8.アレスハイム王国【熱戦】 ②
巨剣を弾かれ、たたらを踏んで後退する。
その隙に、絶妙なまでに脇を抜けた閃光が、眼前の男の喉元を貫いた――かと思えば、それは胸元の甲冑で受け止められていた。
ヒートは同様に、ほぼ同じタイミングで足踏みをするように数歩退いた。
状況は均衡している、とは決して言いがたかった。
――石畳はヒートを中心として赤熱し、巻き上がる熱風が全身を蝕んでいく。
それに冒される三名の体力は、行動する以前に如実に削られている。貪る空気は喉を焼き、肺を焦がしながらも息をせざるを得ないがゆえに、その弱体化は目に見えて顕著だったのは――二名のみだった。
「だぁ――らっ!!」
大上段から振り下ろされる一閃。
三度目になる斬撃は、
「……ッ!」
まず初めに、ヒートに驚愕を与えていた。
――鼓動が早くなる。
胸の奥で渦巻くあらゆる感情が、ただひとつ、興奮となって頭に血を上らせる。
振り上げた腕に落とされた巨剣は、されど弾かれる事無く、しかし受け止められたまま、とも言い難い。
スティール・ヒートはその時、間違いなく圧されていたのだから。
細胞という細胞が疼く。
未だ肉体の強化は、あの限界を超えた様子はない。しかし、それに近い様子ではある筈なのだが、それによる反動は肉体に疲弊や痛みは皆無である。
むしろ、どこまでも突き抜けて行けそうなほどの高揚感が、胸の中で爆発していた。
徐々に、段階を踏んで強化する肉体。
それはまるで成長を思わせるものであり――。
接触したヒートは、ただ以前とは異なる様子のジャンに、何かを予感せずにはいられなかった。
互いの息が頬を掠めるほど接近した両者は、だが――そのままの意味で、横槍を入れられる。
脇から乱入した鋼鉄の槍が、その石突きでヒートの側頭部を穿つ。だがその攻撃は彼に掠めること無く虚空を貫き、それを契機として姿勢を崩したヒートは、そのまま後ろへ倒れこむようにしてから地面を弾き、後退した。
引き離された二人だが、戦闘が一時でも止まることはなかった。
――後退した先、ヒートが着地した地点に魔方陣が展開する。
されどヒートが反応するのは、先程茶々を入れた無粋なケンタウロスだった。
「図に乗るな、馬風情が」
空間を飲み込むほどの莫大な魔力が陣の中心から上空へと奔流する。しかし見る間に集中し、凝固し腹部付近にて影として姿を見せる奇っ怪な球体は、身勝手な怒りなど物ともしない。
戦略級なら一度は可能であろう魔力が、手のひら大にまで圧縮される。
そう認識した時には既に、その球体は目を眩ませるほど発光しはじめていた――が。
それよりも速く奔るのは、ヒートが強く踏み込んだ足先から迸る炎。大地を掛けて一直線に迫るその火焔は、轟と唸り火柱を上げた。
まず初めにその餌食となったのは、真紅のワンピースを纏うノロだった。
総ての音がかき消され、あらゆる気配が飲み込まれる。局所的な爆発は晴れ渡った蒼穹を焦がす勢いで火焔を噴出させ、容易くその少女らしい矮躯を飲み込んだ。
彼女の焼失が確認されたのは、ヒートを照準し発動間近となっていた魔方陣の消失からである。
肌を焦がすほどの強烈な炎を間近に見て、まだ替えが幾らでもあると理解できても尚、青年は仲間の、友人の死に、我慢がならなかった。
もっとも、これまでで我慢などをしていたことは一度たりともなかったが――。
霧散した瘴気が鼻腔に突き刺さる。吐き気をもよおすほどの濃厚な腐敗臭を、その手の中に集中させる。
これからのヒートの軌跡を先行するように疾走する炎が、再び地を這った。
ジャンは息を呑む。即座に構えた巨剣で、軌道上の石畳ごと炎を叩き壊そうと力を込めた。
だが、それは全てが遅かった。
「発現めろ」
光が馬の肢体に纏わり付く。
彼女の肉体を輝かせ、光とユーリアとが”一体化”した。
大地を踏みしめ蹴り飛ばせば、石畳は粉砕され、粉塵と化して宙に舞う。
走りだしたユーリアは、迫ってきた炎と交差――対峙することもなく、通り過ぎた。
「穿て――電撃疾走!」
ヒートへと切迫する、下手をすれば気圧される威圧。
彼が怒りするように、彼女もまた、怒気の炎にその胸を焦がしていた。
見る間に零に近づく距離は、やがてその穂先がヒートに触れる事によって見事衝突を成功とし――穂先が突き出された腕、その手のひらから手首へと受け流され、右手はそのまま槍を握る。
だが、幾らヒートとは言えそれを容易に止めることは出来なかった。
手甲が削られ、腕甲が抉られる。手の中を摩耗しながら通過していく鋼鉄の槍からは、さらに全身を駆け巡る凄まじい電撃が肉体に襲いかかっていた。
動きが鈍る。
だがゆえに、本来緩むはずの握力は硬直したまま槍を握り続けて居て、
「くッ……だ、が」
一秒以下の接触が、ついにはニ秒を超えた。
槍は未だヒートの手の中にあり、動きはやがて止まり、ユーリアが力任せに押し抜かんとする体勢のままで硬直していた。
その時間は、致命的だった。
「まだ――」
そして言葉は続かない。
脳天を巨大な槌で殴り飛ばされたかのような衝撃は四肢を麻痺させたが、彼を相手に長くは続かない。
故に、ユーリアがさらなる力をこめるよりも速く、復帰した左腕が彼女の綺麗な顔の、その横っ面を殴り飛ばした。
巨体が、いとも簡単に浮かび上がる。
まるで氷の上で滑ったかのように、四足を地面から浮かせた彼女は、だがそれだけには終わらない。殴られた方向に滑空するようにして吹き飛んだユーリアは、さらに赤熱した石畳の上で己を摩耗するようにして滑る。さらに衰えを知らぬ勢いは、近辺の建造物に突撃して瓦礫へ変える事で、ようやく消えた。
静まり返る空間に、瓦礫の崩れる余韻が響く。
火柱が立った地点では、ただ地面が燻る炭となるだけである。そこに、ノロが居た形跡はうかがえない。
――ジャン・スティールがヒートから引き剥がされて、およそ十秒。
その間に強化された肉体は、唸り力強く胎動するような筋肉は、ただ唯一、目の前の男を殺すためだけに発達していた。
敵は強い。ジャンは思う。
今、己より遥かに格上の仲間が容易くやられて、どうしようもなく痛感した。出来たかすり傷さえも数秒で完治してしまうその敵は、それ故に一撃で打破しなければならないのだ。
どうしようもない。
敵わないのは、仕方のない事だ。
死んでしまっても誰も責めない。ここにいたことに、最期まで立ち向かったことに賞賛さえ与えられるはずだ。
だが――そこに、諦めて良い理由など無い。
ヒトが、己が弱いままでいい理由など無い。
肉体強化などと、生易しいものではない魔術が肉体を”成長”させる。
されど、肉体はほぼ限界に至っていたためにそれ以上変わることはなく――だが、単純に戦士としての本能的な直感や、経験則からの行動選択、それら全てが洗練され始めていた。
幼き頃から鍛えれば目覚ましかっただろうその才能。
十八にして鍛えたからこそ、錆び付いてしまったその才能は、本来より遥かに速く覚醒した。
湧きでた怒りが力となった。
客観的にはそうとしか見えぬジャンに、ヒートは指を曲げるようにして手招いた。
「来い、焼き尽くしてやる」
巨剣を肩に担いだまま、ジャンは胸の手前に手を出す。
集中させた瘴気の塊が、突如として赤みを帯びて具現化した。
「禁断の果実――」
かじれば、口腔内に迸る濃密な魔力。
そして同時に、その肉体は淡い闇に包まれた。
「――吸血鬼化」
闇と同化する青年に、対照的に炎を迸らせる男。
両者は寸分の狂いもなく、全く同時に駈け出した。