13.アレスハイム王国【反撃】 ②
燐光と共に、身の丈ほどの大剣の表面に魔法文字が浮かび上がっているのを認識したのは、炎と共に怒涛となって王へ迫った時だった。
――叩き落とす、岩石が流れ落ちたが故に流麗な細身の巨躯。鋭く、しなやかに大上段から落とされた大剣は、だがそれでも男の胸までにしか至らぬが、刃は鋭く男を切り裂いた。
同時に、その幻影は姿を消す。
火焔の爆熱が作り出した陽炎に化かされた青年は、本能的にその幻影の居た空間へと飛び込んだ。
それとほぼ同時に、図太い丸太のような拳が鋭く虚空を穿ち――大気を撃ちぬく衝撃は、凄まじい勢いの奔流となって背後からジャンへと襲いかかる。
巨大な岩石が背中を殴ったかのような衝撃に全身が悲鳴を上げる。瞬く間に背骨がへし折れて砕け、皮膚が裂けて筋が千切れ意識が暗転する。それは紛れも無い死のはずだったのだが、
『くっ、そ、がぁっ!』
燃える血がしぶきを上げ、溶けた背骨が結合する。流体となる筋はそもそも千切れたりせず、肉体にダメージは蓄積されない。
身体の表面を流れ続ける液体化した真紅の甲冑は、だがジャンが吐き出した火焔を顎と首の継ぎ目から零していた。
――破滅の風といった具合で、拳から打ち出された衝撃は青年を一度殺す。
化物じみた、と言えばむしろ本来より弱々しい表現となってしまう男を前にして、その何かの間違いのような尋常でない力を受けて尚、青年はその全身に活力をみなぎらせていた。
その一方で、スティール・ヒートは空高く跳び上がったかと思えば、彗星が如く襲来――火焔の尾を引きながら、王の延髄を蹴り砕く……筈だったその蹴りは、大地を深く抉り続けていた。
轟音が足場を揺らし、視界を鈍らせ――二人は、王の姿を見失った。
『ジャン、話がある』
『ノロ、今は――』
『その武器の話だから』
煙のようにもうもうと滾る火焔を突き破り、眼前へと王の拳が迫る――瞬間、構えた大剣の刀身の文字が、『ようこそ』から『準備完了』へと変異する。だが悲しきかな、その文字を読み取れるのは、ジャン・スティール以外の者のみだった。
『剣に祈って即座に集中! ほら一秒以内!』
『なっ――斬り、あげろぉぉぉっ!!』
刀身から溢れる燐光と共に、剣が鈍い震えと共に了解する。文字は『実行中』と書き換えられていた。
――キィン、と耳鳴りのような異音が響く。
認識するのは刹那に近い短い時間。一秒を百に細切れにした内の一つを要して音を認識し、残りの半数以下の時間を使って、筋力とは関係なしに大剣が動いた。
故に接触するのはほぼ同時刻。
舌なめずりする火焔が血色の悪い男の肌を焼き、僅か一瞬だけ――拳ひとつ分だけ、王の腕が叩き上げられた。
「――!」
驚愕が漏れるが速いか、
「よくやった貴君! その土手っ腹にィッ!!」
ジャンが創りだす王の間隙。滑りこむように、地を這う火焔と共に殺到したヒートの蹴りが正確に脇腹を撃ちぬいていた。
王の口から呼気が漏れる。頬が膨れるわけでも、嗚咽も悲鳴も何もないが――ダメージを喰らった。その証左となる反応に、思わず二人のスティールは口角を吊り上げる。
火焔が王を中心として、交差する。ジャンは脇を抜けて貫くように王の背後へ、そして蹴り抜けるヒートは反対側の脇からその向こうへと過ぎ去った。
「……侮りすぎたか。過小評価が過ぎるなら――本気で相手をしてやろう」
よもや、この我がそれほどまでに熱くなるとは。
王はそう一笑しながらも、錆びかけたこの肉体を全力で駆使することに、快感にも似た高揚を覚えていた。
『それは、先代の王がこの世界に落とした十あるうちの一つだ。なんの因果で岩なんかに封じられていたのかわからないが、その岩さえもどうやら正常な岩ではなかったらしい』
魔力干渉による熱――すなわち魔術によってでしか破壊されない特殊な何か。おそらく魔石なのだろうが、それほどまで厳重に封印するのには訳があるのだろう。
封じたのは先代の王と見て間違いない。ならば、この状況を予期して落とした武器の一つを使い物にならなくする理由とは……。
「ジャン・スティール」
弧を描くような軌道でジャンのもとに加速したヒートは、素顔を晒したまま、どこか気障ったらしい笑顔で声をかける。
「一時の共闘に異論はないようだな。だがわたしは何よりもその無謀な果敢さが気に入ったのだが、いざ身内として見てみればどうにも危うい。少し頭を使って戦って見ることを推奨するが」
「うるせえ黙れ消し炭にするぞ」
『ジャン、せっかく説明しているのにその口の利き方は無いと思うぞ』
「違うよノロじゃないから」
「誰がノロだと貴君、気色の悪い気安く呼ぶな」
「てめえじゃねえよ死ねカス」
「なるほど、貴君どうりで臭いと思えばあの付与者を喰らったわけか。どうりで臭い」
『ジャン、王を殺す前にこいつを殺さない?』
うるせえ、と零れそうになるそれを飲み込んで代わりに吐くのはため息だった。
王はようやく振り返り、舐め回すようにジャンを見やり、またその傍らのヒートを一瞥する。大きく踏み出した巨人の一歩に警戒したが、そのどっしりと踏み込んだ以上、加速する様子もなく、なんらかの行動を見せる気配も無い。
「ノロは聞いてるから、話し続けて。お前はお前で何の用だ」
『了解、それでその剣の効力だけど――見てわかるように、使用者の意思を反映すること』
現在『準備完了』と表示される大剣を見るが、だがジャンにはそれを読み取ることはできない。
ヒートは肩をすくめながらも、視界内に王を収めつつ、口を開いた。
「情けない話だが、わたしの力だけでは父上を殺せないのだよ。そこで貴君に手を貸してもらいたい」
「合わせろってのか?」
「ああ。私の背を追えば良い」
横柄で傲慢で、身内としてみればとても好意的に見ることのできぬ男だ。
敵だからこそ評価できる。仲間とすれば、背中を預ける仲など程遠いほど、気に食わない。
「ふざけんな」
一蹴したまま、ジャンは白熱した流体に濡れるままの大剣を構え、王を睨んだ。
「お前が来い。それが嫌なら隣に並べ」
「――くっ」
半ば憎悪に近い感情と共に口にした言葉を受けたヒートは、されどなぜだか、突然吹いた。腹を抱えるほどでは無いにしろ、まったく緊張感のない押し殺した笑いに、ジャンはイラついたように舌を鳴らす。
「ははは――ああ、そうか。誰よりも貴君をわかっているつもりだったが、いや、なに」
まさかこれ程までに深く”仲間”だと認識されているとは思わなかった。
ヒートは、言えば恐らく怒るだろう言葉を飲み下して頷いた。
前か後ろか、先か後か、敵同士だからこそどちらかしかない選択肢を軽々と砕いた彼の言葉に、ヒートは素直に了承する。
「これでいいのだろう」
大きな一歩、彼の横顔を見つめ、踵を返してジャンの見る方向に転換する。
横並ぶ二つの朱い影。炎の中、溶けこむようなその相貌はされど、明確な殺気を放つがゆえに見失いようがなかった。
王とスティールの視線が交差し。
間もなく、ニ名は業火と化して襲来する。
『意思は反映するけど、飽くまで使用者の実力以上の事はできないということだけ、気をつけて』
ノロの注意は適切だったが、されど問題は別のところにあった。
つまりは、先ほどとは異なるほどに膨れ上がった王の異常性。
狡猾さや残虐性などというものではなく、その身体能力が遥かにニ名を上回っていて、かつそれまで通り攻撃を回避しているのには代わりはないのだが――肌に感じる違和感を、二人は同時に理解した。
気のせいなどではない。
そう確信させるのは、その奇妙なまでの回避率に加え――。
「貴君、躱せ!」
「無茶を……っ!?」
なぎ払う巨剣の切っ先が、即座に後退した王の腹すら掠めぬまま虚空を斬り裂く。
その位置から迫った拳は、辛うじて、というほどの厳しい距離でジャンを殴り飛ばした。鉄仮面を砕いて頬骨を砕き、そのまま脳を直接打撃するかのような衝撃を叩きこみ、彼はにわかに白く染まる意識に抗えずに吹き飛んだ。
溶けた地表の飛沫と共に、炎を伴って脇を抜ける好敵手を脇目に、ヒートは厄介だと歯を噛み締める。
父という関係上、彼の保有する才能――魔法を知らぬ訳はない男である。故に、今の彼がそれを使用しているのは明確だった。
王は傷を嫌う男である。その男が、もしかしたら掠り傷を負うかもしれないという状況で手を出す訳がない。実力差で考えてもその行動は不要だし、ならばそうする理由があるに違いない。
そしてその理由として考えられるものは、”当たらぬと言う確信”を得ているからなのだろう。
「タチが悪いな、貴君は」
「大人げないとでも? お前の本気に敬意を評して本気を出してやっているのだろう」
「まったく――良く舌が回るようになられたな、父上。ヒトに感化でもされたか?」
軽口は、果たして王には通じない。
堅物が、と吐き捨てながらも、ジャンを棚に上げられぬ程果敢に飛び出したヒートは、されどそれが運命として決して居たように、腹を穿たれ――虚空を貫き街を見下ろすくらいに高く吹き飛ばされた所で、
「……正気か」
衝撃が塊となり、男の腹を貫いていた。
――それを頭上に置く青年は、触れただけで溶けた校舎に埋もれた身を引き剥がして息を吐く。
眼の前から迫るのは無傷に加え、威圧も凶悪さも筋骨も、一・五割増しな王の姿だった。
致命傷が六○秒以内に完治する敵が居るとして、そいつを倒す手段というものはあるだろうか。
むろん、ある。無いわけがない。不死ではない限り敵は死ぬし、その手段は往々にして、最低限一つはある。
一撃で屠るというものだ。
現状で考えられるのはそれだけであり――それが最強の敵だとしても、手段は変わらない。
本気になる前に殺せれば良かったと後悔したのはついさっきだったが、本気も見ずに最強の肩書きを欲しいままにする男を殺せば、いつかは後悔するだろうと思ったのは正に今だった。
そしてその判断さえも、また今後悔した。
やはり最初に考えたことが一番正しい。直感というのは、大体は当たっているものだと、ジャン・スティールはつくづく思った。
しかし疑問に思うところもある。
確かにこの男は”異世界では最強”だというし、事実として敵わぬ敵なのだが、果たして、
「この世界じゃ、おれのが上かもしれねえな」
互いの世界の常識が交錯しない以上、また最強の定義も異なるかもしれない。
王の眉が、ぴくりと弾んだ。
「気でも狂ったか」
「うるせえ、ぶっ殺すぞ」
火焔を吐き出しながら、言葉を紡ぐ。
既に鉄仮面は粉々に砕け散ったが、炎と化す青年の肉体に外傷というものは残っていなかった。
「できる事を口にしなければ滑稽だな、小僧」
「出来るから言ってんだろうが」
できなくてもやる。
動かなければ元も子も無いというのを、ついさっき理解したのだから。
「貴様の攻撃がかすりさえしないと――」
「ジャン、スティ――――ルッ!!」
言葉を遮る咆哮は遥か頭上からだったが、その気配を強く感じたのは、現在。
頭上から落ちてくる音を超越した速度と共に飛来する炎の槍が、王の頭の上へと轟音と共に飛来し――大地が爆ぜる。肌を焼き、吸い込めば肺を焦がす熱風と溶けた地面があげる飛沫が吹き抜ける。今となっては火傷にすらならぬそれらを一身に受けたまま、さしものジャンも絶句した。
不可避の攻撃だった筈である。
その速度を見て、またこれまでの王の反応速度を見てもそれは確定した一撃だったはずだ。
されど、今の王は爆ぜた大地の脇で腰に手をやりジャンを眺め――まるで驚きも無く、冷めた目で、口にした。
「殺してみせよ、できるのだろう?」
戦いが終焉を見せたのか、まだ過酷さの入り口を見せたのか――二人の男には判別は付かなかったが。
その言葉が地獄の始まりであることだけは、嫌というくらいに認識させられた。




