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12.アレスハイム王国【反撃】

 なぜ諦めたと、己を罵倒する声は幾度も後悔させた。

 体の熱が世界に干渉する。体温が全てを溶かす。己に触れる総てを燃やす。

 莫大な熱量は、瞬時にしてあらゆるものを蒸発させた。

 真っ赤に燃える己の肉体。涙さえ蒸発し、喉を焼くがゆえに息もできず、声も出ない。咆哮は轟々と唸る火焔の中にかき消され――大事な何かが、吹っ飛んだ。

 この魔法ちからの全てが頭の中に流れ込んでくる。

 まるで以前から知っていたかのように自由に扱えるような感覚。我物にしたかのような圧倒感。

 先程までの無力、無能感はない……それと同時に、肉体を焼きつくす炎が、そのまま肉を焼き骨を焦がす激痛を、ジャンに知覚させた。


 それが、ノロが『禁断の果実』の使用限度を決めた理由だった。

 元来、その魔法と言うべき才能は彼のものではない。擬似的に再現させるが故に、ジャン・スティールには処理しきれるものではないのだ。

 だから四度目、その限界が越える時、全てが己に跳ね返る。

 されど――。

『オリジナル級……それを再現とは』

 こんな所で、擬似的にでは無く、本来のままの『禁断の果実』を利用できるようになるとは。

 ノロはただ呆れ返り、彼女はただ、その青年を評価し直さざるを得なかった。

 もっとも、それに成功した理由は本来の術者が彼の中に居るからなのだが、贔屓目で青年を見る彼女はとことん無自覚に、青年に力を貸し続けていた。


 ――肌が焼け肉が焦げて骨が溶ける。

 だが命はいつまでも存続していたし、その炎が地表を舐めて白熱させても居た。

 驚いたようにジャンを見やるヒートと――異世界を統べる王は、僅かに好奇の色をもって青年を眺めた。

『てめえをぶち殺すぞ、野郎ぉおぉおぉっ!!』

 声は唸る火焔となって口腔から噴出し、岩石が滴る鮮血のように刀身から流れだすのをそのままに、青年は勢い良く大地を駆けた。

 戦うべき目標は移行した。

 ただでさえ勝てぬ相手から、勝算さえも見いだせぬ敵だったが――。

『それがどうしたぁっ!』

 炎が雪崩を起こしているようだ、と対面する王は認識した。

 莫大な火焔は火災などとは比べ物にならぬほどの量で空間を占め、怒涛となって己へと押し寄せてくる。なによりも、その先頭で辛うじてヒトの形を留める姿が、己の腕ほどに図太い大剣を振り上げて肉薄してきている。

 なるほど、恐れもしないか。などと考え、思わず微笑んだ。

 微笑ましいのだ。事実として、この男は決して自分に敵うはずもなく、またこの男も同様に今向かっている敵に敵うわけもないと理解しているはずなのに。

 だけれど、立ち向かってくる。

 わずかに興味が沸く。

 距離が十歩分あると思っていたのに、気がつけばニに減り、目減りした距離がやがてゼロになる。

 火焔とも剣とも付かぬ刃が、己の胸へと袈裟に落とされた。

 黒衣が燃える暇も無く灰となる。あらわになる濃い紫の肌が炎に照らされて、浮き上がる分厚い筋肉に鋭く刃が触れた――そう思った時には既に、王の指が大剣を受け止めていた。

 まるで鋼鉄の塊に剣を振り下ろしたような感覚。衝撃がそのまま腕へと跳ね返り、激痛に喘ぐ肉体が過剰に反応した。

 力が緩む。

 堂々と目の前から振り下ろされた拳が、ほんの僅かな猶予も与えずに顔面に食らいつく。

 溶けた骨が飛沫を散らし、既に原型のない内容物がぐちゃぐちゃになる。それでも維持している体の形は無残にも飛び散り、大きな塊となってジャンは吹き飛ばされていた。

 滑空、後に地面に叩きつけられ、血とも融解した鉄とも付かぬ何かを地になすりつけて軌跡を描く。

 壁を作った炎は霧散し――王は、やや離れた位置からケンタウロスへと駆け寄ってくる少女の姿を捉えた。

 イヴ・ノーブルクラン。さして愛しくもない、己の血を継いだ最上級の修復系統の才能を持つ娘。

「なぜ生きている」

 この戦争の契機となった少女の脱走。

 この戦争以前に始末されている予定だった彼女の存在に、今気づいたかのように彼は口にする。

「父上!」

 叫んだのは、彼女の護衛役を買って出た長男だった。

 腹違いの息子は、素直なまでに力を継いでくれている。未だその全てを発揮するには至らぬが、将来は有望――今殴り飛ばした人間とて、同様なのだろう。彼はそう、ジャンを評した。

「あの者の相手はわたしの役目です。下手に手を出しては困る!」

 殺気を伴った抗議に、王の寛大で海よりも広い心は、まるで胃の蠕動運動のように指先ほどの小ささに狭まった。

 つまり、イラついた。

「お前は先から、誰に口を利いている。我に口を挟めるのは、我と同等かそれ以上の力を持つ者なれど――」

「――魔王を自称するだけの、力に溺れた蛮族がさえずるか」

 受け継がれるのは、果たして力のみだったか。

 およそその男以上の闘争本能に、執着心に、そして気高い誇りを持った愛息子は、畏れた様子も怯えた気配もなく、勝てる見込みもない生みの親へと吠えていた。

「……なに?」

 何といったのか、と問いなおすことはしない。

 二度はないのだ。故に、こいつはまことに正気なのかと疑った。

「王も老いには勝てぬか。やれやれ、難聴を患っては老い先も短い――今にも死ぬだろう、貴君は」

 逆鱗に触れるどころか、それを殴り飛ばしてしまった事を、その男はようやく理解する。

 男が嘆くのは、優秀な兵の喪失についてではなく、己の駒が一つ減ることに対してだった。これで一人分の労力を己が負担しなければならない。

 仮にスティール・ヒートが改心する気配を見せたとして、だがもはや血迷ってしまった以上処分しなければならない。この男もそれを、しかと理解しているか不安になった。

 進捗状況を見に来たついでに来てみれば戦況は押され気味なこの戦争。

 さらになんの歯車が狂ったのか、本来人間を掃討すべき男が直属の上司兼親に歯向かって来る始末。

 口からは、もうため息しかこぼれなかった。

「親の情けだ。五秒待ってやる」

「ならばわたしは五秒待機しよう。”弱い者いじめ”は嫌いだからな」

 王がヒートの逆鱗を殴ったように、彼も彼で、実父の逆鱗を爪で力いっぱい引っ掻いていた。

 男の表情が互いに嗜虐的な笑みに歪んだのは、さすが親子だとしか言いようがなかった。


 ジャン・スティールが吹き飛び、大地を力強く踏みしめた足は、真紅の脚甲に包まれていた。

 足元から噴き上がる風が炎を薙ぎ払った時、身体という身体が、その肉体全てが一分の隙も無く朱色の甲冑を纏っていた。まるで白銀だったそれが戦場で血を浴びたせいで染まってしまったような、くすんだ黒みがかる、小汚い朱さだった。

 眼の前で、倒れたケンタウロスの姿があった。

 その向こう側で、なぜだか対峙する怨敵と好敵手の姿があった。

 最優先すべきはどちらか――などと、その青年に理屈を立てる思考はもう無い。

「……イヴ!」

 叫んだ声は頭の中で反響するようにやかましい。

 気がつけば、その顔面はひし形の鉄仮面に包まれていたのだが、視界は鮮明に開け、そして声は透き通るように良く通ったようで、ビクリと肩が跳ねて、彼女は振り向いた。

『死の要素、というものがある』

 妙な重みによる重心移動が難しい。生まれてこの方、騎士を目指しながらも全身鎧など着た事のない青年は、どしどしと大股で足先を外側に向けた歩法で、イヴへと歩み寄る。

 その中で、ノロの講説が始まった。

 ジャンは彼女にたどり着くまでの間、なぜか心を飲み込んだ諦観を悔やんでいた。

 ――力も、速さも、戦うための全てが欠落していた。

 だが、何よりも今の彼に必要なのはそれらではない。むしろ身体能力、戦闘技術、経験などはこの際度外視してしまったほうがいい。

『死に至る要素。つまり大怪我や大出血や、道具で言えば摩耗や、破損など』

 ジャンには何よりも、熱が足りなかった。

 どこかで必ず冷え切ってしまう己を、死せるまで熱くたぎらせてくれる、圧倒的な熱さが。むせ返る程の、凄まじい熱が。

 力が足りぬからなんだ。

 鈍足だからなんだというのだ。

 その程度で、人が弱くていい理由になどならない――そんな暴論を地で行っていた筈なのに。

『イヴ・ノーブルクランの魔法は、それら死の要素を己に吸収させる力だ。だからといって傷や怪我、痛みを全て請け負うのではなく、吸収した分だけ、死に冒される。つまり』

 今更になって、失って、死にたくなって、それだけじゃ気に食わないから自分を殺したくなって、ようやく気づいたのは初心だった。

 勝てないから抗わないというのはおかしな話だ。

 勝てないから抗うというのだ。抵抗というのはそういう事なのだ。

 勝てる時は反撃という。言葉というのは便利だし、どこか卑怯な感じがした。

 そしてその抵抗すら諦めた時、ヒトは、戦士は死んでしまう。

『寿命が削れるのだ』

 ジャン・スティールは蘇ったと言える。

 だがその生命は、健気なまでに死へと駆け出していた。

 もっとも、その為に蘇生された命なのだから仕方のないは無しである。

 彼は自分のこれからの行動を鼻で笑い――彼女の行動を、心の底から尊敬した。

『地形の修復、そしてジャン・スティールの蘇生を二度。もう限界に近い。本来ならばその死を発散する術もあるのだろうが、それは即ち――』

禁断フォービドゥン・果実フルーツ

 剣を握らぬ手の中に果実が生まれる。

 迷うこと無く、彼はそれを握りつぶし、指先から体の中へと力が、知識が溶けこんでくるのを理解した。

『……ジャン、同時に使えるのか?』

「ああ、問題ない」

『なんてこった』

 ついに、その術だけ追いぬかれてしまった――無自覚に手を貸していたのではなく、彼女の知識と記憶とが彼の力になってしまったことに、ノロは気がつく。

「イヴ、ユーリアさんの様子は?」

「ヒー……あ、ああ、いや」

 その真っ赤な姿をヒートと見間違えた彼女は驚いたように目を見開いてから、やや語調を乱しながら落ち着いていく。視線は、倒れたまま熱せられた地で焼かれるユーリアの姿。沸騰し蒸発する血液の悪臭の中、彼女はやはりピクリとも動かない。

「窒息、だと思う」

 彼女は言った。

「ケンタウロスの心臓は馬の肢体にあるし、傷口と口腔からは血の泡を吹いていた。おそらく、肺を破壊されたのだと、思う」

「心臓が破壊されたわけじゃないという事か」

「でも死んでるのには違いない」

「死んでも、生き返るさ」

 横たわるユーリアの、血まみれの胸に手を添える。

 手のひらは即座に発光し――己の心臓が、にわかな疲弊を覚えた。

 まるで十年分働き続けた疲労が一度に襲いかかってきたかのような負担。身体が重くなり、目眩に思わず倒れそうになる。

 そうする頃には、ユーリアの胸の風穴はすっかり塞がっていて、

「……貴卿、何をした」

「おれにできることを。後は任せた」

「……これから、何をするつもりだ」

「おれが出来る事を、な」

 呆気にとられるイヴをそのままに、彼は彼女らに背を向ける。

 凄まじい負担を勢いで負ってしまったが――どのみち疲れる上に、実力とて公平ではない。敗北の言い訳にさえならぬこの疲労は、だが、かえって勝ってしまったら格好いいのではないのか、と思えた。

 何にせよ、だ。

 もう二度と絶望はしないし、恐怖は踏みにじって押さえつける。

 怒りや悲しみに飲まれてもいい。

 ただ、もう止まらない。

 全身に再び炎が灯った時。

 同時に、スティール・ヒートの肉体から噴出した火柱が天空を焦がした。


 抵抗を経て。

 ――男たちの”反撃”が今、開始する。

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