2.ガウル帝国【防衛戦】 ①
「予想以上に速いな。しかも、海を渡って来たのか?」
ということは、途中で倭国組とガウル組とで分割されたという計算になるのだろうか。
もっとも、アレスハイムの門から出現した、という考えならば、だが。
――ガウル帝国。
港より遙か南方、異種族上陸地点へ照準を合わせた巨大な大砲付近。
呟いたのは、最前線――第一次防衛線での防衛戦を強いられた部隊長だった。
海中から北東に向けて大陸に鋭角侵入する異種族への対応は、上陸するタイミングが右翼左翼でズレ、また前衛後衛でまたそのズレが持続するために、一網打尽にすることは割合に難しい。
だが、それを手助けしてくれる、またそれを可能としてくれる兵器は、彼らの前方に位置していた。
天空を穿つ勢いで空を見上げる巨大な砲筒は、敷いたレールの上に鎮座する列車に装備されている。
「緊張してんのか?」
薄汚れた長衣を纏う男が、全部隊の指揮権を持つ男に気安く声をかけた。
「まあな、相手が人間じゃないってとこが肝だ。作戦なんざ役に立ちゃしねえ」
「少なくともこの”列車砲”で数万は削れるだろう」
敵軍の軌道上で待機する彼らは、その砲撃を生き抜いた連中を削っていけば良い。
「オレも援助するしな」
と言うのはやはりその男だったが、少なくとも部隊長は、彼の事を後方支援の武器商人としか認識していない。
であれば、何か特別な装備でも準備してくれたのかと期待してみるが、彼は単身でこの前線にやってきている。無謀な赴きだと思いながら、胡散臭そうに、訊いてみた。
「お前が? どうやってだ」
――轟音が近づいてくる。
大地が、微弱な振動を覚え始めていた。
「ま、見てなって、隊長さんよ」
彼らが装備するのは携行火器に加えて護身用の刀剣のみ。
それが果たして異種族に――さらに、べらぼうに、何かの冗談のように数の多い『始祖』と呼ばれる種類のモンスターに効くかどうかは分からない。
だから対異種族戦で主に活躍するのは魔術師、あるいは魔法を所有する魔法使いくらいなのだが、この国は魔術兵器にばかりかまけて、実戦で通用する魔術師の育成を怠けてきた。
それ故に、数の少ない魔術師は最終防衛線での待機を強いられており、唯一戦闘での功績を過去に幾多と収めてきたウィルソン・ウェイバーが、こうして職業も無視して戦場にやってきたわけである。
あまりにも気軽く隊長の肩を叩く得体のしれぬ男を怪訝そうに見ながら、数人だけ居る中の部下の一人が小さな悲鳴を漏らした。
海が沸騰したかのように海上が揺れていた。
そして上陸地点付近にしぶきが上がる。
それを確認した瞬間、その浜辺はけたたましい爆発音と共に、凄まじい爆炎をあげていた。
まず初めに確認できたのは前衛の異種族。
『爆ぜる者』の名を冠する、鋭くそびえる一角を所有する化物である。
その油のような体液は揮発性が高く、またその表皮は酷く硬質で猫の舌のようにザラザラしている。集団で集まれば否応なしに全身が摩擦され、空気中に舞ったその体液が発火する。
それを広く、大規模に起こせば爆発が巻き起こり――それが、それまでの轟音の正体であるのを、ウィルソン以外の兵隊はようやく理解した。
「失せろ、失せろ、失せろ、我が名の下に集いし全ての者よ、世界の血となり肉となり、我らが前から姿を消せよ。贄となれ、犠牲となれ、餌食たれ――」
大気中の魔力が、瞬時にしてウィルソンの遙か頭上に集中する。
上空に淡さなど欠片もない、周囲の景色を塗りつぶすほどの朱色を放つ魔方陣が出現した。
「――千ニ○○mm榴弾砲、発射準備!」
隊長の指令が幾度か繰り返され、前方で列車砲が唸り声をあげた。
発射準備とは言ったが、その実、どのタイミングでも命令さえあれば発射することは可能な状態である。
――異種族の進行速度は馬と同程度。
上陸地点と防衛戦との距離は、およそ馬で十五分程度の距離である。
「――贄となれ、犠牲となれ、餌食たれ」
執拗に繰り返される詠唱。
およそ大陸中から集められたのではないかと思うほど、その魔力は濃厚であり、頭がおかしくなりそうなほど瘴気じみていた。
距離にして既に八キロ。
列車砲の射程のおよそ倍の位置で、大地と並行に座していた魔方陣は、ゆっくりと反転して傾いた。
「食い散らせ――消滅の輪舞」
戦略級魔術の発動は、その頭上の魔方陣から図太い閃光が射出させることから始まった。
彼ら大隊規模の兵隊をものの数瞬で殲滅できるであろう巨大な一筋の閃光。
それは地面に対して鋭角に叩きこまれ、そこから直角に動きを変える。向かう先は数十もの旅団規模を誇る『爆ぜる者』及び『齧る者』を含めた多種の異種族『始祖』。
意思をもつかのように、その閃光は突如として枝分かれをした。
一挙に十以上、そしてそれが数十、数百――閃光自体が指先ほどの太さまで細くなり、それはおよそ観測できぬほど淡い輝きを以て疾走した。
直後に、真紅の霧が異種族前方で出現する。
無数の始祖らが、その閃光に頭部を破壊されたのだ。
前衛はされど走り続けたものの、徐々に勢いを失い、後衛の連中に踏みつぶされていく。
知能がない彼らは一瞬にして出来上がった千以上もの死骸に対して何かを思うわけでもなく、本能のままに前へと進み続けていく。
さらに突き抜けた閃光が先に進んだ始祖を屠る。また一瞬にして千以上の始祖が死滅した。
閃光が一秒にして上陸したおよそ半数を殲滅する。
真っ赤に染まる大陸に、それが流れこむ海上はまるで地獄絵図だったが――そこら一帯からかき集めた魔力は、そこで使い切る。
『消滅の輪舞』は効果を失い、不意にぷつりと霧散した。
戦いはそこから始まったとも言えるが。
だがしかし、それでも勢いすら増して、さらに殲滅した以上の異種族が上陸した光景を見て、およそ総ての戦士が絶望していた。
戦いはまだ、火蓋を落としたばかりである。
その進行具合、そして海上の揺れ、けたたましい爆発音を聞く限りでは、先の異種族の数はほんの一部であることを認識できた。
殺害できたのはおよそ二万。
戦略級魔術としてはまあまあ十分な出来。より準備が可能ならば、その倍からの威力を誇ったはずだ。
純粋に魔力量が足りなかった。裏を返せば、魔力がいくらでもあれば、敵をいくらでも殺せるということだ。
「後退だ、後退! 第二次防衛戦まで撤退!」
やるせないように叫んだ部隊長は、そう叫んだ後に馬に飛び乗った。
最前線に集結していた他の兵隊も、それぞれ列車砲に最後の操作を加えて馬に乗り集合する。
――この第一次防衛戦に集っていたのは僅か数人である。
この場で出来るのは戦略級魔術による殲滅に加え、列車砲による撃破である。
さらに第二次までの道中は、列車砲のレールに沿って移動しなければ、大地に無数に刻まれた感知型魔術――いわゆる地雷が発動する。
そして第二次では主に砲撃部隊が右翼左翼を叩き潰し、榴弾を再装填する列車砲を再度使用。
ダメ押しとばかりに重火器での殲滅を行い、さらに使い捨ての巻物での魔術攻撃。
「隊長! 先に行ってろ!」
ウィルソンは作戦の概要を回想しながら、既に走りだした隊長へと叫んだ。
既に聞こえていないのだろう、振り向きもせず彼らの背は徐々に異種族の進行方向へと小さくなっていった。
――轟音が肌を叩く。
鼻腔を焼き尽くすような、重油の濃厚な匂いが満遍なく広がっていた。
「なぁ――まだ生きてんなら、貸せよ、力をよぉ!」
己の血となり、肉となり――力となった魔人へと、ウィルソンが叫ぶ。
それと同時に、心臓が一度力強く鼓動した。
額から落ちる黒い一閃が瞳を飲み込み、そこに複雑な魔方陣を展開する。
頭の中に、腹の底に響くような不快な声が聞こえてきた。
『あァ、貴様にこんな所で死なれちゃ気分が悪い』
「だろうな、てめえはオレを殺すらしい」
『兄貴に反するようだが――どちらにしろ、もうどうでもいいな』
「ああ、どうでもいい」
『戦えればそれでいい!』
声が重なり。
瞳が闇に落ちる。
瞳から広がる漆黒が、やがて皮膚を飲み、全身を深淵の暗がりへと突き落とした。
――体中に、分厚い装甲が浮かび上がる。
顔面を、ひし型の鉄仮面が包み込んだ。
流線型の甲冑。
特に肥大化した腕甲は、右腕の肘から先を飲み込むようにして一回りほど大きな篭手となる。
「一匹でも多く殺す」
『撃ち漏らしは後衛に任せろ』
「オレは数を減らす」
『あァ、”俺たち”はただ殺すだけだ』
ならば。
地面を蹴り飛ばし、男は高く跳躍する。
それは人ならざる、空に貼り付いた太陽にすら届きそうなほど高く宙空に跳び上がる身体能力を持ち――まごうことなき『魔人』と化して、”虚空”を駆けた。
「始まったか」
《そのようですね》
都市部での待機を命じられたタスクは、いつものようにウィルソンの私室でその時間を送ろうと思っていた。
白い甲冑を纏う魔人リザと出会ったのは、そんな彼の私室であった。
《主人には、これが終わったら謝らなくてはなりません》
といった独白は、だがリザはどうでもよさそうに聞き流す。
されど、誰かに話して聴かせるという、およそ彼女のような”人形”にとっては本来あり得ぬ懺悔のようなそれは、リザのような興味のない者にしか出来なかった。
《特別な施術など、受けていないのに》
本当の”性格”を突如閉ざしたのは、彼女の意思によってであった。
《いずれ私も、彼から離れなくてはいけない。ですが、このままでは、彼はとても私との別れを納得できないままになってしまう》
「安心して、その前に”ご主人様”の方が死ぬだろうから」
《……貴方には、できないでしょう》
「へえ、なんで?」
《貴方が求めるのが、貴方のお兄様である限りは、少なくとも》
今にも暴徒と化しそうなリザを前に、だがタスクは穏やかな、しかしどこか影のある表情で彼女を見つめる。
それに興を削がれたように、リザはただ肩をすくめて嘆息した。
「なんにしても、そのご主人様が生きて帰ってくるのを祈ったほうがいいんじゃないの?」
《大丈夫ですよ》
「……なんでよ」
《生きて帰ると、また世界を歩こうと、約束して行きましたから》
「ま、いいとこ生死不明の行方不明だろうね」
疲れたように、彼女はソファーに座っていたその身を倒して横になる。
まだ外は明るいが、その目立つ格好から出歩く訳にはいかないし、また現在は外出禁止である。仕方なしに、彼女はゆっくりと目を瞑った。
タスクはそんなリザを眺めながら、悟られぬように嘆息する。
――優先順位が変わった。
あの一言が、どうにも胸を絞めつけていけない。
彼が助けるべきは旧友の筈。
ならば自分は一歩引いて、二番目でもいい、大切に思われてさえいれば、それでいい。ただの人形は、愛でられさえすれば満足なのだから。
そう思っていても尚、だがあの時握られた手の熱さが、未だ腕にこびりついていた。
渇望が蘇る。
涙が流れぬのが口惜しい。
隣に彼が居ないのが寂しい。
《ウィル……私は》
心から漏れた言葉を、ふと口に出ている事に気がついて飲み込んだ。
――今日はもう休もうか。
明日の朝、いつものやる気のなさそうな笑顔で、迎えてあげるために。