冒険者ギルド ~初めての仕事~
「サニー……すごく、言いづらいことなんだがな」
夏休みに入ったその翌日。
空になった布袋の口を逆さにして軽く振りながら、ジャンは不景気な口調で重大な事実を告げた。
「資金が底を尽きた」
つまり、だ。
「今月のお小遣いはナシだ」
それは、夏休み初日の出来事だった。
「私まだ銀貨十枚残ってるから大丈夫だけど……これからどうするの?」
寝台に座ってうな垂れるジャンの背中に手を添わせながら、サニーが心配そうに声を掛ける。
ジャンはそれから壁に立てかけられている、革の鞘に収まったブロードソードに目をやって、
「なんでも、ギルドってヤツがあるらしい」
「ギルド……? なにそれ」
「まあ、ギルドって言葉自体は、組合って意味なんだけどさ」
諸国には、職業別にそういった組合が存在していて、海を挟んだ国同士でも組合として繋がりを持つことが出来る。主に占めているのが商人のギルド、つまり商業組合であり、他にも工業などの生産系統の組合が次に多い。
そうして次点が、冒険者によって建設されたギルドだ。街に最低一つは存在し、種類はいくらかあって統合はされていない。そこでは相互援助という形で、その街を中心にする無数の仕事が集まっていた。
探しものや、おつかい、あるいは知能を持たぬ――異人種ではなく、異種族と呼ばれる怪物退治などの種類を選ばぬ仕事だ。そのギルドに登録して仕事を委託してもらえれば、依頼主を介してギルドで仕事を請け負う事ができる。
拘束期間は仕事を請け負って完了するまでであり、長い間ギルドに行かないからといって強制的に登録内容を抹消されることはない。
だが仕事が簡単であればあるほど報酬である給金は低く、一度の仕事で大量に資金を得たいのならば、命の危険すらある高難易度の仕事を請け負う必要がある。もっとも、ある程度以上の難易度の仕事は信頼性が必要であるために、新人が行うことは決して出来無い仕様になっていた。
「……それで、これから登録しに行くってこと?」
あらかたの説明を終えると、サニーは頷き、訊いてくる。
ジャンは静かに首を振った。
「登録はしてあるんだ。この街に来たときに、一番最初にしておいた……けどさ」
多分、自分がやるとしたら、仕事の大半は外に出て怪物退治に勤しむことになるだろう。それが自分を高めることに繋がるし、これまでしていた仕事を考えれば、身体も動かせて一石二鳥なのだ。
だから、危険を伴う。
黙って行っても良かったが、サニーに心配はかけられなかった。
「怪我するかもしれない。あんまり、サニーに心配ばっかかけてられないからな」
「もう、ジャンも、私の心配するまえに自分の心配もしてよね。ジャンがちゃんとしてれば大丈夫だし――怪我をしても私が居る。大丈夫でしょ?」
「ああ、そうか。そういえば、確かに」
盲点を突かれたようにジャンは微笑んだ。
サニーは魔法を持っているし、その力を自覚して自分でしっかりと扱うことができている。
彼女の魔法は、端的に言えば治癒だ。怪我を治し、あるいは壊れてしまった物も、その破損具合がある程度ならば直すことが可能である。
忘れていた、とジャンは手を打ってから、いつものように彼女の頭を撫でてやった。
サニーはくすぐったそうに首をかしげて微笑んで、ジャンはそれを見ながら立ち上がる。
「さて、それじゃ行ってくるよ」
人が渦巻く噴水広場を南に抜けて、少し進んだ所に広めの路地がある。組合の軒がひしめくように並ぶ、専用とも言ってもいい道がそこにはあって、店の間に馬車を待たせる姿や、ちょうど品物を運んできたのであろう荷揚げ場には屈強な男達が半袖から図太い腕を見せて荷物を運んでいる姿がある。
それぞれギルドは、創設者によって建物の外観が異なる。地方の人間が建てたものならば、その地方色が色濃く出るのが、ギルドの良いところでもあった。どの国に行っても故郷の空気を感じることができるというのは、それはとても嬉しいことなのだ。
ジャンが見つけたのは、その中では割合に一般的で、大して近代的も無い、この街にはどこでもありそうな建造物だった。
石段を上がり、獅子が噛み付いているノッカーを掴んで幾度か叩く。が、どうにも中のざわめきのせいで音は通らず、訪問者に対しての返事はない。
いくら夏休みだからとはいえ、今日は休日だ。こういった何でも屋の役割をする冒険者ギルドは片手間で仕事をこなす人間が多いから、このギルドという建物に留まる機会はあまりないはずなのだが……。
ジャンは首をかしげながら、勝手に扉を開けた。
薄暗い室内に、外からの陽の明かりが挿し込むように入る。途端に外へと逃げ出す空気の流れが巻き起こって――濃厚なアルコール臭が鼻腔に突き刺さった。
「うっ、くっせ……!」
思わずそう漏らして手で鼻と口を覆う。
腰に剣を下げたまま、せめて外套でも羽織ってくればよかったとジャンは思いながら、訪問にすら気付かぬ連中など気にせず中に侵入した。
――内装は、板張りの床に、幾つかの円卓や、長机が並ぶだけのものだ。一番奥には酒場のように長いカウンターがあって、入って右側の壁には掲示板がある。そこにはいくつもの張り紙がなされていて――その張り紙自体が仕事の依頼書となっている。
登録者はそこから自分で仕事を選び、カウンターに居る主へと提出し、吟味の末に承諾されれば、そこでようやく仕事に向かうことができるのだ。
仕事が終われば、その証明を出来るものを持ち帰り、マスターに提出。報酬はそれから後日、依頼者からギルドを介して渡される。
いつもは閑散としている筈の館内は、まるで早朝から酒を振る舞っているかのように酒臭い。
そして円卓はどこも満員で、そこかしこの椅子に腰掛ける半分ほどは、旅人風情の連中ばかりだった。
ジャンはそのまま掲示板へと向かおうとすると、マスターがジャンに気づき、軽く手を上げるのを見た。
「おう、久しぶりだな。登録してから一向に姿を見せないから、冷やかしかと思った」
ジャンが歩み寄り、カウンターの前に立つと、彼はまずそう言った。
恰幅の良い男だ。頭髪にはまだいくらかの余裕はあるようだが、額はますますその面積を広げている。愛嬌のある笑みを浮かべて、その人当たりの良さが心地良かった。
「一応学生でね」
「ああ、養成学校の、だっけか。エリートコースまっしぐらだな。はは、俺のギルドから騎士が出るなんて、何年ぶりか。アイツらはお高い所に止まって、自分で金を稼ぐって事を知らないからな。お前さんのような苦労者は大歓迎だよ」
すこし筋肉質の腹を豪快に叩いて笑う男は人間だ。だが、ギルドには構わず異人種も多い。他国ではあまり見られない光景なのだろうが、やはりありがちな差別が水面下にすらない所が、この国のいいところだった。
「むしろ働かずに金が入ってきたら怖いですよ。ただより高いものはないですからね」
「がはは! 全くだ!」
「それで」
とジャンが話を切り出した。
おもむろにポケットから取り出したのは、財布に使っていた布袋だ。今では悲しいくらいに薄っぺらく、中身がないために軽い。重さを忘れてしまった財布をカウンターの上に出すと、マスターは途端に神妙な面持ちになってジャンを見つめた。
「金貨五枚ほどの仕事は、ないですかね」
金貨五枚。
その価値は、簡単にいえば――銀貨にして約五○○枚の価値。銅貨にして、約五○○○枚の価値だ。
それだけあれば共同住宅で半年は金の心配をせずに居座れるし、毎日外食しても足りる金額である。
もっと簡単に言えば、魔術仕様の武具が一つだけ購入できる。何もない一般的な武器ならば、警ら兵御用達の装備一式が揃えられるはずだ。
つまり、それがあれば今年は心配せずに過ごせるはずであり、思わぬ出費に対応できるのだ。
もっとも――ジャン・スティールが六年間貯めた資金がわずか三ヶ月で底を尽きたところを考えれば、そうそう楽観的に考えられるものではないのだが。
救いなのが、入学金と学費が一度に二年分払込だったことだった。
「そうだなあ。コロンの鉱山で働いていたんだろ? この街もあそこの装備は贔屓にしてるから、お前の実力がお墨付きってのもわかるんだが……正直言って厳しいな。戦闘経験が足りなさすぎる」
「んー、ですと、どの程度の仕事なら出来ますか?」
「その前に、お前が使用可能な魔術によってかなりランクが変わってくる。そのブロードソードは魔術仕様だと聞いたが……」
「まあ一応、一通りの属性に対応できますが、威力に不安が残ります」
少なくとも、直撃したとしても怪物を一撃で倒すことはできないだろう。その程度の威力だ。
「他に紋様だとか、詠唱や魔方陣は覚えているのか?」
「あー、まあ。一応」
彼は言いながら、肩から背中に手を回して、軽く叩いてみせた。
「詠唱は本番では使えないレベルですが、背中に魔方陣が刻んであります」
魔術の発動を簡易化した紋様ではなく、それはその形や魔法文字さえ正確ならばどこでも魔術を発動できる魔方陣だ。
そして簡易化、省略可されていないために紋様よりも発動にはいささかタイムラグがあり――だが術者の成長に比例しない、刻んだ者の魔術が威力をそのままに刻まれるから、どれほどの弱者でも、幼子でも、魔術師が最高練度のそれを刻んでやれば、誰でもそれを再現することができるのだ。
彼はそれを背に持っていた。
鉱山に居た、というか定期的に訪問してくる魔術を嗜む旅商人によって与えられたのだ。
身を守るために、と魔術の専門家である魔術師を目指していた彼がくれたのは――今のジャン・スティールでさえ手に余るほどの魔術だった。
「へえ、珍しく古臭いやり方だな。陣を少しでも間違えば台無しだろうに」
そう、魔方陣を正確に複製できなければ魔術は発動しない。
魔方陣はそれぞれの魔術によって異なるが、例えば『大地の怒り』ならばそれ専用の陣が存在する。が、その魔方陣を形成した術者によってその威力は異なるのだ。
それを肉体に刻むというのは、それ故にリスクが高い行為である。
持ち歩きの為に紙に記すという、巻物と呼ばれる魔術道具もあるが、魔術の発動に耐え切れずに破損してしまうために、実質使い捨ての道具であった。
だからと言って、肉体に直接魔方陣を刻む例は決してそう多いわけではない。
そこで採用されているのが、肉体の成長や熟練度と共に変異する”紋様”だ。これには特定の形というものは無く、魔力を込めて特殊な方法で刺青を入れるだけなのだ。故に失敗というものはなく、成長を実感できるために多くの者がそれを手にしていた。
「まあ、鉱山は危険が付き物ですからね。何より自分を守るのは自分ですし」
「そうだな。それで、その魔術はどういったものなんだ?」
「えーと、最後に使ったのが一昨年なんでちょっと不安なんですが――純粋に肉体強化ですね」
肉体に魔力を流して筋力や反射神経などに強制的に干渉し、強化する。
仮に鉱山が崩れてきても、一時的にそれを発動させることで生き埋めになる前に脱出することも可能だし、上手くいけば瓦礫をかき分けて自力で脱出することも可能だ。もちろん、活性化する肉体はそれ故に傷も回復させるから、負傷の心配がない。
その代わりに、無茶な機動や力の発揮で反動が来てしまう。
筋肉痛程度で済めば良いのだが、鉱山では無茶が祟って骨が砕けてしまったドワーフも居たのを思い出す。
マスターは彼の言葉に何かを思案するように顎に手をやりうつむくと、うーんと唸って、指を鳴らした。
そうすると、掲示板に貼付けられている一枚の紙が引き剥がされて、ふわりと宙に浮かび、無風の空間内で風に乗るように、ゆらりと揺れながら、やがてカウンターへとやってきた。
「お前以上の実力者がもう一人居れば、この報酬が金貨三枚の仕事があるんだがな……」
「二人で分けて、金貨一枚に銀貨五○枚ですね。学生には十分な金額ですが……」
これを資本にして、地道に仕事をこなすのであれば、十分すぎると言えるだろう。
だが、ジャンが口ごもるにはそれ以外の理由があった。
「身勝手な危険ごとに、あまり友人を巻き込みたくないんですよねぇ」
どうにかなりませんか、と無駄だとわかりながら食い下がるように訊いてみる。
が、やはりマスターは毅然と首を振った。
「仕事内容は一般的な怪物退治。最近はなんでも、農産物や畜産が被害にあっているらしい。そいつの巣は街から西、海への道の通過点にある洞窟だ。それでも仕事を受けるつもりか?」
「ええ。そのつもりでここに来ました」
剣の柄に手をやって微笑むと、彼はそうか、と力強く頷いた。
「仲間に心当たりが居ないのならば、こちらで手配しても良いかな?」
「よさそうな人がいいです」
「んー、ま、一応プロだからな。ウマが合うかわからないが……おーい、ラァビ! 暇ならこっちこい!」
大きく叫ぶと、不意に空間が静まり返る。
しん、と静寂に包まれ始めた館内は妙な緊張をはらみ始める。ジャンは確かに、その異様な空気を肌で感じて、思わず振り返ると――それと同時に、椅子の足が床を引きずった、その摩擦音が響き渡った。
長机で一人、ビンから直接酒を飲んでいた姿が立ち上がっているのが見えた。
頭から長く伸びた対なる耳は、その半ば辺りから脱力するように垂れている。外套を肩から羽織るような格好だが、その袖の部分は肘辺りから図太くなって、その先端の部分には巨大な鉤爪を直接に装着していた。
「なぁによ、ヒトのくせに。都合の良い時ばっかあたしを呼んでぇ!」
にわかに身体が沈む。
その直後に、「ふっ」と息を吐いたかと思うと――彼女は見る間に天井高く跳躍して、そうして床へと近づいてくる。軽々とした様子で着地し、ウサギのように踵が長く、ややつま先立ちのようになる姿は、さらに太ももまでを黒い毛皮に包んでいた。
しなやかな姿。鍛えられた、野生の動物を彷彿とさせるたくましい雰囲気には、強い酒気がまとわりついていた。
「うはは! ま、話は聞いてたんだけどね。ヒマだから。どうせヒマなのよ」
平たい酒瓶を口に咥えたまま、外套の下では胸を抱くように腕を組んでいる。そんな彼女は、うさぎ族の女性らしかった。
「金貨三枚だってね。いいよ、受けるよ。相棒はこの子でいいんだね?」
「一応注意しておくが、報酬は働きぶりに関わらず半々だ。いいな?」
「なによぅ細かいわね。知ってるわよそのくらい」
「ま、それもそうか。それより、貯蓄はあるんだからいい加減タダ酒はよして、代金を払ってくれないか?」
「……さあ君、一緒に冒険しよっか」
「あ、おい!」
マスターの制止も聞かずに、ラァビと呼ばれた女性は力一杯ジャンを抱き上げたかと思うと、また大腿筋に力を込めて――跳躍。
重力の縛りを吹っ切って宙に舞い上がり、そして床に吸い込まれるように引っ張られる。視界は瞬く間に移り変わって、静かな着地と共に、鈍い衝撃をジャンは覚えた。
「さ、自己紹介はあとにして。主様の愚痴を聞かされる前にちゃっちゃと行くわよ!」
酔いのせいか、高い体温が彼女の頬をにわかに赤くさせて、ひどく酒臭い息を吐きかけながら彼女は手を引いて、さっさと館内を後にした。
ジャンはそんな、何かの冗談のような展開に思わずため息をつきながらそのラァビについていって――初めてのアルバイトが、不意に爆発的に溢れ出した不安の中で、かくして開始した。




