63. 沈黙する街
翌日。
関所近くの街で一泊し、私たちは昼前にメルクス市へ到着した。
雲一つない快晴。陽は高く、日差しも強い。
本来なら、一番活気のある時間帯だ。
それなのに――
(なにか、おかしい……)
暗い。街全体が、沈んで見えた。
人はいる。通りも開いている。店も営業している。
でも……笑い声が、ない。
会話は小声で交わされ、人々の視線は落ち着かない。
誰もが、どこか周囲を気にしていて。小走りで移動している。
そして――
すれ違う人間の何人かが、私達を見て、ほんの一瞬だけ顔を強張らせた。
(……見られてる)
いや、違う。
見られているのは私じゃない。
――『二体の魔物』を、だ。
「……空気が張り詰めていますね」
サーペントさんは、その視線に気づいたのか、静かに言った。
「うん……」
「よくある状態です。『正体不明の殺し』が発生した直後の街は、こうなります」
彼は、自身に向けられる畏怖の目に、フードの奥で少しだけ目を細める。
「疑心暗鬼。防衛。そして――」
ほんの一瞬だけ、声が低くなった。
「得体の知れぬ者への恐怖」
そこで言葉を切る。
「……魔物」
私が呟いた。
「その通りです」
即答だった。サーペントさんの舌がシュルシュルと出し入れされる。
彼は規制線の前に立つ警官に、静かに近づいた。
「失礼します。こちらの現場を、少しだけ確認させていただけますか」
警官は一瞥し、即座に首を振った。
「……一般の方はお断りしています。立ち入りは関係者のみです」
その声には、棘があった。
拒絶というよりも、魔物に対する恐怖を隠した、強がりのような響きだった。
「承知しております」
サーペントさんはポーチから一通の封書を取り出した。
「こちらをご確認願います。エリノア国魔王ミゼル・エリノアの名において、カノン・ノアーノという魔物の捜索に関する捜査協力を要請するものです」
「魔王……?」
警官は、少しだけ目を見開いた。
「この事件が当該魔物と関連している可能性がございます」
警官は封書を受け取り、紋章を確認した。
「……なるほど」
しかし顔色は変えなかった。むしろ、わずかに眉を寄せた。
「責任者に確認してまいります」
そう言うと、警官は規制線の向こうへ消えていった。
「人間って、魔王様の親書でも、何人も何人も確認するの真面目だよね」
『ロー。それは嫌味に聞こえてしまいますよ』
悪気の無いローミアさんの言葉を、サーペントさんがエリノア語で咎める。
そしてしばらくの間、私達は規制線の外で警官を待った。
「……中の物には触れないようにして頂ければ、問題ないとのことです」
「分かりました。ご確認感謝します」
しばらくして、親書を渡した警官とは別の人が戻って来た。
サーペントさんは静かに頭を下げ、警官と共に、規制線の内側へずるずると入って行く。
「メイちゃんには刺激が強いでしょう。アナタとローは、街の人たちに話を聞いてみてくださいね」
◆ ◆ ◆
しばらくして。
規制線の向こうで、サーペントさんが地面に視線を落としているのが僅かに見えた。
ローミアさんは外で待ちながら、離れた位置で街の人に話を窺っている。
私はその場から離れて、路地に沿って少しだけ歩いた。
特にこちらの方向に何かがあったわけじゃない。ただ、あのまま現場に立ち止まっていると、目が現場の方へ引き寄せられてしまいそうだったから。
商店の軒先に並ぶ果物を眺めながら周囲の人々の会話に耳を澄まし、街ゆく人たちに偶然訪れた観光客を装って話を聞く。
しかし、誰もこれと言って、重要な情報を持っているわけではなかった。
遠くで子供が泣いている声。荷馬車の車輪が石畳を転がる音。
どれも普通の街の環境音のはずなのに、何か、大事なものが欠けているように思える。
「……あの」
不意に、声をかけられる。
振り向くと、三十前後の男性が立っていた。
整った服装だが、どこか乱れているように見える。彼の目の下には、濃い隈が浮かんでいた。
「さっきまで……魔物の方と一緒にいらっしゃいましたよね」
躊躇いがちな声だった。
「はい」
「その、話しかけたかったんですが……魔物が一緒にいると、どうしても」
言葉が途切れる。
男性は少しだけ目を伏せた。
「……すみません。偏見みたいに聞こえますよね」
「……いえ」
私は首を振った。
魔物に対して悪意の目を向けられるのは悲しい。でも、今この街の空気、状況で、魔物連れの人間に声を掛けるのをためらうのは、仕方がないと思った。
「何かありましたか?」
私が尋ねると、男性はぐっと唇を噛んだ。
「……子供を、探しているんです」
胸の奥が、ざわっと鳴った。
「子供……?」
「昨日の夕方から帰ってこなくて。警察にも言ったのですが、事件との関係はまだ分からないと言われて……」
男性は視線を落とす。
「でも……あの殺人事件の話を聞いてから、……ずっと、嫌な予感がして」
かすれた声だった。
「年は十五で。青い上着を着ていて、髪は明るい茶色で、少し癖があって……」
言葉が次々と出てくる。
必死に伝えようと。何とか繋ぎ留めようと。
(……未来視)
あの時見た光景が、頭の中で重なる。
震える翼。風の刃。無残に切り刻まれた少年。
年齢も、着ていた服の色も。
(……一致、してる)
この国の十五歳で、青い服を着ている少年が一人だとは限らない。
でも……胸の奥が、静かに冷えていく。
「お子さんのお名前を、教えていただけますか」
私は静かに尋ねた。
「レインといいます」
その名前を、胸の奥に刻んだ。
「……今、一緒にいる方たちも、この事件を調べているんです」
私は言った。
「あの方たちは魔物ですが……信頼できるひとたちです。レインさんのことも、伝えます」
男性は少し驚いたように私を見た。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
「……あなたは。……怖くないんですか、魔物が」
「え……?」
ビックリした。思っていなかった問いだった。
「…………」
私は考える。
ガルデニアで私を襲った黒竜に、『ヘビさん』ではないサーペントさんの顔。
魔物がすべて怖くないか、と言われたら、嘘になる。
「……怖い時も、あります」
私は正直に答えた。
「でも、分かり合えます。いつか、一緒に暮らせる時が……必ず来ます」
私の言葉に、男性はしばらく黙っていた。
……そして、静かに頭を下げた。
「……そうですか。……すみませんが、レインのことをよろしくお願いします」
◆ ◆ ◆
しばらくして、サーペントさんが規制線の外へ戻ってきた。
私はローミアさんのもとへ戻りながら、男性との会話を頭の中でまとめていた。
「お待たせしました」
「どうだった?」
ローミアさんが尋ねる。
「血痕の飛び方が、異常でした」
サーペントさんは静かに言った。
「異常……?」
「ナイフなどの刃物を使った切断であれば、骨を砕くために叩きつけや引きの動作が発生します。そのため、どんなに鋭利な刃物であっても、骨の抵抗による血の飛散が残る。……しかし、あれは」
彼の尻尾の先が、ぴたりと止まる。
「通過していました」
低い声。その言葉に、ぞくりとした。
「……通過?」
「ええ」
サーペントさんは一度だけ頷く。
「高密度の通過する流体に触れて、一瞬で骨まで切断されたかのような、飛散の少なさ……でした」
「……それって」
気がつけば、口から言葉が漏れていた。
彼はフードをわずかに深く被り直し、続ける。
「……ええ。魔術で言えば、……鎌鼬が、当てはまります」
彼は、私から視線を一瞬だけ逸らした。
「…………」
「ですが……鎌鼬は特定の魔物固有の魔術ではありません。カノンさんかどうかは、まだ分かりません」
彼の言葉は、どこまでも冷静だった。
でも私は、胸のざわつきをどうしても抑えられない。
「争った痕は?」
ローミアさんが横から問う。
「ありませんでした。抵抗も、回避行動もない。気づいた時には……終わっていた。明らかに、意図を持った殺人です」
ローミアさんが、ゆっくりと息を吐いた。
「……これって、また、起きると思う?」
「……可能性は高いです」
彼の言葉に、私は胸を潰されるような気持になった。
逃げ場のない言葉。すなわち、次に殺されるのは――
「ヘビさん、ローミアさん……ひとつ、聞いてください」
私は口を開いた。
ふたりが振り返る。
私は男性から聞いた話を、そのまま伝えた。年齢、服の色、髪の色。名前。
サーペントさんは黙って聞いていた。
最後まで聞き終えると、一度だけ目を伏せた。
「……このタイミングで、行方不明」
「……では、急ぐ必要があります」
ローミアさんとサーペントさんが交互に言う。短い言葉だった。
でもその声に、いつもの穏やかさとは違う、何か固いものが混じっていた。
「うん」
私は頷いた。
(……止めなきゃ)
怖い。
でも、目を逸らすわけにはいかない。
カノンちゃんが犯人なら。……私が、絶対に止めなきゃ。
「行こう」
声が出た。
自分でも驚くくらい、落ち着いていた。
「……カノンちゃんに、会いに行く」




