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74. 空の始まり

 私が見上げた先に、濃紺の翼が広がっていた。

 ナイトホーンは、陽の光を背負いながらゆっくりと地面に降り立つ。十メートルを超える巨体が着地するのに、羽音も地面の揺れも、ほとんどなかった。相変わらずの彼らしい降り方だと思った。


『よお』


 金色の瞳がこちらに向く。

 片翼を挙げる軽い挨拶は、その見た目との間にギャップがあった。彼の暗い色の鱗が陽の光に縁取られて、朝の色に美しく輝いているのを見て、私は一瞬だけ、言葉を失った。


『シフト融通してもらったよ。今日だけね』

『来てくれたんだ』

『お前が危ないじゃん』


 そっけない言い方だったけれど、凄く嬉しかった。

 三馬鹿トリオが『ボス』として崇める気持ちも、少し分かった気がする。


『お師匠(ししょー)~!!』


 そんな折、隣からクラウディアさんが翼をぱたぱたと打って、目を輝かせながら駆け寄ろうとしてくる。でも、その動きは透明な壁にドンとぶつかって、不自然な形で止められた。


『クラウディアよ。今は、時間が惜しい』

『うう~……。は~い』


 セフィリアさんの言葉に彼女は残念そうに少し口を尖らせて、それでも素直に翼を収めた。


『……え。 そこに誰かいるの?』


 ナイトホーンは目を丸くして、声のした方向に顔を向ける。

 隠密の力を持つ彼ですら、透明化したセフィリアさんの存在に気付けないのか、怪訝そうな表情でキョロキョロと首を動かした。


『セフィリア様、お師匠(ししょー)も参加で大丈夫ですか?』

『え? え?』

『構わん』


 いまだに状況を把握できない濃紺のワイバーンを尻目に、初代魔王は二つ返事で承諾する。


『……空へ発ったら。人のいない場所で姿を見せよう、飛竜よ』


 そして、彼女の最後の言葉は、ナイトホーンに向けたものだと分かった。


  ◆  ◆  ◆


『あー! もう! ししょーとお話ししたかった~!』


 魔王城を飛び立ってしばらく経った。

 飛竜は翼を大げさにばたばたさせて、空に向かって叫ぶ。


『アビス・メイズで、いつも会ってるんじゃないの?』

『アビス・メイズのお師匠(ししょー)は役者としての台詞しか言えないんだよ~!』


 なるほど、ちゃんとしてる。

 私はセフィリアさんに掴まれながら、少し笑ってしまった。


『目的地までの間、話せばいいだろう』


 九月にも関わらず、少し肌寒く感じるような高度の中。私のすぐ近くで、低い女性の声が響いた。

 そして、私の周囲が徐々に黒に染まる。


『っ……!!』


 ナイトホーンの黄金色の瞳が、僅かに細められた。

 そこに現れたのは、純黒の鱗、ながい身体。巨大な黒龍の姿だった。


『ま、まさか、初代様……ですか?』


 その姿を認めたナイトホーンは、目をパチクリさせて尋ねる。

 彼にしては珍しく、改まった口調だった。彼やクラウディアさんが彼女の正体にすぐに気が付くのは、ドラス郡の出身だからだろうか。


『ああ。セフィリア・ヴァーレイン・ドラス・エリノア……初代魔王だ』

『……まさか、初代様に直接会えるなんて。我は……セフィリア・ナイトホーン、です』

『同行、感謝するよ。セフィリア』


 セフィリアさんはそれだけ言い、ナイトホーンも何も答えなかった。

 かつて、ナイトホーンは自分の名前が嫌いだったと言っていた。

 男性の自分が、女性の初代魔王と同じ名前であったから。

 それを知っていたから、私はこの空気の中、何も言うことが出来なかった。


『……名前が同じですと勘違いしちゃうので、お師匠(ししょー)のことは皆さん「ナイトフォールさん」と呼びませんか~?』


 そんな事情を知ってか知らずか、クラウディアさんがバサバサと羽ばたきながら提案する。


『ナイトフォール?』

『それがお師匠の役者名なんですよー、セフィリア様』


 自然な言葉で、場の空気を解すホーリーワイバーン。たぶん彼女は、彼の事情を知っていたのだろう。これが配信者としての彼女の力なのかと、私は感服した。


『はーい。じゃあ、行きますよ。「雲の上からクラウディア!」スタートしまーす』


 そう言いながら、クラウディアさんは何処からか自撮り棒を取り出して、器用に足で掴みながら、空中でカメラを取り付け始めた。レンズの向きを確かめるように、一度こちらに向けてから、テキパキとした様子で作業を進める。


『え。今から始めるの?』

『うん。リスナーさん、ドラスの配信ずっと待ってたからさ。田舎の竜族の話、雑談枠で意外と人気だったんだよね』


 あっけらかんと言う彼女に、私は思わず辺りを見回した。既に王都を外れていて、人も魔物も少ない時間だ。大きな騒ぎにはならないだろう。


『あの、でも私は……』

『フェリちゃんは映らないように調整するって。大丈夫だよ~』


 彼女は翼から光の粒子をふわりと散らして見せた。朝の光と混ざって、相変わらず神秘的だった。


『じゃあ、カノンちゃんは?』

『え、私……?』


 カノンちゃんが聞き返すと、クラウディアさんは首を傾けた。


『カノンちゃん、映ってもいい? セフィリア様の手の中だと、あまり映れないかもだけれど』


 カノンちゃんは少し考えた。


『だいじょうぶです』


 小声で答えた。クラウディアさんは『ありがとー』と明るく言う。


『…………』


 その言葉に、セフィリアさんはスゥっとこっそり透明化を再開しようとしている。


『ちょっと、セフィリア様ぁー!!』

『…………』


 慌てて声を掛けるホーリーワイバーンに、バレたと言わんばかりに再びスゥと姿を顕現する黒龍。

 その様子を見届けて、クラウディアさんは満足そうに頷いて、カメラのスイッチを押した。


  ◆  ◆  ◆


 空の上は、思っていたよりもずっと静かだった。

 ……ただ、一頭の声を除いて。


 セフィリアさんの前肢に掴まれながら、私たちは青々としたエリノア国の上空を抜けていく。白い建物が小さくなって、緑の平野に変わって、川の光が美しく映えた。


『「こんクラ」ありがと~! 今日はですね、旅の配信でーす。昨日言ってた、ドラス郡に行くやつね!』


 隣では、クラウディアさんが配信を続けていた。眼下の景色を説明したり、コメントを読み上げたりしていた。『今「こん邪竜」って言ったキミ。明日のボクの「贄」ね』など、物騒な声も聞こえる。


『高いとこがニガテな方は注意! 見てみて、これが雲の上からの景色、凄く綺麗でしょー!』


 そう言って彼女は、器用にカメラの方向を風景に変える。川が平野に広がっていく景色は、確かに『配信映え』しそうな絵になっていた。


 私はカノンちゃんに目を向けた。

 私と彼女は初代様に掴まれながら、眼下の風景を静かに眺めていた。

 その横顔が、何か景色とも違う遠くを見ているみたいで、……私は、なんとなく声をかけそびれた。


 (何を、見ているんだろう)


 眼下の川じゃないことは分かった。オルト村の、あの日のことか。それともエアリーとの、あの日のことか。

 カノンちゃんはドラス郡に行きたいと、自分から魔王様(ユキちゃん)に言い出した。鱗の持ち主を探す手がかりになるから、と。

 それは本当のことだと思う。でも、それだけじゃない気もしていた。

 メイを巻き込んだのは自分だと、彼女は言っていた。彼女が何を背負ってあそこに座っているのか、私には全部は分からない。

 聞けばいいだけのこと。でも、今じゃないような気がした。



『ねえフェリちゃん』


 ふいにクラウディアさんが、自撮り棒に取り付けられた配信のマイクを向けながら話しかけてくる。マイクの先には、防風のもこもこが付いていた。


『ドラス郡って、来たことある?』

『いいえ、ないです』

『だよねー。エリノア国の奥地だからなぁ』


 彼女は配信に向けて説明を続ける。


『クラ民のみんなにも説明すると、ドラス郡はですね、ボクやお師匠(ししょー)の故郷で、竜族の集落なんだ。龍とかドラゴンとかワイバーンとか、まあいろんな種族がいるんですけど、ワイバーンは……ちょっと肩身が狭いんだよねー』


 それを言い切ってから、彼女は少し間を置いた。


『「ワイバーンに肩は無いぞ」って、ちゃんとあるからね!?』


 ドラス郡。竜の里。エアリーの鱗の持ち主の情報が、きっとそこにある。

 オルト村を壊滅させた、黒い竜の手がかりも、もしかしたら。

 どちらも答えが出るとは限らない。それは分かっていた。でも、きっと前に進める。そう思った。



  ◆  ◆  ◆


『セフィリア様~、一回降りませんか?』


 上空からクラウディアさんが声をかけてきたのは、太陽がだいぶ高くなってきた頃だった。


『空じゃお昼は食べにくいですし。すぐそこに、寄れる町がありますから』

『分かった』


 セフィリアさんは短く言って、進行方向をゆっくりと変えた。

 眼下に、小さな町が見え始める。

 川沿いの魔物の街で、魚を商う市場の屋根が、光を受けて輝いていた。私は思わず、『いいにおいがしそう』と呟いて、空から嗅げるわけがないよなと思い返して、自分で少し笑ってしまった。


 降下を始めるにつれ、通りを行き交う人々の姿が輪郭を持ち始め、街の賑わいが形を持ち始める。


『ここで何か食べて、翼を伸ばしたら……そのあとドラス郡ですよ』


 クラウディアさんはそう言って、カメラを町の方へ向けた。


『クラ民のみなさーん! お昼休憩にしよー!』


 配信を通じて、どこか遠くに声が届いていく。

 地面に降り立つ。

 私は再び透明化したセフィリアさんの前肢から下ろしてもらうと、大きく伸びをした。目的地まで、あとどのくらいだろう。


 エアリーの鱗。カノンちゃんが目撃した、くすんだ緑色。

 その答えが、もうすぐそこまで来ていた。

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