19.エピローグ
外に出ると、黒煙を払拭した蒼穹が眩いばかりの陽の光を注いでくる。
少し立っているだけで額に汗が滲み始めるような季節。学園から都市の中央である噴水広場へと伸びる往来には、様々な商店が立ち並んでいた。
服屋に装飾屋、書物屋に喫茶店、酒場、レストラン――生活の中心であり、もっとも賑わう場所はやはり、多くの人々が流れを作っている。その中を歩けば、肉に包まれた大剣を担ぐ青年はひときわ目立ったが、好奇の目で見られる以外の感情はないようだった。
ただ、
「わたしは貴君が目覚めるまで考えていた」
そう告げる甲冑姿の美青年は、特に年齢問わず女性の注目の的だったのは、甚だ迷惑だったのだが。
「帰ってきたら、おかえりなさいと言ってやろうと――ジャン・スティール、おかえりなさい!」
あの死闘で頭を打って悪い意味で変わってしまったらしいヒートに、ジャンはうんざりした様子で肩をすくめた。
「ただいま……は、いいんだが。お前は帰るなり死ぬなりして、おれの前から失せろよ」
既に戦意はすっかり削がれている。
理由としては、やはり彼のそういった態度もそうだったが、何よりも、ファーム・ノーブルクランとの戦いで隣に並んだ事が、もっとも大きな事だった。
忌々しいが、少し情が湧いたのだ。
戦うことはいくらでもしてやるが、だが命のやり取りはノー。却下したい。
その気になればこの街を炎の中に落とすことなど容易な彼がそうしないのは、おそらくは同じ気持ちだからなのだろう――と、信じたかった。
「わたしはだな、貴君の事を考えると胸が締め付けられるような思いに駆られるのだ。貴君を失いたくない、いつでもこの目の届くところにいて欲しい。そう、いつしか思うようになった」
まるで乙女の恋心だ。
いつしか、と言っても、あの戦いから未だ一日も経過していないのだから、随分と気の早いのか遅いのかよくわからないまま、一晩を過ごしたようだ。
「父上のお陰でわたしの悪事はゼロになった」
既に避難が済んでいた為に、王の襲来したのもヒートが暴れだしたのも、ジャンとユーリアとノロ以外の誰も目撃していない。だから、少し辻褄を合わせるために、彼の説明では王は少しばかり早くこの国に訪れていた。
それが良いことなのか悪い事なのか、その判断さえも曖昧のままで済ましてしまう青年は、やはり疲労ばかりはまだ抜けていない。
まあいいか、と帰結したその思考に、果たして間違いはあるのかどうかわからないが、仮にあったとしても指摘できる者は居なかった。
「この気持ちは間違いない。この二ヶ月間、この世界で過ごしていて多くを学んだ――この気持ちが、愛なのだと」
「お前やっぱり一回死んどくか?」
「ははっ、強がって。貴君のそういう所……まったく」
肘で脇腹を小突き、ヒートは悪戯っぽく笑う。
苛立たしい上にうざったい。本気で殴り飛ばしてやろうと思ったが――そんな気持ちとは正反対に穏やかになっていく胸の奥底に気づいて、ジャンは思わず、不意に頬を緩めた。
こんなのも、随分と久しい気がして……血迷ったままでもいいような気がしてきた。
「それで? 今は、どんな状況なんだ? 知ってんだろ」
「ああ、このわたしが知らぬわけもないだろう。貴君が望むなら聞かせてやろう」
まず初めに、と口にして出たのがイヴ・ノーブルクランの事だったのは、図らずとも青年を安堵させていた。
どうあっても彼は、彼女を気にかけているらしい。以前まではクズの所業で、彼女自身この男を許しているか定かではなかったが――あの戦いを経て、ヒートはこの世界に適応する形で良い方向へと変わり始めている。
ならばもう、ヘタな考えも起こさないだろう。
そしてこの街が彼女のお陰で元通りになったこと。
その後の経過を、彼は歌でも歌うように説明して――ジャンが足を止めた頃。
「ああ、そういえば……っと。やれやれ、私はここで失礼すべきかな」
男は空高く伸びる残像をその空間に刻んで、身軽に近場の商店の屋上へと飛び乗った。
見上げた時には既にその姿はなく。
ジャンは肩をすくめて、どうにも気が利きすぎるやつだと、本当に彼は魔人なのかと疑った。
「スティ……、ジャン」
人並みの中、足を止めたのはジャンだけではない。
目の前の、ひときわ目立つ巨躯は馬の肢体を持ちながらも、首の付け根から先を、ヒトの上肢で作り上げている。
まるで人形の髪のような透き通る鮮やかな小金の髪。その彩りは、麦の穂を思わせた。
長いまつげは馬さながらで、大きな瞳はされど切れ長で鋭い。冷たさと鋭さと、知的さを併せ持つ彼女は、だが薄いシャツをキツそうに膨らませる豊満な胸は、以外なほどに所作にあわせて揺れていた。
ユーリア――彼女は国王直属部隊である自由騎士団の団長であり、青年ジャン・スティールの命の恩人であり、美人であり、支えてやりたい女であり、そして。
「ユーリアさん」
ジャンははにかんで、
「今回は、お疲れ様でした――」
本来告げるべき言葉を飲み込んだ青年は、彼女に深く頭を下げた後、まるでなんでもないような仕草で、呆然とする彼女の脇を抜けて通り過ぎていった。
『いつものジャンらしくない』
街の外、それを取り囲むように高く聳える壁によりかかった青年は、目の前に突き刺した剣にそう言われて、苦笑する。
確かに、いつもなら後先考えない行動ばかりだった。
そのくせ、いつでも素敵な未来の事ばかり考えていて、だというのにその未来が到来した時にはまたそれより先の事を考えてしまう。
だからこそ、先ほどの言葉が出てしまったのだ。
頑張るのも、努力するのも結果を望むため。だが――。
「まあな」
どこか達観したような、素っ気ない返事。
ノロは暫く押し黙ってから、やはり切りださねばならぬと思い、口にする。
巨剣の腹が、瞬いた。
『禁断の果実の超過使用が六度』
始めにヒートの火焔を、そしてユーリアの蘇生のためにイヴの治癒魔法を。
王の真似をして可能性の増幅を再現したが不発で、その後二度の瞬間転移。
危機を脱するためにノロが発動させた電撃疾走に加え、最期の火焔。
――肉体に影響を及ぼす魔法はそのまま、相手と共に己へと即死級のダメージを半永久的に蝕みつづけ、それ以外ではそもそも単純にとてつもない負担となって襲いかかる。
一度死んだくらいではお釣りが来る程の体験だ。
今生きていることさえも不思議で――だからこそ、だと、ノロは思った。
『もってどれくらいだと思う?』
彼がこれから、まともな人生を送る可能性は、ゼロ。皮肉なことだとつくづく思う。
肉体への負荷はもちろん、完全な死の体験をした精神にもいずれ致命的な影響が出る。
ジャンは顎に手をやり、しばらく唸ったように首をかしげた後。
あっけらかんと、口にする。
「二年……いや、一年、かな。まったく困ったもんだ、これからって、時なのにさ」
騎士になった。
ユーリアが認めてくれた。
激しい戦いも、ようやく終えた。
ジャン・スティールの人生は、いよいよここからだと言う境界点にようやく立ったのだが……。
「ま、外の世界を回ってみて、世話になった人たちに礼の一つでもして、それでも時間が余ったらゆっくりすればいい」
身体には、まだ異常はない。
一年どころか、十年も二十年も、他の若者と同様に老いるまでは生きてしまいそうな健康体は――あの戦いの後だからこそ、異様だった。
まるで今を生きるために未来を消耗しているかのような感覚。
これから先の肉体を使ってこの場を凌いでいるような感じがしてならなかった。
『ずいぶんと、あっさりしてるね』
「まあ……あの時散々死にたくないって思ったからな。今生きてるだけ上等って感じだ」
「――だったらその余生、私と共に過ごしてみるつもりはないか?」
そう声が掛かるのは、真横からだった。
首をひねれば、壁沿いの先に馬の姿。薄手のシャツ一枚だけのユーリアが、頬を紅潮させたまま、瞳を潤したまま、歩み寄っていた。
やがて彼女がジャンの手前で止まり、上肢を軽く折り、手を伸ばす。
「ユーリアさん、おれは……」
「先の事は私には難しすぎる。だがな、ジャン……私は、お前とならどこまでも進み続けることが出来る。そんな確信がある」
鼻先が赤くなる。
鼻をすする音がする。
今にも零れそうな涙をぐっと堪える彼女は、それゆえに彼を睨むような形になっていた。
「もう強くならなくて良い。戦わなくても、支えてくれなくても、守ってくれなくてもいい」
最初は、己の後を継ぐ逸材になればいいと思っていた。
いつからだろう。彼を、部下ではなく、命を救った少年ではなく、運命をねじ曲げてしまった青年ではなく、戦士でもなく――男として、見るようになったのは。
いいから手を掴めと祈った。
だけど、彼がそれを望まざるものだったら嫌だな、とも思う。
「ただ、そばに居て、笑っていてよ……ジャン!」
情けない話――ユーリアはつい先日の戦いよりも、必死になっていた。
彼を止めたい。
だが望まないのならば好きにして欲しい。
だけど、彼が居ないのはもう我慢ならない。
しかし……。
気がつけば涙がこぼれてしまって、それが契機となったのか――堰き止めた河が氾濫するかのように、止めどなく涙は溢れ流れ始めてしまった。
何の因果か――心は、思いは、とうの昔から同調していたらしい。
あの王と交差した殺意よりも深く繊細で純度の高い気持ちが、彼女の一言一言によって慄える。
やがて泣きだしてしまう国家最強の騎士を前にして、ジャンはもう迷う事が何一つとしてなくなってしまった。
まさか、こんな大事な場面で相手を泣かせてしまうとは――逡巡すらも無く、ただ少しばかり申し訳なさが先立った。
腕を伸ばし、彼女のしなやかな手を握る。
過敏に反応するユーリアは、虚空をきらめかせる涙を散らして顔を上げる。
その顔に、不意気味に近づいた青年の唇が、その頬に優しく触れた。
「な……ジャ、ジャン……?」
驚いたように顔を向ける彼女の、唖然と開く口を、少し乾いた唇で塞ぐ。
また驚きに漏れる声は、だが彼女の口の中で反響するだけだった。
――暫くして、共に真っ赤にそまった顔が距離を開ける。やや呼吸が乱れたのは、息継ぎの事をすっかり忘れていたからだ。
「ジャン、私は、君が……好きだ」
声が、表情が、その全てが青年の胸を高鳴らせる。
「おれもです、ユーリアさん……あなたが好きだ」
憧れが、こんな気持ちに変わったのはいつからだったろうか。
しかし、彼女と初めて出会った時から、こんな繋がりを望んでいたような気がする。
「いつまでも、この命が続く限りあなたの隣におれは居る」
青年の、ようやくの返答に、ユーリアは信じられないとばかりに目を見開いた後――ゆっくりと薄く細まり、またその目尻から一筋の涙を流していた。
「あの男を倒したと聞いて、ジャンはもう手の届かない場所に行ってしまったかと思って、すごく、不安になったのだぞ」
座り込む馬の肢体。その彼女にもたれかかる形でジャンが腰を下ろし、ジャンを抱きしめるようにその手は青年の胸元まで降りていた。
「ほとんどマグレみたいなもんですし……みんなが居なければ、勝てない戦いでした」
ヒートの火焔が、ユーリアの雷撃疾走が、ノロの魔術がなければ王に勝てる見込みは完全にゼロだった。
言わば、青年はその代表者にすぎなかったのだ。
この勝利は青年のみではなく、関係者各位の勝利だと言えた。
「しかし――」
「もう良いじゃないですか。おれはもっと、ユーリアさんの話が聞きたいです」
ジャンと出会うまでの話。ジャンと再会するまでの空白の期間の話。ジャンと再会してからの話。
これまでの埋め合わせをするように、二人は空が茜色に染まり始めても尚、そこを動くことはなかった。
結局、その青年が異世界を統べる王を打倒した事実は関係者以外に伝わることはなく。
また、そもそも異世界からの進行があったことさえも伏せられ、闇の中へと葬られることとなっていた。
人知れず新たな王が、そして新たな体制が築かれ始める異世界の一方で、あれほどの侵攻は単純に異種族の暴走という事で話がまとまっていた。
***
「さて、と」
――朝はまだ、肌寒い季節。
朝、とは言うがその実、昼も少し寒いくらいだった。
いい加減に寝覚めが悪くだるくて仕方のない身体を起こして、ジャン・スティールは寝台から飛び降りた。
布団から出れば、身震いするほどの寒さ。だが、その身体は既に、気温よりも低くなっている。
『おはよう、ジャン』
「ああ、おはよう」
喋る巨剣は、未だにその表面の肉を新鮮なまま維持している。だが何よりも心配なのは、誰かが間違って見世物屋に売り飛ばさないか、という点だった。
あれから一年。
ジャン・スティールの命は未だ続いているし、だが死の宣告は八ヶ月ほど前から肉体を蝕んでいる。まず始めに食べ物が受け付けなくなって、その次に生殖機能が死亡した。身体は日に日に冷たくなるし、つい先月、心臓が止まってしまった。
驚きはそれよりも、それでもまだ”生きている”事に、だった。
街の人間は顔色の悪い青年を心配するし、友人らはここ最近になって毎日のように顔を出してくる。イヴなどは、そのせいで歩くハメになって、お陰というべきか、去年より随分と元気になってきたようだった。
ただ、反対にここ最近顔を見ないヒートが、少し気になったが。
「お寝坊かな、ジャン?」
寝台の脇では、白銀の甲冑に身を包んだユーリアが、呆れたように腰に手をやって彼を眺めていた。
ついに半年前、正式に騎士団を脱退した彼女は今、騎士養成学校で教官を務めていた。そしてジャンは、その助手を務めていて……今日は記念すべき、新入生の入学式だったりする。
「寝たら二度と起きないんじゃないかって心配で眠れなかったんだよ」
「冗談なのかわからない台詞はやめてよね」
「ははっ」
軽く笑って、ジャンは壁に立てかけてあるノロを肩に担ぐ。
新陳代謝がなくなったせいで入浴も着替えも最低限になった彼は、記念すべき日にも、いつもの格好だった。
「ま、行こうか。ユーリア」
「そうだな」
――校舎を背景に臨む往来。
その華やかな追加の装飾に彩られる鉄門の前に立ち尽くす真紅の影を見て、ジャンは思わず吹き出した。
「ジャン・スティール」
男が呼ぶ。
「なんだよ」
青年が応える。
それ以上は、もう必要なかった。
スティール・ヒートが大地を弾く。地表を滑るかのような鋭さで、より磨きの掛かった速度で襲来する男へと、ジャンはただ構える大剣を振り下ろすだけだった。
見え見えの、予測すらも馬鹿馬鹿しい間抜けなまでの一閃。
だがヒートは避けず、その炎の灯る拳を振り上げた。
顎下を狙う鋭い一撃、対するは両断する勢いの全身全霊の一閃。
やがて接触する二つは、共にぶつかりあってけたたましい炸裂音と、火花と、熱気とをまき散らして――停止した。
息がかかるほどの距離に詰まる。
額がぶつかり、燃える瞳と、白く濁った瞳とが交錯した。
「おれのこんな姿は見たくなかったか?」
「いや、貴君らしい良い姿だ。いい加減見限れる男だと思ったが……」
「残念だな」
「まったくだ。貴君が失せた後、わたしはその涙のせいで魔法が使えなくなりそうだ」
「だったら、ようやくおれ以外の誰かがお前をぶち殺せるわけだ」
「……やれやれ、そんな口が叩けるようでは、随分と先は長いらしいな」
拳を収め、剣を担ぐ。
行け、と言わんばかりに背中を叩くヒートに押されるようにして、ジャンは歩みを進め、ユーリアは半歩後ろで微笑みながら見守った。
鉄門を押し開き――己を迎える光景に、思わず言葉を失った。
校舎へと続く紅い絨毯。
その正面には無数の槍で構成されている、世にも奇妙でどこか”らしい”大きな十字架が立っていて、その手前には神父服の男が書物を片手に笑っている。
絨毯を取り囲むような軍勢――ではなく、見知った顔は、間の抜けたジャンを見るなり笑って、歓声を上げた。
「おーい! ジャン! ユーリア!」
「なァにしてんだ、とっとと歩けッ!」
矮躯の少女と禿頭の中年男は、正装らしい白銀の鎧姿で拳を上げる。
「ジャン、ユーリアさん、おめでとう!」
「ユーリアさん、スティールくん!」
呼んだのは、かつて居候先の宿主だったトロスとテポン。今年晴れて騎士になるトロスは、去年とは随分と雰囲気が異なり、大人っぽくなっていた。
その脇には学生時代の、つい昨日も顔を見せた蛇やトカゲの少女たち。
居候先のお手伝いさんたちも、大手を振りながらそこに居た。
「なっ……なんだ、何が――」
「もう、ぼーっとしているな! 戦場では命取りだぞ!」
呆然とする青年の手を引き、馬がゆっくりと歩き出す。
歓声は、絶えず彼らに振りかかっていた。
その間にも見える友人。
微笑む、黒衣を纏う口元のちょび髭が気になる男は、かつて敵対し前回の戦いで共闘した吸血鬼だった。吸血衝動は収まったのか、随分と清々しい笑顔を見せてくれる。
どこか残念そうで、だがそんな顔を見られて男に叩かれた少女は、鱗に飲まれる腕を大きく上げてジャンへと振る。傍らでは、眼帯の男が拍手を送っていた。
「おーい、ジャン! ひと足お先とか、やるなあお前!」
《スティール様、ユーリア様、お幸せに》
旧友と、少女の姿。仲睦まじげに肩を抱く彼女らを見れば、もはや異人種や異種族すらも関係ない事を教えてくれる。
もっとも、そんな事など気にしたことのないジャンには、関係のない話だったが。
対面では、真紅の鬼と、側頭部にうねる角を聳えさせるミノタウロスとが、程々の、あるいは豊満な胸を揺らして手を振ってみせる。どちらに注目すれば良いのかわからぬ二人には、笑顔を返してみた。
そして――。
「ジャン!」
妹として共に生きてきた少女は、満面の笑みで手を叩いて、彼らを祝福していた。
『おめでとう』
燐光と声とが祝福をつむぎ、大剣は見えぬ力に引きずられるようにして――十字架に寄りかかっていた。
青年は、そこでようやく、こういった催し事の名称を思い出す。
「結婚式、か……」
入学式があると聞いたのだが……よくよく思い出せば、入学式は学校ではなく城で行った記憶がある。
ならばずっと騙されていたらしい。全く、とんでもないサプライズだ。
神父の前で立ち止まる二人は、彼と目配せをし――天候にも恵まれた会場は、一挙に静まり返る。
「ジャン・スティールさん、あなたはユーリアさんを妻とすることを、望みますか?」
澄んだ、耳に良く届く男の声。
「はい、誓います」
無論、それを誓ったのは一年も前の話だったが。
「ユーリアさん、あなたはジャン・スティールさんを夫とすることを望みますか?」
「はい。誓います」
「……あー」
多くの人間が。
さらに、結構な地位の人間が居るこの場で司会を務める神父は、額からにじみ出た脂汗の一筋を、頬に伝わせた。
硬直する男。
どうやら誓いの言葉を、そこから忘れてしまったらしい。
「ごほん」
と、何事もないように仕切り直し、
「死が二人を分かつまで、愛を誓い……神聖なる婚姻の契約……の、もと――神が祝福します」
だいぶ異なったその言葉は、だがそう閉じられた直後。
二人は促されるまでもなく向かい合い、つま先で立ち、腰を曲げ、顔を近づけた。
「誓いのキスを」
思い出したように告げる神父の言葉の後、ふたりはゆっくりと唇を重ね――。
盛大な拍手が、二人の英雄の未来を祝福した。
ここからまた、新たな未来が道を開く。
これからあとどれほどの時間が残されているかはわからない。
だが生きているなら、この死にさえも抗って見せよう。これまでそうしてきたように、戦い続けて見せようではないか。
異人種である騎士の彼女を、異人種のための騎士として添い続けて見せよう。
英雄というのは癪だが。
英雄というならば、死さえも凌駕して見せよう。
彼の命が続く限り、青年の努力が絶えぬ限り。
ジャン・スティールの物語はまだ、終わらない。