62. その刃は誰のものか
門を越えて、私たちは歩き始めた。
石畳の道、舗装された街道。
道中行き交うのは、人間たちの群れだ。
魔物の国エリノアとは、明らかに違う空気だった。
「やっぱり、雰囲気違うね」
思わず声が漏れた。
「ええ。こちらは人間の国ですからね」
隣でサーペントさんが答える。
声と表情は穏やかだが、その視線は周囲を鋭く観察していた。
通りを行く人々の荷物の量、武装の有無、警戒の具合。
その一つ一つを、まるで値踏みするかのように眺める、商蛇としての目だった。
「ベル~」
その時、後ろからのんびりとした声が飛んできた。
振り向くと、ゆったりとした足取りでローミアさんが近づいてくる。
「どうかされましたか?」
「ん~、ちょっとねえ。さっき関所の人と話してたんだけどさ」
彼女は軽く首を傾げた。
「最近この国、エリノアからの不法入国が増えてるらしいよ」
「不法入国、ですか」
サーペントさんの目が、わずかに細くなる。
「うん。特に――」
ローミアさんは、ほんの少しだけ声を落とした。
「関所を越えられる、『空を飛べる種族』が多いんだって」
「……!」
胸が、ドクンと鳴る。
空を飛べる魔物。
その言葉だけで、……引きずり出されてしまう。
(カノン、ちゃん……)
あの、淡い桃色の翼。
震えながら、人間に振るわれた風の刃。
あの時に見た、未来視の光景が……一瞬で蘇る。
「どうしたの、メイちゃん」
「い……いえ、なんでもありません」
慌てて首を振る。
ローミアさんが言っているのは、最近の話だ。
カノンちゃんは、五年前からオルトに居たじゃないか。
――でも。
胸のざわつきが消えない。
サーペントさんは何も言わず、ただ一瞬だけ、私の方を見た。
◆ ◆ ◆
関所から最寄りの街。
そこは中規模の宿場町のような場所だった。
街道の要所に位置しているため、人の流れは多い。
商人、旅人、兵士。様々な人間に、ちらほらと魔物達も行き交っている。
「まずは情報を集めましょうか」
サーペントさんが言う。
「うん」
私は頷いて、近くのベンチに腰を下ろした。
ポケットからスマホを取り出し、ニュースアプリを立ち上げる。
「スマホだねえ。それ、ニュース?」
横からローミアさんが覗き込む。
「はい。まずはこれが一番早いので」
「ほほう。現代人だねえ」
のんびりとした声。
でも、その目はほんの少しだけ興味深そうだった。
「ローミアさんは使わないんですか?」
「僕はスマホ持ってないんだよ~。必要な情報は、直接聞く派だからねえ」
そして、彼女はやれやれと首を振った。
「それにこの手じゃ、スマホ持てないからねえ」
「ロー」
そんな彼女に、サーペントさんが静かに口を挟む。
「今はそう言った魔物向けにも、装着型の音声操作端末が出ておりますよ」
「ええ~、そうなの? 知らなかったよ」
「そんなことではローは、どんどん現代文化に置いて行かれて時代遅れになってしまいますね」
「うええ、時代遅れは嫌だ~!! ベル、今度一緒に買いにつれて行ってよ」
なんだそのエルダジョーク。でも、ほんとにこのふたりは仲良しなんだなと横目で思った。
「……ねえ、これかな? 一日前の記事」
私は一つの記事をタップする。
玄武のふたりは私のスマホに視線を向けた。
【メルクス市にて、遺体損壊事件発生】
淡々とした見出しだった。
私は本文をスクロールする。
【現地警察によると、被害者は市内在住の男性。遺体には鋭利な刃物によるとみられる複数の損傷が確認されており、現在、殺人事件として捜査中。犯行手段や動機については不明。】
「……情報、少ないけど」
思わず呟く。
「うーん、これだけでは判断できませんね……」
サーペントさんが尻尾で頬を掻く。
情報が足りない。これだけでは、ただの人間の殺人事件の可能性もある。
(こういう時は……)
「SNSを見てみるよ」
私はニュースアプリを閉じ、アプリを切り替えた。
「えすえぬえす?」
ローミアさんが首を傾げる。
「個人が情報発信する場所です。噂とか、現地の声とかが流れるの」
「なるほどねえ。掲示板みたいなものか。ベルもやってる?」
「アカウントは持っていますが、参考にする程度ですね」
「アカウントって?」
「ああ、アカウントというのは――」
そんな『エルダ』なローミアさんに説明する霊蛇を尻目に、私はSNSの検索欄に情報を打ち込む。
【メルクス 事件】
ずらりと、投稿が並んだ。
【メルクスの事件、やべえだろ……最近マジで治安悪すぎ】
【あれ絶対人間じゃないって。魔物じゃなきゃ、あんな残酷な殺し方できないだろ】
【メルクスの奴、魔物が犯人だろ。エリノアから来たやつらだって絶対】
【だから俺は言ったんだよ。共存なんて無理だって】
【共存とか言ってた奴どう責任とんの?】
「…………」
「メイちゃん、どうですか?」
サーペントさんの声。
「……騒ぎに、なってる」
私は画面を見たまま答えた。
「みんな、『魔物の仕業』だって」
そう言って、さらにスクロールを進める。
そして――その手が、不意に止まった。
【現場に居合わせたんだけど、あれ、魔物の鎌鼬だと思う。人間の力じゃ、どうやったってあんな綺麗に切れる筈がないよ】
心臓が、強く打つ。
「メイちゃん……?」
ローミアさんが、少しだけ心配そうな声で呼ぶ。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「……魔物の鎌鼬、って……」
縋るように、サーペントさんの目を見る。
「カノンちゃん……だよね」
自分でも分かるくらい、声が震えていた。
「……断定はできません。鎌鼬である確証もありませんし、仮にそうだとしても、鎌鼬を使える魔物は何人もいます」
サーペントさんが、静かに言う。
「SNSの情報は、憶測も混在しています。情報源としてはノイズが多すぎる。だからワタシは、当てにしないようにしています」
彼は、はっきりと言い切った。
「で、でも……」
「……人は得体の知れない事件に対して、最も分かりやすい『怪物』を当てはめます」
少しだけ間を置いて、彼は続けた。
「それが、魔物です」
「…………」
私は、スマホの画面を再び見る。
魔物のせいだという断定、決めつけ。魔物への恐怖。
……証拠なんて、どこにもないのに。
「……でも」
私は、小さく呟く。
「全部、カノンちゃんに繋がってる気がする」
それでも、私の胸のざわつきは消えなかった。
◆ ◆ ◆
「……情報は揃いましたね」
サーペントさんは、静かに呟いた。
「西の街『メルクス』で、不可解な殺人事件」
「うん……」
「死因は、鋭利な切断」
「…………」
「そして、SNS上で騒がれる『魔物』による攻撃の可能性」
私は応えられない。
頭の中では、もうひとつの答えがこびりついていた。
認めたくない。でも――その最悪の結末が、頭から離れない。
「メイちゃん」
サーペントさんが、静かに呼ぶ。
「繰り返しになりますが……断定は、できません」
サーペントさんは尻尾で、そっと私の手を握った。
自分が付いている。まるで、そう言うかのように。
「行きましょう、メルクスへ」
「……うん」
私は頷く。
揺れる疑念のまま、私たちは、西の街へと向かい始めた。




