竜の赤ちゃんを拾ったので、森の小屋をおやつ屋さんにします
竜の吐いた光は、焼きたてのハチミツパイの匂いがした。
私はその光をさくさくの生地に閉じ込めて、世界一のおやつを作る。
師匠が町へ出ているあいだに、ひだまり小屋を最高のおやつ屋さんにしてみせるんだ――。
甘さも、酸っぱさも、歯ざわりも、「このくらいでいい」では終わらせない。
私は一度決めた味なら、誰に何と言われても納得するまで作り直す。
師匠が町へ出てから、今日で七日目。
その朝のひだまり小屋は、静かすぎた。
薬草を刻む音も、湯をわかす音も、私ひとりだと妙に大きく聞こえる。
エダ師匠なら「マオ、鍋を見ながらため息をつくんじゃないよ」と笑うところだけれど、今は注意してくれる人もいない。
私はため息を飲み込み、薬草畑へ出た。
師匠が戻るまでに、私はこの小屋で新しい仕事を始めたかった。
薬屋は子どもには少し敷居が高い。だから、村の子どもでも買えるおやつを作り、ひだまり小屋を笑い声の集まる場所にする。そこまでできたら、師匠も私を一人前だと認めてくれる気がした。
朝露を吸った葉は元気だった。ところが、畑の端に植えた甘い薬草だけが、根元から掘り返されている。土には丸い足あとがいくつも並び、葉っぱは半分かじられていた。
「またかぁ」
犯人はすぐに見つかった。
畑の木箱の陰から、青みがかった灰色の生き物が顔を出している。犬より小さく、猫より大きい。短い角が二本、背中には薄い羽。つぶらな目が私を見上げた。
小さな竜だった。
竜は、私が手にした薬草を見た。次に、自分のおなかを見た。最後に、もう一度私を見る。
「食べたの、これ?」
竜は首をかしげた。
答えになっていない。けれど、逃げないところを見ると、敵意はなさそうだった。
私はしゃがみ、畑の外に落ちていた赤い木の実を拾った。森の入口で採れる実だ。少し酸っぱいけれど、毒はない。
「こっちなら食べていいよ。畑の薬草は、薬にするからだめ」
木の実を差し出すと、竜は恐る恐る近づいた。鼻先が私の指に触れ、ざらりとした舌が実をさらっていく。
次の瞬間、竜の口から小さな光がこぼれた。
赤い光はふわふわと空へ上がり、薬草畑の上で弾けた。甘い木の実の香りが広がる。かじられた薬草の青臭さまで、焼きたての菓子のような匂いに変わった。
竜は「きゅ~!」と短く鳴き、得意そうにおなかを見せた。薄い羽がぱたぱた震え、耳のうしろの鱗がほんのり赤くなっている。
「火じゃないんだ」
竜はますます得意そうに胸を張った。
その姿があまりにかわいくて、私は笑ってしまった。
笑った拍子に、竜の前足がぐらりと揺れた。よく見ると、左の足に細い傷がある。森の枝にでも引っかけたらしい。
私は小屋から布と薬草を持ってきた。竜は最初こそ逃げようとしたけれど、木の実をもう一つ置くと、じっとしてくれた。
「これで大丈夫。たぶん。竜を手当てするのは初めてだから、痛かったらごめんね、あと噛まないでね」
竜は、ぱくりと木の実を食べた。
それから私の小屋に居ついた。
名前はコロにした。ころころ転がるように歩くからだ。本人は気に入ったらしく、呼ぶと短い声で返事をする。
「コロ、そこは薬草を干す場所。寝るならこっち」
言ったそばから、コロは干し草の山に鼻を突っ込んだ。ふわっと舞った葉を追いかけて、部屋の中を走り回る。
「こらーっ!」
師匠がいない小屋は静かだった。でも、コロが来てからは、薬草の葉が飛び、木の床が鳴り、朝から晩まで忙しい。
少しだけ、寂しくなくなった。
コロの世話にも、思ったより手間がかかった。
竜は何を食べるのか。水はどれくらい飲むのか。眠るときに火を吐かないか。私は師匠の薬草図鑑をめくりながら、ノートに一つずつ書き足した。
コロは赤い木の実が好きだった。けれど、木の実だけでは足りないらしい。焼いた麦の穂を出すと、目を輝かせた。花蜜を混ぜた薬草粥を出すと、口から黄色い光を吐いた。
黄色い光は、部屋中を蜂蜜の香りにした。
「これは、おやつにできるかも」
私は光を冷ました蜜に混ぜ、木の型へ流した。固まったものを一口かじる。
甘い。けれど、薬草の苦みが強すぎた。
私は舌の奥に残った苦みを確かめ、ノートに「薬草を半分、花蜜を二割増し」と書いた。
「うん。これは薬だね」
コロは私の顔を見て、申し訳なさそうに尻尾を下げた。
「コロのせいじゃないよ。私の配合が下手なだけ」
試しに木の実を増やすと、今度は酸っぱすぎた。花蜜を増やすと、甘すぎて歯にくっつく。三回目は柔らかすぎて、皿から流れ出した。
私は床に落ちた黄色い塊を見つめた。
「こんな味で、おやつ屋さんを名乗れるわけない」
私は床を拭き、失敗作を捨てずに小皿へ分けた。薬草の苦み、木の実の酸味、花蜜の甘さ。どれが残りすぎたのかを一つずつ確かめる。
「次は、絶対にちょうどよくする」
その日の夕方、ハナが小屋を訪ねてきた。床いっぱいに並べた失敗作を見て、目を丸くする。
「何を作ってるの?」
「コロの光を使ったおやつ。村祭りで売れたら、餌場の木を買えると思って」
「食べてもいい?」
「えっ、でも、それは失敗で」
「失敗かどうかは、食べてから決めるよ」
ハナは一番固そうなものを選び、端をかじった。しばらく黙ってから、首をかしげる。
「薬草の味はする。甘いけど、口の中が少しひりひりする」
「やっぱり失敗」
「でも、木の実を入れた方は好き。酸っぱいから、薄いお茶と合いそう」
「お茶に合わせるなら、酸味は残して、苦みだけ消す。そこは譲れない」
私は一度言い返してから、慌ててノートを開いた。自分の舌だけで決めるのではなく、食べる人の感想を聞く。味に妥協はしない。でも、食べる人の舌を無視しても店は続かない。師匠がいつも言っていたことを、私はすっかり忘れていた。
翌日から、村の人たちにも味見を頼んだ。
子どもたちは甘いものを選び、大人たちは日持ちを気にした。畑のおじさんは「仕事のあとなら、少し塩気があってもいい」と言った。
意見はばらばらだったけれど、コロの力を少しずつ使うことと、木の実を乾かしてから混ぜることは決まった。
香り玉は、私ひとりの発明ではなくなった。
私は祭りで売る分の値段も考えた。子どもが小銭を握って買える木の実菓子と、大人が家へ持ち帰れる香り玉に分ける。
売上の一部は、森の餌場に植える木の苗へ回す。そう紙に書くと、ただ珍しいものを売るより、店の理由がはっきりした。
ハナは紙をのぞき込み、木の実菓子を一つつまんだ。
「これなら、祭りで売るだけじゃなくて、また食べたいって言われるかも」
「本当? じゃあ、店を開けるかもしれない」
「そのときは、私が最初のお客さんになるよ」
ハナの言葉がうれしくて、私は失敗作の山をもう一度片づけた。
ただし、畑の問題は残った。
三日後は村祭りだ。祭りの日から、森の奥へ続く道は安全確認のため閉じられる。コロを森へ帰すなら、それまでに親のところへ戻る道を見つけなければならない。
私は小屋の壁に貼った師匠の手紙を読み返した。
『森竜の子どもは、親の匂いを探す。迷い花を見つけたら、その近くに道があるかもしれない』
迷い花は、夜になると淡く光る花だ。森の深い場所にしか咲かない。
「まずは、コロが畑に来た理由を探そう」
私は木の実を籠に詰め、コロを連れて村へ向かった。
畑の前では、ハナが折れた柵を直していた。麦わら帽子のつばから、汗が一滴落ちる。
「マオ、その竜は何?」
「コロ。森竜の子ども。畑を荒らしたのは謝る。でも、わざとじゃないと思う」
「思う、だけ?」
ハナは腕を組んだ。疑っている目だった。
私はコロの足の傷を見せた。
「森で何かあったみたい。食べ物が足りないのかもしれない」
「だからって、畑を好きにしていい理由にはならないよ」
「うん。だから、畑の外に餌場を作りたい」
「餌場を作っても、また畑に入ったら?」
「そのときは、私が売上から薬草の苗代を払う。コロが食べたものと、畑に来た時間も毎日記録する」
ハナは少し驚いた顔をした。すぐに納得したわけではないらしく、折れた柵を見下ろした。
「言うだけなら簡単だよ。畑を守るのは私たちだから」
「うん。だから、今日から一緒に見てほしい」
私はコロの吐いた光を固めた香り玉を一つ、ハナへ差し出した。
「これが売れたら、餌場の木も買える。味を確かめて、店を出していいか決めて」
ハナは香り玉を鼻先へ近づけ、渋い顔のまま一口かじった。甘い花の香りが広がると、帽子のつばがわずかに上がった。
「……おいしい。でも、これだけで畑を任せられるわけじゃない」
「分かってる」
ハナはようやく、壊れた柵の向こうを指さした。
「このあたりは、今年から木が切られたの。村の畑を広げるためにね。森の実が減ったのは、そのせいかもしれない」
森と畑の間には、切り株が並んでいた。コロがかじった薬草は、その切り株の近くにだけ植わっている。
私はしゃがみ、土を調べた。木の根が途切れた場所には、赤い木の実の殻が一つも落ちていない。
「餌場を作るなら、切り株の向こう。森に近くて、畑からは離れた場所がいい」
「村長に許可を取らないと」
「一緒に行ってくれる?」
ハナは少し考えたあと、折れた柵の板を肩に担いだ。
「コロが畑に入らない柵も作る。餌場の話は、そのあと」
村長は、コロを見るなり眉をひそめた。
「森竜は珍しい。村の畑を荒らすなら、森へ追い返すべきではないか」
「追い返す道が分からないんです。三日後には森道が閉じます」
「それは困ったな」
村長は困った顔をしたが、すぐに木の札を取り出した。
「森の境杭より奥へ入るには、村長の許可が要る。だが、子どもを助けるための調査なら、明日の昼まで許そう」
「ありがとうございます」
「ただし、畑を荒らさないこと。村人が納得できる記録を残すこと。それが条件だ」
私は何度もうなずいた。
帰り道、私はコロのために小さな札を作った。表には「保護中」、裏には「食べたものと体調」と書く。
「これを首につけるのは嫌?」
コロの首にひもを近づけると、コロは身を引いた。私はすぐに手を止めた。
「ごめん。嫌ならつけない」
札を餌場の柵に結ぶと、コロは自分から近づいてきた。札の匂いをかぎ、私の手を押し上げる。
「じゃあ、首じゃなくて餌場に置こう」
竜を守るための記録は、竜を縛るための札ではない。私はそのことを、コロに教えられた気がした。
その日の午後、私たちは餌場を作った。木の実を置く浅い箱と、雨よけの板。畑との間には、コロが通り抜けられない細い柵を立てた。
コロは餌場へ行った。赤い木の実を一つ食べ、二つ食べ、三つ目をくわえたまま、私の小屋へ戻ってきた。
「どうして?」
コロは木の実を私の膝に置いた。
そのまま丸くなり、私の足へ背中を押しつける。
餌だけでは足りない。森竜の子どもは、ひとりで寂しいのだ。
私はコロの背中をなでた。硬い鱗の間から、ぬるい体温が伝わってくる。
「親を探そう。帰りたいなら、帰れるようにする」
翌朝、ハナと森へ入った。
コロは私の籠の中に入りたがったが、すぐに出てきた。足元を歩き、時々、木の根を飛び越える。昨日より元気そうだ。
迷い花を探すため、私たちは地面と木の幹を見ながら進んだ。
森の中には、甘い香りが漂っていた。けれど、花の香りはしなかった。木の実、湿った土、遠くの川。いろいろな匂いが混ざっている。
「マオ、あれ」
ハナが指をさした。
倒れた木の根元に、小さな白い花が咲いている。昼なのに、花びらの奥がほんのり光っていた。
「迷い花だ」
コロが走り出した。
花のそばで鼻を高く上げ、くんくんと空気をかぐ。けれど、親の気配はないらしい。コロは花の周りを何度も回り、最後には座り込んだ。
私は花を摘まなかった。代わりに、花の向いている方向を記録した。
迷い花は三輪とも、同じ谷の方を向いている。
「道はあっち」
谷へ向かう道は、崩れた岩にふさがれていた。大きな岩をどかすには人手がいる。しかも、祭りまであと二日しかない。
村に戻ると、門の前に見慣れない荷馬車が止まっていた。
革のコートを着た男が、金具のついた箱を運んでいる。男はコロを見ると、口元をゆるめた。
「その竜、売ってくれないか」
「売りません」
反射的に答えた。
「話くらい聞いてもいいだろう。私は森の珍獣を扱う商人、バルドだ。森竜の捕獲許可証もある。君が世話をするより、立派な場所で暮らせる」
バルドは紙を広げた。赤い印が押されている。
許可証が本物なら、私は簡単に追い返せない。
「コロは売り物じゃありません」
「珍しい力を持つ竜だ。食べたものの香りを保存できる。高く売れるぞ」
バルドの視線が、棚に並べた香り玉へ向いた。
木の実を食べたコロの光を、花蜜で固めたものだ。口に入れると、甘い香りがふわっと広がる。村祭りで売るつもりだった。
「それも買おう」
「村で使います」
「欲がないな。竜を渡せば、君は一生遊んで暮らせる」
その言葉に、胸の奥が少しだけ揺れた。
師匠の小屋は古い。薬草畑を広げるお金もない。町へ行けば、もっと立派な道具を買えるかもしれない。
でも、隣でコロが小さく鳴いた。
私は木箱の中の香り玉を抱えた。
「一生遊ぶより、コロが帰れる道を作りたいです」
「帰る? 親がいる証拠でもあるのか」
「まだありません。でも、探します」
バルドは鼻で笑い、香り玉を一つつまんだ。
「こんな怪しい菓子、誰が買うか。竜の力に頼っただけの珍品だ」
「食べてから言ってください」
私は逃げずに、試食用の香り玉を差し出した。
バルドは眉をひそめたが、周りの畑仕事帰りの村人たちがこちらを見ていることに気づき、意地を張るようにそれを口へ放り込んだ。
ぱきり、と薄い殻が割れる。
甘い花蜜の香りが舌の上でほどけ、木の実の酸味があとから追いついた。バルドの目が見開かれる。鼻の奥まで森の空気が広がったのか、男は思わず喉を鳴らした。
「な、なんだこの香りは……!」
村人の一人が吹き出した。
「さっき怪しいって言ったのにね」
「味は認めます。これは村の子どもでも買える値段で売る、私のおやつです。売上の一部は餌場に使います」
私は香り玉の箱を抱え直した。
「コロも、畑も、店も、誰かのものにはしません」
バルドの顔が赤くなった。
「だが、森竜を運ぶ許可証はある! 君ひとりで守れると思うなよ」
男が帰ったあと、私は香り玉の箱を確かめた。
一つ足りない。
「マオ……」
ハナの声が震えた。
私は手を握った。怖い。許可証を持つ相手に、薬師見習いの私が勝てるとは思えない。
でも、ひとりで抱えたから失敗した。
「村長に報告する。香り玉を勝手に持っていったことも、許可証のことも」
「私も行く」
ハナはすぐに答えた。
その夜、私は小屋の戸締まりを三度確かめた。
コロは私の膝で丸くなっている。いつもなら眠る前に小さな光を吐くのに、今日は何も出さなかった。疲れているのだろう。
「ごめんね。私がもっと早く、帰り道を見つけられたら」
コロは目を開け、私の指を鼻先で押した。
謝るだけでは、何も変わらない。
私は机にノートを広げた。コロが畑へ来た時間、食べたもの、迷い花の向き、谷の風。点のようだった記録を線でつなぐ。
森の餌場が減った。だからコロは畑へ来た。迷い花は谷を指した。谷の岩の向こうには親の匂いがある。
なら、必要なのはコロを隠すことではない。道を開け、村の人たちに見てもらい、帰れるようにすることだ。
私はノートの最後に、大きく書いた。
『コロは、私のものではない』
村長の家には、畑の人たちが集まっていた。私は最初から順番に話した。コロを拾ったこと。畑の端だけを荒らしていたこと。森の餌場が減っていたこと。迷い花が谷を指していたこと。
そして、バルドが香り玉を持っていったことも。
村長は、バルドの許可証を見た。
「これは森の外で捕まえた動物を運ぶ許可だ。村の中で、世話をしている生き物を連れ去っていい許可ではない」
バルドは顔をしかめた。
「森竜は野生の魔物だ」
「ならば、マオが保護した記録を確認しよう」
村長は私のノートをめくった。傷の場所、食べた木の実、吐いた光の色、畑へ来た時間。毎日書いていた記録だ。
「この子は人を襲っていない。畑を荒らしたのも、餌場がなくなったあとだ。村の規則では、むやみに傷つけてはいけない」
「ですが、許可証があります。珍獣を運ぶ権利は――」
「森の外で捕まえた動物を運ぶ許可だ。保護中の生き物を、村で世話をしている者から奪う許可ではない」
村長はバルドが持っていった香り玉を机の上へ置かせた。バルドは不満そうに舌打ちしたが、紙に包んだ香り玉を返した。
「香り玉の無断持ち去りも記録する。今回の許可証は、この村では無効だ。今すぐ荷車をまとめて出ていきなさい」
「こんな小さな村で、商売の邪魔をするのか」
「村の決まりを破ったのはあなたです」
ハナがきっぱりと言った。
バルドは私たちをにらんだあと、許可証を折りたたんだ。村人たちが道の両側に立つと、男はそれ以上何も言わず、荷車へ戻っていった。
荷車の車輪が門の向こうへ消えるまで、村長は動かなかった。
私は返ってきた香り玉を抱え、ようやく息を吐いた。
ハナが一歩前へ出た。
「それに、マオは森へ帰すために動いてる。明日の朝、谷の岩をどかす手伝いを村のみんなに頼みたい」
村人たちは顔を見合わせた。
最初に手を上げたのは、柵を直していたおじさんだった。
「畑を守れるなら、手伝う」
「森竜の香り玉も、祭りで売れるんだろう?」
別の人が聞いた。
「コロが疲れない分だけです。作りすぎません」
私はそう答えた。
村長がうなずく。
「それなら、村の仕事だ」
次の朝、谷の岩をどかすために、村人が集まった。
私とハナは、迷い花の向きを確認した。大人たちは岩の周りの土を掘り、子どもたちは小さな石を運ぶ。コロは時々、私の足へ鼻をつけた。
「大丈夫。もう少しだよ」
岩が動いた。
谷の奥から、風が流れてくる。甘くて、少し煙のような匂いだった。
コロが顔を上げる。
私は道をふさがないように、横へよけた。
「行っていいよ」
言ったのに、コロは動かなかった。
私の足に前足を置き、青い目で見上げている。
胸がぎゅっとなる。
「コロ。私が寂しいからって、ここに縛るつもりはないよ。帰りたいなら、帰っていい」
コロは一度だけ、私の指をなめた。
それから谷の奥へ走っていった。
途中で振り返る。私は手を振った。
「またね」
コロの姿が木々に隠れた。
しばらくして、森の奥から淡い光が上がった。赤、金、緑。木の実と薬草と、知らない花の香りが混ざっている。
村人たちから歓声が上がった。
「無事だって言ってるのかな」
ハナが笑った。
「きっとね」
三日後の村祭りで、ひだまり小屋の前には小さな店を出した。
香り玉は一人二つまで。木の実の焼き菓子は一人三つまで。コロが疲れない量を守るためだ。
最初は、珍しい竜の菓子を見に来る人ばかりだった。
私は木の実菓子を半分に割り、試食用の皿へ並べた。
「外はさくっとしてる。中は、少し酸っぱいね」
「森の木の実を乾かしてから焼いたんです。お茶にも合いますよ」
ハナが説明すると、試食したおばさんが隣の人を呼んだ。
子どもたちは香り玉を鼻先へ近づけ、甘い花の匂いに目を丸くする。畑仕事を終えたおじさんは木の実菓子を一口で食べ、「疲れたあとにちょうどいい」と笑った。
ひとつ食べた人が次の人を呼び、店の前は少しずつ長くなった。
ハナは隣でお金を数えている。
「マオ、これだけ売れたら、薬草畑を広げられるよ」
「本当?」
「本当。餌場の木も植えられる」
店の前には、コロの記録を写した紙も貼った。
森のどこで見つけたか。何を食べるか。香りの光を吐きすぎないこと。森へ帰る道を村人が整えたこと。
香り玉を買った人たちは、紙を読んでから財布を開いた。中には「来年は自分の畑の木の実も使ってほしい」と言う人までいた。
私は、コロの光を秘密にしなくてよかったと思った。
誰かに取られないように隠していたら、香り玉はただの珍しいお菓子で終わっていた。みんなで知れば、コロが森で生きるための餌場も、村の新しい仕事も作れる。
売上の入った袋から、私は餌場の木の苗代を別の袋へ移した。
村長がそれを見て、来年の春に村人で植えると約束してくれた。
祭りの終わり、森の境杭のそばで光が弾けた。
コロだった。
以前より少しだけ大きくなったコロは、赤い木の実を一つくわえている。私の前まで来ると、木の実を置き、口から小さな金色の光を吐いた。
光は、香り玉になった。
甘い。花の匂いもする。それから、遠くの森の匂いがした。
「おかえり、コロ」
コロは私の足に体を寄せた。
翌朝から、コロは森と小屋を行ったり来たりするようになった。親を見つけたのかは分からない。でも、森へ帰れる道ができたことは確かだ。
私はひだまり小屋の看板を作った。
薬草の絵の下に、こう書く。
『森と村のおやつ屋』
ハナが看板を見上げて、ふっと笑った。
「薬屋じゃなくていいの?」
「薬草は今まで通り育てるよ。でも、甘いものも作りたい。子どもでも買える店にして、師匠が戻ったときに驚かせたいんだ」
「じゃあ、私も手伝う」
ハナはそう言って、店先のほうきを手に取った。
コロは木箱の中で丸くなり、満足そうに目を細めている。
今日のおやつは、赤い木の実の焼き菓子だ。
森の香りをひとつ。村の笑い声をひとつ。
それから、明日も帰ってこられる場所を、少しずつ。




