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69. 深緑の竜


 空き地を後にした私たちは、夜の林を抜けて街道まで戻ってきた。


 先頭を行くのはサーペントさん。舌を出して、周囲の様子を探知している。

 その後をレイン君。サーペントさんの尻尾を掴むようにして歩く。彼は声を出さなかった。でも、足取りは確かだった。


 ローミアさんが最後尾。その前を、私とカノンちゃんが並んで歩く。

 彼女の桃色の翼は、半分だけ畳まれたまま。歩くたびにその先が風に揺れた。


 誰も、しばらくの間、何も言わなかった。

 草木が風に揺れる音、遠くで虫の鳴く声。

 それが、私たちの周囲にある唯一の音だった。


 私は歩きながら、今日の出来事を考えていた。


(……エアリーさん)


 彼女に殺されかけた。私も、レイン君も。

 それなのに、カノンちゃんを護ろうとする、彼女の姿を見て――


 ……どうしてか、彼女と、通じ合えると思ってしまった。


(……おかしいよね。殺されかけたのに――)


 カノンちゃんを守りたい。同じ想いが、共感を呼んだのだろうか。

 この気持ちの源泉は、今は分からなかった。


 林を出る前、私は一度だけ振り返った。

 暗い木々の隙間、広場には、もう深い緑色の影はなかった。

 彼女がどこへ行ったのか、私には分からなかった。


【次に会った時、あなたが「人間のメイちゃん」であるなら――本気で殺す】


 あの時、エアリーが低く言い放った言葉が、頭から離れなかった。

 私を射貫く鋭い藍色の目が、まだ記憶に残っている。

 でも、それでも彼女と……もう一度話がしたい。私はそう思った。


 街道を進み、メルクス市の灯りが見えてくる。

 サーペントさんは振り返り、レイン君に声を掛けた。


「お父様は、市内に残って捜しておられます。ご自宅まで帰れますか?」


 レイン君が、小さく頷いた。


「……はい」


 初めてまともに声を聞いた。少し低い、変声期を越えたばかりのような声だった。

 彼は頷いたものの、震える手でぎゅっと大蛇の尾を握った。


「……やはり、家までご一緒しますよ」


 サーペントさんは尻尾でシュルリと彼の胴を一巻きする。

 安心させるための抱擁。かつて崩壊したオルト村で、私にやってくれたものと同じだった。


  ◆  ◆  ◆


 街の中に入ると、すれ違う人々がざわついて、私たちを見た。

 巨大な蛇と陸亀。鳥人と、人間が混在する一行。珍しい組み合わせだった。


 依然として、魔物に向けられる恐怖の籠った目。でも今は、その視線のひとつひとつを気にしている余裕がなかった。


 数分も歩かないうちに、角を曲がったところで、駆け寄ってくる男の姿。

 あの父親だった。


「レイン……!!」

「お父さん……」


 レイン君は走り出した。

 父親が息子を抱きとめる。しばらく、ふたりはそのままでいた。

 やがて父親が顔を上げて、私たちを見た。


「……あなた方が」

「林の中で、たまたまですよ」


 サーペントさんが静かに答えた。

 いつもの胡散臭い、営業スマイル。


「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


 父親は何度も深く頭を下げた。

 蛇の尻尾に薄く残る傷跡に目を遣る。

 エアリーと初めて遭遇した時、彼女につけられたものだ。

 たまたまな筈がない。きっと彼も、初めから分かっていたのだろう。


【……怖くないんですか。魔物が】


 かつて、父親の彼が、心配そうに私に尋ねた言葉を思い出す。

 そんな彼が、目に涙を溜めて、大蛇の魔物に何度も礼を言っている。


「ん……なんだ?」

「魔物が……人間を助けたのか?」


 周囲に野次馬が集まり始める。

 こうした積み重ねで『誤解』が解けていくのだと、私は思った。


(……よかった)


 私はただ、ぼんやりと親子の姿を見ていた。

 この子には、こうして、帰れる場所がある。

 それだけで、胸の奥に、温かなものが灯った気がした。


  ◆  ◆  ◆


 宿に入ったのは、夜が深くなってからだった。

 ローミアさんが部屋を二つ押さえてくれていた。

 彼女は「あそこだよ~」と前脚で示すと、そのまま脚を折り曲げて、その場に小さく身を伏せた。


「あれ、ローミアさん?」

「僕、宿の入り口の扉に入れなかったんだよね」


 ローミアさんはやれやれと首を振った。

 メルクス市のような地方の街では、依然として魔物に対するアクセシビリティと言うか、魔物に配慮された造りとなっていない。

 細長いサーペントさんならまだしも、十メートル級の彼女は、施設を利用できない場合があるのだ。

 仕方なしと彼女はのほほんと言うが、魔物との共存は、そう言った意味でも、課題が多いと感じた。


「いらっしゃいませ」


 そんなローミアさんに見送られながら、サーペントさんと私たちは宿に入る。彼は「少し魔王様にご報告を」と言い残し、そそくさと自分の部屋へと消えていった。

 私は、カノンちゃんと相部屋だ。ふたりで、小さな部屋に入った。

 簡素な部屋だ。魔王城の迎賓の間に比べたら、天と地の差がある。

 窓の外を眺めると、夜を彩る街の灯りが見えた。


「……ねえ、カノンちゃん」


 私は、先に声を掛けた。


「うん……」


 カノンちゃんは、ベッドの端に腰を掛けていた。

 翼を膝の上に乗せて、少しだけ丸くなっている。


「何が……あったの?」

「…………」


 彼女は黙った。

 そして、少しだけ表情を曇らせた。


「村が滅んだ時……山にいたんだよね?」

「……うん」


 彼女は視線を落とす。


「あの日、いつも通り、困った人がいないか山を回ってて。村に帰って、きたら……」


 そこで声が詰まる。

 彼女は先を言わず、その緑色の瞳が、私へと向けられた。


「……ねえ、メイ。みんな、死んじゃったの……?」


 小さな声だった。

 縋るような聞き方ではなかった。もう、その答えを分かっているのかもしれない。

 でも……聞かずにいられなかったのだろう。


「……うん」


 私は頷いた。

 嘘をつく意味が無いと思ったから。


「……そう……」


 カノンちゃんは短く言って、また黙った。

 その目から、静かに涙が垂れた。拭こうともしなかった。


「私もね、山に行ってた。だから助かったんだよ」

「……そっか……」

「だから……生きてるのは。私たち、だけ」


 そう言うと、カノンちゃんは翼で顔を覆った。

 声を殺して、肩を震わせながら泣いた。


 私は、何も言わずに隣に座る。

 そして彼女の背中に、そっと手を置いた。

 かつて私が同じ立場だった時、サーペントさんがそうしてくれたように。


  ◆  ◆  ◆


 泣き疲れたカノンちゃんが、少しずつ落ち着いてきた頃。

 私は、ずっと聞きたかったことを、やっと口にした。


「……今日、あの場所で、言ってたでしょ」

「…………?」

「村に戻ったら……『あいつ』が、いたって」


 カノンちゃんの肩が、わずかに硬くなった。


「……話したくなかったら、全然いいけど」

「……ううん」


 彼女は首を振った。


「話す。……いつか話さなきゃって、思ってたから」


 カノンちゃんは息を整えて、ゆっくりと話し始めた。


「村の広場にね……真っ黒な、大きい竜がいたの」


 私はその言葉に、心臓がドキンと跳ねた。

 でも、平静を装って頷きながら、黙って聞いた。


「……そう、なんだ」

「村が、なくなってて。……誰も、いなくて。それなのに、あの竜だけがいて」


 彼女の翼が、ふるふるとわずかに震える。


「……怖かったでしょ」

「うん。すごく……。それで、向こうもわたしを見てて、逃げたら殺される……と、思って……」


 彼女の瞳が、再び足元へ落とされる。


「だから、その……反人派の、ふりをしたの。そうしないと、死ぬって思って……」


「……生きるためだったなら。仕方、ないよ」

「……うん。全部、うまくいったと思ってた……」


 カノンちゃんは俯いたまま、一拍を置いて続けた。


「あの竜が、人間を殺して証明してみろって、言い出すまでは……」

「…………」


 言葉が出なかった。

 彼女もずっと、ひとりで抱えていたんだ。


「でも、エアリーが……気づいてた。わたしが本当は殺せないって、気づいてたの。……だからあの子が、ずっと……」


 そこで声が詰まる。


「わたしの代わりに、手を、汚してて……」


 私は、何も言えなかった。

 エアリーがあの時、鎌鼬を放った理由が、繋がった気がした。


「……カノンちゃん。あの竜のこと。名前とか、知ってる?」

「……ううん、知らない。一度も、名乗らなかった……」


 彼女は首を振った。


「ただ……エアリーは知ってたと思う。あの子、あの竜と前から知り合いみたいだったから」

「……そうなんだ」


 私は小さく頷いた。


「……ねえ、カノンちゃん」

「うん?」

「エアリーって……どういう子なの?」


 カノンちゃんは、しばらく黙っていた。

 窓の外を見て、小さく息をつく。


「……優しい子だったよ。人間は嫌いだけれど、魔物のことはすごく大事にする」


 そして彼女は、少し間を置いて続けた。


「……でも、ひとつだけ、気になってたことがあって」

「なに?」

「あの子……いつも、翼の中に入れてたんだ。大切そうにしてて」

「……なにを?」

「竜の、鱗」


 カノンちゃんは静かに言った。


「でも、黒じゃなくて……深い緑色の。エアリーより、ずっと小さな、子供の竜の鱗だと思う」


 私の胸の奥が、ざわっとした。


「……子供の、竜?」

「うん。わたしが聞いたら、『友達』って……それだけ教えてくれた」


 カノンちゃんは、翼を少し揺らした。


「それが誰なのか、わたしには分からないんだけど……。エアリーってね、あの鱗を見る時の目が、すごく寂しそうで……」


(……緑色の、竜)


 エアリーが人間を憎む理由。

 そして――あの黒竜にも、きっと、辿り着く情報となる。

 私の頭の中で、静かに、そんな予感が形を持ち始めた。


 

ちなみに、少年のレイン君と、エアリーの苗字のレインは、単なる偶然です。

空き地で「レイン君」と呼ばれた時、エアリーは少し呼ばれた気になっていました。

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