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第五話 『死闘』

 地平線から顔をのぞかせる眩い陽の光を背にして、大地を激震するほどの大群は距離を縮めていた。

 アレスハイムの東、海沿いの草原にて。

「陽を背に……西の方向から――」

「東だ、ばか!」

 紅い姿が一蹴する。

 その声に兵士の一人は萎縮したように頭を下げて謝罪の意を述べ、継ぐように彼女はその男の背を叩く。

「なに、気にすることはない。連中が出てきた時点でもはや方角なんて関係無いでしょ」

 異種族『始祖』の知能は極めて低い。そんな連中が戦術、戦略的な陣形をとれるわけがない。故にこちらの戦法は単純に、『叩き潰す』の一つのみ。

「た、隊長……我々は、生きて帰れるのでしょうか」

 第一騎士団――『特攻隊』の名を冠するこの部隊の、その特攻の意味を知っていればその口がそういった言葉を紡ぐはずがない。

 だが、まともな思考を持たず、どれだけ殺し殺されたとしても”相手も同じ人間なのだ”と思えることが決して無い敵を前にすれば、その恐怖は一般的な闘争などとは比にならぬほどだろう。

 事実、側頭部に天を穿つ鋭さを持つ角を聳えさせる紅い影は、身の丈の二回りほどの巨剣を担ぎながらも足を小刻みに震わせている。そしてそれは、巨剣が重いからなどという理由ではなかった。

「それはお前の働き次第という事だね」

 恐れゆえ、というわけではない。

 戦士としての闘争本能が蘇る。

 彼女の、鬼としての本来の力が、そのまごう事無き一騎当千の力が全身に溢れ出してくる。

「――武者震いか」

 呟くのは、シイナでも彼女の部下でもない。

 眩いまでの銀髪は腰の長さまで伸び、真紅のワンピースを窮屈そうに纏う女はその丈を過激にも太ももあたりで止めていた。

 裸足であり、そのくすんだ黒い瞳からは生気がない。どこからともなく鼻につく腐臭は、おそらく彼女が放っているのではないかと思われた。

「誰、あなた?」

「しがない付与者エンダウメント。力を貸そう」

「意味が分からないけど」

「……なら」

 成熟した肢体、透き通るような白い肌を持つ右腕が振るわれる。その勢いに飲まれた右腕はしなやかに伸び――赤黒く変色、生々しい肉の姿があらわになった。

 騎士養成学校の地下空間に封じられた巨大な肉塊、彼女がその一部であるのを、シイナは理解せざるを得ない。

 そしてまた、その存在を知るからこそ、彼女が居ることの頼もしさをシイナは感じていた。

「この体なら活動時間は半日を基本として考えてもらって構わない。物理ダメージは効かないが、肉体の損傷や劣化から先頭に支障をきたす可能性がある」

「十分十分、これで生存率が五割以上高まったわけだよ」

「そして私の本体は城下町で鎮座している。これ以上の安定感は誰にも出せない」

「ええ、本当に」

 既に彼女らとの距離を先ほどの半分に縮めた異種族『始祖』を前にして、シイナは短く息を吐き、十八人の部下は緊張を滾らせる。

 巨剣を掲げれば、全員がそれに倣うように己の剣を天高く突き上げた。

「いくぞ!」

『おおッ!』

 男たちの咆哮は直後、彼らの盛大な足音が余韻すらもかき消していった。



「貴様か」

 ――この闘争を誰よりも早く知ることが出来た契機となる男は、人気も活気も無い、殺風景な谷を背にして立っていた。

 その背景に溶けこむような黄色味がかった灰色の甲冑。正確には”無色”であり、その甲冑の色はその場に即座適応して変色するものだった。

 対するのは、少女の姿。長い髪を側頭部で二つに分けた髪型は幼くまとまり、だが琥珀と蒼との瞳は妙なまでに威圧的だった。

 両手には甲の部分に真紅の宝玉を埋め込む手甲を身に付け、右手に提げるのは刀身に幾つもの切れ目が見える身の丈の大剣。

 第二騎士団――諜報部隊の隊長ミキには、本来戦闘能力や技能などは求められなかった。その立場には、その力は不要だとして、彼女が長らく前線に立ち入ることはなかった。

 故に彼女には力がないと思われてきた。

 齢八○を越える幼女が、その長い歴史の中一つだけの技能で生きてきたわけなど無いはずなのに。

「だとしたら、どうする」

 男の低い声が耳に届く。ひし形の兜が、小さく動く。

「言わせるつもりか?」

「言った所で、お前にそれが出来るとは思えないがな」

 程度の低い挑発の言葉は、ミキの心を動かすことはできない。

 嘆息すら漏らさぬ少女は、ただ鋭く男を睨み続けていた。

「殺すだの倒すだの、私はそのような低俗な言葉を口にするつもりなどなかった。貴様はそれでも、人の言葉を先読みしたように得意げになっていたがな」

 滑稽だ、万死に値する。

 大剣を構え、上がり始める陽の光に刀身が眩く反射する。

「貴様は死ぬ。ただそれだけだ」

「吠えたな、小娘が」

「キャンキャン吼えるだけじゃない、私は噛み殺す狗だ」

「ならば来い、後悔させる暇もやらん」

 男は構える様子など見せず――ついには背景と男の姿との輪郭も残さずに溶けこんで消えていった。



「なぜ貴卿は戦闘に赴かない?」

 漆黒のボディーアーマーは、さらに追加装甲として前垂れを装備していた。それを纏うのは黒髪の少女。闇に飲まれた瞳は不気味だが、少女としての頼りなさ、その柔らかさを消す要因にはなり得なかった。

 彼女の言葉を受けるのは、真紅の甲冑を纏う男。彼は肩をすくめるようにして、首を振った。

「その必要は元からありません」

 何一つとして問題がないと口にするスティール・ヒートに、イヴ・ノーブルクランは眉をしかめる。

 そしてその男の視線が己ではなく、その背後の寝台で横になる青年に向けられていることに気づいたのは、その時だった。

「あの異種族は父からの激励。うまくやれと言っているらしい」

「……何を言っている」

「貴女は、自分の貴重な命が容易く狙われた理由を考えたことはなかったのですか? 動いているのは我々だが、それを命ずるのは誰か、考えなかったはずは無いでしょう」

「……はっきりと言え、何が言いたいのだ!」

 煮え切らぬ、と憤慨するイヴに対し、ヒートはただ肩を落とした。

 姫とは言え、所詮はこの程度の小娘なのだと落胆する彼の姿は、何をどう間違えても彼女の護衛に見えることは決してなかった。

 反旗か、と思えばそれも異なる。

 元より、彼女が彼の主君ではないからだ。

 彼ら近衛兵は国に属する、そしてその国の主はイヴの父である国王。

「この世界は魔人を殺しすぎた。正当防衛とは言え、その行為が戦争を促すものになるのは致し方ない話です」

「……この闘争は、予定調和だと?」

「この世界が我々のものになるまでが、です」

 この戦争が終える頃にはそれが達成する。

 なにせ、人間が異種族に抗えようとも、世界の主要国に送る魔人に抗う術などないのだから。

 そしてその可能性を持つ『武器』の存在も、抹消を目指してその役割を当てた者を一人遣わせた。

 これで各国は陥落し、そして本来そうなるはずだったように、この国は異世界に制圧されて終える。

「貴女の今後の判断は自由でいい。母国に戻るか、ここに残るか」

「私は……」

「もっとも、わたしはこの戦闘を最後に母国に戻りますが」

 ヒートの言葉に、彼女が振り返るのはごく自然の事だった。

 彼が固執する男はこの世界にはただ一人しか居ない。それは一度ことごとく負け、命さえ失ったのにも関わらず未だ生きている青年である。

 彼が異世界で見つけた、仮想戦争で偶然生き残った男。その偶然は悪運だとしても、彼の実力だとしても、ヒートという男が目をつけるには十分過ぎる理由だった。

「貴様、最初から私など――」

 裏切られた。

 すべてを失った。

 鉄仮面の下で悪辣な笑みを浮かべているであろう男に、全てのけじめをつけようと再確認の問いを投げたその瞬間。

 真紅の甲冑の背部に、不意に眩く輝く魔方陣が浮かび上がった――かと思えば、その背中が瞬時にして白熱する……などと、認識する時間など無い。

 彼女の言葉をかき消すように、爆発が巻き起こったのだ。

 炎が膨張し、天井を焦がすほどの火柱を上げる。衝撃が空間内に伝播してあらゆるものを吹き飛ばし、蔵書が撒き散らされて布団が吹っ飛び、その上で横たわる青年は寝台から転げ落ちていた。

 ヒートはそのまま弾かれるようにバルコニーと私室とを隔てるガラスを突き破って姿を消し――。

「やれやれ、私を忘れられてしまっては、私がこの世界に来た意味がない」

 白銀の髪を翻し、鮮血に染め上げられたように朱いワンピースを纏う少女は、気がつけば開いている扉を背にして、その部屋の中に居た。

 言葉を失うとは、この状況の事を言うのだとイヴは理解する。

 状況を把握する事など皆無だった。

 そこには、以前地下室で出会った肉塊が人の形を構築して立っている。

 気怠げなのか、生気がないのか、その瞳はヒートが消えたバルコニーの向こう側の虚空を見つめたまま。

「ただ一つ、私が与えるのは”死”のみだ」

 

 この世界に出現した異世界とをつなぐ扉と同時期に出現した奇っ怪な肉塊は、ようやくその目的を果たすべく立ち上がった。


 そうしてどこよりも早く、そしてどこよりも激しい戦闘が、開始した。

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