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7.アレスハイム王国【熱戦】

「どうした、剣が軽いぞ!」

 右腕で受けた剣をそのまま弾けば、ジャンは上段へと剣を跳ね上げるように姿勢を崩した。

 だが、ヒートの追撃は続かない。

 ――脇から風を切り裂いて飛来する槍。光子を纏って大気を穿つその槍の速度は、容易にヒートの反応速度を超えていた。

 甲冑を貫くのは、槍による一点集中の破壊力を発揮したが為に容易く、肉を裂き骨を砕くのは朝飯前だと言えるだろう。

 問題点であり、そしてその一撃でヒートを斃しきれなかったのは、ひとえに――速度や破壊力だけでは、その男を打倒するには余りにも足りなすぎた。

 本来ならば頭部を砕くはずだったその槍は、横腹を貫通して近場の建造物に突き刺さる。多量の静電気を纏った槍はその表面から火花のように電撃を迸らせる。

 故に、その雷撃を伴った穿撃せんげきを喰らったヒートの動作は、にわかに緩む。

 出現した、狙いを済ませて全力を叩き込めることも、背を向けての逃走も可能な大きな隙。

 ジャン・スティールが選択するのは純粋に反撃であり、図らずとも振り下ろされるのは巨剣の重量と、ささやかに強化された腕力を合わせた破壊力。

 それを全て叩き込み大上段からの一閃でぶち込む。

 横腹に風穴を開けたヒートの肩口から、袈裟懸けに無骨な岩の剣が接触した。

 響き渡るのは鼓膜を突き抜けるけたたましい異音、などではなく。

 接触と同時に弾けたのは解けた金属。瞬時に白熱して融解した甲冑は、まるで水を切るような手応えしか無い。それはつまり、とろけているのが甲冑のみではないという事を示していた。

「――!」

 息を呑む、間もない。

 大剣が白熱した肉体を切り裂いた。攻撃が完結したその時を狙い済ませていたように、獲物を狩る猛禽が如き鋭く狡猾な拳が、弧を描いて視界外の死角――眼下から襲来。

 その寸でにて、振り抜いた剣の重さ、その勢いに飲まれるようにして大勢を崩して拳を回避する……頭の中では、そのような華麗な立ち回りが出来上がっていた。

 黒く炭化し硬く握られた拳が、顎下に触れる。

 強靭な顎骨に伝わる衝撃が、水面に落ちた雨滴のように波紋を描いて脳部を打撃する。

 ヒートの腕力ならば、さらにそれを砕くことさえも簡単な筈だった。

 ――それを、最善にして最低限の痛撃に終わらせるのは、馬蹄による頭部への蹴撃である。

 再び、ヒートと始めてジャンが切り結んだ時のように脇から出現したユーリアの蹄が、咆哮と共に彼の顔面を撃ちぬいていたのだ。

 銀の甲冑を纏うが故に、彼女の重量は五○○キロを超える。そこに勢いと、馬さながらの脚力を合わせればジャンの斬撃など比べるに値せぬ程であった。

 蹄は、鉄仮面に亀裂を入れるだけには終わらない。

 鉄仮面が破片を散らしながら細やかに砕け散り――スティール・ヒートの肉体は、ひしゃげながらあらぬ方向へと吹き飛び、近場の建造物の壁に破壊の限りを尽くしながら突っ込んでいった。

 強者との対峙は数秒と続かなかった。

 巨剣を握り直し、構え、胸いっぱいに吸い込んだ息を大きく吐いた。

 死ぬかと思われた。

 だが死ななかった。

「こんなものだ。所詮はな」

 死ぬときは死ぬ。

 だが死にたくとも、死ねないときはある。

 死にたくない時に死ねないのは僥倖だ、幸運だと、彼女は言った。

 ――凄まじい吐き気に、喉までせり上がってきた強酸性の液体を飲み下す。

 朦朧とする意識を、痺れる四肢を強引に己の手元に引き戻し、ジャンはようやく口を開いた。

「奴は溶けました。だけど、常時そういうわけじゃない」

「ああ、必ず硬化するタイミングがある。だが今のような手はもう通じないだろう」


「――だから厄介。さらに、派生の一個体が死んだだけで私を打倒したと思っているのも、気に食わない」

 

 耳に慣れたその声は、鼻腔に刺さるような臭気と共に現れた。

 ジャンの横に並ぶ、朱色のワンピース姿の少女。透き通るような、というよりは病的なまでに白い肌が特徴的な、銀髪のノロは腰に手をやり、嘆息気味にそう言った。

 その手には、いつ引きぬいたのかユーリアが投擲した、長槍が握られている。彼女の矮躯を容易に越える長さの槍は、どちらからとも無く、元の持ち主の手に戻る。

「おれはいつも、ここからの展開が嫌いなんですよ」

 愚痴るジャンの肩を、ノロが叩く。

 肘を曲げれば、手の位置がちょうどジャンの頭の高さになる。だからこそ、自然にその手は彼の頭に乗せられていた。

「平然と立って現れて、まるで本気じゃなかった。これから本気をだすぞ、殺すぞ――という具合だな。まったくもって同意する」

「右に同じく」

 強敵に立ち向かう第一の理由として彼らの胸に湧き上がるのは怒り。

 二の次にされる義務感と正義感は、だが果たしてないがしろにされているわけではない。


 瓦礫が崩れ。赤熱し、触れれば白熱して溶ける。

 立ち込める煙が上昇気流によって拭われる。

 見ているだけで熱くなるほど、再出現したヒートの甲冑は赤熱していた。

「わたしは貴君らの方が気に食わんのだが」

「何だ、皮肉にも気が合うじゃねえか。皮肉にもな」

「重ねるな。今更慣れ合おうとしている訳ではないだろう。貴君の目は節穴か」

 言いながら、ヒートはさらけ出している素顔から、湧き出るような笑みを取り払うことが出来なかった。

 ――己を倒せるだろう同格の敵は、もはや打倒した。

 未だその姿があるということが気に食わないが、この際度外視してもいいだろう。所詮は肉塊。良く火を通せば怖いものなど無い。

 残っているのは遥かに格下だ。注意すべきは馬というところだろうが、あの巨体が弱点にもなっている。敵ではない。

 もう一人は、もはや一人では抗う術もない雑魚。十把一絡げに出来る、有象無象、不特定多数の一人。そして一度は殺害に成功している男だった。

 だが。

 なんだろうか、この高揚感は。

 身体の真芯を溶かす高熱が、己の精神にまで染み出してくる。

 体が燃える。魂が滾る。心が慄える。

 求めていたのは、命ぜられた仕事を遂行することによる達成感だったか――問えば即座に、断じて否だと否定する。

 そこに付随する敵。

 瞳に映る、全てを燃やす己でさえ覚えのない生命の炎に、命がけの抵抗に、絶頂にも似た感覚を得る。

 誰よりもその抵抗が強く、もしかしたら――限りなくその仮定があり得ぬ筈なのに、そう思わせられる敵がいれば最上だと思っていた。

 そして現状、彼は最高だ――とまでは、行かなかった。

 されど期待は高い。

 見る度に筋骨を隆々とさせてくれる男が目の前にいれば、否応無しにそうなるのは道理だった。


 一人は青年をこれまで見守り続け。

 一人は、殆ど一心同体だと言えた。

 故に彼らにわざわざ立てるべき戦略はなく、またそんな付け焼刃が通用する敵でもなかった。

「この世界を支配して、お前らはどうするつもりだ」

「知らぬ。わたしが、父上の考えを知る道理はない」

「息子だろ?」

「同時に駒でもある」

 その父上と敬う男が、信頼するべき一介の男ではない。

 そう告げるヒートに、だが悲壮感というものはなかった。

 そうあって当然で、むしろそうでなければ不自然だと言うように。

「疑問はないのか」

 人々を殺戮し、大地を蹂躙し、この世界に破壊の限りを尽くし続け。

 そこに己の意思があったとしても、その契機が他者による命令であるかぎり、その本質的な行動理念は自分自身が産み出したものではない。だからこそ、そこに疑問は生じないのか。

「あるわけもない。命令は必然的に戦闘に至る。戦闘こそが己の存在を証明する。強さが自分を、望む自分に昇華させる」

「狂ってやがる」

「それが正常だ。未だに貴君らの常識を当てはめようとする考えが、わたしには理解出来ないがね」

 拳を突き出せば、その表面が炎を食らって低く唸る。

 ストレスもないような落ち着いた声が、ジャンに問うた。

「質問は終わりか?」

「……最後に、一つ」

 これが終われば、どちらかが死ぬまで止まらない。

 この男を殺すことに躊躇いがあるわけではなく。己の死に恐怖はあれど、死ぬつもりなど毛頭ない。

 戦いに納得はある。勝つことを信条とした。強さに自信は……ある、とは言えないが。

「力で世界を支配して、なんになる?」

 異世界の根底を否定するかのような一言は、果たして正常まともな精神状態であっても口にされただろう。

 ヒートの、端正に整う眉がぴくりと弾んだ。

 ――そう、だから面白い。

 彼は認める。

 強さや、抵抗だのなんだのを全て抜きにして、なぜだか己はこの男を気に入ってしまったのだと。

 この状況で、出来るならば相手が全力を出す前に仕留めるのが最善だ。故に挑発などはもってのほかで、本来ならば言葉も選ぶべきである。

 思い上がりでも驕りでも何でもなく、彼らとの力量はそう選択せざるを得ないほどに開いているのだから。

 こみ上げる笑いを押し殺して、ヒートは鼻を鳴らした。

「ならば逆に問うが――手に手を取って、信頼で支配した世界に何の意味がある?」

 何を目的とする?

 最終的に、何を望む?

 訊くことすら陳腐な問いに返ってくるのは、誰でも予測がつく。おそらくは『平和』の一択。

 だがゆえに、そこで世界は停滞する。残る道はゆるやかな退行。

 争うことで進化するからこそ、平和は皮肉なまでに、世界を冒す毒と化す。

「お前らの世界と一緒にするなよ」

 答えに窮した青年の、苛立ちの混じる返答に、

「貴君らの常識でわたしに問うなよ」

 男は歪んだ笑みを浮かべ、それに返した。


 突き出した拳から、火花が舞った。

 ――それが契機となる。

 その瞬間に動いたのはジャン・スティールであり、そしてスティール・ヒートでもあった。

 どちらかが死ぬまで止まらぬ戦いの初速は、極めて速い段階から開始した。

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