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14.アレスハイム王国【反撃】 ③

「避難状況は……?」

 熱風に嬲られる身体を外套で守りながら、白髪の髭を生やす巨漢の男は近場の兵士に訊く。

 誘導されるまま、被害の少ない東の門へと移動し終え、誰一人として居なくなった城を見守る兵士は、怪訝な顔で振り返る。そんな不意に問いを口にする男を見て、男は思わず表情を強張らせた。

「こ、国王……! あ、っと、全ての民間人を城から脱出させることができました。現在門へと向かっているグループが最後となります」

「そうか」

 背筋をぴんと伸ばし、背後――騎士養成学校の方向を一瞥した王へと、彼は付け加えた。

「学校へと向かった者たちの避難も済んでいます。国王も早く」

「まだだ」

「……いや、この街の人間の避難が完了したのは、既に確認しましたが――」

「あそこで、この国を護るために戦っている者たちが居る」

 今となってはもう遅いだろうし、己が居ても居なくてももはや関係ない段階に、問題は移行した。

 必要なのは権力ではなく、腕力である。街を溶かす熱の発生源となるあの学校では、それが全てだった。

「……しかし、私が居ても邪魔となろう。彼らに全てを託すしか……」

 この歳で命が惜しいことはない。

 だが騎士や警ら兵が全て出払っている現状では、少なくとも人民を統べる者が必要だ。ただ自分が納得出来ないからとて、指導者たる己が死に、民を捨てることなどできない。出来るわけがない。

 自らの不甲斐なさを噛み締めるように学校に背を向けて――異世界の王を、そして戦士たちを置き去りにして、街から全ての人間が避難した。

 戦闘は、継続中。



 いい加減焼き付ける痛みや吐き気、頭痛や息苦しさも、その概念自体がよくわからなくなってくる――つまり痛みやらが全て麻痺してしまった頃、青年の勢いはいつにも増して激しくなっていた。

(薙ぎ払え)

 意思が、刹那にして大剣を働かせる。

 袈裟に落とされた身の丈の鋭い巨躯が、瞬時にして右手側から薙ぐように王へと襲いかかる。眼前で拳を振り下ろしかけた男は、思わず息を呑んで大地を蹴り、寸での所で後退した。

 わずか紙一重の距離で剣は虚空を斬り、

「死ィねェッ!!」

 地表で高波をあげる炎と共に殺到したヒートは、這いつくばる姿勢のまま、やがて王の足元で蹴りを放つ。音に近き速度で襲来したその蹴りは鋭く、されど王はその寸前で跳躍することで回避した。

 さらに腰溜めに構えた拳を穿ち、そこから噴出する衝撃が推進剤の役割を果たして王を後進させる。勢い良く一時的な加速で背後へ跳んだ彼は、されど休む間もなく突撃してくるジャンに、舌を鳴らした。

 刺突を脇で受け流し、そこから放たれる逆袈裟の一撃を、上肢を反らしてやり過ごす。

(さらに――)

 間髪おかず、巨剣は半ば自動的に振り下ろされる。崩れた姿勢のままである王の胸へと落ちた鋭い刃は、既に立ち直ろうとしているが故に、不可避であった――筈だった。

『なっ……?!』

 炎を吐き、驚愕を漏らす。

 王の膝が折れたかと思えば、直立しかけた身体は刃すれすれの位置で真後ろへ移行。まるでジャンと巨人との息の合う曲芸が如く、攻撃は直撃が確定した現状でも、やはり掠り傷一つ負わせることはできなかった。

 ――攻撃を主体とする魔法ではないらしい。

 ただ一言、この男は魔法を使用しているとヒートから知らされたジャンは、そう判断する。

 それ以上は「自分で見つけろ」と言うらしくヒントすら無かったが、どちらにしろそれが知れたとて、何かが変わるようなものではないだろう。

 精神感応――あるいは未来予測。

 だが攻撃を”読んだ”わけではないらしいのは、追撃として放つ薙ぎ払いによって、反撃の手段を棄却した所からわかる。もしかしたらそう”思わせる”ための演技かもしれないが、それならそれで、随分な役者だと言えそうだ。

「どうした、顔色が悪いな」

 紫色の顔をする男に言われれば、馬鹿な冗談だと一笑できるような言葉だが、今の彼にはその余裕がなかった。

『てめえの顔面は気持ちが悪いがな!』

 感情と火焔とを撒き散らし、地を蹴り加速――突き出す大剣の切っ先は、されど王の脇を抜けた。

 攻撃が、当たらない――。

 にわかに力が抜けるような気がした。

 胸の奥から湧きだしていた熱さが、急激に冷えていくような、奇妙な喪失感を――。

「ばッ、ジャン・スティール!!」

 前のめりに倒れかけるジャンの首根っこを掴んで背後へと倒したのはヒートであり、すれ違いざまに火焔と共に王の肌を焼く拳を放ったが、前進するヒートと相対的に後退するが故に、距離は一切縮まらず、拳は虚空を焼き尽くした。

「く、阿呆がッ!」

 追撃は無く、拳を撃った姿勢のまま、ヒートは跳躍。その背後で剣を下ろしたまま眼前の光景を見つめたジャンの目の前へ着地するや、その胸ぐらを掴みあげた。

「貴君はどれほど口で倒す殺すだのとのたまっても、頭の中ではそれが敵わぬと理解してしまっている。気に食わん――成長などと、他力をまるで自分がしてやった偉業のように誇るからそうなるのだ」

「な、ん……だと……?」

 挑発なのか侮蔑なのか。

 なんにしろその言葉は、良くも悪くも青年の心を揺るがせた。

 息がかかるほどの近さで、琥珀と漆黒との瞳が、視線が交差した。

「おれの力だ。他力だと?」

「他人の力で昇華した実力だろう」

「おれの将来的なもんだろうが」

「ならば、貴君はいずれ絶望する癖が出るようなクズになるのか?」

 ヒートの言葉に、すぐさま答えを返せない。

 肩を突き飛ばすようにしてその身を引き剥がすと、ヒートは踵を返して横に並んだ。

「おれがいつ、絶望した?」

 軽口さえ叩ければ今は十分だ。ヒートはそう考え、鼻を鳴らす。

「少しでも心がブレれば、私が殴ってでも戦場ここに引きずり出す。いいな」

「……勝手にしろ」

「ああ、勝手にさせてもらうさ」

 白熱した大地に干渉する熱がにわかに薄れてきた時――二人は同時に、その肉体の熱を莫大なほどに跳ねあげていた。


 ――ここに来て、一つわかったことがある。

 爆熱を背後で巻き上げながら、斬撃が一度も交わらぬ王を通り過ぎたジャンは胸の中でつぶやいた。

(どうやら、おれは精神こころが弱いらしい)

 もっとも、遥か格上の敵と戦っている時に限るのだが。

『頭の中で勝手に自己完結して冷えるからね』

『否定出来ないのが悲しいな』

 自覚させられたのはスティール・ヒート。それが何よりも癪に障るのだが、認めなければならぬことではある。

 だが、おそらく一人で戦っていれば先ほどの時に死んでいたはずだ。

 絶望がより深まり、この熱さえも醒めてしまう。剣を振るう力すら失せて、死が確定する。

 ――認めざるを、得ないだろう。

 あの敵を倒すのには仲間が必要であり、スティール・ヒートが適役であることを。

『ったく、にしてもよぉ』

 大地を擦り付けるようにブレーキをかけ、ジャンは振り返る。

 視線の先では、変幻自在のように拳を振るい火焔を鞭のように薙ぐヒートの姿があり――それを全て”極めてギリギリ”という具合で回避する王が居る。

 まるで、本来は食らうはずだったその攻撃を、無理矢理避けているかのような、明らかなまでに困窮しているような回避行動ばかりだ。

 だというのにその本人はどこまでも余裕を気取っているものだから、調子が狂ってしょうがない。

 一度でも、あの色の悪いすました顔をぶん殴れれば形勢は変わるのだろうが……。

『……いや』

 何かが頭の隅を掠める。

 だが、もしその考えが正しかったら――本当に、この魔法というものは”なんでもあり”になるし、同時にあの男の攻略が困難になること請け合いだった。

『どうしたの?』

 頭の中に響くノロの声に、ジャンは小さく息を吐いた。

『運命を操作するとかって……ないよな?』

『ないよ』

 不安を察したか、本当に無いのか。

 彼女は即断し、だけど、と付け加える。

『運命っていうのは確定した未来の事。それを操るのは、神様でも無理……まあ居れば、の話だけど。でも未来に至る過程を操作することは出来る』

『未来に至る過程……? 普通に、自分で考えて動くこと、じゃないのか?』

『足元に石があって、それに気付けない自分がそこにツマヅイてしまう”確率”。突然脇から飛び出してきた異種族に殺されてしまう”可能性”。自分で考えるだけではどうしようもない範囲は、どうしても存在してしまう』

 ――足払いを跳躍で回避した王の股ぐらから、縦一閃に迸る火焔がしなって切り裂く。

 だが、やはりその攻撃は彼を傷つけることはできず――今度は、加減の利かぬ一撃が”勢い余って”火柱が王の眼前を、一直線に過ぎていった。本来ならば弧を描いて股から頭を焼きつくす筈だった業火は、致命的なミスによって天空へと高く聳える柱と化した。


『可能性を増幅する……ジャンが考えてる通り、そういう魔法だと判断して間違い無いと思う』


 自分の頭の中だけに置いておけば否定できただろうソレを、だが彼女は肯定してしまう。

 誰かが認識することによって、驚くほど現実味を帯びてきたそれに、ジャンはただ嘆息した。

『タチが悪いな』

 本当に。

 うんざりするくらい。

 冗談は、あの身体能力だけにしてほしいものだ。

 ――可能性を増幅する能力。

 いわば確率操作系。例えば攻撃を回避する余地が一割でもあれば、確率を変動――可能性を増幅させ、”運”を極めて高くする。

 故に偶然でありながらも、男はおよそ必然的に攻撃を受け付けない。

 そして最初はなから当たらぬつもりで居るならば、追撃も容易だ、という具合だった。

『だけど、だからこそ対処法はある』

 そう、あの男は絶対的に回避できるわけではない。

 たとえば攻撃が当たる確率が五割、回避できる確率が五割ならば、その魔法で回避率を六割に上昇させて”運良く”回避することが出来る。もっとも、一割でもあればそれは可能なのだが――彼女が言うのは即ち。

『王の可能性をゼロにする』

 言うは易し。

 されどやらなければならぬ現状で、ジャンはそれに頷いた。

『ああ、やってやる』

 もう諦めない、二度と――というのは、自分で口にするにはあまりにも説得力のないソレだが。

 諦めれば、絶望すれば、どうしようもなくなれば、奮い立たせてくれる男がいる。

 そう、もう一人じゃない。

 死ぬにしても、逃げるにしても、隣に誰かがいる。その事実が、今ようやく実感できて――それだけが、今のところの希望であり、活力の根源でもあった。

『行くぞ!』

 幾度ともなく大地を蹴り飛ばす。いい加減この大地も怒らないのか心配になってくるが、どうせ怒るのならあの王に全てをぶつけて欲しい――などとくだらぬ事を考えながら、殺到。

 ヒートが無防備なまま、その頭上に振り落とされようとしている拳を見て、ジャンが認識したその瞬間――肉体はその場に到達し。

「……!」

 王の攻撃は完了……するも、殴り飛ばしたのはジャンの大剣の腹であり、

「フンッ!」

 満面の笑みは醜悪で憎たらしいまま。

 赤く揺らめく炎を握った拳が、王の腹を穿っていた。


 反撃成功。

 ――戦闘は、未だ継続中。

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