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71. 帰還

 エリノア国、王都ヴァーレイン市。

 魔王城に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


『魔王様との謁見を希望します』


 サーペントさんが衛兵の魔物と会話し、ずるずると先を行く。

 私はカノンちゃんと並んで、その後に続いて歩いた。霊亀ローミアさんが最後尾に続く。

 私は翼をきゅっと握った。カノンちゃん。もう、大丈夫だから。


 平日の昼時と言うこともあり、城内の空気はいつもより活気があるように感じられた。

 でも今日は、その賑やかさがいつもより心地よく感じた。カノンちゃんを救えた。そんな安堵の気持ちがあったからかもしれない。


  ◆  ◆  ◆


 五階の玉座の間。一階の謁見の間ではなく、私たちはここに通された。

 扉を開けると、そこにはシカのフィーネさんと、ユキちゃんが待っていた。


『お帰りなさい。ご無事で、何よりでした』


 白鱗の麒麟は穏やかな声で言った。でも、その目が私を見る時の色に、いつも心配が混じっているのを、私は知っていた。

 だから私は、彼女の目を真っ直ぐ見て、こう言った。


『ただいま、フィーネさん、ユキちゃん』


 フィーネさんが頷く。

 そしてユキちゃんも優しく目を細め、小さく頷いた。

 そして、カノンちゃんに視線を移す。


『……カノン・ノアーノさん』


 変わらぬ穏やかな声。

 カノンちゃんは、その場に跪いた。


『……ご迷惑を、おかけしました。魔王様……』

『いいえ。……よく、戻ってきてくださいましたね』


 ユキちゃんはそれだけ言った。責めるでも、労うでもなく。ただ、事実だけを言う。

 その一言に、どこか重みがあった。


『フィーネ』


 彼女は眼下に控える侍従長に声を掛ける。


『分かりました』


 その言葉に、彼は一礼し、そのまま部屋を去る。

 『皆まで言うな』と言わんばかりの有能ぶり。ユキちゃんの意図を汲み取り過ぎて、逆に何をしに出て行ったのか、私には、まるで分らなかった。



『それでは、ご報告を――』


 それからサーペントさんとローミアさんが前に出て、報告を始める。

 未来視の人間を救助したこと、カノンちゃんを確保したこと、……そして、彼女は反人派ではなかったこと。私の知らされていない細かな経緯も、幾つかあった。


 そしてサーペントさんは、最後にこう続けた。


『……エアリー・レインの持っていた鱗についてですが』


 カノンちゃんが、ぴくりと反応する。


『カノンさんの証言によれば、緑色の竜の鱗であったとのことです。大きさから、子供のものと見られると。……この鱗と、オルト村に現れた黒竜との繋がりを調べるべきではないでしょうか』


『……緑色の、竜』


 ユキちゃんはゆっくりと繰り返した。

 二本の鹿角がわずかに傾く。


『竜種の子供の鱗を、反人派の者が大切に持ち歩いていた。……ということですね』

『ええ。エアリーはその鱗を、「友達」のものと話していたそうです』

『…………』


 短い沈黙。

 魔王の薄紫色の鬣が、ふわりと宙を舞った。


『……ドラス郡』

『ええ』


 サーペントさんが静かに頷く。


『竜種が多く集まる里であれば、緑色の竜について知る者がいるかもしれません。ひいては……黒竜の正体にも近づける可能性も、確かにある』

『では、魔王様。こちらの任務をご検討ください』

『……ベル』


 深く鎌首を下げるサーペントさん。

 玉座に伏せるユキちゃんは、少しだけ姿勢を正した。


『すみませんが、あなたには別の任務があります』

『……そうですか』


 彼はそれだけ言った。深い話は、詮索しない。


『では、ドラス郡の調査はどなたが』

『そうですね』

『私が行く』


 その雰囲気に……私は自然と声が出た。

 ユキちゃんとサーペントさん、ふたりの視線が私に向く。


『……メイ』

『だって、手掛かりはそれしかないんでしょ。行くしかないよ』


 ユキちゃんは、少しだけ目を細めた。困ったような、でも呆れてはいないような表情だ。


『……ドラス郡について、ご存じですか?』

『……うん。狂暴なひとも多い、竜の里だって。ヘビさんに、聞いたよ』

『ええ。竜は従属を好まない。我が国への帰属を最後まで拒み続けた者も多く、人間に対して好意的とは言い難い。……あなたは、竜を、恐れないのですか?』

『…………ううん、怖いよ。でも、魔物と共存するんだよ。竜だって、逃げたくないよ』


 ……それに。あの黒竜からも、逃げたくないから。


『…………』


 ユキちゃんは静かに目を閉じる。

 承認できない。その葛藤が、現れているかのようだった。


 バンッ……!


『ノン……!』


 突然、扉が勢いよく開き、ふいに声が飛んできた。

 扉にノックもせず、魔王へ挨拶もせず。


 振り返ると、桃色の翼の魔物が勢いよく走り込んでくる。

 ユキちゃんは、それを咎めなかった。

 扉の奥、遅れてフィーネさんが入ってくる。


『お姉ちゃん……!!』


 カノンちゃんが、思わず腰を上げた。

 翼の主……アリアさんは桃色の髪を揺らしながら一息に距離を詰め、妹の両肩を掴んだ。それから泣きそうな顔で、ぎゅっとカノンちゃんを抱きしめる。


『よかった……よかった……! 本当に……!』

『……お姉ちゃん。ただいま。心配かけて、ごめん、ね……』


 カノンちゃんの声は、くぐもっていた。

 翼に包まれたまま、彼女は静かに目を閉じる。その表情が、少しだけ柔らかくなった気がした。


 私はローミアさんの隣まで下がって、そっと見守る。

 サーペントさんも、黙ったまま様子を見守っていた。フードの奥の目が、どこか穏やかに細くなっている。


 しばらくして、アリアさんが顔を上げた。

 目が少し赤かった。でも、彼女は笑った。明るく、元気よく。


『メイちゃん、ありがとう。本当に、ありがとう……!』

『ううん。ここにいるヘビさん、ローミアさん……みんなのおかげだよ』


 アリアさんが、翼で私の手をぎゅっと握る。

 握り方が、どこかカノンちゃんに似ていた。


『編集長も喜んでた。ノンが戻ってきたって! あのひとも、心配してたから……』


 言い終わるや否や、彼女の背にポンと蹄を置くフィーネさん。


『アリアさん。それでは……申し訳ございません、ここからは、機密会議がございますので』


 アリアさんは名残惜しそうにカノンちゃんを眺めながら、『本当に、ありがとうございました……!』と場の全員に言って、フィーネさんと共に玉座の間を去って行った。


『カノンさん、後で、お姉さまにたくさんお詫びをするのですよ』

『はい……ありがとうございます、魔王様』


 カノンちゃんは顔をほころばせて、再び跪いた。

 ユキちゃんは優しく微笑むと、真面目な目で、先を続けた。


『……話を戻しましょう。ドラス郡調査の、編成についてですね』


 彼女は続ける。


『ひとまずメイは保留としましょう。……まず、「竜語」を話せる者が必要です』

『竜語?』

『竜種が用いる、独自の言語ですよ』


 私の呟きに、隣のサーペントさんが答える。


『ドラス郡は自治区。今のところ国家に反抗しておりませんが、主体思想の強い彼らは、独自の文化体系を持っております』

『それが竜語ってこと?』

『ええ。竜種固有の声帯や喉を低く振るわせる声音を含むため、魔王様やワタシでも話せないのですよ』


 サーペントさんはシュルシュルと舌を出した。

 竜語。魔物でも、話せる者が限られる言語。

 でも、それなら……


『ヘビさん。エルダに、青い龍のひとっていなかったっけ』


 私は思い出しながら尋ねた。以前、背中に乗せて、ノース国の王都まで連れて行ってもらったことがある、あの大きな龍。


『ラフィアバートのことですね』


 サーペントさんはすぐに答えた。


『……残念ながら、ラフィアバートはノース国への駐在任務中です。……我が国の者がノース国に常駐し、共存の橋渡しをする。……テロリズムのあった今、人と魔物の関係を維持する大切な役割なのです。そう何度も、離れるわけには……』

『何度もって?』


 私の問いに、彼女はチラリと視線をずらす。

 その先には、大きな黒い陸亀。ローミアさんがいた。


『国家行事の闘技大会のため、ノース国に配慮頂き、数日間ローミアを呼び戻したのです。度重なる軍幹部の不在は、向こうの国への配慮上も難しい』

『それじゃあ、ローミアさんもドラス郡には行けないってこと?』

『ええ、そうなります』


 私は少し肩を落とした。

 先のカノンちゃん救出作戦は、ローミアさんの守護魔術があってこそだった。

 サーペントさんの『矛』とローミアさんの『盾』が無い次の作戦は、……とても、難航を極めそうだと思った。


 うーん。

 竜語。まさか、そんなところに壁があったなんて。

 それに、竜語を話せる人が、そんなに少ないとは思っていなかった。


『……軍の中にも、竜語を話せる者はおります』


 ユキちゃんは続けた。ただ、声に、少し迷いのような間があった。


『ですが……今回、可能であれば、非公式の訪問という形を取りたいのです』

『非公式?』

『ええ。ドラス郡の竜たちは、我が国への帰属を最後まで拒み続けた者も多い。魔王軍の者が公式に調査へ訪れた、と受け取られれば……余計な警戒を与えかねません。あくまで、自発的な訪問という体裁が望ましい』


 なるほど。つまり、国の代表として動くより、個人として動く方がいい、ということか。


『……あの。じゃあ、私』


 私は少し考えてから、顔を上げた。


『知り合いに竜。一人だけいるんだけど』


第四章、始まりです。


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