6.ガウル帝国【殲滅戦】 ③
窓の外の景色を朱く染める斜陽。
高層建築物の立ち並ぶ、まるで世界が違っているような光景は、独自に工業産業を活発化させているが故の光景である。
彼女が勝手に利用したウィルソンの私室が入っている高層建築物の屋上、その平坦な地面と同じであるものの、全てを見下ろす高さにあるそこで、彼女は深く嘆息していた。
やれやれ、話しにならんと肩をすくめ。
やれやれ、面倒くさいと首をふる。
「八男よ、一体何度私に口を開かせるつもり? 言っただろうよ、私はこんな愚かな戦いには参加しないって」
狼狽する眼の前の男の姿は、既に臨戦態勢をとろうかと言うほど威圧的な甲冑姿をとっている。もっとも、同様にリザ自身もその白い装甲を身につけているのだが、彼女の場合は無防備なまま、構えすらとっていない。
「言ってしまえば、お前は私の力が欲しいだけ。利用したいわけよ……ったく、弟ながらに、愚かにも程があるな」
「姉さん……」
灰色のくすんだ甲冑。
それは男の心情を現すような色だったが、弟という立場を認識しながらも、リザは彼に対して何らかの情念を抱くことは決して無い。
弟とは言えど、それぞれ母体は違うのだ。ただ父の力を受け継ぐ他人同士。
それらに、ただ血縁関係があるというだけの意識はあれど、だからといって仲良しこよしとするつもりなど毛頭ないのは――ひとえに、彼が”弟”であり、己より弱い男であるからだ。
「なぜ僕の名前を、呼んでくれないんだい?」
「知らんからだよ」
心底鬱陶しそうに、溜息混じりに吐き捨てる。
「兄弟ごっこなら他でやれ」
「な、どうして……三男が、死んだから?」
「兄は関係ない。これは私の独断で、だから私はこれからも、あの世界に戻るつもりはない」
「……なら、僕も――」
弟がそう口走る中、大地を蹴り飛ばしてリザが接敵。
瞬時にして彼との距離をかき消し、息もかかるほどの位置で踏み込み、彼女の拳が男の顔面を殴り飛ばした。
男の上体が大きく後ろへとのけぞり、そのまま後方へと弾けるように吹っ飛ぶ。
幾度か地面にたたきつけられてから、鉄柵に身体を打ちつけて止まった男は、
「な、なんで……どうして……だよ」
彼女の行いを、その思考の一切を理解できぬように、立ち上がりながら呟くことしか出来なかった。
父の言葉に従うのが当然で、個々が特別な考えを持つことなどあり得ない。そういったことが常識となっているその男にとって、常に思考している者は何か別の生き物に見えて仕方がなかった。
「自分で考えなさい。お前が、私の一族の血を引いてるならね」
お前の一つ下の弟は、少なくともそうしていた。
不意に末弟の事を引き合いに出されて、男はそれ以上何かを口にすることを、彼女を引きとめようとすることが出来なかった。
末弟にすら劣るのだと、誰よりも信頼し憧れていた姉に言われたのだから。
「最後に伝えておくけど……我々はなにも、力だけを求めていたわけじゃない。受け継がれる、この血の繋がりを確信させてくれるのが力だっただけ。だから、強くなることを放棄したお前に、私を理解することも、誰かに抗う資格もない」
踵を返し、言葉をかける暇もなく、彼女の姿は鉄柵を超えて落ちて消えた。
残された男は魔人として、気高く誇り高き父の血をひく者――それを証明するために、高く跳び上がる。
目指す先は彼女が盲信する男。
その者の気配が強くなる場所へ。
およそ同時刻。
魔人の姉と弟との決別が完了した頃。
同時に、ただ二人だけの最終決戦が開幕した。
重なる詠唱。
増大する魔力。
膨れ上がる感情。
全てを圧倒する威圧感。
まず初めに、巨大な塊となって進軍する異種族を包みこむような魔方陣が、朱く眩く、そこに出現した。
「消滅の輪舞ッ!」
戦略級の魔術は、己の中にある膨大な魔力を燃焼し尽くして実現する。
異種族と共に移動する魔方陣は、故のその中心から短く図太い閃光を放出するだけで、その中心にした数十体を瞬時にして蒸発させる。
大地を抉り、その血肉すらも残さずかき消す凶暴な攻撃。
さらにそこから四方にわかれて伸びる巨大な閃光が容易く、その軍勢を四分割してみせた。
――次の魔術は、その瞬間に発動する。
今度は四分割された異種族の足元に、それぞれ魔方陣が展開した。
無論、連中はそんな事さえも理解できぬのだが……その刹那。
「消滅の輪舞!」
凛とした声が、その瞬間に大気中総ての魔力を余す事無く利用した。
相棒たる主人が放つ魔術と同じそれが紡がれたのだが、その形態は、大きく異なる。
あふれる魔力の奔流。
その魔方陣の縁に巨大な魔力の流れが壁のように立ちはだかった瞬間、その激流が白熱し、全てを溶かす閃光と化す。
そうして出来上がるのは異種族を飲み込む巨大な輪。
それはとぐろを巻く蛇のような姿を見せ――蠕動するように、僅かに膨張する。
刹那――それは瞬間的に引き締まり、
「……おお」
魔方陣の中心へと縮む輪は、まるで大きく広げた輪ゴムを解放したかのような光景だった。
ウィルソンの感嘆の声は、その一匹たりとも逃さぬ効率的な魔術の運用に対して漏れていた。
迫ってきていた異種族の数はおよそ二万。
この一瞬でそれらが蹂躙されたが――もう、同じような戦略級を放つには魔力が足りなかった。
残りは三万。
先ほどと同様に、塊となって上陸する、しんがりを務めていた連中である。
「さあタスク、しんどくなるぞ」
相棒の肩を叩いて励ますと、今度はその彼女が、尻を叩いて彼を押し出した。
《さあて、やりましょうか》
飛び出すのはウィルソンだが、無論としてタスクもそれに追随する。
戦略級の魔術を扱うほどの魔力に満ちていないその空間は、されど異種族の殲滅によって彼らから放出された魔力によって、ある程度は潤っている。
それを利用すれば、
《行きますよ……風神の斧撃》
一陣の風は鋭い刃と化し、瞬時にして前衛集団へと肉薄。
次の瞬間、宙を鮮血が塗りつぶし――断末魔もなく、百近くの異種族たちが殺戮され、
《もっと……もっと……っ!》
彼女が祈る度に多方向から同様の真空波が薙ぎ払われ、目にも留まらぬ速度で殲滅を繰り返した。
ウィルソンがさらに彼女の胸に手を押し当てて――武器を、その一振りの剣を抜き出した。
取り出したるは魔術の紋様が刻まれる長剣。
刀身に刻まれた複雑な紋様が輝きだした――。
そう認識した、瞬間の事。
遙か頭上から落下する。
その鋭い一閃のような何かが飛来した。
それを見た瞬間、その落ちてくる、ハエか何かのような小さな影は異種族の群れに飛び込み――大地が爆ぜ、異種族が肉塊となって周囲に飛び散る。
濃厚な血肉の香りが、腐敗臭が、魔力と共に彼らの元へ流れ出す中。
同様の爆撃が、まるで何かの冗談のように異種族の軍勢全てを飲み込んだ。
――彼らが異種族の全滅を知ったのは、およそ数瞬後。
「お前がァッ!」
その爆煙を突き破って接敵する鈍色の影。
咆哮と共に振り抜いた拳が、
「それは――許さない」
純白の影が受け止めた。
そう認識すら間に合わぬ速度で、彼女が触れた拳が、その男の肩口までを凍結させていた。
――それがこの『ガウル帝国』で行われる、最後の戦闘の幕開けだった。