭を打ち砕いた。全ては斬撃だったが、その威力は砕き散らす爆撃に等しかった。入刀する一閃がの衝撃がその体内で伝播し、肉体は耐え切れずに破裂したのだ。

 ジャンは全身にクマの返り血を浴びてから、ややあって跪く。

 まさか今日に限ってこの魔術を発動させるとは思っても居なかったが――そのおかげかも知れない。

 色々と吹っ切れた。

 彼は確かに、それを感じていた。

「頑張ったじゃない」

 水筒を傾けて蒸留酒を口に含んだラァビは、まるでこうなることを知っていたかのように告げた。

「これでも本当に殺すのがイヤだとか言うのなら、世界を変えなさい。できないなら自分を変えるの。わかった?」

「はい、もう、十分なほどに」

「君はもっと世界を知ったほうが良いと思うのよ。騎士になるんだったら」

「あの……」

「ん?」

 袖で顔を拭い、なんとか四つん這いから中腰へと体勢を引き上げた。

 見上げる形でラァビを見れば、先ほどの怒りはどうやら消え失せてくれているように見えて、ほっとジャンは安堵する。

「また、一緒に仕事を受けてくれますか?」

「……うははは! 君はヘンタイ? あんだけ怒鳴られて、それでもあたしと仕事したいの?」

「おれ、もっと頑張りますから」

「はははっ! いいわね、いい目になってるわよ。どうせヒマだもの、ヒマだから、君が誘ってくれるならいつでもいいわよ」

 ポンポン、といつもジャンがそうするように、ラァビは知らずに彼の頭を叩いてみせた。

 それから彼に背を見せるように歩き出して――歩けぬほどに疲弊してしまっているのを知ってか知らぬか、数歩ほど離れた所で立ち止まった。

「早く帰らないと、陽がくれちゃうわよー」

「ちょ、待ってくださいよ……」

 ガクガクと膝が震え、歩こうとすれば足が動かず、前のめりになって倒れてしまう。また起き上がろうにも、腰が痛くで半身が起こせない。

 今すぐにでも眠りにつきたい。そう思いながらも、彼は歯を食いしばり、唸りながら立ち上がると――不意に腹に違和感を覚えて、そうして身体は大地から引きはがされた。

 視線の位置が高くなる。

 ジャンは、ラァビに担がれていた。

「たく、これで報酬が半々なんだからやってられないわよねぇ」

 すっかり酔いが覚めてしまったように、彼女は深々と嘆息した。

「ごめんなさい……」

「いいわ。それじゃ、ギルドのツケを払ってくれる?」

「い、いくらですか?」

「金貨一枚と、銀貨五○枚くらい」

「……いくらなんでもふざけんな!」

「うはは! これで愛想笑いで済ませたらどうしようかと思ったわよ」

 なんだか妙なまでにご機嫌に彼女は笑って――街に到着するのは、ちょうど西の空が赤く染まり始めた時刻だった。

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