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18.終焉、そして――

 異世界を統べる王――ファーム・ノーブルクランの遺体は結局、異世界へと送還されることになった。

 はるか古代の伝説のように、偉大な人物の遺体や物品が聖遺骸となって特殊な力を孕む可能性が誰しもの脳裏を過ぎって嫌な予感しかしなかったが、現状でこの戦争状態を治める最善の手段であるがゆえに、反対の声はあがらなかった。

 イヴ・ノーブルクランは今回の被害者として責任を負われる事はなかったが――街に刻まれた深い戦闘の痕跡、猛る炎や融解した建造物、燃え尽きた建材などを全て跡形もなかったかのように”治癒”した結果として、大量の”死の要素”を吸収したために、僅かな歩行ですらも凄まじい運動量として、彼女の肉体に負荷となっていた。


 死者数――九千五百。

 国民の被害はゼロに近い数だったが、生き残りが騎士団長、副団長を主として十二名という事実は、勝利を得たにも関わらず、多くの人間に悲しみを伝播させた。

 次にあがる問題として、防衛の面だ。

 現状で異世界からはもちろん、他国の進軍がくれば対応のしようがない。たとえ一騎当千の各々だとしても、物量で押し寄せられればかならず隙が生じ、そこから入り込まれる余地がある。

「だから私が来てやったのだけれど」

 十八にも満たぬ少女は、頭まですっぽりと外套をかぶる、素肌をほんの少しも晒さぬ格好で愚痴を垂れている。

 その横で、革製の下着、そして四肢をブーツと手袋で覆う銀髪の女性は、さらに革ベルトで身体を締め付けるような格好で肩をすくめる。服装的に呆れ返るのは彼女の方だったが、その点に関しては誰も触れはしなかった。

 魔術師隊団長『ルーナ』の師である魔女は、素顔を晒さず、名も不明。だが今回の功績者として招かれ、また弟子の願いからここにとどまっていたが、それさえも不満なようだった。

 ――生存者の団長らを主として催された宴は、だが騒ぎ散らすというわけではなく、静かに懇談するだけの立食パーティーとなっていた。

 真紅の鬼。ミノタウロス。幼女のような風貌のドワーフに、どうやって食器を手にするのかわからない両翼を持つ鳥人ハルピュイア、など。

 禿頭の中年男性は酒を浴びて完全に”出来上がって”いたが、それを気にする者はほとんど居ない。

 そして何よりも目立ったのが、白髪の青年だった。

 今年の春に入団したばかりの新人にして、その実力と”団長にひっついていた”という幸運によって生存した”レイ・グリーム”。次世代へ継がせる為に育成した全ては犠牲になったが、彼の存在は、本人が思っているよりも遥かに大きい。

 その隣には、真っ赤な髪の青年がいる。学生時代の相棒だったのだろう彼は、倭国へと派遣された男”クラン・ハセ”だった。

「確か、あの男も来ているのでしょう? あーっと、えーっと」

 首をひねり、顎に指やり、結局はひねりでないその名前を出したのはルーナだった。

「ウィルソン・ウェイバー?」

 世界的な魔術師であり、魔術兵器開発に携わることでも有名な男である。

 彼の母国でも異種族と魔人が襲来したようだが――やはり彼の、評判に負けぬ英雄的な働きのお陰で割合に余裕のある勝利を掴めたらしい。

「ああ、そう。すこしちょっかい、かけてやろうかしら」

 頭巾が翻って垣間見える悪戯な笑顔に、彼女はただ嘆息を漏らした。

「今はユーリアさんと話しているらしいんですから、そっとしておいてあげましょう」

 彼女が言うと、むっと少女らしく膨れた魔女だが、物分りよく頷き、だがそう思われるのが気に入らないらしく、食べ物に気を逸らされたように近場のテーブルへと歩みを進めた。


「話を聞いても信じられないな……」

 ボサボサな黒髪を掻き上げるように、男が言った。

《確かに。撃退ならまだしも、殺害するとは》

 ノイズ混じりの美声が同意し、対面のケンタウロスは往来に面する喫茶店のテラス席の床に座り込む。営業の面で考えれば不気味だし迷惑な他ないのだが、今回の英雄の一人として、ある程度は考慮されているらしく店員は微笑んで見守ってくれている。

 人形のような金糸を側頭部でそれぞれ括った髪型の少女『タスク』は、それから気の毒そうに表情を暗くする。

《ヒトどころか、我々まで凌駕するとは》

「ああ、正直な所、オレより確実に強くなってんぞ、アイツ」

 実力二位と三位の魔人を打倒した彼だが、さすがに桁外れの王までとは行かない。対峙して真っ先に考える事と言えば、おそらくは確実な逃走手段だろう。

「英雄などとこの私を崇められても、私は何もできていないのが正直な所なんだがな……」

 支えてくれると言った青年が、支えるどころか守ってくれた。さらに命まで救ってくれたのだ。

 至れり尽くせりだったが――目を覚ましたのは全てが終わったその深夜であり、彼らに話しているのも聞きいた情報だ。もっとも、情報源はヒートだから、確かなものだろう。

 アレスハイム最強を歌った女とは思えぬ弱々しい顔に、ウィルソンはどうにも哀れに思えた。

 まず彼女が太刀打ち出来なかったことに傷ついた誇りに対してもそうだったし――彼女が誰よりも必要としている男が不在である事が、何よりも可哀想だった。

「ジャン・スティールか」

「彼がもっとも英雄的な働きをしたが――」

《そういった称号や肩書きを、一番嫌いそうですね》

 努力最上主義者――今になって思えば、そう揶揄してやることができる。

 肩書きや生まれながらの地位もいい。羨ましい。何もしないで生きていけるなんて素晴らしい。口ではそう言うこともある男だが、己がその立場になることを好ましく思わない。

 だから強い武器や防具を望まず、己の成長を手にしたのだ。

 故に、正義にも悪にも染まりうる逸材だった。

 敵対する勢力が、この世界に対する悪だったのが、唯一の救いだったろう。

「まったく」

 と息を吐いて、ユーリアは手にした紅茶で喉を潤し、それからゆっくりと空を仰いだ。

 もうあの時のような黒煙はなく、広がる澄んだ青空が目に染みた。

 あの男が居ないなら、あの男がいる黒煙の下のほうが、よっぽど良かったかもしれない――。

 口にこそしない言葉だったが、そう漏らしたとて、誰が否定できるようなものでもなかった。


「ダメ、ですか……」

 サニー・ベルガモットの治癒魔法も虚しく、イヴの疲弊は回復の余地をみせなかった。

 死の要素は発散しない限り、術者の肉体を正常に戻さない。それを知るのは彼女のみであり、その発散の意味を知るのも彼女である限り、それを促すことは出来ず、また自主的にそうする事は決して無かった。

 発散は即ち、同じ死を他の対象に移すこと。

 死にかけた都市を修復させた程だから、その威力たるや、底を知らぬだろう。

 ゆえにあの王が彼女を殺害対象に選んだのかは、もう知ることは出来ない事だった。

「だから、姫様はこの地で養生を――」

 真紅の甲冑に身を包む男の言葉を、彼女はひと睨みで遮った。

 彼は、その気になればこの街を再度陥落させる力を持ちながらも――思わず口ごもり、額から流れた脂汗を手甲で拭った。

「貴卿は口を出すな」

「そもそも、あんたはなんでまだ生きてんのよ」

 と口にするのは、紫の手に撫でられる猫だった。

 タマに睨まれても、また思わず後退り、背中を壁にぶつけたスティール・ヒートは短く息を吐き、ゆるく肩をすくめた。

「わたしはまだ死ねぬ理由がある」

 すべての罪を実の父になすりつけたが故に、誰からも責められぬ男はひどく狡猾だった。

 あの時の流暢な舌の動きを思い出して再び怖気が走るイヴは、粟立った肌を撫でて身をすくめる。

「では、なぜ私を生かしているのだ?」

「殺す理由がなくなった、というのが一番ですが……やれ、わたしの愛すべき男の顔を立ててやったまでです」

 白状するように肩を落とすヒートは、五度目になる言葉を一言一句間違いなく繰り返して、嘆息した。

 あの男が命を賭して守ったものだ。街にしろ、この女にしろ、誇りにしろ、なんにしろ、あの男が不在の時に壊そうとはとても思えない。

 だからこそ、恐らくこれからも……冗談っぽく考えては、ヒートはため息すらも繰り返した。

 ――世界各国であった異世界からの奇襲攻撃は、失敗に終えた。

 されどどの国にも甚大な被害が出たのだが、奇跡的にも、あの青年にゆかりのある者の死はひとつもなかった。

 ただ例外的に、吸血鬼は力果てて日常的な”吸血本能”に苦しまされているくらいで、他のものは傷ひとつ無い、ということだった。

「まったく……」

 一度はあの男の為に集まった戦力だというのに。

 その男が居なくては、意味が無いだろう。

 一瞥したサニーと視線が交差して、気まずそうに目をそらしたヒートは、彼女の顔に悲しげな陰りを見て、また幾度目かになるため息を押し殺した。

「さて、見舞いにでも行ってきます」

「あっ、貴卿……!」

 板張りの床を蹴って、スティールヒートはその修道院の二階の窓から飛び出した。

 わざわざ廊下に出て、隣のドアをノックするのは面倒だし飽きたのだ、が――。

 窓の枠に足をかけてバランスを整えた時、男は思わず――その口角を吊り上げた。

 固く閉ざされていたはずの窓が解放されている隣室。そよぐ風が、窓際のカーテンを穏やかに揺らし、踊らせていた。

 そこの患者は寝たきりだった筈である。

 イヴの治癒によって肉体の傷は完治したが、心臓は蘇らず、意識は取り戻さない。

 故に脳は完全に死に、今では彼が安置されているだけの部屋――”だった”。

「まったく」

 まず初めに誰に教えてやろう。やはりあのケンタウロスだろうか。イヴは興奮すると体に悪いから後にするとして、どちらにしろどんな時でも教えれば心臓が止まりかねない。

 胸が弾む。

 表情がどうしようもなく緩んで、感情の昂りが、甲冑の表面に炎を灯らせるまでに至った。

 いや、やはり初めは――。

 スティール・ヒートが妙な間を開けてから窓の外へ飛び出したのを怪訝そうに見送った彼女らが、その原因を知るのは、それから約半日後の事だった。




「命って凄いよなぁ」

 つくづくそう思う。

 黒く戻った髪と瞳は平凡そのもので、肉体はあの非凡さを維持しているかは、正直定かではない。

 おそらくは保っていないのだろうが、あれほどの力を手放したという事を知りたくは無かったから、当分は気づかないふりをしようと決めた。

 眼の前の――定位置に戻ってしまった”彼女”は、やはり学園の地下空間に鎮座していた。

 されどそこに臭気は無く、頭がおかしくなりそうな濃密な瘴気はない。

 広大な空間の中心に深々と突き刺さる身の丈の巨剣は、その表面を鈍く光らせた。生々しい肉に覆われた大剣は、さらにその肉が胎動いきていることの証左として、鼓動を刻むように一定間隔で収縮を繰り返す。

 青年の言葉を受けた巨剣は、二度、燐光をまたたかせた。

『ほんとにそう思う』

 そこに癒着した異種族――『付与者エンダウメント』のノロは、今回の戦争を防ぐための存在だったが、結局は防げず、さりとて、終えた現在となっても未だ生存していた。

 この空間いっぱいにあった肉塊の一部だった彼女は、現在では巨剣に張り付くそれだけとなっている。

 彼女がそれだけで生きているのは、どうやらその剣自体に理由があるそうだが、彼女がこうなっている今では調べようもなかった。

『ジャンも生きてるしね』

「まあな」

 炎は鎮火したと思われたが、引き揚げが迅速だったお陰が、体内は燻った状態で維持された。

 息を吹き返した理由は、やはりそれが一番大きかった。

 イヴによる治癒が行われるまで、正常なヒトとして生死が通用しない状態であったが為に、ジャンは仮死であり、覆しようのない死に肩まで浸かったままでなんとか耐え忍んでいたのだ。

 だが、本当に生き返れた理由は――奇蹟としか言えないだろう。

 青年はその実、また微小に残っていたノロが何かをしてくれたのかもしれないと考えていたが、口にして確認するのは無粋だと思えて、彼は心のなかにしまっておいた。

 ジャンはゆっくりと巨剣に手を伸ばし、柄を握った。

「ノロ、どこか行きたいところはある?」

 力任せに引き抜こうとして――大剣は、ガバガバの隙間に鎮座していただけであるように、容易く引っ張りあげられた。

 手慣れた巨剣を肩に担ぎ、踵を返す。

 命の恩人だ。なんでもしてやろうと思って、そう訊いた言葉は、

『ジャンの家』

 気がついた時には、洒落たプロポーズに昇華していた。

 やれやれ、生来の女ったらしなのならば、狙った女もすけこまして欲しいものだ、と。

「ははっ、お安い御用――」

 そう笑った時。

 

 鉄扉を蹴り破る轟音が、密室内に反響し。


「ジャン・スティールッ!!」

 満面の笑みを浮かべる、真紅の甲冑をまとった男が現れた。

「スティール・ヒート……てめえも、懲りねえな」

「貴君もまだ生きていたのか」

「お前が悪さをしないか心配で、おちおち死ねたもんじゃねえよ」

「ジャン・スティール!」

「ああ? うるせ――」

「――好きだ! 愛し」

 背中の魔方陣が、幾重にも重なる輪光を噴出させる。

 せっかく新調した衣服の背部がはじけ飛び、同時に隆々と湧き上がった筋肉が、窮屈そうな衣服を引き裂いた。

 下段から振り上げる一閃と、大地を蹴り飛ばして、それだけで最高速度に至る加速は見事なまでにタイミングを合致させ――ヒートに接触。

 言葉を遮る強烈な一撃は、甲冑の下腹部から胸にかけてを引き裂いて粉々に砕き、そしてその男自体を、天井にまで吹き飛ばしていた。

 調子の良すぎる、そして幸先の良い会心の一撃。

 壁にめり込んだヒートは暫くそのままで。

 ジャンは面倒くさそうに嘆息を漏らしながら、その場を後にした。

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