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補給線管理官は前世の敗戦を糧に、戦争そのものを攻略する

掲載日:2026/04/04

プロローグ:ロスト・サプライ──消えた補給線


最初に消えたのは、音だった。


野営地に満ちていた鍋の音、火の爆ぜる音、兵士たちの低い会話──それらが一つずつ欠けていき、三日目の朝には風の音しか残っていなかった。補給隊の馬蹄音が聞こえなくなってから、七十二時間。


久保田徹は、乾いた口で空を見上げた。


晩秋の空は高く、よく晴れていた。美しい青だった。こんな日に、人は死ぬべきではないと思った。しかし腹の底を這い回る飢えは、そんな感傷など一秒で焼き払う。


「徹……水は」


英雄アルベルトが、地面に横たわったまま言った。かつて魔王の親衛隊三百を単騎で押し返した男が、掠れた声で、水を乞う。その姿を、補給担当の自分は膝をつきながら眺めることしかできなかった。


「……すみません」


水がない。食糧もない。矢も、薬品も、包帯も、消毒に使う酒精も。


なぜこうなったのか、徹には分かっていた。


山岳補給路の崩落を予測できなかった。代替路を三重に設定すべきだった。あの秋の異常降雨のデータを、軽く見すぎた。あの峠の石畳の劣化を、台帳上の記録でしか確認していなかった。実地に足を運べば、分かったはずだった。


後悔が、脳裏を焼く。灰になっても、まだ焼き続ける。


「俺たちの勝ちだったのに」


アルベルトは笑った。力なく、それでも誇らかに。焚き火の最後の残り火が、英雄の頬を橙に染めた。そこに戦場の疲れと誇りと、あと何か──諦念ではない、もっと穏やかな何かがあった。


「お前がいなければ、ここまで来れなかった。俺たちは負けていない。ただ……」


英雄の瞼が、静かに降りた。


久保田徹は、その場で泣かなかった。泣く涙の水分さえ、身体に残っていなかったから。


夜の野営地に、静寂が満ちた。英雄の槍が、砂地に刺さったまま揺れていた。


次は──


暗転する意識の中で、徹は誓った。


補給線を、絶対に、切らせない。


---


「カイル! また台帳を眺めて何をしているんだ!」


上司のゲルマン副長の怒声が、埃臭い倉庫内に響き渡る。


十七歳のカイル・ロッシュは、山積みされた小麦袋の前で我に返った。


「……在庫を確認していました」


「帳簿係がやればいい! お前は荷台の点検をしろと言っただろう!」


「でも、この麦の保存状態が思わしくなくて──」


「黙って動け!」


副長が去ると、カイルは静かに息をついた。


倉庫は薄暗く、午後の斜光が麦袋の隙間から差し込んでいた。埃が光の中で踊り、遠くで馬が鳴いた。王立補給部──通称「荷担ぎ部隊」と蔑まれる部署だ。軍の余剰人員の掃き溜めで、出世を諦めた文官たちが惰性で日々をこなす。食糧の計算を間違え、馬の数を数え損ね、台帳の数字は常に現実より楽観的だ。


前世の記憶がある身には、見ていられない光景だった。


久保田徹としての三十二年間、補給担当として戦場を支えた五年間──それらが、カイル・ロッシュという十七歳の少年の中に混在している。転生から三年、記憶は鮮明なまま薄れない。むしろ時が経つほど、あの野営地の夜の匂いがはっきりしてくる気がした。


「……ん?」


カイルは目を瞬かせた。


視界の端に、何かが浮かんでいる。


半透明の文字と数値が、空気の中に重なるように出現していた。倉庫の壁も麦袋も透けて見えるが、その文字は確かにそこに在る。


```

【兵站UI:初回起動】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

対象:王立第三倉庫 保存小麦(12ロット)

現在損耗率:27.3%

推定腐敗到達日数:14日

原因:湿度過多(76%)/ 換気不足 / 麻袋の気密不備

推奨処置:換気孔追加×3 / 保存桶への移転(優先度:高)

推定損失回避量:ロット換算3.2(金貨140枚相当)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※注意:本UIが出力する数値は入力データの精度に依存します

※現地確認を常に推奨します

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

```


注意書きまで出るのか。


カイルは思わず口元を緩ませた。緩ませてから、その注意書きの意味を静かに噛みしめた。


UIは万能ではない。データが正しければ、答えも正しい。しかしデータが古ければ、あるいは間違っていれば──答えも間違う。


それは前世でも同じだった。台帳を信じた。実地を確認しなかった。だから、あの山岳路の崩落を読めなかった。


「……分かってる」


カイルは麦袋に手を触れた。実際に指で感触を確かめ、鼻を近づけて湿気を嗅ぎ、麻袋の縫い目を確認した。UIの数値が、実際の観察と完全に一致した。


それでいい。UIは補助だ。主人公は俺だ。


「間に合わせる」


今度こそ。


---


その年の秋、魔王軍の西方軍団が動いた。


第二騎士団が壊滅し、ラドル砦が陥落した。次の目標はトレイン峡谷──そこを突破されれば、王都まで三日の距離だ。農村が燃え、難民が王都に溢れた。市場の食糧価格が三割跳ね上がり、両替商の前に列が伸びた。


軍議の場に、カイルは補給部代表として末席に座っていた。磨き上げられた大理石の床、重厚な地図台、上座に居並ぶ騎士たちの甲冑の輝き。補給部の若い文官が場違いなのは明らかで、入室時にすでに数名が露骨に顔をしかめた。


「全軍をトレイン峡谷に集中させ、真正面から叩く!」


上座で拳を叩いたのは英雄ラウル・ヴァンダーだ。二十四歳、傷だらけの巨軀に剣を帯び、純粋な武勇で魔王軍の小隊を幾つも壊滅させてきた男。声に力があった。人を動かす声だ。


「峡谷地形なら奴らの数の優位が殺せる。我が剣が先陣を切れば、兵士たちは必ずついてくる!」


喝采が上がった。


カイルはUIが弾き出した数値を確認しながら、無表情でいた。


```

【作戦評価:トレイン峡谷正面突破案】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

推定戦闘継続日数:12〜18日

必要補給量(食糧):1日あたり馬車38台分

必要補給量(矢・武器・薬品):1日あたり馬車22台分

現在調達可能補給量:1日あたり馬車29台分(不足率:51.7%)

峡谷道路状態:昨年の大雨で基盤侵食。重積載通過限界:12台/日

結論:補給維持不能。7日目以降に食糧枯渇。

被害予測:戦死者3,200〜4,800名(友軍)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

```


三千人が、死ぬ。補給が足りないせいで。前世と、まったく同じ理由で。


カイルは立ち上がった。


「異議があります」


声が、広間に響いた。高くも低くもない、感情を押し殺した声。


視線が集中する。ラウルが眉をひそめた。「誰だ、貴様」


「王立補給部、カイル・ロッシュです。現在の計画では、七日で補給が尽きます」


沈黙。それから、失笑。


しかし一人だけ、笑わなかった。


軍議室の隅に立つ壮年の男──王国財務長官、マルケス卿だ。五十代、鋭い目をした実務家で、軍人ではないがこの種の軍議に必ず顔を出す。彼は静かにカイルを見つめ、それから小さく顎を引いた。聞けということだ。


カイルは羊皮紙を広げた。


「峡谷の道路基盤は、昨年の大雨で侵食されています。これは実地で確認しています。重積載の馬車が一日に通過できる台数は最大十二台。英雄殿の案には一日六十台が必要です。不足分は五倍。補給渋滞は三日目に発生し、七日目に食糧が尽きます。九日目に矢が切れ、十日目以降は薬品不足で負傷兵が回復できない」


数字を並べながら、カイルの脳裏に前世の光景が重なる。


「直接戦闘による死者以前に、補給欠如で三千以上の友軍が死にます」


広間が静まり返った。


ラウルが低い声で言った。「……では、貴様にはどうしろと」


「戦わずに、勝ちます」


マルケス卿がわずかに目を細めた。


---


国王エドワード三世は、カイルの話を最後まで静かに聞いた。


執務室には二人しかいない。余計な喝采も野次もない。燭台の炎が揺れ、秋の夜が窓の外で深まっていく。


「魔王軍西方軍団の補給起点はガルデン平原の中継基地。そこから前線まで、三つのルートが稼働しています」


```

【魔王軍補給ルート分析】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

Aルート(主要):ガルデン街道→レイス橋→前線

 輸送量:推定85台/日

 弱点:橋の耐荷重限界・秋季洪水リスク


Bルート(予備):山岳迂回→ハルン峠

 輸送量:推定22台/日

 弱点:急勾配・峠の気象変動(10月以降閉鎖率42%)

 ※注:現地地質データは17年前の調査記録に基づく


Cルート(緊急):船便・ガル川水路

 輸送量:推定18台/日

 弱点:川幅・船着場キャパシティ限界


合計輸送可能量:125台/日

前線維持必要最低量:推定95台/日(魔物種は人間の約1.9倍のカロリー消費)

補給余剰:30台/日(緊急対応余力:約3日分)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

```


「余剰はわずか三日分。三本のルートを切れば、軍は飢えます」


エドワード三世が身を乗り出した。「……方法は」


「レイス橋を水害で落とします。上流の堰を開放すれば三日以内に橋桁が侵食される計算です。コスト金貨二十枚。ハルン峠の入口に落石を起こします。山岳猟兵二十名に楔を打たせる。コスト金貨五十枚。ガル川に廃船を沈め、航路を塞ぎます。コスト金貨八十枚」


「総計金貨百五十枚。七日以内に全ルート遮断。十五日後、魔王軍は飢えます」


王は長い間、地図を見つめていた。炎が揺れ、影が動いた。


「……もう一つ聞かせなさい。なぜ、君は補給部を志望した?」


カイルは少し間を置いた。答え方を考えたわけではなく、ただ、言葉が感情に追いつくのを待った。


「前世で、仲間を死なせました。補給の失敗で」


静寂。


「……そうか」


エドワード三世は、それ以上何も訊かなかった。


「金貨三百枚と、補給部の人員三十名を預ける。好きにやりなさい」


「充分です」


カイルは一礼した。扉に向かいかけて、王が静かに言った。


「カイル・ロッシュ。一つだけ忠告する。完璧な計画というものは、完璧であるがゆえに、一か所が崩れると全体が崩れる。心しておきなさい」


カイルは振り向かないまま、答えた。


「……分かっています」


それは、前世で身に染みて学んだことだった。


---


七日間、カイルはほとんど眠らなかった。


UIが常時稼働する。視界に数値が流れ続ける。地形、気象、物資、人員、馬匹、道路状況、損耗率、消費予測──あらゆるデータが戦場の地図の上に重なる。


補給部の倉庫に持ち込まれた羊皮紙は、二日で床を埋めた。


シャル・ミアーノ──補給部の二十歳の女性士官は、三日目から毎朝、言わずに珈琲を置いていくようになった。「要る?」も「どうぞ」も言わない。ただ置いて、自分の仕事に戻る。それが、この倉庫で最も実務的な気遣いだった。


「レイス橋の堰、開放しました」


作戦二日目の朝。UIで水流を確認してうなずいた。「橋桁侵食完了は二日半」


「ガル川の廃船、沈めました。ベルナが指示通り二十メートル北でやってくれました」


「確認した。航路復旧推定は十四日」


問題は、三つ目だった。


作戦三日目の夕刻──ハルン峠の楔を打ちに行った猟兵隊の隊長が、青い顔で戻ってきた。


「…カイル殿。報告があります」


「峠の状況は」


「それが──楔が、効きませんでした」


カイルは手を止めた。


「岩盤が予想より、かなり硬くて。楔が入らない。強引にやったら楔の柄が折れて……十二本、全滅です」


無意識にUIを呼び出していた。


```

【ハルン峠 岩盤データ照合】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

参照データ:17年前の地質調査記録

記録岩盤種:石灰岩(硬度4〜5)

現地実測報告:硬度7〜8相当(花崗岩質に近い変質を確認)

原因:17年前調査以降、近隣での採掘活動により地層が変質した可能性

UIの算出根拠:古い調査記録(信頼度:低)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

⚠ データ不足による誤算

 推奨:現地確認後の代替案策定

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

```


古いデータを信じた。


脳裏を、前世の記憶が貫いた。あのときも、台帳を信じた。実地を確認しなかった。だから山岳路の崩落を読めなかった。


UIは万能じゃない。データが間違えれば、答えも間違える。


それは知っていたはずだった。なのに──


「カイル」


シャルが無言で隣に立った。声は静かだった。「どうする?」


カイルは深く息を吸った。感情を、横に置く。


考えろ。UIなしで考えろ。前世の五年間が、そのためにある。


岩盤が硬すぎて落石を起こせない。ならば、落石でなくてもいい。峠を通れなくすればいい。


「……道を、掘る」


「え?」


「峠道の横の斜面を選んで、深溝を掘る。幅三メートル以上、深さ一・五メートル。馬車が通れなくなる。斜面を崩すより、道を切断する方が早い」


シャルが目を細めた。「……それ、何人いる?」


「猟兵の代わりに土木人夫が要る。ミラン村に、街道整備で雇われている人夫が何人いたか覚えているか」


シャルは一秒考えた。「……十七人。確か今月末まで村にいると」


「雇える。一日金貨二枚を出せば文句を言う人間はいない」


「金貨は?」


「残り百二十枚ある」


シャルが立ち上がりかけて、止まった。「……カイル」


「何だ」


「さっき、怖い顔をしていた。今は違う。どっちが本当?」


カイルはしばらく黙った。


「両方、本当だ」


シャルはそれを聞いて、うなずいた。


「わかった。ミラン村に走る。司祭への交渉もついでにやってくる。倉庫の鍵の場所、教えておいて」


作戦五日目の昼、ハルン峠道が遮断された。


花崗岩質の硬い地盤は、かえって深溝を維持するのに好都合だった。一度掘れば、魔王軍が埋め直すまでに最低六日かかる。


カイルはその夜、小さな違和感を覚えた。


あまりに順調すぎる。


三本の補給ルートのうち二本は予定通り遮断した。残る一本も明日には塞がる。このまま行けば、魔王軍は十五日後に飢える。


しかし──


敵は、何もしていない。


カイルは地図を見つめた。魔王軍は、補給路を切断されても、何の反撃もしてこなかった。農村への斥候すら出していない。


不気味な静けさだった。


---


作戦六日目の朝。


カイルは、軍議室に呼び出された。


そこには青い顔をしたラウルと、厳しい表情のマルケス卿、そして憔悴しきった斥候隊長がいた。


「カイル。聞け」


ラウルが地図を指す。


「今朝、北の国境方面から連絡があった。魔王軍の別動隊が──こちらの背後を回っている」


カイルの血の気が引いた。


「……どこに?」


「レイス橋から北東、ここの渓谷を抜けて、我々の補給基地があるバルドの町を目指している。規模はおよそ三千。昨日の時点で、すでに渓谷を通過している」


「そんな馬鹿な」


カイルは地図に手を伸ばした。


「レイス橋は崩落しています。渓谷を通るには橋が必要──」


そこで、言葉が止まった。


レイス橋は確かに崩落した。だが、それは「大型の補給馬車が通れない」というだけだ。歩兵と軽装の部隊なら、崩落した橋の残骸を渡れるかもしれない。


そして、魔王軍はそれを利用した。


「……つまり」


カイルは声を絞り出した。


「魔王軍は、こちらの作戦を読んでいた。補給ルートを切断されることを想定し、あえて何も対抗しなかった。その間に、別動隊を回り込ませていた」


「そういうことだ」


マルケス卿が重い声で言った。


「君の作戦は、魔王軍の補給を断つことで無力化するものだった。しかし敵は、補給が断たれる前に、最後の力を振り絞って一撃を加えることを選んだ。狙いはこちらの補給基地──バルドだ」


```

【緊急事態評価】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

魔王軍別動隊:約3,000(軽装歩兵主体)

現在位置:渓谷通過済み。バルドまで約25km

到達予測:約30時間後

バルド守備兵力:約200(後方警備隊)

状況:壊滅的

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

推測される敵の意図:

1. 補給路遮断を「承知の上」で作戦を継続

2. こちらが補給戦に集中する隙に背後を突く

3. バルドを奪取すれば、逆にこちらの補給が断たれる

4. 魔王軍は「補給戦」のルールを理解した上で、それを逆手に取った

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

```


カイルはUIの表示を凝視した。


敵は、読んでいた。


自分の計画を。補給ルートを切るタイミングを。そして、その間にこちらが手薄になる弱点を。


「──あの男だ」


ラウルが呟いた。


「誰です」


「魔王軍西方軍団の参謀長。名前は……確か、ゼノン・アークライト。元は王国の騎士だったが、十年前に寝返った。補給と兵站の専門家だと聞いている」


カイルの心臓が凍った。


補給の専門家。


つまり──


「同業者、ということか」


マルケス卿が厳しい顔でうなずいた。


「おそらく。そして彼は、君の作戦を読んだ上で、さらにその先を読んでいる」


広間に沈黙が落ちた。


英雄ラウルでさえ、何も言えなかった。


---


その夜、カイルは一人で地図の前に座っていた。


バルドを守らなければならない。しかし主力は前線にあり、戻すには時間がかかる。戻せば、今度は前線の魔王軍本隊が動き出す。


完璧な、挟撃の構図だ。


「カイル」


シャルが珈琲を置いた。今日は「どうぞ」もなかった。ただ置いて、隣に座った。


「……聞いた。バルドのこと」


「ああ」


「どうする?」


カイルはしばらく黙っていた。


「敵は、こちらの選択肢をすべて読んでいる」


「どういうこと?」


「バルドを守れば、前線が手薄になる。前線を守れば、バルドが落ちる。どちらを選んでも、こちらの補給線は断たれる。敵の参謀長は、その二択を強いている」


シャルは息を呑んだ。


「……じゃあ、負けなの?」


カイルは答えなかった。


その代わりに、UIを呼び出した。


```

【現状の選択肢】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

選択肢A:バルドに増援(前線の戦力低下)

 → 前線崩壊リスク:64%

 → バルド生存率:72%


選択肢B:前線を維持(バルドを捨てる)

 → 補給断絶までの日数:5日

 → 総崩れまでの日数:11日


選択肢C:戦力分割(前線とバルドの両方に分散)

 → 両方の成功率:31%

 → 最悪の選択肢

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

※どの選択肢も勝利に直結しない

```


「……UIが、答えを出せない」


カイルは呟いた。


「データが不足している。敵の参謀長の戦術傾向、過去の作戦パターン、補給の優先順位──それらが分かれば、別の答えが出るかもしれない」


「でも、分からないんでしょ?」


「ああ」


カイルは目を閉じた。


敵は、こちらを読んでいる。ならば──


読ませた上で、騙せばいい。


「シャル」


「何?」


「ゼノン・アークライトという男は、補給の専門家だ。ならば、補給のロジックで考える。補給の専門家が絶対に選ばない選択肢がある」


シャルが顔を上げた。


「例えば?」


「補給路を二重に確保しないこと。予備ルートを設定しないこと。そして──情報を一箇所に集中させること」


カイルは立ち上がった。


「作戦を変える。バルドは捨てる」


「えっ」


「ただし、敵にそう思わせる」


---


カイルが取った行動は、単純だった。


まず、バルドに向かう増援部隊を公然と編成した。馬車を連ね、物資を満載し、大げさに行軍させた。誰の目にも「バルドを守る」と映るように。


同時に、極秘裏に別の部隊を動かした。


わずか五十名の軽騎兵。馬に食糧だけを積ませ、夜陰に乗じて渓谷を逆走した。彼らの任務は──レイス橋の「修復」だった。


「橋を直すのか?」


ラウルが怪訝な顔で聞いた。


「いいえ」


カイルは地図を指した。


「橋を直している『ふり』をします。敵の斥候に見せかけるのです」


「……意味が分からん」


「ゼノンは補給の専門家です。彼は『補給路を確保する』という発想から動きを読みます。ならば、『補給路を確保しようとしている』と見せかければ、彼はその方向に注意を向ける」


ラウルはしばらく考え込んで、ようやく理解した。


「……つまり、お前は敵の読みを読んでいるのか?」


「敵は私の読みを読んでいます。だから、そのさらに先を読む」


「三重読み、というやつか」


マルケス卿が感心したように言った。


「しかし、それでバルドはどうなる? あそこは手薄のままだぞ」


「バルドは捨てます」


カイルは断言した。


「ただし、敵がバルドを取った時には、そこに何もないようにする。物資は全て前線に移動済みです。バルドの町は空っぽです」


「……住民は?」


「既に避難させています。金貨十五枚で」


マルケス卿は笑った。初めて見る、老獪な笑みだった。


「君は、最初からバルドを捨てるつもりだったのか?」


「いいえ。敵が別動隊を回した時点で、バルドは守れないと判断しました。だったら、守らないふりをして守るのではなく、捨てるふりをして別の場所で勝負する」


「どこで?」


カイルは地図の一点を指した。


「ここです。渓谷の出口。バルドにたどり着く前に、敵を迎撃する」


「兵力は?」


「騎兵二百。歩兵三百。総勢五百」


「敵は三千だぞ」


「ええ。ですが、敵は補給がありません。別動隊は軽装で、食糧も限られている。渓谷を抜けた時点で、彼らは最も弱っている」


カイルはUIを表示した。


```

【別動隊 現在の推定状態】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

移動距離:約70km(渓谷越え)

消費カロリー:通常の1.6倍(悪路のため)

現存食糧:約1.5日分

戦闘力:通常比約65%(疲労と空腹)

士気:低下傾向(補給断絶の噂)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

対する迎撃側(渓谷出口待機):

戦闘力:通常比95%(休息済み)

地形的優位:あり(隘路)

補給:あり(後方から継続)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

推定勝率:68.4%

※ただし時間制限あり(魔王軍本隊の救援が来る前に決着が必要)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

```


「六十八パーセント」


カイルは呟いた。


「十分だ」


---


作戦十一日目。


予想通り、魔王軍別動隊は渓谷を抜けた。


彼らは疲弊し、空腹で、装備は傷んでいた。それでも三千の軍勢は、圧倒的な質量だった。


しかし──


渓谷の出口で待っていたのは、五百の王国軍ではなかった。


「な……何だ、あれは」


魔王軍の斥候が叫んだ。


渓谷の出口に、無数の旗が立っていた。馬の影。甲冑の輝き。まるで大軍が待ち構えているかのようだった。


「囮だ」


ゼノン・アークライトは即座に見抜いた。


「あれは偽装だ。本隊は別の場所にいる」


「では、どこに?」


ゼノンは答えなかった。答えられなかった。


どこだ?


補給の専門家として考える。あの男は、どこで勝負を仕掛けてくる?


その時、背後から轟音が聞こえた。


「渓谷の……入口が!」


斥候が青ざめて叫ぶ。


「落石で塞がれています! 戻れません!」


ゼノンの顔から血の気が引いた。


「まさか──」


「そうです」


声がした。渓谷の斜面から、一人の少年が姿を現した。カイル・ロッシュだ。彼の後ろに、弓を持った二百の騎兵。


「あなたは補給路を断たれないように別動隊を回した。でも、その別動隊自体の補給路は考えていなかった。渓谷の入口を塞げば、あなたたちは戻れない。そして前に進めば、こちらの迎撃が待っている」


ゼノンは歯を食いしばった。


「……馬鹿な。お前はバルドを守ると──」


「思わせました。あなたが補給の専門家だからこそ、『バルドを守る』という選択肢を信じた。でも私は、バルドを最初から捨てるつもりでした」


「では、あの増援部隊は──」


「囮です。馬車には藁だけを積んでいました。あなたの斥候に見せるための」


ゼノンは笑った。苦い笑いだった。


「……やられた。完全に、やられた」


「降伏を勧めます」


カイルは静かに言った。


「あなたの兵は飢えている。渓谷を抜けるだけで精一杯で、戦う力は残っていない。無駄に死なせる必要はない」


ゼノンは長い間、黙っていた。


そして、ゆっくりと剣を地面に置いた。


「……一つ聞かせてくれ」


「何です」


「お前は、なぜそこまで補給にこだわる? ただの文官だろう」


カイルは少し間を置いた。


「前世で、仲間を死なせたからです。補給の失敗で」


ゼノンは目を見開いた。そして、何かを理解したようにうなずいた。


「……そうか。お前は、戦ったことがあるんだな。本当の戦争を」


「ええ」


カイルは言った。


「だから、もう二度と繰り返さない」


---


魔王軍別動隊は、三千のうち約二千四百が降伏した。戦闘による死者はわずか百二十。残りは逃亡した。


友軍の死者は──十九名。


その全員が、迎撃時の事故と渓谷の落石作業中の災害による非戦闘死亡だった。


直接交戦による戦死者は、ゼロ。


カイルはその報告を受けて、長い間、その場に立ち尽くしていた。


勝った。


敵の参謀長を読み、その先を読み、罠を仕掛け、騙し、そして勝った。


対等な頭脳戦の末に。


「カイル」


シャルが隣に来た。


「……すごかった。本当に、すごかった」


「ゼノンが降伏しなければ、勝率は六十八パーセントのままだ。賭けだった」


「それでも勝った」


「ああ」


カイルは静かに笑った。


「勝った」


その瞬間、何かが胸の中で弾けた。


前世からずっと抱えていた、あの野営地の夜の重みが──少しだけ、軽くなった気がした。


アルベルト。


見えたか?


今日、俺は戦った。剣ではなく、頭で。


そして勝った。


対等な敵を、読んで、騙して、勝った。


「……泣いてるの?」


シャルが覗き込んだ。


「違う」


「泣いてる」


「……うるさい」


カイルは袖で顔を拭った。涙ではなかった。たぶん、違う。


ただ、何かが溢れただけだ。


---


エピローグ:兵站が、世界を変える


戦勝の宴が王宮で開かれた夜、カイルは一人で倉庫にいた。


帳簿を整理しながら、頭の中で計算を続けていた。この戦役で消費した物資の総量。回収できた物資の量。次の戦備に向けて整備すべき補給路。捕虜となったゼノン・アークライトの尋問スケジュール。


「……こんなところにいたのか」


足音がして、ラウル・ヴァンダーが入ってきた。宴の席を抜け出したらしい。


「ラウル殿」


「お前、今日の戦い……何と言えばいいか」


ラウルは言葉を探した。


「お前は、俺が思っていたよりも、ずっと強い」


「剣は振れません」


「剣だけが強さじゃない。それを、今日思い知った」


ラウルはそれだけ言って、去っていった。


その後で、シャルが入ってきた。


「カイル」


「何だ」


「ゼノン・アークライトが、あなたに会いたいと言っている」


カイルは顔を上げた。


「……何のために」


「分からない。でも、行くべきだと思う」


カイルは立ち上がった。


捕虜収容所に向かう廊下で、シャルが言った。


「カイル」


「何だ」


「次も、隣にいてくれるかって、前に聞いたよね」


「ああ」


「答えをまだもらってない」


カイルは少し笑った。


「最初からそのつもりだけど」


「……それ、私の台詞」


シャルも笑った。


収容所の扉を開けると、中から老練な男の声がした。


「来たか、補給官」


ゼノン・アークライトが、鎖に繋がれながらも、鋭い目でカイルを見つめていた。


「一局、やらないか」


「何の話です」


「次の戦争の話だ。お前は補給で勝ち、私は補給で負けた。ならば、次はどうする?」


カイルはUIを呼び出した。


```

【新たな局面】

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ゼノン・アークライト:元王国騎士・現魔王軍参謀長

所感:「この若者と、もう一度戦ってみたい」

推奨:情報収集のため、定期的な面会を設定せよ

ただし警戒を怠るな(相手は補給の専門家)

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カイルは小さく笑った。


「……一局、やりますか」


その夜、王国に一人の英雄が生まれた。


剣を持たない。魔法も使わない。


ただ、数字と地図と、前世の後悔と──対等な敵との頭脳戦を武器にした。


最強の、補給官が。

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