2.アレスハイム王国【総力戦】 ②
戦闘が始まり、数分が経過する。
真正面とは言わない。真横からぶつかることが、己の仕事だった。
そしてぶつかるだけではなく、剣を振るい急所を突いて極力一撃で己の二倍はあろうかという巨体を殺害するのが目的だ。不可能ならば追撃は仲間が行う。自分でフォローしないのは、ニ撃目まで敵が待ってくれないからだ。
先頭で爆発を起こしながら迫ってきていた化物はナリを潜めている。
だが代わりに現れたのは、豚の身体に馬の四肢を、そして頭は無数の眼球を埋め込んだつぼ型の異形体。
――先程まで震えていた仲間が、頭を噛み千切られて死んだ。
鮮血が噴水のように撒き散らされるのに身体を硬直させたもう一人が、その頭を蹄で叩き潰された。
内臓が撒き散らされ、鼻がもげるような悪臭に満たされる中で、そんな容易く死ねる戦場で。
言葉にもならない咆哮を上げて剣を振り下ろす――その軌道は見事なまでに異種族の脇をかすり、肉体を袈裟に切り裂いた。
浅い。
『齧る者』の注意が男へと向く。
ガチガチとエナメル質を噛み合わせるけたたましい音が、次の瞬間には眼前にまで迫り――。
隣の男が、次は俺の番かと覚悟を決める。
その背後の男が、俺は死なぬと吠えながら剣を振るう。
恐怖が伝播した。
勝てぬと覚悟した。せざるを得なかった。
元々、十万を越える軍勢に一万が立ち向かうことがおこがましかったのだと、誰かが死ぬための言い訳を考えた刹那。
「大地の憤激ァァァッ!!」
野太い男の咆哮が空間を掌握した。
全ての轟音をかき消すのは、諦観に支配された男たちの眼前の大地が起こす隆起。
瞬時にして辺りは針山地獄と化し――錐が無数に突出したそこは、それぞれが的確に頭部を破壊する規模の大きさで出現し、一体一体を確実に殺害していた。
進撃の勢いがにわかに緩み、
「貴様らは、俺が居なければ何もできんのかッ!?」
奇妙な紋様を浮かびあげる無骨な図太い手甲を身につけた禿頭の中年男が、集団の背後から声を荒げ――高く跳躍したかと思えば、その男は即座に先頭に立ち直った。
「え、エミリオ隊長!!」
「馬鹿者が、今の俺は軍部副大臣だ」
本来、このような前線に居るべきではない役職である。
だがこの、エミリオ個人としてはやはり戦場こそがもっとも合っている仕事場であり、一兵士として戦うことこそが天職であった。
「情けない声を上げるな。死を望むな。俺たちは勝利だけを見据えている……そうだろう!?」
威圧だけで人を殺してしまいそうな男の実力は、騎士であれば最高峰に近い。
それが発揮されるのは、やはり対個人などではなかった。
「行くぞ、数だけの雑魚にやられるなッ!」
失われかけた士気が、沸騰して爆発した瞬間であった。
剣が肥沃な肉体を切り裂いた瞬間、その刀身がその半ばで動きを止めた。
まるで、岩に突き刺さっているかのような手応えに騎士の一人は思わず動揺する。
その反応に、騎士や兵士の違いはなく、また敵が異種族という未知の化物である以上、彼らが培ってきた経験や感覚は全てが無駄となっている。
――異種族は基本的に、その肉体を筋繊維で包み込んでいる。骨という骨はなく、体液は主として気化しやすく引火しやすい液体である。
そういった知識が役立つことはなく、
「なッ、く、そ――」
一度怯めば、男が回避する時間さえも待たずに歯噛みする顔が迫り、男の頭を鉄の兜ごと叩き潰した。あまつさえ上顎から上を綺麗に噛み千切って咀嚼し飲み下す。鮮血が迸り、さらに二対計四本の腕が四肢を引き千切った。
その瞬間である。
食事中の異種族の肉体が、突如として”叩き潰された”。
巨大な槌によって理不尽に潰されたような形だが、そういった形あるものは存在しない。不可視の力が、瞬時に『齧る者』の肉体を肉塊へと変えていた。
その光景は、真紅の女を起点にして半円状に広がっていた。
飛び散れば大地を焦がすような灼熱の体液が、だが飛び散るまもなく地面に落ちる。
足場をなくすように異種族の死骸は進行していた形のまま残骸と化し――特攻隊の前からは、僅かな間敵の消失が確認された。
異種族の最前線が再び彼らに到達するまで、およそ六○秒弱。
体制を立て直すのには十分過ぎる時間だったが……。
「くそ、消耗が激しいな……」
ただそれだけの魔法を放つだけで全身に強い疲労感を覚え――また同時に、ただ一度の接触で騎士の数は十近く削られていた。
既に第三騎士団から後と合流している為に大きな代償という程でもないが、何年も苦楽を共にした仲間が僅か数秒の接触で死んでいくのは、胸が張り裂けそうな怒りや悲しみに駆られて仕方がない。
しかし、この時間内で配慮すべきは己の精神状態ではなく。
「エクレル――」
誰よりも先に特攻し、道を切り開いた女の姿。
全身をズタズタに引き裂かれた彼女はだがしかし――シイナが向けた視線の先で、煙を上げながら体中の傷という傷を塞いでいた。
最上級の自己治癒を誇る彼女の魔法は果たして、腕の喪失さえも完治させた形で、
「ええ、大丈夫です」
平然とその言葉を紡いでいた。
「それより、シイナさんは?」
「あ、ああ……付与者が数を減らしたお陰で密度が薄いから、なんとか対処もできるけど……」
眼前に迫る怒涛の光景。
嘘のようなそれらを、だが現実として受け止めなくてはならないのは苦痛以外の何者でもなく、また切手もちぎっても潰しても爆ぜても、唸り声の一つも上げぬ痛みを知らない連中と戦うのはとても大変なものだ。
死にに来ているようなものである。
そして殺さねば、止まらぬ異種族になぶり殺されるのだ。
「数はどれくらいだ?」
後ろに控える術師に尋ねれば、男は困った様子で唸り、ややあって口を開いた。
「”視界に入る範囲”では、およそ五○万弱かと思われます」
「……今、私が潰した数は計測できるか?」
「はい、およそ一万弱で……」
半径一キロにも及ぶ超重力圏内である。そこに侵入した敵が一万弱であり、それを殲滅するだけである程度の休憩を置かねば再発動することは困難だ。
現状を鑑みれば、あと最低で五○回繰り返せばいいだけのように思えるが――現状はジリ貧。さらに殲滅できたのは正面のみであるために、左右翼での戦闘は持続。戦況は確実に押されていて、壊滅するのも時間の問題と思われた。
――この戦いの鍵となる付与者だが……遙か後方にて、およそ個体でこの軍団を全滅させる力を持つ魔人と交戦中である。これ以上の支援は、望めそうにはない。
「――隊長、連絡が入りました。魔術師部隊から、戦略級の発動準備が整ったそうです」
絶望を垣間見る戦況にて、付与者に継ぐ最大級の攻撃魔術を持つ女がそう告げたと言った。
時間稼ぎにほかならないかも知れない。
だが稼げた時間で、付与者が魔人を倒して至急応援に駆けつけられるかもしれない。
もしかしたら逆転に繋がるかもしれない。
少なくとも足掻きや焼け石に水程度の行動が、彼らの士気をあげることになっていて――。
「発動まで五、四、三、ニ――」
大地が沸騰した。
唸り声を上げるような小刻みな振動の後、その場に居る全ての人間が体勢を崩すような爆発的な激震に倒れこむ。
その直後に騎士が、憲兵が前にする地面が一番上の層を引き剥がしたように突如として隆起し、分厚い一枚岩が、津波が如く持ち上がった。
その大地の津波が、そのまま騎士らを尻目に異種族へと叩きこまれていく。全てを飲み込み、抗う術などない爆流にすり潰されるように――眼の前の全てを、かき消していった。
臭いものには蓋を――その諺を地でいくような現象であった。
既に彼女らの目の前には血の一滴すらも垂れぬ清潔な大地が広がっており、その代わりに奇妙なまでに、その辺りだけ鬱蒼とした草が消えた荒地へと変わっている。
その実、その戦略級の魔術が魔術師部隊による仕業でない事を、その隊長である『ルーナ』だけが知っていた。
「……し、師匠」
魔女と揶揄される、魔術の実力だけなら最高峰である魔術師である。
その名は、魔術を齧るものならば知らぬ者は居ないほどであり、世界的に魔術を主に兵器の分野で活躍するウィルソン・ウェイバーを子供扱いするその女の姿を見たものの数はごく限られていた。
故に、彼女の姿はこの場にはなく。
だが、弟子を思う師の暖かさを感じているのは自分だけだというその秘匿感、特別感が、彼女の胸にあふれていた。
『異種族戦は我々が主体となる。白兵で殲滅するなど馬鹿げた話しだよ。私が付いている、死ぬ気で頑張りなさい』
そして一度限りではない。
偏屈なのに、そういった性格とは対照的に小柄な姿を脳裏に思い描いたルーナは、自分にだけ聞こえてくる声に小さく頷いた。
「ふん、貴様らの愚行にこの世界が怒っているな」
圧倒的な魔術の発動に、さしものノロも驚いた。
あれほどの術師がこの場に居るのならば、ある程度は安心ができる。
何分、異種族戦に関してはひよっこしかいない集団だ。そしてまともに太刀打ちできるのも、副隊長クラスから上に違いない。
「どこで覚えた、人間のような口の利き方は!」
「子供のようにすぐ怒るな、悪い癖だ。何が気にくわないんだ?」
「貴様が……異種族如きが、図に乗っているからだ!」
「ははは、本当に子供のようだな。問えば、素直に返してくる」
彼女がそうからかえば、男は言葉も無く襲いかかってくる。それを、彼女は身体を翻して軽々と避けてみせては、己の脇を抜けていく魔人の尻を蹴り飛ばした。
まるで魔人とは思えぬ所業。
その光景は、ものの見事に大人と子供であった。
「劣等感の塊が」
つい先ほどまで小馬鹿にしたように笑っていたノロの声から、熱が冷めていた。
冷え切った、突き刺さるような軽蔑の言葉が、魔人の胸に突き刺さる。
「雑魚と認識した者にしか刃向かえず、また戦士としての向上心は欠片すらない。この世の屑だ、貴様はなぜ生きている? その僅かな自尊心を満たすためだけに? 自分は本当は強いのだと兄らが認めてくれることを、何もせずにただ夢想するためだけに?」
悪意しかない言葉は、既に沸点を超えている魔人の怒りをさらに爆発させる。
だがその反応こそが、図星だと明言しているようなものだった。
ノロの軽蔑が加速し、彼女個人の問題として、殺意が湧いた。
猪突猛進と迫ってくる魔人に、彼女は吐き捨てる。
「阿呆が、”雑魚如きが図に乗るな”よ……与えてやる、最高の敗北感を!」